ここのところ暗い話題が続いていたので、書こうかどうしようか迷ったのですが、子どもたちの現状を知って欲しいという
思いから書くことにしました。
今日は、学校図書館活性化事業のお手伝いをする日で、
近所の学校の図書室で1時間子どもたちと過してきました。
低学年の子たちは、人懐っこく、
「いっしょに本を読もうよ」と甘えてきました。
選んでくる絵本を何冊か読んだあとで、
近くにいた高学年の子たちに声をかけて、
みんなに本を紹介する活動に誘いました。
すると、数名の5年生たちが、
たくさんの本を抱えて、「これ紹介する~」と、どさっと、
本を持ってきました。
「へぇ~、いろんな本を読んでいるのね」と感心して、
話しかけていると、
ひとりの高学年の子だけ、絵本を開きながら、「ここが面白いの~この絵がかわいいの~」と説明してくれるものの、
他の女の子たちは、野良犬のノンフィクション物語を差して、
ゲラゲラ笑いながら、
「死ぬで~これ死ぬで~!」と椅子からころげおちてまで笑い続けました。
その後、大学生のボランティアの男性が低学年に読み聞かせしているのを
指差して、ヒソヒソ声で何か言っては、大笑い。
「どうしたの?」とたずねると、
いきなり立ち上がって、顔面に障害がある人の本や、身体障害のある人の
本を取って来て、私の前にどさっと置くと、
障害で膨らんだ頬を指差して、さらにゲラゲラと笑い続けました。
その間、子どもの親や先生など数名の大人が図書室に顔を出したのですが、
低学年の子を見るなり、
頭ごなしに、ガミガミ叱りだす、一方的に注意する、
子どもたちが、「私は、そんなことしていない」と言うのを
まったく聞かず、そのまま立ち去るという姿がありました。
友だちといっしょに過している子たちというのは、
ほとんど会話をかわすことなく、
しゃべるときにはひとこと耳打ちする素振りをするくらいで、
後は、人や残酷な画像などを指してゲラゲラと笑い転げるだけ。
他にも高学年の子たちのグループが何組か
図書室を訪れましたが、
無言で漢字ドリルをすませて、互いに無表情なまま出て行きました。
図書室の閉館時間が近づいたので、本を持ってきた子たちに、
元に戻すのを手伝うように言うと、
無言で、さーっと立ち去りました。
人懐っこい子どもたちも、
他の子と同じことをしていないと不安なのか、
めんどくさいのか、無言のまま、
自分たちで持ち出した本をこちらに押し付けるなり、立ち去りました。
大学生のボランティアの男性はショックのあまり、立ちつくしていました。
私も寒々~とした思いで図書室を後にしました。
たまに1時間過すだけで、こんな寒々とした気持ちになるのに、
この学校で毎日過している子どもたちは
どんな思いでいるのでしょう?
いじめられている子、笑われている子、無視されている子は
いないのでしょうか?
帰りに大学生といっしょに、教頭先生にその様子をお伝えしました。
すると、こちらに赴任されて間もない教頭先生も、
高学年の子らの心の荒れを気にかけているようでした。
帰宅後、今、成人しているかつての生徒の女の子と親御さんが
いらっしゃったので、図書館で感じた寒々とした思いをお話したのですが、
女の子も親御さんも、驚く様子もなく
「小学校の荒れやいじめはあたり前ですよ~」とおっしゃいました。
なんでも、女の子のご兄弟が以前、学校でいじめに合われて、
タオルで何度も首を絞められ、水をかけられ、校庭ではだかにされたりしたのに、
校長や教育委員会に訴えても、まったく取り合ってくれなかった
そうです。
最終的に病院の先生に動いていただいて、少しだけ問題が解決したのだとか。
公立小で、子どもがはだかにされて、
涙ながらに校長先生に訴えても、
全く聞く耳もたなかったり、教育委員会も一笑に付していたという
事実に、
あまりのショックに信じられませんでした。
でも、ひどいいじめを受けている子はめずらしくなく、
先生につげても取り合ってもらえないので、
何年にも渡っていじめられ続けるそうです。
私立小でのいじめも陰湿で、それはそれで深刻なのだそうです。
聞いているうちにショックで唖然としてしまいました。
そんな環境で暮らしている子たち、どうなってしまうのでしょう?
大人たちは、本気で子どもの環境を守らなくては
ならないんじゃないか?
