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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

金子みすずの歌を使ったあるCMに疑問がある

2012年02月10日 | 言葉
 ある企業が金子みすずの詩を使ったCMを放送している。詩は二つあって、一つは私には素直に受け入れられる。けれどももう一つがどうしても納得が出来ない。それは次のような詩である。言葉と文字遣いは間違っているかも知れないが、大要は間違っていないはずである。

 こどもが子すずめ捕まえた。
 その子のかあさん笑ってた。
 すずめのかあさん、それ見てた。
 お屋根で鳴かずにそれ見てた。

 これはもの凄く悲しい詩だと私はいつも思っている。子供の母親の冷酷さと対比されているのが、何の抵抗も出来ない雀の母親だと、思っている。雀の母親は「鳴かずにそれを見ている」しか出来ないのである。
 金子みすずが何を言いたいのかは分からないが、私には悲しみと、人間の身勝手さだけしか感じられない。
 私の感性が劣っているのか。
 何しろ、CMは続く場面で母親が子供を抱き上げるシーンになるのである。もちろん、母親は笑っている。これは楽しい場面であり、将来を期待している場面でもある。
 それとこの詩とがどうしても結び付かない。
 どなたか、御教示下さいませんでしょうか。


2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (はいじ)
2012-07-11 04:08:52
随分と前の日記にコメントしてすみません。
偶々、金子みずずを検索していたらhitしたものですから。

自分もこのCMには違和感を感じていました。

しかしみすずが訴えたかったことと、CMの製作者のイメージは所詮別モノですからね。

疑うべきはこのCMを製作した人たちの感性なのかもしれませんね。

こればかりは制作者に直接聞いてみるよりないのかもしれません。

で、この詩の自分なりのイメージを語らせていただきますと、ものすごく冷静に、非常なまでの客観性を意識せざるを得ないというところです。

金子みすずの視点は、あくまで子供の母親でも、すずめの母親でもない、第三者の視点であるという点です。

みすずの他の詩でもそうですが、どんな残酷なことでも、悲しいことでも、それを達観した視点から、突き放したような位置から書かれていることが多いように思います。

それはみすずの本名てるという人物が、あまりにも個人ではどうにも出来ないような出来事に遭遇するという、波乱に満ちた人生を送ったことと関係があるのかもしれません。

しかし詩や文章というものは本来、客観性を求められるものでもあります。

これが作者のみすずの手を離れた時点で、人それぞれの全く違った解釈がなされるものだと思います。

そういった意味でこの詩の、ただ事実のみを伝えるような非情ともみえる客観性に、人は何かを感じずにはいられないのかもしれません。

かくいう自分もこの詩を見るたびに、心を掻き乱されるような気がしています。

これがみすずが意図したのかは今となっては知る由もありませんが。
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はいじさん、有り難うございます (夏木広介)
2012-07-11 16:05:02
 現実を突き放して見ている、との考え方は納得です。ただ、「その子の母さん笑ってた」と、雀の母さんの「お屋根で鳴かずにそれ見てた」には、明確に金子みすずの思いが込められていると私は感じています。確かに詩や文章は客観性を求められるものでしょうが、書いた本人は客観性だけでは書けないのではないでしょうか。彼女は自分の感じたものを極力冷静に、非情に、客観的に表現しようとしているのだと思います。それは言わず語らずとも、表現された詩や文章に現れて来るのだと思います。
 CMの作制者の感性が、やはり信じられません.
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