夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

日本はまさに米国の52番目の州。いや、それ以下だ

2010年01月31日 | 政治問題
 私のブログ、「三権分立に本当になっているのだろうか」に、流蛍さんが「証拠をお見せします」とコメントを送ってくれた。ところが、「証拠」が消えていた。再度送ってくれたが、それもまた消えている。そこでメールで送り直してくれた。様々な問題を含んでいるし、私一人で読むのはあまりにももったいないので、ここに御紹介したい。

小沢氏は夏木さんが説くように、金権政治家かもしれませんが、それは何の証拠も無く、マスゴミが一方的に流している噂にすぎません。同じことをやっている政治家はたくさんいると思われるのに、なんで今、小沢だけが狙われるか、なのです私が疑問に思うのは。
それに倫理的にいえば、金権政治はけしからんのであって、夏木さんに同感なのですが、法律で罪とならないものは、罪ではないのです。悔しくてもそれが法治国家というものです。
小沢の場合は政治家が4億円ももっているなんて、ということだけで、彼ほどのベテランが法律を抜け道にして金儲けをしたとバレるようなことをするはずがありません。
「なんとなく、けしからん」ばかりが先行しており、それだけをマスゴミが煽ってるのが露骨です。

以下もまた妨害されるかもしれませんが、
検察がなぜ法律で取り締まれない話をでっち上げるかを理解できる話なので、お送りします。

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[小沢一郎ネタ] 福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る?検察の暴走と恐怖

「知事は日本にとってよろしくない。抹殺する」
取り調べ中の検事の言葉です


「私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう……」

<東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは「栄佐久氏の悪口を何でもいいから言ってくれ」「15分以内に言え」「想像でいいから言え」「もう図は完成していて、変えられないんだ」と執拗に迫られたという。>

「いま『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」

<佐藤氏も約50日間に及んだ拘置中に精神的に追い込まれ、ほぼ全面的に供述してしまった。>

「逮捕後2日間は検事と怒鳴り合っていましたが、次第に『私が自供すれば支持者は解放される』『早く“火の粉”を消さなければ…』『検事に身を任せよう…』と思うようになったのです。私は“ストレイシープ(迷える羊)”になっていました」

<一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。>

「検察に『私から“天の声”を聞いた』と証言した元県幹部は、私の事件に絡み、競争入札妨害罪で特捜部に逮捕されましたが、起訴を免れました。公判の過程では、この人物の口座に約3000万円の出所不明な入金記録があることが発覚。特捜部はこのカネの流れを取引材料に県幹部を締め上げ、“天の声”をデッチ上げたのではないかと思っています」

特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った
<東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞ヶ関官僚の行動原理の縮図」と映る>

「ダム建設や原子力行政と同じで、一度決めた方針を覆そうとしない。いかにムチャな方針だろうと、保身に走って突っ走ってしまう。完全に『経路依存症』に陥り、捜査そのものが自己目的化しています。検察の正義は国民にとっての正義であるべきなのに、国民不在の捜査が今も続いています。政権交代を選んだ国民の意思を踏みにじってまで、強引に小沢捜査を進める必要はあるのか。はなはだ疑問です」

<佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。>

「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになった。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思う、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

<佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。
小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>

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小沢捜査?何が目的で誰のためにやっているのか


検察の捜査を見ていると、つくづく、こう感じてしまう。とにかく、その執念のすさまじいこと。政権交代前から、執拗に小沢を追いかけ、まさしく、政治生命を抹殺しようとしているのが歴然だ。

ターゲットは小沢ひとり、それも狙い撃ちではないか。小沢が角栄のごとく、誰が見ても黒幕、巨悪であるのならば、それも分かる。しかし、政治団体が不動産を買うのはおかしいだとか、岩手ではゼネコンは小沢に逆らえないとか、“この程度”で巨悪か?

