3「人権」について考える -8- ⑶「人権」とはなにか? -6-
<ウィキペディア:人権>より ※以後この「人権」の項内の引用は左記より。それ以外の場合は各個に明示する。
・「人権(じんけん、human rights)とは、人間ゆえに享有する権利である。人権思想においてすべての人間が生まれながらに持っていると考えられている社会的権利である。」
※「規範」=基本的な自然観・人間観・宗教観・倫理観・社会観など。→ おきて(掟)・ルール、道徳、法など。
※「人権(思想)」は、今のところ、倫理・道徳と、法の両面をもっている。つまり、現代では、上記定義「規範」の一種となっていると言える。
③ 「人権」の定義を試みる 2/n
【定義1】 日本国内の日本人の人権とは、日本国憲法に定められている「基本的人権(生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利)」のことである。
【定義2】 日本の基本的人権=略(現行憲法に定められている個別の諸権利一覧)
~以上、再掲~
●古代以来の日本における”人権”の特徴 -2/2-
・天皇(皇室)と国民の関係
天皇と日本国民の関係は、比喩的に言えば、超巨大家族(≒日本民族)の ”親と子” のようなものだ。
(※それを象徴するのが「仁徳天皇の”民のかまど”」の話・・・<歴史街道を行く:聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑わいにけり>を読んでみてください。)
大和朝廷の初期から平安時代中ごろまでは、「統治王」であるとともに「祭祀王」だったが、あとはおおむね、国と民の平安を祈る祭祀王でありつづけておられる。
〔※意図的に広められた嘘として《明治・大正・昭和天皇(戦前)は最高政治権力者:統治王だった》という”うわさ”がまだあるが、英国のエリザベス女王がそうではないように、帝国憲法下の天皇も「政治上の実権」はなかった。
やむをえず政治的決断:「聖断」をされたのは、ただ2度だけ。明治天皇が、陸軍有志を中心としたクーデター:226事件を断罪されたとき(※軍部が決断できなかった)と、昭和天皇が、大東亜戦争の終戦(=ポツダム宣言の受諾)を決断されたとき(内閣が決断できなかった)。
実は私はひそかに、最近の「譲位」問題は、今上天皇陛下の ”国家の危機管理に関するご聖断” なのかもしれないと感じているが考えすぎだろうか? 近隣諸国との紛争が起きる可能性が高まっているときに…〕
しかし、今でも、ほとんどの日本人は、「政治権力」はなくても、《天皇陛下は、総理大臣より ”上” におられる》と思っているだろう。 (※国民の9割が自衛隊を”国と民の護り手” として認めているように)
また、多くの日本人が天皇陛下と皇室を(人それぞれの絆のもちかたで、それなりに)敬愛しているのはまちがいない。
(※GHQのマッカーサーと米国はよい判断をした。あのとき、天皇を戦犯として断罪し、憲法上の地位を奪ったとしたら、日本全土が日本人と連合軍兵士の血の海になっていたかも…)
少し脱線する・・・伝統的日本人は、ほとんど無意識のうちに、《「民」(たみ)はみな平等》と感じているのではないだろうか・・・庶民の多くは、大昔から、《「えらいお役人」だろうと、どんな「大金持ち」だろうと同じ日本人じゃないか》と思っているのではないだろうか。
(※信じられないような科学:遺伝学の話・・・私たちは学校で、「獲得形質は遺伝しない」と習いましたが、つい最近、「実は獲得形質も遺伝する」ことが発見されたそうですが…!!!)
【結論】 以上、4つのことがらをみてきたが、日本人は (※他民族・外国人の内心のようすは知らないが)、
このごろ実現している「法の下に平等」という社会規範以外に、《数千年以上の昔から、”「人はみな平等」なのだという想い”をもちつづけている》ように思われる。
日本人(の多く)は、法とは関係なく、《人は平等だ》という、人権思想の基本認識をもっているように思える。
(※その認識があるから、ほとんどの日本人が、危機のときには ”助け合う” し、”他国のような暴動を起こさない” のだと思う。現実に、日本社会は、”治安は世界一よい” と誇ることができる社会なのだ。→ 日本は地球上でもっとも「人権」が尊重されている国の一つだ。)
~次回、「日本における人権」の定義をする~
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