子どもたちが暮らし、成長する空間を、
大切にしていかなくてはならないんじゃないか?
「公立小はいじめがありそうだから、うちの子は私立にやろう」
というレベルの解決法を続けてきたから、
こんなことになったんじゃないか……
ちょっとひどすぎる現状に、子どもたちが気がかりでなりません。
コミュニケーションが失われて、
すさんだ世界で育っていく子たちを思って心が痛みました。
web拍手を送る
思いから書くことにしました。
今日は、学校図書館活性化事業のお手伝いをする日で、
近所の学校の図書室で1時間子どもたちと過してきました。
低学年の子たちは、人懐っこく、
「いっしょに本を読もうよ」と甘えてきました。
選んでくる絵本を何冊か読んだあとで、
近くにいた高学年の子たちに声をかけて、
みんなに本を紹介する活動に誘いました。
すると、数名の5年生たちが、
たくさんの本を抱えて、「これ紹介する~」と、どさっと、
本を持ってきました。
「へぇ~、いろんな本を読んでいるのね」と感心して、
話しかけていると、
ひとりの高学年の子だけ、絵本を開きながら、「ここが面白いの~この絵がかわいいの~」と説明してくれるものの、
他の女の子たちは、野良犬のノンフィクション物語を差して、
ゲラゲラ笑いながら、
「死ぬで~これ死ぬで~!」と椅子からころげおちてまで笑い続けました。
その後、大学生のボランティアの男性が低学年に読み聞かせしているのを
指差して、ヒソヒソ声で何か言っては、大笑い。
「どうしたの?」とたずねると、
いきなり立ち上がって、顔面に障害がある人の本や、身体障害のある人の
本を取って来て、私の前にどさっと置くと、
障害で膨らんだ頬を指差して、さらにゲラゲラと笑い続けました。
その間、子どもの親や先生など数名の大人が図書室に顔を出したのですが、
低学年の子を見るなり、
頭ごなしに、ガミガミ叱りだす、一方的に注意する、
子どもたちが、「私は、そんなことしていない」と言うのを
まったく聞かず、そのまま立ち去るという姿がありました。
友だちといっしょに過している子たちというのは、
ほとんど会話をかわすことなく、
しゃべるときにはひとこと耳打ちする素振りをするくらいで、
後は、人や残酷な画像などを指してゲラゲラと笑い転げるだけ。
他にも高学年の子たちのグループが何組か
図書室を訪れましたが、
無言で漢字ドリルをすませて、互いに無表情なまま出て行きました。
図書室の閉館時間が近づいたので、本を持ってきた子たちに、
元に戻すのを手伝うように言うと、
無言で、さーっと立ち去りました。
人懐っこい子どもたちも、
他の子と同じことをしていないと不安なのか、
めんどくさいのか、無言のまま、
自分たちで持ち出した本をこちらに押し付けるなり、立ち去りました。
大学生のボランティアの男性はショックのあまり、立ちつくしていました。
私も寒々~とした思いで図書室を後にしました。
たまに1時間過すだけで、こんな寒々とした気持ちになるのに、
この学校で毎日過している子どもたちは
どんな思いでいるのでしょう?
いじめられている子、笑われている子、無視されている子は
いないのでしょうか?
帰りに大学生といっしょに、教頭先生にその様子をお伝えしました。
すると、こちらに赴任されて間もない教頭先生も、
高学年の子らの心の荒れを気にかけているようでした。
帰宅後、今、成人しているかつての生徒の女の子と親御さんが
いらっしゃったので、図書館で感じた寒々とした思いをお話したのですが、
女の子も親御さんも、驚く様子もなく
「小学校の荒れやいじめはあたり前ですよ~」とおっしゃいました。
なんでも、女の子のご兄弟が以前、学校でいじめに合われて、
タオルで何度も首を絞められ、水をかけられ、校庭ではだかにされたりしたのに、
校長や教育委員会に訴えても、まったく取り合ってくれなかった
そうです。
最終的に病院の先生に動いていただいて、少しだけ問題が解決したのだとか。
公立小で、子どもがはだかにされて、
涙ながらに校長先生に訴えても、
全く聞く耳もたなかったり、教育委員会も一笑に付していたという
事実に、
あまりのショックに信じられませんでした。
でも、ひどいいじめを受けている子はめずらしくなく、
先生につげても取り合ってもらえないので、
何年にも渡っていじめられ続けるそうです。
私立小でのいじめも陰湿で、それはそれで深刻なのだそうです。
聞いているうちにショックで唖然としてしまいました。
そんな環境で暮らしている子たち、どうなってしまうのでしょう?