小沢がクリーンな政治家だとは言わないが、少なくとももっと露骨で、金に汚い政治家はゴマンといる。検察の捜査には大きな疑問符がつくのである。
(中略)

本来であれば、特捜部が暴走すれば、検事総長がストップをかける。しかし、樋渡利秋検事総長は赤レンガ組の法務官僚で捜査の現場経験がない。それが佐久間の暴走を許している。

「それと、誰が指示したわけではないが、霞ヶ関全体が検察を応援しているという側面もあるでしょうね。小沢幹事長の政治生命を潰せば、永田町は混乱する。政治が混乱すれば、役人の出番になる。そんなアウンの呼吸が検察を後押ししているのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

よこしまな野心や怨念、権力闘争。さまざまな側面が見え隠れするのだが、少なくともそこに正義はない。これが小沢捜査なのである。

(日刊ゲンダイ 2010/01/27掲載)

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デフレ大不況下で国民は苦しんでいるというのに、国会は予算そっちのけで政治とカネの問題に明け暮れているが、事態はそんな状況ではない。
検察の狂奔、暴走捜査のおかげで国民は殺されかけようとしている。

また、コメントによる情報提供を紹介します。

★週刊朝日、検察リーク認める!! (⇒2010/01/26 「日々坦々」)

★石川知裕議員逮捕は違法逮捕だった! (⇒2010/01/26 「トニー四角の穴を掘って叫ブログ」)

ということで「週間朝日 2/5号」を買ってみました。
ジャーナリスト魚住昭氏と郷原信郎元検事の対談記事の最後で、魚住氏はこう言っています。
<(小沢氏の)弁護士はおそらく公判対策上、小沢氏に説明するなって言っているんじゃないかな。説明したら、検察にその矛盾点を突かれますからね。
その事情はわかるんですけど、もうそんなことを言っている場合じゃない。検察と相討ちになるくらいの覚悟でやらないと、日本の政党政治がダメになってしまいますよ。
小沢氏が日本に真の議会制民主主義を根付かせるために働いてきたというのなら、多少向こう傷を負ってでも、その気持ちに殉じてほしい。>
“これはヒドイ!”というのが分かります。買う価値はあると思います。




検察と小沢氏の問題で、私は間違って考えているらしい

2010年01月28日 | 政治問題
 検察の謀略に私が気づいていないとコメントを頂いている。確かに私は甘過ぎるらしい。私は国家権力は非常に危険で恐ろしい存在だとは思っているのだが、今回、小沢氏の何か庶民を馬鹿にしたようなやり方に目をくらまされた。これは言い訳になってしまいそうだが、小沢氏に目を奪われるとそうなってしまうのではないか。
 小沢氏対検察で、小沢氏の肩を持てば検察が悪くなる。検察の肩を持てば、小沢氏が悪くなる。我々は「正邪」の戦いだと思っている。まさか「正正」の戦いとも、「邪邪」の戦いとも思わない。本当は、私は「邪邪」の戦いで、「邪」の程度が大きいか小さいかの違いだと思っている。

 以前、当時の橋本首相に現金1億円を提供したとの話で、本人は知らぬ存ぜぬで通し、村岡長官が罪人になってしまった。この時、裁判長は村岡氏無罪の判決を下し、せめて今日一晩くらいはゆっくりと桜を楽しんで下さいと口頭で付言をした。その後またまた有罪となってしまった。
 この事件でも、多くの人々は1億円もの現金を知らぬはずが無い、と思った。今回はもっと多額の金だ。事務責任者に任せたから自分は全く知らない、との話は通らないと庶民は思う。だから小沢氏対検察の構図が正しく見えなくなる。人の善意を信じている庶民も少なくない事を考えれば、小沢氏のだんまりは判断を誤らせる危険があると思う。
 真実、公明正大だと言うのなら、堂々と詳細を公表すべきではないのか。政治資金には庶民の税金も入っている。我々の台所情況などは、個人であれ法人であれ、洗いざらい出す事になる。大金を使って「合法的」な節税方法を編み出す事など不可能だ。だから、思慮の浅い人間はざるのような脱税をして捕まっている。
 小沢氏のような立場の人ならどのような「合法的」な手段をも手にする事が可能だ。「合法」なのだから、何も躊躇する必要は無い。

 世の中の汚い仕組みをよく知らない人間を誤解させるような事をして、一体、何の得があると言うのだろうか。真実、小沢氏に何の後ろ暗い所が無いと分かれば、そんな事を突っついて小沢氏を陥れようとした検察に対する世間の非難はそれこそごうごうたる物になるはずだ。それほど我々は馬鹿じゃない。私は馬鹿だが、それほどの馬鹿ではない。

