北ユーラシアの歴史
貂主の国
歴史地理情報が整備できたらいいですね
IT化が進んで世の中どんどん便利なツールが出てくる中で、
歴史、特に考古学の世界でも情報系のツールの進歩というものは
やはり目覚しいものがあります。
20年前と比べたら確実にとんでもなく便利になっています。
(反面、そういうツールの使い方を覚える手間も増えているわけですが)
このBlogで作っている地図も、まさにそうしたツールの一つを用い、
全地球の地形データを使って計算して描画されたものだったりします。
遺跡の座標データを入力してやれば、遺跡の分布図なんてのも
お手の物です。わざわざ人間様がちまちまと一つずつ配置して
やるまでもありません。
(例)ヤマル=ネネツ自治管区の考古学遺跡分布図
とはいえ、このツールだと位置情報が共有できたとしても
インストールや取り扱いが万人向けとは言えないので
もう少し簡単な仕組みが欲しいところです。
もっと身近なツールというと、GoogleEarthを基盤とした
位置情報の共有化、なんていうのもお手軽です。
これは位置情報とそれに紐づくメタ情報をXML形式で
表現することができます。このXMLファイルを共有することで、
GoogleEarth上で自在に遺跡情報が、さらにそこからリンクを
張って解説サイトに飛ばせるなんてこともできます。
同じくサンプルでオビ川下流域の代表的な遺跡2つのXML
ファイルを作ってみました。
------------------<ここから>---------------------------------
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
<Document>
<name>貂主の国・北ユーラシアの歴史</name>
<Style id="khStyle526">
<LineStyle id="khLineStyle529">
</LineStyle>
<PolyStyle id="khPolyStyle528">
</PolyStyle>
<IconStyle id="khIconStyle530">
<Icon>
<href>http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/04/6ea78dc296cc489b0ec7d2911a842313.png</href>
<x>224</x>
<w>32</w>
<h>32</h>
</Icon>
</IconStyle>
<LabelStyle id="khLabelStyle532">
</LabelStyle>
</Style>
<Placemark>
<description>ウスチ=ポルイ(Ust-Poluy)遺跡
西シベリア北部鉄器文化である、ウスチ=ポルイ文化の代表的な遺跡。
</description>
<name>Ust-Poluy</name>
<LookAt>
<longitude>66.66722486688407</longitude>
<latitude>66.59157036888723</latitude>
<range>26377.60444752242</range>
<tilt>-4.070165184997296e-012</tilt>
<heading>-0.6714530950342651</heading>
</LookAt>
<styleUrl>#khStyle526</styleUrl>
<Point>
<coordinates>66.54881477312205,66.57491011020716,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
<Placemark>
<description>ウス=トルト(Us-Tolt)遺跡
ヤルサレ(Yar-Sale)文化の代表的な砦址遺跡。</description>
<name>Us-Tolt</name>
<LookAt>
<longitude>66.60297189719216</longitude>
<latitude>60.08604478380411</latitude>
<range>3951.897396048004</range>
<tilt>-1.850353146153696e-012</tilt>
<heading>-0.6872518169045531</heading>
</LookAt>
<styleUrl>#khStyle526</styleUrl>
<Point>
<coordinates>66.60326265171432,60.08747324508565,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
</Document>
</kml>
------------------<ここまで>---------------------------------
これをxmlファイル(拡張子kml)に保存してGoogleEarthに読み込ませてやると、
こんな感じになります。
HTMLの延長線上のようなもん(笑)ですし、GoogleEarth自身に
編集機能があります(タグなんか意識しなくて済む)から、