大人たちは、本気で子どもの環境を守らなくては
ならないんじゃないか?
子どもたちが暮らし、成長する空間を、
大切にしていかなくてはならないんじゃないか?
「公立小はいじめがありそうだから、うちの子は私立にやろう」
というレベルの解決法を続けてきたから、
こんなことになったんじゃないか……
ちょっとひどすぎる現状に、子どもたちが気がかりでなりません。
コミュニケーションが失われて、
すさんだ世界で育っていく子たちを思って心が痛みました。
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TVのニュースのようなことがこんなにも身近な現実でおきていることを知って、事の深刻さがわかりました。
今まで、いじめや小学校の荒れた状態というのは、都会やある一部なんだろうとどこかで他人事のように軽視していたとこがありました。ひとりの親として、今こそ真剣に考えなくてはいけないなと感じました。
しかし、なぜこんなことになってしまったのでしょうか? そして、親としてまた大人として、個人だけでなく学校規模になった時、何をしたらいいのか?色々考えさせられます。
うちの近所は、今年から地域の盆踊りがなくなりました。参加する人があまりに少ないからです。このままでいくと、いずれ市民運動会もなくなるそうです。
私が子供の頃は、どれも楽しみにしていたものばかりです。寂しい世の中ですね。それにしても、今の子供達はそういった昔ながらの楽しめる場所がどんどんなくなってしまって、 個人を優先した便利すぎる遊びだけになって可哀想に思います。
口に出して園長先生にいえませんでしたが
先生方にもかなり良い影響があると確信していたんですが、残念です><
先走って、是非、先生に♪なんて鼻息荒くお電話してしまいました。
園長先生もとても残念にされていましたが
園の宣伝など一切なしで
遊戯室を使っていただいて良いですよ~と
言われていました。
失礼なお願いをしてしまって申し訳ありません。
うちの子は本当にラッキーです。
先生に感謝しております。
それから、先生がご覧になられた小学校の現状は、30年以上前でも同じでしたよ。
あ・・歳がわかっちゃいますね(汗)
友達の家にいくと、身体障害者の方の
真似をし合って皆、涙を流して大笑い。
その家のお母さんも一緒に笑って
注意しないんです・・・。
全員、ゲラゲラ笑ってるのに
笑えない私は、きっと異性人かもしれないって本気で思っていた時期もありました><
そういった類の経験が、小学高学年から中学までと長かったので、大人になって
子育てをしていていて、自分の子が
何かで目だってしまうと
周りから何か言われているのでは?と
必要以上に敏感になってしまっていたのかも
しれません。
自分の事だったら何とも無いことでも・・。
昔も今も変わらない現状だと思いました・・。
いかがか?とは思うのですが、
でも
私たちが子供時代を過ごした環境とは
明らかに違っています。
世間がせわしなく、
大人も子供も何かに追い立てられるように
余裕無く生きていて
空き地も少なくなり
車は多くなり
車道と歩道はきっちり別れているけれども
道やいろいろなものが狭くなって・・・
広くなったものは、
バリアフリーなんて言っちゃって
人工的に作り出された街並み。
子供として過ごす事も
子供を健全に育てる事も
すっかり難しい世の中になって
しまったみたいです。
真っ赤な夕日に見とれて呆然と
立ち尽くしている子供を
そんな所に立っているのが悪いと
言わんばかりに、
無言で後ろから突き飛ばした
成人女性は、なんとその母親と思われる人と
一緒に歩いていきました。
(道は避けて通ることができました。)
まだ、通勤時間帯ではなかったし
それほど、人ごみの都市部でもない場所です。
その子の母親は、夕日のすごさよりも
事件に巻き込まれない事を教えなければ
ならないと思ったのか
その後は、しきりに早く歩くように子をせかしていました。
余計な事を気にせず、
まっすぐに早く歩くように・・・。
今、あらためて思い出せば
たくさんの道草や無駄な時間は
子供時代の大切な宝物でした。
そういった無駄を切り捨てて
合理的な事だけを追求して
さっさと大人になれば良いのでしょうか?