政治資金の収支報告書を国会議員が見ないなんておかしい

2010年01月27日 | 政治問題
 鳩山氏も小沢氏も大臣達も、みなさん、信頼出来る人に任せているから報告書など見ないとおっしゃる。そして、その信頼出来る人がミスを犯したら、その責任はミスを犯した「信頼出来る人」に被せられる。それで良いのだろうか。信頼出来る、と判断したのは任せた議員である。結果としては信頼出来なかった訳で、それなら、信頼出来ると判断したのが間違いだった訳で、その責任は議員が取るしかないではないか。任せる、とはそうした事である。
 自分が出来ないから他人に任せる。しかしだからと言って、任せっぱなしで良いと言う事には絶対にならない。細かい事柄は任せるが、大本の所はしっかりと握っているはずだ。大本の所まで他人に握られてしまうようなドジな事を議員たる者がするとはとても思えない。そんなお人好しのタマじゃないんだから。一癖も二癖もあるような人間が議員になっているケースが圧倒的に多いんだから。

 それにしても国会での菅大臣の答弁には本当に頭に来たね。私は彼が好きだし,この人なら何かやってくれると期待している。それなのに、自民党の森まさこ議員が、「全大臣にお尋ねします。収支報告書を見ているかいないか」と質問したら、彼は何と「私は全大臣と言う名前ではない。ちゃんと菅と言う名前を持っている。だからそんな質問には答えられない」とぬけぬけと言ったのだ。
 馬鹿を言うもんじゃない。そんな形式的な事にこだわっているから、せっかくの民主党政権に対する失望感はますます高まってしまうのだ。自分の駄目な所をそうやってごまかそうとする所など、彼自身が暴いた旧厚生省の役人の腐敗と全く同じではないか。

 人の本質は本当に何気ない所に現れるものである。無防備な部分だから、何の対策もしていない。しかし、庶民はそうした部分に敏感に気付く。多くの人が本音で生きているからどうしたってそうなる。裏の世界とか難しい事を考えなくても、いや、そんな事はとても考えられないから、自分の分かる事だけで判断している。それについて誰も批判など出来ない。
 そうでしょう。そうした言うならば「無知で善良な」庶民によって議員は選ばれているのだから。我々は「無知で善良」であってはならない。悪い奴らが権力を持ってのさばっている世の中では、「善良」は通じない。奴等に立ち向かうためには「ずるく、悪く」なる必要がある。それは方便であって、悪い奴らが一掃されれば、我々は元の「善良」に戻ればいい。「ずるく、悪く」なるには知恵が要る。それは「無知」では出来ない。

 新聞もテレビも見なければ始まらない。でも見たそのままを信じてはいけない。こう書いているけど、こう言っているけど、本当かな、と思う必要がある。それは少しずつやって行けば、いつかは「習い性」になる。自分の都合の悪い事だけに疑いの目を向けるのではなく、都合の良い事にも、あるいは何の関係も無さそうな事にも目を向ける事で、そうした習慣は身に付くと思う。
 だから私は「騙されないために」と言う単行本一冊分の原稿を書いた。テレビは証拠が残らないので、新聞や書籍、辞書などの書いている事柄を対象にしている。我々は年中、そして至る所で騙されている。どこか世を憂える出版社が出してくれないかなあ。

三権分立に本当になっているのだろうか

2010年01月25日 | 社会問題
 確か三権分立は小学校で習った。立法、司法、行政の三分野がそれぞれ独立している事だ。で、愚かな私は現在の政治での立法と行政の分立が出来ているのかがよく分からない。立法の府である国会議員の中から選ばれた人々が行政の府である政府を作るのだから、それが分立しているとは思えないのである。
 国会で与党の議員が多数であれば、政府の出した法案はいとも簡単に通ってしまう。それを分立とは言わないと私は思う。
 だから、分立しているのであれば、選挙で選ばれた政党人ではなく、政府は政党色など払拭して、真実、国民のための政治に邁進すべきだろうと、思っている。

 そして、司法。これは人の生殺与奪の権を持っている。菅家さんはその権力によって辛い日々を過ごさなければならなかった。あの時点では有罪と決めるのに間違いは無かった、などと言われても、現実に間違いだったのだから、責任者はきちんと謝るべきである。いい加減だった証拠が、その当時はいい加減ではなかった、などと言ってもそれは通らない。人の運命はもちろんの事、命までも左右する決定なのだから、慎重過ぎて悪い事はない。念には念を入れ、だからこそ、疑わしきは罰せずの不文律がある。
 それを自分達の捜査に絶対の自信を持ってしまった。裁判所は自らは捜査も何もしないくせに、安易にその結論に乗った。菅家さんが検察官に「絶対に許さない」と言うのは当然なのだ。
 取り調べでの録音テープが再生されたと言う。しかしテレビでは全く別の人間が吹き替えているし、新聞では要旨だけしか伝えない。そんな物で微妙なやりとりが解明されるはずも無い。そうした情報を与えられると、かえっておかしな判断をしてしまう。まるで菅家さんが犯人のようにさえ聞こえる。取り調べは長い期間に渡って行われただろう。そのほんの一部だけを取り出して公開するのは非常に危険である。テレビも新聞もそんな危険な事を平気で、と言うか考えもなくやっているように思える。