かなり敷居は低いと言えます。
皆でよってたかってBlog的に遺跡位置情報を蓄積していけば
いつのまにか大規模遺跡DBができてしまったり、というのも
夢ではありません。
#プロ向けのはとっくにいろいろありますけどね:-b
で、こうして全地球的に詳細な位置情報インフラができてくると、
次に問題になるのは今までに公開されてきた遺跡の位置情報は
どこまで正しいのか、という点です。自分で行ってGPSで計測
するわけじゃありませんからね。所詮はひと様の文献頼りですから。
先ほどサンプルのファイルを作る際に参考にしようと思っていた
文献があるのですが、巻末に遺跡の緯度経度が掲載されていて
「なんていい本なんだ!」と思っていましたが、いざマッピングしてみると
全然違う。10キロオーダーの間違いなので緯度経度の丸め誤差とか
測地系の違いによるものというわけでもないようです。がっかりです。
今のところ何による違いなのかは不明ですが、これならGoogleEarth上で
目視確認しながら適当にマッピングしたほうが余程正確です。
とはいえ、目視で位置を決定できる程情報(周辺図等)のある遺跡なんて
少ないですし、周辺図もどこまで信頼できるかはケースバイケースでしょう。
やってみると、こんな感じになります・・・
微妙というか、東の川の流れなんか全然だめです。
縮尺的にもこんなもんだし、位置的にはここだと思うんですけどねぇ。
というわけで、この段階で信頼度0です。
(ちなみに縮尺的にはアイコンの1辺が20m位)
10キロ位は誤差です、といって笑って済ませられるレベルであれば
まぁよいか、という感じですか。
そもそもの出発点が、「文献を読んで出てくる地名がさっぱりわからない」
というところだし、世界史の歴史地図として使うならば大要をつかめれば
よいので自分的にはこれで事足りますが、どうでしょうか。
まぁなんにせよ、個々人でばらばらに歴史地図作るような状況から
一歩進んで、位置情報の共有まで話が進められたらいいな、というお話でした。
歴史、特に考古学の世界でも情報系のツールの進歩というものは
やはり目覚しいものがあります。
20年前と比べたら確実にとんでもなく便利になっています。
(反面、そういうツールの使い方を覚える手間も増えているわけですが)
このBlogで作っている地図も、まさにそうしたツールの一つを用い、
全地球の地形データを使って計算して描画されたものだったりします。
遺跡の座標データを入力してやれば、遺跡の分布図なんてのも
お手の物です。わざわざ人間様がちまちまと一つずつ配置して
やるまでもありません。
(例)ヤマル=ネネツ自治管区の考古学遺跡分布図
とはいえ、このツールだと位置情報が共有できたとしても
インストールや取り扱いが万人向けとは言えないので
もう少し簡単な仕組みが欲しいところです。
もっと身近なツールというと、GoogleEarthを基盤とした
位置情報の共有化、なんていうのもお手軽です。
これは位置情報とそれに紐づくメタ情報をXML形式で
表現することができます。このXMLファイルを共有することで、
GoogleEarth上で自在に遺跡情報が、さらにそこからリンクを
張って解説サイトに飛ばせるなんてこともできます。
同じくサンプルでオビ川下流域の代表的な遺跡2つのXML
ファイルを作ってみました。
------------------<ここから>---------------------------------
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
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<name>貂主の国・北ユーラシアの歴史</name>
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<description>ウスチ=ポルイ(Ust-Poluy)遺跡
西シベリア北部鉄器文化である、ウスチ=ポルイ文化の代表的な遺跡。
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ヤルサレ(Yar-Sale)文化の代表的な砦址遺跡。</description>
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------------------<ここまで>---------------------------------
これをxmlファイル(拡張子kml)に保存してGoogleEarthに読み込ませてやると、
こんな感じになります。
HTMLの延長線上のようなもん(笑)ですし、GoogleEarth自身に
編集機能があります(タグなんか意識しなくて済む)から、
かなり敷居は低いと言えます。
皆でよってたかってBlog的に遺跡位置情報を蓄積していけば
いつのまにか大規模遺跡DBができてしまったり、というのも
夢ではありません。
#プロ向けのはとっくにいろいろありますけどね:-b
で、こうして全地球的に詳細な位置情報インフラができてくると、
次に問題になるのは今までに公開されてきた遺跡の位置情報は
どこまで正しいのか、という点です。自分で行ってGPSで計測
するわけじゃありませんからね。所詮はひと様の文献頼りですから。
