北ユーラシアの歴史
貂主の国
ツラニズム再考
前回
> それはさておき、同時に取り上げられている「日本はツラン同盟結成を打ち立てよ 」
> というサイトには驚きましたが・・・(^^;; これについてはまた別途。
の続きです・・・。
対米追従にしろ中国・韓国問題にせよ、まるで世界には欧米と中国+αしかないと
思っているかのような今の日本の外交には不満を持っているので、それ以外の地域にも
目を向けて力を入れていこう、というのには賛成。
#そういえば先日来日したモンゴル国首相には実のある話ができたんでしょうか・・・
ですが書かれているユーラシアの諸事情に関しては、既に過去となってしまったものや
違和感のあるものが目に付きます。
ここではそのうちの代表的なものを取り上げてみることにします。
◆ウラル=アルタイ語族:
まずツランといえば「ウラル・アルタイ語族」ですが、かつてそうした作業仮説が力を持っていた
時期はありますが、今ではほとんど力を失っています。ウラル語族は印欧語族に次いで
比較言語学的な研究成果があがっていますが、アルタイ語族(モンゴル語族、トルコ語族、
ツングース語族) という括りについては成立するかどうか微妙です。
「日本語の起源(Wikipedia)」
アルタイ語族という括りですら怪しいのに、ましてやこれらをさらにウラル語族とくっつけて
ウラル・アルタイ語族として一つにまとめるのは無理がありすぎるというわけです。
また、日本語がアルタイ語族に属しているかについても語族の成立そのものが
あやふやである以上「現状では何も判断できない」とするのが良心的というものでしょう。
ただ、言語の問題はおいたとしても北方世界と共通する文化、あるいは草原の世界と
共通する文化的な諸要素が日本においても多数見ることができますので、そうした
面からのアプローチはあってしかるべきであろうと考えます。共通の要素があるからといって
すぐ一つに括ってしまうという短絡的なやり方は避けるべきですが。
考古学的、文化人類学的なアプローチとはまた違って、面白いところでは江差追分のルーツを
西シベリアに求めるなんてはなしもあります。
「ふるさと民謡考」
「江差追分事件」
機会があれば取り上げたいと思いますが、要は西はハンガリーからウラル周辺のバシュキール、
西シベリアのハンティやマンシ、東へモンゴルを経て日本の東北・北海道にかけて
1万キロに及ぶ追分ロードが延びていた、というお話です。
話の広がりとしてはまさにツラニズム的ですね。
◆語族と民族:
語族と民族といった括りをごっちゃにしてしまっているのも問題があります。
いうまでもなく語族は言語を分類するものです。言語は「民族」という意識を生み出す
大きな要件の 一つではありますが、語族と民族は本来次元の違う話です。
比較言語学のお手本といえる印欧語族ですが、これに属すインド=イラン系の言葉、例えば
ペルシャ語を話すイラン人と、同じく印欧語族に属す英語を話すアメリカ人、語族的には
同じ分類の言語を話すとはいえ、彼らが「同じ民族である」等と言ったらどうなるでしょうか。
フィンランドではロシアの重圧の中、民族意識の鼓舞のために中央アジアの奥地にまで
学者を派遣して古代トルコ語諸族の痕跡を追い求めていたくらいですから、
「ウラル・アルタイ」という意識は強かったのだろうと思いますが
片思いの相手のトルコ系諸族にそれを言ったところで「???」となるのが
オチでしたでしょう。汎トルコ運動ですら成功しなかったのですから。
戦前のツラニズム運動においてはこの辺りの混同が(意識的に?)なされており、
いわば学術上の作業仮説に過ぎない「ウラル・アルタイ語族」を共同体意識の
基盤に据えようとしていました。
ツラン「民族」という言葉はこうした危うげな概念であり、故に「幻想」だったのです。
まぁそもそも「民族」という共同体意識そのものからして多分に人為的に作り出される
ものですから、そのこと自体は別段とやかくいうようなことではないかも知れません。
結果的に共同幻想として成立してしまえば民族の一丁出来上がりなわけで。
ツングースについて、あるいはシャーマニズムについても言うべきことはありますが
このあたりで。
◆大相撲:
そうそう、もう一つこれだけは。
ツラニズムを主張するにも関わらず、フィン系国家エストニアの把瑠都を取り上げないのは
いかがなものでしょうか(^^;;
◆おまけ:
ハンガリーの戦車、「トゥラン」