 で、話は変わるのだが、小沢事件に関して、司法は堂々とその職責を果たして当然だろう。菅家さんに加えた司法の卑怯さは、現在のような国民の注目の的となっている情況では、当然ながら発揮出来ない。だから正々堂々と振る舞うしか無い。三権分立なのだから、立法府も行政府も変な横車を押す事は出来ないはずだ。
 そして、きちんとそれぞれが任務を果たしているかを採点するのが我々国民なのだ。

●話は違うが、この所ブログが書けていない。知人の居る会社に原稿を持ち込んで、どこか良い出版社を紹介してもらえないだろうか、と頼んだ所(この世界はコネが物を言う。コネが無ければ顔が無いのも同じ)、前向きに対処してくれている。だから私としても原稿の書き直しなどに夢中になる。時間がいくら有っても足りない。そして自慢げな言い方になるが、書き直せば、自分自身、あれっ、と思えるような出来映えになっている。
 以前の原稿が未熟だったとも言えるが、それだけ進歩しているのだとも思える。それくらい自信を持たなきゃ、やって行けない。
 それで、ブログの毎日の更新は出来ないかも知れないが、心を込めて書きたいと思っている。と、言い訳をしております。

安心して歩けない歩道

2010年01月22日 | 暮らし
 新聞に投書があった。歩道が凸凹していて安全に歩けないと。歩道は車道より一段高くなっている。しかし家々の車の出入りのために、家の前だけくぼんでいる。それに気が付かずに歩いていると、ガクン、と足にショックを受ける。私は何度もそうした目に遭っている。いつも通っている道でさえ、ついうっかりほかに気を取られていて足下がおろそかになって、ガクン。怖いし危ない。
 前々から思っているのだが、なんで歩道だけ一段高くしなければならないのか。今はたいてい歩道と車道との境には柵が出来ている。車が乗り入れて来る心配は要らない。だから車道と歩道を同じ高さにして、間に柵を設ければそれで済む。段差が無いから、柵を植え込む場所にも苦労はせずに済む。現在は段差があるために、車道から10センチとか入り込んだ所に柵を作る。その分だけ歩道は有効面積が狭くなる。馬鹿げている。ただでさえ狭い歩道なのに、更に狭くしてどうなると言うのか。

 自分の家の前が低くなって、車道との出入りがスムーズに出来るのを好むのは分かる。しかし車の出入りは一日に何度もある訳じゃない。しかしその歩道を歩く人は何百人にも達していて、中には私のように一日に数回も歩く人間もいる。どちらを優先すぺきかは簡単に分かる。
 これはまた別の話だが、歩道は補修とかガスや水道の工事の後,何であんなに継ぎはぎだらけのままにしておくのか。車道はもっときれいに舗装し直しているぞ。多分、車からは税金が取れるが、歩行者から税金が取れないのが理由なのだろう。

 道一つ歩くのにこんなにも難関がある。政治家は多分、移動には送り迎えの車を使っているから、歩行者の悩みや苦しみなんてとんと分からないに違いない。だからこそ私は思う。金持でぬくぬくと育ってしまったような連中に政治をやらせてはいけないのだ。だが、選挙運動にもカネが掛かる。余程の有名人でない限り、カネを使わない限り当選は難しい。だから、裕福な人間ばかりが当選して、政治家のための政治になってしまっている。
 私がこんな事を言うと、小沢は正しい,検察は民主党を潰そうとしているのだ、と言う人々が居るが,4億円もの大金を知らぬ存ぜぬで通るとは庶民は思ってはいない。
 道の話から小沢問題にまで発展してしまったが、これこそ現在の日本の抱えている大問題なのだと思う。我々の身近な所にまで変な思惑と金儲けが入り込んでいるのである。

