夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「パンダの赤ちゃんがなくなった」はおかしな言い方だ

2012年07月11日 | 言葉
 上野動物園の赤ちゃんパンダが残念ながら死んだ。テレビのニュースで知って、えっ、と思った。あんなに大騒ぎをしたのに、あんなにみんなが期待していたのに。原因は肺炎だと言う。それなら、保育器の中で育てていた方が良かったんじゃないか、と言うのは素人考えだろう。人間でも動物でも、赤ちゃんは、ちゃんと母親の手で育てられる必要があるのだ。

 えっ、と思う事がもう一つある。テレビでは「なくなった」と言っている。字幕は「死んだ」である。
 「なくなる」は私は人間の場合に言うのだとばかり思っていた。「死ぬ」の丁寧な言い方だと思っている。そこで四冊の小型国語辞典を見た。
 面白い事に、説明がみんな違う。
 (岩波)は、岩波国語辞典。
 (明解)は、新明解国語辞典。
 (新選)は、新選国語辞典。
 (明鏡)は、明鏡国語辞典。

・【無くなる】それまであったものが無い状態になる。
 【亡くなる】「死ぬ」の婉曲な言い方。〔岩波〕

・【無くなる】無い状態になる。「財布がなくなる」「親がなくなる〔=『死ぬ』のえんきょく表現〕。
 後者の例は、「亡くなる」と書く。(明解)

・【無くなる】無いようになる。【亡くなる】「死ぬ」の丁寧語。(新選)

・【亡くなる】人が死ぬ意を、婉曲にいう語。死者に対して改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもる。
 【無くなる】それまであったものが存在しなくなる。それまで存在していた物が見当たらなくなる。表記=かな書きも多い。(明鏡)

 (明解)は「無くなる」と「亡くなる」は、「無い状態になる」との点では同じだよ、と言っている。ただ、「死ぬ」の場合は、婉曲表現で、表記は「亡くなる」だ、と言う。同書の「婉曲」は「直接的(露骨)でなく、遠回しな様子、である。そうだろうか。
 (岩波)も「婉曲な言い方」だと言う。
 (新選)と(明鏡)は「丁寧」だと言う。私はこちらが正しいと思う。直接的かどうか、などではなく、丁寧かどうか、の違いだと思う。直接的と丁寧はまるで情況が違う。
 ただ、(明鏡)の説明が変だ。
 「死者に対して改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもる」は文章として成立しない。「死者に対しての改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもっていると伝わる」だろう。更には、「改まった気持ち」と「丁寧な気持ち」の二つに分けている、その理由が分からない。これは単純に、「死者に対しての改まった、丁寧な気持ち」で良いではないか。
 「無くなる」を仮名書きも多い、と言うのは(明鏡)だけである。これは単に現状を説明しているだけに過ぎない。ほかの辞書が「無くなる」としか表記していないのは、それが正当だからである。「無くなる」と「亡くなる」をきちんと識別するためばかりではなく、「無くなる」とする事で、「無い状態」を明確に表す事が出来るのである。

 パンダの赤ちゃんに戻る。字幕ではきちんと「死ぬ」とあるのに、話し言葉では「なくなる」になっているのは、「亡くなる」の意味が正確に理解出来ていないからだろう。上の国語辞典の説明でも、動物に対しては「なくなる」などとは言わない事が明確に分かるはずである。「亡くなる」が丁寧語であろうと、婉曲表現であろうと、動物に対して使う義理は無い。
 テレビで話している人々が国語辞典で勉強しているとは思えないから、多分、普段からそうした「亡くなる」との使い方をしているのだろう。それとも、テレビだから、普段の会話とは違うのだから、と身構えて「亡くなる」などと言ってしまうのか。どちらにしても、テレビで話す資格は無い、と私は思う。