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祝・コートジボワール独立記念日!(中編)~再生への道

2013-08-08 07:30:52 | アフリカ情勢
8月7日のコートジボワール独立記念日、前回は、前史から独立、栄光と凋落の歴史について概観した。きょうは、この国の復興と将来展望について、ンボテの視点で概観していきたい。


◆復興と再生に向けて
A.ワタラ大統領、通称'Alassane Dramane Ouattara'の頭をとって、'ADO'。H.ボワニ大統領下で首相を勤めた。国家再建にあたっては、元国際通貨基金(IMF)理事、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)総裁を勤めた実務面での手腕を発揮し、再建への道筋と国際社会との関係構築を急ぐ。

秩序、経済、社会再建の計画、方向性を「国家開発計画(PND)」としてとりまとめると、国際社会から課されたマクロ経済、ガバナンスなどの改革を完了。2012年6月に、重債務国救済イニシアティブ(HIPCs)の条件をクリアしたとする「到達点(CP)」に達し、債務が救済される運びとなった。

2012年12月にはパリに主要支援国やビジネスパートナーを集め、「支援国会合」を開催。まずまずの支援や投資を取り付けることに成功した。ワタラ大統領はPND実現に向けた再建を力強く進めている。

(2012年12月、パリの世銀事務所で開催されたコートジボワール支援国会合の様子。演壇に立つのがワタラ大統領。)


(ちょっと遠い席だったが、望遠でワタラ大統領を激写(笑)。左下はケンダース国連事務総長コートジボワールミッション特別代表(当時)。蘭人。現在は国連安定化マリミッション(MINUSMA)で特別代表を務める。)


実際、コートジボワールの経済は堅調さを持ち直したかのようである。IMFによれば、2011年には-5%近くを記録していた経済成長も、2012年にはV時回復で9.8%を記録した。

私もアビジャンには10年くらいのスパンで足を通わせているが、内戦、政治危機下のアビジャンとはうって変わり、多国籍のビジネスマンが集まり、活況を呈している。エールフランスは今年から、パリ・アビジャン便を日に2便に増便した。アビジャンのみならず、成長ポールといわれる南西岸に位置するサンペドロ。カフェ、カカオ、砂糖などの積み出し港で、アグロインダストリーの中心地でもある、この地の活況も報じられる。

さらに、10年近くに渡ってアビジャンを逃れ、チュニジアのチュニスに本部を「仮移転」させていたアフリカ開発銀行。本部のアビジャン帰還を組織決定し、現在、徐々に機能を復帰させつつある。


着実に復興の道をたどるコートジボワール。しかし経済は盤石ではない。およそ10年に渡る危機により、国際社会との関係が希薄となり、投資が進まなかった。このため、インフラ面や生産基盤自体がすでに前近代化しており、生産性が低下している。

国際機関のエコノミストと意見交換をした際に耳にした話だが、例えばこの国の強みであるカフェ、カカオ。苗木の寿命は約10年であるが、すでに多くのプランテーションで寿命を超えている。今なんとか生産を維持しているが、すでに南米やアジアの生産国に比べると、3~5割程度の生産性に落ち込んでいる由だ。この機に投資を進めて植え替えを加速化し、再生への足がかりをつかまないと、競争力を失うばかりか、今後の生産の回復も見込めないという。

また権威主義的な行政機構の存在や手続きもビジネスマンからは指摘されている。入国査証に本国からの招聘状を必要とし、行政機構との付き合いには儀礼的プロセスが重視される。ガバナンス、汚職、癒着などにも課題が指摘されており、このことは先週号の'Jeune Afrique'でも記事となっている(→「遅読みJeune Afrique No.2742」参照)。政府は査証取得の簡略化や会社設立手続きの簡略化、投資法の改正、そして汚職防止対策をアピールするが、現場レベルでの浸透には時間がかかるだろう。

おっと、だいぶ書きすぎた。この国のもう一つの論点、国民和解については次回に譲ることとしたい。

(つづく)

(2012年12月、世銀パリ事務所で開かれたコートジボワール支援国会合にて。)


◆独立記念日・ナショナルデーシリーズ
アフリカの独立記念日~いろいろな事情
コートジボワール
前編
ニジェール
前編
後編
ベナン
フランス
'Le 14 juillet'にみるアフリカとフランス
14 juilletにみるサヘル情勢(前編)
14 juilletにみるサヘル情勢(後編)
コンゴ民主共和国
第一話
第二話
第三話
トーゴ
カメルーン


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