先ほどサンプルのファイルを作る際に参考にしようと思っていた
文献があるのですが、巻末に遺跡の緯度経度が掲載されていて
「なんていい本なんだ!」と思っていましたが、いざマッピングしてみると
全然違う。10キロオーダーの間違いなので緯度経度の丸め誤差とか
測地系の違いによるものというわけでもないようです。がっかりです。
今のところ何による違いなのかは不明ですが、これならGoogleEarth上で
目視確認しながら適当にマッピングしたほうが余程正確です。
とはいえ、目視で位置を決定できる程情報(周辺図等)のある遺跡なんて
少ないですし、周辺図もどこまで信頼できるかはケースバイケースでしょう。
やってみると、こんな感じになります・・・
微妙というか、東の川の流れなんか全然だめです。
縮尺的にもこんなもんだし、位置的にはここだと思うんですけどねぇ。
というわけで、この段階で信頼度0です。
(ちなみに縮尺的にはアイコンの1辺が20m位)
10キロ位は誤差です、といって笑って済ませられるレベルであれば
まぁよいか、という感じですか。
そもそもの出発点が、「文献を読んで出てくる地名がさっぱりわからない」
というところだし、世界史の歴史地図として使うならば大要をつかめれば
よいので自分的にはこれで事足りますが、どうでしょうか。
まぁなんにせよ、個々人でばらばらに歴史地図作るような状況から
一歩進んで、位置情報の共有まで話が進められたらいいな、というお話でした。
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作業中・・・
以下、どうでもよい世迷い言。
歴史地図というのは、ただぽろりと単独でそこにあるだけでは
あんまり意味がないと思うのです。
各時代の状況をできる限り丁寧に拾い上げたものを
レイヤーにして重ね積み上げていくことで新しく見えてくるもの、
感じられるものが出てくるのだろうと。
というわけで、ウラル山脈を中心にしたあたりを文字通り
レイヤーを重ねて表示させたのがこの図です。
4世紀前後と10世紀、16世紀の大きく3つを重ねているのですが
(それぞれの時代も実はやや年代のずれたものの合成)、
作った本人以外には何のことやらですね。すみません。
今あるものをただ積み重ねただけなので・・・
ぼーっと見ていると前にも書いた「センター」みたいなものが
見えてきます。シベリア汗国の位置が偶然決まったわけではなく、
コダとコンダが激しく対立していたのも偶然ではない、というのも
文字ではわかりにくいですが図で見れば一目瞭然です。
(それは嘘。一度説明するか、注釈付きのアニメーション
仕立てにでもしないと無理>俺)
そもそも一番下に地形図を持ってきているのは川等の地形が
どのように影響しているかを見たいがためなんですけどね。
図としてはおそらく白地図に川を描いて色を乗せた物の方が
シンプルでわかりやすいとは思います。
ほんとうは植生図も重ねたいところ。森林と草原の境界世界の
アクティビティの高さが見えてくると思うんですがね。
いい加減、眠くなってきたので駄文はこれ位にします。
おやすみなさい・・・
歴史地図というのは、ただぽろりと単独でそこにあるだけでは
あんまり意味がないと思うのです。
各時代の状況をできる限り丁寧に拾い上げたものを
レイヤーにして重ね積み上げていくことで新しく見えてくるもの、
感じられるものが出てくるのだろうと。
というわけで、ウラル山脈を中心にしたあたりを文字通り
レイヤーを重ねて表示させたのがこの図です。
4世紀前後と10世紀、16世紀の大きく3つを重ねているのですが
(それぞれの時代も実はやや年代のずれたものの合成)、
作った本人以外には何のことやらですね。すみません。
今あるものをただ積み重ねただけなので・・・
ぼーっと見ていると前にも書いた「センター」みたいなものが
見えてきます。シベリア汗国の位置が偶然決まったわけではなく、
コダとコンダが激しく対立していたのも偶然ではない、というのも
文字ではわかりにくいですが図で見れば一目瞭然です。
(それは嘘。一度説明するか、注釈付きのアニメーション
仕立てにでもしないと無理>俺)
そもそも一番下に地形図を持ってきているのは川等の地形が
どのように影響しているかを見たいがためなんですけどね。
図としてはおそらく白地図に川を描いて色を乗せた物の方が
シンプルでわかりやすいとは思います。
ほんとうは植生図も重ねたいところ。森林と草原の境界世界の
アクティビティの高さが見えてくると思うんですがね。
いい加減、眠くなってきたので駄文はこれ位にします。
おやすみなさい・・・
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近況
ええと、すいません、音信不通で。
文献は読んでいるんですがまとめる時間がなく・・・
あんまり何もないのもアレなんで最近読んでいる文献の
扱っている地域を・・・
歴史ってのはどこでも同じように変化するってわけでなく、
環境的、あるいは地政学的な要因でセンターのような
役割を果たす地域というのがあるのだろうと思ってます。
赤いところがいわゆる「中部東ウラル地域」。
西シベリアの歴史における、そうした「センター」の
ひとつです。
もう一つの青っぽい地域が・・・なんと呼ぶべきか?
