●くんの今の課題のひとつは、たとえばハムスターに「飛行機にのせてよ」と言われたら、
「いいよ」と応じる形で遊びが進められることだと書きました。
●くんは、わたしが●くんの作ったハムスタードリンクを飲んで
「くすぐったい、くすぐったい」と服の下で暴れさせるふりをすると、
自分も、「くすぐったい」と真似て見せました。
●くんは、わたしのしたことに応じてそうしたのですし、
わたしがしてみせたことの意味(ハムスターを飲み込んだのでお腹で暴れている)も了解していると
言えますから、
もう先に掲げていた課題はできているのではないの?
と感じたかもしれません。
確かにそのようにも見えるのですが、
ただ相手のフィードバックを面白がって真似るだけなら、
相手の意図を読み取ったり、相手が自分に期待していることに気づいたり、
相手が依頼している内容を察する必要はないはず。
「飛行機のせて」の応えるのは、単純なことのようで、
相手の意図を読まなくてはならないので、
自閉っ子には難しい時もあるのです。
「できるできない」だけでなく、「それを楽しめるかどうか」という点においても。
●くんは、人といっしょに遊んでいく過程を楽しめる素地はあって、
今、お互いにやりとりを交わしていくための
根っこにあたる部分が敏感になっているからこそ、
孤立したひとり遊びではなく、
「~して!~して!」と要求をたびたび出したり、
次々、新しいおもちゃを遊びの場に持ってきたりしているのでしょう。
正確にどのような点に敏感になっているかといえば、
「人とつながっていたい」という気持ち、「自分が何かした時に相手がどんな反応をするのか確かめたい」という気持ち、
「相手の呼びかけにどんな態度を返したらいいのかわからないからもやもやするものの、
そのもやもやした状態を何度も求める」気持ち、
「トムとジェリーの世界のようにゲラゲラ笑ったり、物がひっくり返ったりするような急展開を楽しいと感じる」気持ちといった
ものでしょう。
そうしたことへの敏感さは、
繰り返し、そうした遊び方をしたがることにつながるでしょうから、
身近な人々は、そうした敏感さが何を獲得することを目的としているかに
思いを馳せる必要があるのかもしれません。
たとえば、面白い急展開を求めて、大笑いするようなはちゃめちゃなことをする時、
そこには潜在的に
因果関係に対する気づきを求める衝動が含まれているものです。
同じことばかり……と思うような遊びに付き合いながらも、
子どもがより気づきやすいように
体験をわかりやすいものにしてあげる工夫が大切です。