一昨日の午後、西暁寺の新年会を早めに引き揚げ、【山◆孝弥君と本◆麗那さんの結婚祝賀会】に参加させていただいた。
仁左衛門は新婦のお母さんと同級生なことから、この席では"祝杯のご発声"という役割が当たっていて、2時間ほど前から行われていた西暁寺新年会では幾分セーブをしながらお酒を飲んでいた。
その甲斐あってか、10年ぶりのこの大役も充分に果たせた。
かと思った・・・。
(^^ゞ
乾杯の前、(話していて自分でも気がついたのだが)結びの部分で、「・・・と希望し、また望むものであります。」と言葉が重なってしまった。
すでに酔いが回っているのは仁左衛門だけで、これから乾杯しようという会場内数百人の参加者は当然皆シラフである。
どうやら妙な言い回しに気がついた若い人達のクスクス笑いが聞こえてきて、「まいったなぁ・・・」と思ったものの、もう仕方がない。
そのまま「おめでとう!!」との音頭をとったのだった。
まぁそんなこともあるさ。
(^_^)
ところで、翌日。
持って帰ったしおりを見ていた仁左衛門母が、とあることに気がついた。
実は、仁左衛門祖母は、(本家か分家かは知らないが)山◆家から我が家に嫁いで来た人だったのである。
そう言われるまで仁左衛門はこの繋がりにマッタク気がつかなかった。
仁左衛門祖母は仁左衛門父を生んでから半年後(昭和8年)に亡くなっているそうで、当然ながら仁左衛門は仏壇の上の写真しか見たことが無く、その山◆家もすでに増毛町には無かったのだから、これは殆どの人が気がつかないことだろう。
この度の山◆家一族の祝賀会で、この仁左衛門に出番が与えられたことについて、「これが因縁というものなのか」などとついつい考えてしまうのである。
仁左衛門は新婦のお母さんと同級生なことから、この席では"祝杯のご発声"という役割が当たっていて、2時間ほど前から行われていた西暁寺新年会では幾分セーブをしながらお酒を飲んでいた。
その甲斐あってか、10年ぶりのこの大役も充分に果たせた。
かと思った・・・。
(^^ゞ
乾杯の前、(話していて自分でも気がついたのだが)結びの部分で、「・・・と希望し、また望むものであります。」と言葉が重なってしまった。
すでに酔いが回っているのは仁左衛門だけで、これから乾杯しようという会場内数百人の参加者は当然皆シラフである。
どうやら妙な言い回しに気がついた若い人達のクスクス笑いが聞こえてきて、「まいったなぁ・・・」と思ったものの、もう仕方がない。
そのまま「おめでとう!!」との音頭をとったのだった。
まぁそんなこともあるさ。
(^_^)
ところで、翌日。
持って帰ったしおりを見ていた仁左衛門母が、とあることに気がついた。
実は、仁左衛門祖母は、(本家か分家かは知らないが)山◆家から我が家に嫁いで来た人だったのである。
そう言われるまで仁左衛門はこの繋がりにマッタク気がつかなかった。
仁左衛門祖母は仁左衛門父を生んでから半年後(昭和8年)に亡くなっているそうで、当然ながら仁左衛門は仏壇の上の写真しか見たことが無く、その山◆家もすでに増毛町には無かったのだから、これは殆どの人が気がつかないことだろう。
この度の山◆家一族の祝賀会で、この仁左衛門に出番が与えられたことについて、「これが因縁というものなのか」などとついつい考えてしまうのである。