とりあえず流れている川の名前をとって
「トボル=イシム=イルティシ地域」
とでもしておきましょうか。
どうもここも西シベリアの歴史を語る上で
避けて通ることのできない、重要な地域のようです。
で、この両地域の間にチュメニがあるという・・・
この辺りは草原地帯(ステップ)から森林ステップ地帯を経て
森林地帯(タイガ)へと移行する地域であり、
上記二つの地域はそれぞれ森林ステップ地帯と
草原地帯に対応しています。
後者は新しいところから並べて
・シベリア汗国の繁栄(15-16C)
・アブルハイル=ハーンが即位(15C)
・キメクの繁栄(9C-12C)
・(駁馬国?)(8C?)
・マジャールがハンティ・マンシと分離(BC5C?)
とまぁ事件の少ない西シベリアにあっては
結構いろいろある地域なので前から目をつけていたんですが、
どうもそれがもっとずっと遡っていけるらしい。
中部東ウラル地域の方も、どうやら同じように
遡れるらしいというのが最近わかって、ちょっと
はまっているところです。
だいたいBC6000年以降位はおぼろげながら
見えてきそうな感触でしょうか。
これまで断片的で皆目検討がつかなかったのが
なんかつながりそうだと思い始めただけで、
何が見えるかはこれからのお楽しみですが。
逆に反対側のイェニセイ川中・下流域のことは相変わらず
さっぱり情報がありません。最北のタイムィル半島
よりも情報がないってんですから困ったものです。
探し方が悪いのか、調査が及んでいないのか、
そもそも誰もいなかったのか・・・・?
文献は読んでいるんですがまとめる時間がなく・・・
あんまり何もないのもアレなんで最近読んでいる文献の
扱っている地域を・・・
歴史ってのはどこでも同じように変化するってわけでなく、
環境的、あるいは地政学的な要因でセンターのような
役割を果たす地域というのがあるのだろうと思ってます。
赤いところがいわゆる「中部東ウラル地域」。
西シベリアの歴史における、そうした「センター」の
ひとつです。
もう一つの青っぽい地域が・・・なんと呼ぶべきか?
とりあえず流れている川の名前をとって
「トボル=イシム=イルティシ地域」
とでもしておきましょうか。
どうもここも西シベリアの歴史を語る上で
避けて通ることのできない、重要な地域のようです。
で、この両地域の間にチュメニがあるという・・・
この辺りは草原地帯(ステップ)から森林ステップ地帯を経て
森林地帯(タイガ)へと移行する地域であり、
上記二つの地域はそれぞれ森林ステップ地帯と
草原地帯に対応しています。
後者は新しいところから並べて
・シベリア汗国の繁栄(15-16C)
・アブルハイル=ハーンが即位(15C)
・キメクの繁栄(9C-12C)
・(駁馬国?)(8C?)
・マジャールがハンティ・マンシと分離(BC5C?)
とまぁ事件の少ない西シベリアにあっては
結構いろいろある地域なので前から目をつけていたんですが、
どうもそれがもっとずっと遡っていけるらしい。
中部東ウラル地域の方も、どうやら同じように
遡れるらしいというのが最近わかって、ちょっと
はまっているところです。
だいたいBC6000年以降位はおぼろげながら
見えてきそうな感触でしょうか。
これまで断片的で皆目検討がつかなかったのが
なんかつながりそうだと思い始めただけで、
何が見えるかはこれからのお楽しみですが。
逆に反対側のイェニセイ川中・下流域のことは相変わらず
さっぱり情報がありません。最北のタイムィル半島
よりも情報がないってんですから困ったものです。
探し方が悪いのか、調査が及んでいないのか、
そもそも誰もいなかったのか・・・・?
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