世の中みんなどこか似ている

2010年01月21日 | 社会問題
 今、日本の古代史に関する疑問の原稿を書いている。同時進行で万葉集の解釈の原稿を書いている。同じく同時進行で日本語の表記の原稿を書いている。いずれもほとんど完成している。私にとっては「本」と呼びたい存在だが、悲しい事に現在は「原稿」に過ぎない。
 古代史では、昔から常識では考えられないような論理が展開している。例えば、卑弥呼は大和朝廷の神功皇后である、倭の五王は武王を雄略天皇とする大和朝廷の五人の天皇である、隋に朝貢した多利思比孤は聖徳太子である、などなど。
 いずれも無理無謀な論理の展開をしてやっとの事でそうした結論に達している。我々を騙すために、検証の途中部分を省いてしまう。こうと決まっているんだから、文句を言わずに従え、と言う態度である。なぜそうなるのか。学者は師匠の考えには逆らえないからである。逆らえば抹殺される。それでは生きて行けない。仕方が無いから,渋々従っている内に、自分でもそうだと思い込んでしまう。かわいそうに。

 そこに突然、新しい事を言い出す人が現れる。おお、これは素晴らしいと見ていると、何と、とんでもない新説を打ち出すのである。従来のおかしな論理の上に乗って、新しい事を言っているに過ぎない。基礎にしている論理が従来の物だから、新しい事が言える訳が無い。
 ほかの事でも同じである。私の研究している日本語の表記では、従来の考えに盲従している。こちらも飯の食い上げになるらしい。そうだろう、慣用として通用している表記に逆らえば,編集長からは怒られるし、フリーの立場なら、まず、仕事は来なくなるだろう。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の世界なのである。

 政治の世界がそうだ。今までずっと自民党の独裁政権でやって来た。そして今回民主党の政権になった。我々は、おお、やっと新しい政治が開かれるのか、と期待して見守っている。官庁の仕事の仕切り作業など、その最たる物だ。
 ところが、相も変わらず、やれ利権だの献金だのとの話の花盛り。新しい事を打ち出しても、その根底にあるのが古くさい利権構造であれば、何をか言わんや。
 学問の世界なら、古い学閥の体制を一度ぶっ壊す必要がある。そこから新鮮な学者を輩出する必要がある。それと同じく、古い政界の体質をぶっ壊す。どなたか、自民党をぶっ壊すなどとかっこいい事をほざいて、我々を騙し、尻つぼみに終わった。
 民主党は元はと言えば自由党と同じ仲間である。そこから分かれて、一体どれほどの新鮮な党に生まれ変われると言うのか。確かに、そこには新しい流れも入って来てはいる。いるが、それは基礎の部分ではない。何事も基礎が物を言う。
 世間のみんなは、それこそ常識で、自分の生きて来た筋道で、今回の騒動を見ている。人よりも日の目を見る事の多い立場に居るからと言って慢心していれば、絶対に足下が崩れる。それは検察も民主党もマスコミもすべて同じ。

死後の世界はあるか

2010年01月19日 | 文化
 死後の世界があるかどうかを尋ねたら、日本人は20年前は「有る・32・4%」「無い・23・9%」「分からない・43・7%」だった。2000年の調査では、それぞれ31・6%、30・5%、37・9%となっている。これは東京新聞に柏木哲夫さんと言う大学の先生が書いている。
 無いと思う人が増えている。そして注目すべきは「分からない」と答えた人の割合が世界一高いのだと言う。アメリカ人なら、「有る・77%」「分からない・7%」だと言う。
 誰も見た事がないのだから、分からなくても仕方がないが、これは信じるか信じないかの問題なのである。そして一つ言える事は、日本人は死後の世界を信じていないから、好き勝手な事、駄目な事をやる人間が多いのではないか、と考える余地があると言う事だ。
 生きている時だけが華なのよ、なんて考えているから、どんな事だって出来てしまう。生きている内にやらなきゃ損だ、と思うのだろう。だから見て御覧なさい。カネと欲に頭の先から足の先までずっぽりと浸かった人間の何と多い事よ。
 本当はこうした事を人々に教えるのは宗教の仕事である。ところが、ある宗教では現世御利益ばかり説く。そうではない宗教でも、葬式仏教などと陰口を叩かれるような存在だったりする。最近、無宗教の葬儀とか、近親者だけの葬儀が多くなっているのは、一つにはそうした宗教への違和感があるのではないだろうか。
 日本人は良く言えば多神教だが、裏返せば無信心だと言う事でもある。お寺の除夜の鐘を聞いて、さてお参りはと言うと神社だったりする。別にどちらだって良いのだが、どうも、キリスト教のミサなどとは違う。一年間の自分の愚かな行いや考えを悔い改めるのではなく、新しい年にどうか良い事がありますように、と願うだけ。そんな虫の良い話があるもんか。反省があってこそ、次の新しい年が迎えられるのである。もちろん、そうした人々だって居るはずだ。

