ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

憑依

2019-02-20 10:23:37 | 気になる

天皇陛下が、お誕生日のお言葉で、
涙をこらえていらしたのを見て、泣けてしまった。

今まで天皇が、
感情を、あらわにされる事などなかったので、驚いた。

引き継ぐ安堵と、家族への感謝。
そして、自ら時代を終わらせる寂しさ。

特別な立場の人の気持ちが、
一般人に、分かるはずはない。

不自由無くても、自由など無い。
この世に、家族しか、味方がいない。
分からないから、「分かる。」と、涙が出る。

久しぶりに、「ラストアイドル」について、書きたくなった。

「集団行動」のパフォーマンスで、
間島さんが、指揮者に抜擢された。
清原監督に、指名される前から、
彼女しかいないと思っていた。

実力あっても控え目で、負けず嫌い。
嫌だと言えるはずもない。

責任を感じて、泣きたくなるのも分かる。
改めて、応援したくなった。

人気者になるって、大変な事なんだね。
米津の「Lemon」が、こんなに評価されても、
悪口言う人が、いるんだもんね。

「どこがいいの?」「よくある曲だ。」「ブサイク。」
ちょっとした言動で、バッシング。
(私も、良い意味でブサイクとは言ったけど。ごめんね、米津さん。)

つまり、興味の無い人にまで、
関心持たれてるという事だろ。
これはもう、

名誉の悪口だな。

薬局で、すごく安っぽい音源で、
「Lemon」が流れていたよ。
いかに早く、ポピュラーになったかって事でしょ。

今までは、録画をくり返し見るだけだったんだけど、
この間、一緒に歌ってみたら、涙が出たから驚いた。
口にしたら、歌詞の中の人の気持ちが、
分かる気がしたの。

他のも聴いてみたけど、
彼は、お腹の中にいた時に、フォークソングを聴いていて、
生まれてきて、今時の音楽をやってるって感じ。

イエモンが、進化したみたいな感じ。
「フラミンゴ」なんて、吉井さんが歌いそう。
でも、吉井さんが歌うと、華があり過ぎる。

米津は、前に出過ぎない。
音楽サークルに所属している、歌の上手い人が、
学園祭で歌ってる感じ。

抽象画を、本当に上手く描ける画家は、
デッサンが、上手いんだよね。
クライアントが望む線を、自由に描く事ができる。

だから彼は、正攻法でもイケる。
「Lemon」みたいに、どんな世代でも、
受け入れられる楽曲が作れる。

スウィングしてる。
「イ」が、「エ」になってる。

演じた役者本人から、完全に独立している、
好きなキャラクターがいる。

ゴリの「ゴリエ」と、ヒュー・ジャックマンの「ウルヴァリン」。
そして、「セッション」に出てくる狂気の指導者、「フレッチャー」だ。

J・K・シモンズを、ネットで調べていたら、
ニコニコ笑って、ドラマー役の彼に、
寄りかかってる写真があった。
そんな姿、見たくない!!

フレッチャーに教わりたくはないが、
なぜか、魅かれる。

暴力的だとか、性格悪いとか、
それを嫌だと感じる時と、そうでない時があるのだが、
フレッチャーは、後者だ。

役者の問題なのか、脚本が良いせいか、
私は、フレッチャーを、ずっと見ていたいのである。

おそらく私は、
振り切っている人が、好きなのだと思う。
ブレない人が。

フレッチャーは、あの後、どうしただろう。

たまたま、「ラ・ラ・ランド」を録画したら、
「セッション」の監督だと知った。

期待して見たら、面白くなかった。
監督が、JAZZが好きなのは、よく分かった。
シモンズが出て来た時は、フレッチャーかと思った。(笑)

ミュージカル映画でもない。
綺麗に撮れているが、
登場人物の「やる気」が、感じられない。

あれなら、「LIFE!」の妄想の方が、面白い。
主人公の彼女?が、アコースティックギターで歌う、
「トム少佐」は、すごくいい!!

ガリットチュウの福島さんは、
モノマネしている時の方が、綺麗。

船越英一郎は、本人より似ている。(笑)

似ているかどうかより、彼の中に、
なりきっている自信と余裕を感じるのだ。

彼に、モノマネされた人は、嫌な気しないだろう。

 

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無力

2019-02-20 09:36:06 | Weblog

平成の災害スペシャルで、鬼怒川の氾濫を見たが、
改めて、恐いと思った。

ヘーベルハウスにいた人、
その家にひっかかった家にいた人、
電柱のおじさん。

あそこにいるのが分かっているのに、
なかなか助けられない。

途中で手を振るのを止めた、おじさんの気持ちも語っていたけど、
「死んでたまるか!」と、未来を描けた人って、
生き残ってる事が多い。

でも、その反面、人間て無力だと思う。

この間も、駅のホームで、
若いサラリーマンが倒れていて、
ひっくり返して、「救急車!」と叫んだのは、
たくましい男性1人だった。

吐血していた彼の顔は、血まみれだったが、
服は、汚れていなかった。
電車が遅れるのを気にして、
降りるまで、我慢していたのだろうか。

近くにいた数人で、
彼の心臓が動いている事は、確認した。

しかし、後から来た駅員は、他の駅員に、
「AED、持って来て。」と指示してはいたが、
彼の心臓に、触れる事はなかった。
それでは意味がない。

それを見て、私は思った。
もし、人が多いところで心肺停止したら、死ぬなと。

しかし、恨んではならない。
本当は誰だって、救急車ぐらい、スマホで呼べるのだ。
私だって、時間があったから見ていただけだ。

誰も、他人に、本気で関わったりしない。
生きるも、死ぬも、その人の普段の行いと運だ。
運が良ければ、命に間に合うだろう。

10才の少女は、「助けて。」と言ったのに、
助けてもらえなかった。
恐ろしや。
子供は、親を選べない。

私は、何て幸せなんだろう。
今、生きている。
私の辛さなんて、クソみたいなもんだな。

父親が恐くて、対応できなかったんだろう。
だから、具体的な案がある。

恐い相手には、恐そうな担当者を用意しろ。
低い声で、ゆっくりしゃべり、
相手のペースに惑わされない人間を、
臨時で連れて来い。

まずは、見た目なのだ。
交渉で、負けてはならないのだ。

無力でも、やれるところまではやろう。

 

 

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