以前、先生の記事にあった
少子化は子への耐性を無くす
とあった事を思い出し
まさに、この事だと思いました。
きっと、こんな事は日常、今の日本では
どこでも起こっている出来事なのでしょう。
この国が少子化に向かうのは仕方の無いことだと思います。子供を育てにくいです。
国の金銭面だけの少子化対策も、
間違っていると思います。
金銭面だけ・・・って、
いかにも日本の政策ですよね。
こんなに育てにくいのに
金銭面だけって・・・
少子化対策で子の頭数だけ
を増やせば良いのでしょうか?
ちゃんと育って、
国の核になる人を育てて
いかなければならないのですよね。
もっと言えば、ちゃんと働いて
税金を納められる
大人を育てなければならない訳です。
今のままでは、嫌なこと、
責任は人に押し付けて
すねかじりの成人ばかりの世の中になってしまわないでしょうか?
そのお母さんに声をかけてあげられれば
良かったのだけれど、
それができなかった後悔なのか
色々と考えてしまって・・・
日本の未来や子供たちの明日を
考えてなんだか泣きたい気持ちに
なってしまいました。
なぜ高学年の子の心が荒れているのか?には、いろいろ問題が有るのかもしれませんが、子供の心を受け止める余裕も、イジメという行為を訂正させる事も、親も教師も出来ない、もしくは関心が無いのでしょうか?
まず出来る事として、公立小中の職員を増やし、目の行き届く体勢を作って欲しいです。
図書室での出来事も驚きですが、何よりもいじめに対しての周囲の無関心さ!
私が小学生の時にも確かに軽いいじめはありました。でも、担任の先生が一生懸命いじめをなくそうとしている姿があったのをよく覚えています。
目立つといじめられる、だからみんなと一緒にする・・・・そんな図式が成り立っている・・・異様な感じを覚えます。
批判ばかりしていても仕方がないですが、一体どうすれば今の状況を変えていけるのか・・・近い将来小学校へ行く娘を見ていると本当に鳥肌が立ちます(T_T)
低学年の子はまだかわいいようですが、何年かすれば 書かれている高学年の子達と同じようになっていくか、浮かないようにみんなと同じようにふるまうか・・・になっていくのでしょうか
テレビやゲームの影響もあると思います。テレビとゲームがすべて悪いわけじゃないのですが
ひどい内容の物も多いと思います
先生や親も一方的で話を聞いてくれないとなるとどうしようもないですよね
学校の現状を知って 親は親で考えて動かないといけませんね
家ではゆったりとした時間を作るとか、一方的でなく話をゆっくり聞くようにするとか・・・
又、自分の子がよければいいという考えでなく、困っている子に声をかけたり、悪い子には注意をしたり(これがむづかしいのですが・・・)する勇気と行動が必要ですね。
改めて 時間に追われるだけの生活、スキルを伸ばすだけね生活を見直さないといけないと思いました。それよりも もっともっと大事なことがあるのに・・・
辛いです!!
大人の都合で高いヒールの靴を履かされて急いで階段を登っているような感覚
小さな足が痛くても「痛いと」言えない、言ってはいけない・・・そんな感覚を感じました
大人の都合で傷を負ってる子が
他の子をイジメてストレスを解消する
イジメられた子は大人の都合でイジメから抜け出せない
また、大人の都合で傷を負う
子供達みんながみんな何かしら抱えているんでしょうね
そして保護者も教員たちも世間に踊らされたり情報が有りすぎて子供との関係を見失いさ迷ってる気がします。
どうみられるか?なんてどうでもいいのに
今まで以上に子どもたちを守る立場になり、最近の記事を読むたびに、当時の不安は明らかな[目をそらせぬ問題]として深刻に感じます。
この事実をどう捉えていいのか…私はどうしたいのか…何ができるのか…考えはじめました。
息子の通っている小学校でも同じようなことがあるのかな?と想像すると、胸が痛みます。
障害者の姿や野良犬の死を見てゲラゲラ笑う…
私達から見れば信じられないことですが、それがごくごく普通の小学生の現状だと思うと、背筋がぞっとしますね…。
実は、私も息子の学校で読み聞かせボランティアをしています。(読書週間の時だけですが)
少しでも何かできればいいなぁとは思っていますが、どうなることやら
みんなと一緒でなければ、今度は自分が標的になるってオドオドしなければならないのは、日本人特有の感覚なのでしょうか?
幼稚園選びでも『ここの幼稚園は、母さん同士が仲良くならないと、子どもはお友達と遊んでもらえなくなるよ』と聞きました。人は集団になると怖いな~と感じます。
それにしても、ショックすぎる現実です。