富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

富田林寺内町の戎っさん

2014年01月11日 | 日記

2014.1.10. 20:17 富田林市富田林町 冨栄戎神社かいわい

 

 寺内町の南東部 山中田(やまちゅうだ)坂の角 石川河川敷をあがったところにあります。

 

 山中田坂は、明治になって堺筋の新道ができるまでの東部方面、河南町・千早赤坂村・太子町、また遠く水越峠を越えて、奈良方面から物資や人々の往来がありましたが、その玄関口でした。

 

 正面でお祈りをしたら、裏に回ります。

 

 戎っさんはお耳が遠いので、小槌で3回板をたたいてから、お願い事をします。

 

 裏はこんな感じです。残念ながら小槌は写っていませんでした。

 

 昭和30年ごろは、多くの屋台が堺筋にずらっと出ましたが、今はこじんまりしています。その頃、小学生の私にとっては、お正月はおばあちゃんとこへ行ってお年玉をもらってトランプして、そして、学校が始まったらすぐ戎っさんでいそがしい毎日でした。

 

 笹もちょっと様変わりしましたか?

 昔は笹の葉に小判とか単品売りのいろいろをつけて買ったような記憶があります。あんまり付けるとお値段が高くなるので、ちょっとだけつけて買ったら、とてもみすぼらしくなっていました。もちろんいっぱいついた完成品も売っていましたが、高かった。子供ながらに費用対効果を計算をしていたのですね。

 

 福飴はかならず買いました。食べてると歯の裏にひっつくやつです。どこで割ってもお多福さんが出で来るやつとねじってあるやつがありました。すぐしっけて、セロハンが取れなくなるので、湿気たらセロハンごと食べます。食べているうちセロハンが分離するので、セロハンだけ出します。

 

 お多福飴と呼んでいたような記憶があります。

 

 食べやすいように切ってあるやつもあります。へたな職人が作ると、お多福のお顔が「へちゃむくれ」になっていておもしろい。手作りなので、飴ごとにちょっとずつお顔がちがっていました。

 

 昭和50年台まで寺内町の中でお酒を醸造していた万里春(ばんりのはる)です。戎さんのすぐ近くに酒蔵があり、蔵のした通気口からお酒の香りが近くを通ると漂ってきました。

 

 日本の道百選 「城之門筋」です。

 

 

 興正寺別院の鼓楼です。城之門筋と堺筋(堺町)の角にあります。

 

 ついでに、旧杉山家住宅まで立ち寄りました。元造酒屋の唐臼がオブジェになっています。唐臼は、稲の籾殻を落とす道具です。今ならコンバインであっという間ですが...

 

ここは元造酒屋の 橋本家住宅

お迎えしてくれるのが、ちょっとウォンバットに似た「駒つなぎ」です。ちょっとこの辺では珍しい石造のもので、丸いリングの金具式のものは、ここや今井町にいっぱいありまます。

 

 街中は静かです。

 

 松の内が明けるまでのしめ飾り

小正月(1月15日)に、神社に持ち寄り、どんど焼きにくべて(焼いて)もらいます。

 

写真撮影:2014.1.11.

( 2014.1.10. HN:アブラコウモリH )


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