> それはさておき、同時に取り上げられている「日本はツラン同盟結成を打ち立てよ 」
> というサイトには驚きましたが・・・(^^;; これについてはまた別途。
の続きです・・・。
対米追従にしろ中国・韓国問題にせよ、まるで世界には欧米と中国+αしかないと
思っているかのような今の日本の外交には不満を持っているので、それ以外の地域にも
目を向けて力を入れていこう、というのには賛成。
#そういえば先日来日したモンゴル国首相には実のある話ができたんでしょうか・・・
ですが書かれているユーラシアの諸事情に関しては、既に過去となってしまったものや
違和感のあるものが目に付きます。
ここではそのうちの代表的なものを取り上げてみることにします。
◆ウラル=アルタイ語族:
まずツランといえば「ウラル・アルタイ語族」ですが、かつてそうした作業仮説が力を持っていた
時期はありますが、今ではほとんど力を失っています。ウラル語族は印欧語族に次いで
比較言語学的な研究成果があがっていますが、アルタイ語族(モンゴル語族、トルコ語族、
ツングース語族) という括りについては成立するかどうか微妙です。
「日本語の起源(Wikipedia)」
アルタイ語族という括りですら怪しいのに、ましてやこれらをさらにウラル語族とくっつけて
ウラル・アルタイ語族として一つにまとめるのは無理がありすぎるというわけです。
また、日本語がアルタイ語族に属しているかについても語族の成立そのものが
あやふやである以上「現状では何も判断できない」とするのが良心的というものでしょう。
ただ、言語の問題はおいたとしても北方世界と共通する文化、あるいは草原の世界と
共通する文化的な諸要素が日本においても多数見ることができますので、そうした
面からのアプローチはあってしかるべきであろうと考えます。共通の要素があるからといって
すぐ一つに括ってしまうという短絡的なやり方は避けるべきですが。
考古学的、文化人類学的なアプローチとはまた違って、面白いところでは江差追分のルーツを
西シベリアに求めるなんてはなしもあります。
「ふるさと民謡考」
「江差追分事件」
機会があれば取り上げたいと思いますが、要は西はハンガリーからウラル周辺のバシュキール、
西シベリアのハンティやマンシ、東へモンゴルを経て日本の東北・北海道にかけて
1万キロに及ぶ追分ロードが延びていた、というお話です。
話の広がりとしてはまさにツラニズム的ですね。
◆語族と民族:
語族と民族といった括りをごっちゃにしてしまっているのも問題があります。
いうまでもなく語族は言語を分類するものです。言語は「民族」という意識を生み出す
大きな要件の 一つではありますが、語族と民族は本来次元の違う話です。
比較言語学のお手本といえる印欧語族ですが、これに属すインド=イラン系の言葉、例えば
ペルシャ語を話すイラン人と、同じく印欧語族に属す英語を話すアメリカ人、語族的には
同じ分類の言語を話すとはいえ、彼らが「同じ民族である」等と言ったらどうなるでしょうか。
フィンランドではロシアの重圧の中、民族意識の鼓舞のために中央アジアの奥地にまで
学者を派遣して古代トルコ語諸族の痕跡を追い求めていたくらいですから、
「ウラル・アルタイ」という意識は強かったのだろうと思いますが
片思いの相手のトルコ系諸族にそれを言ったところで「???」となるのが
オチでしたでしょう。汎トルコ運動ですら成功しなかったのですから。
戦前のツラニズム運動においてはこの辺りの混同が(意識的に?)なされており、
いわば学術上の作業仮説に過ぎない「ウラル・アルタイ語族」を共同体意識の
基盤に据えようとしていました。
ツラン「民族」という言葉はこうした危うげな概念であり、故に「幻想」だったのです。
まぁそもそも「民族」という共同体意識そのものからして多分に人為的に作り出される
ものですから、そのこと自体は別段とやかくいうようなことではないかも知れません。
結果的に共同幻想として成立してしまえば民族の一丁出来上がりなわけで。
ツングースについて、あるいはシャーマニズムについても言うべきことはありますが
このあたりで。
◆大相撲:
そうそう、もう一つこれだけは。
ツラニズムを主張するにも関わらず、フィン系国家エストニアの把瑠都を取り上げないのは
いかがなものでしょうか(^^;;
◆おまけ:
ハンガリーの戦車、「トゥラン」
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