 無実の人を罪に陥れた検察関係の人々は、死後を信じていたら、そんなとんでもない事など出来るはずが無い。いい加減な判断で審判を下した裁判官しかり。
 現在、小沢問題で揺れている世界だって、同じだ。始めから敵対心で取り掛かっている人々、自分の名誉欲のためだけに動いている人々、あるいは自分のカネ稼ぎのためだけに動いている人々、みんな、死後の世界など信じてはいまい。だから馬鹿げた事を平気でやる。
 あの世に行って、あーあ、あんな事するんじゃなかった、って反省したってもう遅いんだよ。
 この頃、とても馬鹿馬鹿しくなって来た。なんか、つまんない事で足掻いている人ばっかりで、馬鹿みたいだ。我々庶民はもっとずっと地道に一日一日の暮らしをそれこそ丁寧に生きている。あんまりいい気になるんじゃない。

ハイチの大地震でやっと外務省が決定を下した

2010年01月16日 | 社会問題
 ハイチで大規模な地震が発生したのは日本時間の1月13日午前6時53分。
 昨日の15日。岡田外務大臣は医療スタッフを派遣すると発表した。現地に到着するのは何と17日だそうな。遅過ぎるのではないか、との声に外相はこう答えた。
 「現地は混乱していて、何が必要なのか分からなかった」
 では、真っ先に駆け付けた国(アメリカと中国が早かったと聞いたが)は、早ければ良いと、やみくもに駆け付けたと言うのか。冗談じゃない。大震災で真っ先に必要なのは医療機関と水や食料に決まっている。
 そりゃあ必要な物は他にもたくさんある。しかし何はともあれ、医療と食料だ、と思うのが普通の人の感覚だろう。テレビでは建物が倒壊している映像を流している。石造りだから日本のようにすぐ火事にはならないのだろうが、建物の下にはたくさんの人々が閉じ込められているだろう事ぐらい、誰にだって分かる。重機が必要かどうかは分からないにしても、医療と食料はあり過ぎて困る事などないだろう。
 特に人命救助は始めの72時間が命だと言う。がれきの下で苦しんでいる人に手を差し伸べられなくても、地上で苦しんでいる人はたくさん居たはずだ。
 どこかのお役人みたいな考え方を国民は期待しているんじゃない。
 そうは言っても、どうも世界的に見て、白人種は黄色人種に偏見を持っているらしいとの思いもある。自分達の方が上だ、との思いがあるのに、平和な時にはそれこそ我々を見下しているのに、なんて思うとちょっと躊躇してしまう。でも困った時はお互い様。中国が真っ先に駆け付けられたのは何でだろう。そこに日本が学ぶべき事は無いのだろうか。

正社員を活用して店の活性化

2010年01月14日 | 暮らし
 NHKのテレビで正社員を活用したスーパーの活動ぶりを紹介していた。多くの店と違い、アルバイトやパートより正社員の数の方がずっと多い。それだけ人件費も掛かる。だが、正社員ならではの商売がそこにはある。番組では野菜売り場の店員を紹介していたが、その動きが凄い。単に、朝品物を並べ、無くなれば補充して、などと言う単純な作業ではない。四六時中、客の動向に気を配っている。そしてそれに応じて商品の並べ替えをする。
 夜、勤め帰りの女性客が多くなると、簡単に調理の出来るような野菜を一番目に付く場所に置き換える。それはほんの一例だが,そうした事をずっとやっている。商品をよく知っているから、客が迷っていればすかさず助言をする。聞かれれば、即座に正しく答える事が出来る。

 そう、店は生きているのだ。客の動向に応じて動かなくてどうする。ただ、これはとても難しい仕事だろう。よほど真剣に客の身になってみなければ分からない。
 私がひいきにしているある安いスーパーは、朝8時30分からやっているから、朝の仕事を終えてからすぐに買い物が出来る。ところが、9時過ぎになっても、まだ商品を並べている最中なのだ。商品のカートがあちことに置かれているから、邪魔でしょうがない。何しろ通路の半分をふさいでいる。品物だって手に取れやしない。
 そう言うと、朝8時から仕事を始めているんですが、邪魔で申し訳ありません、と店員は謝罪するが、8時では遅いのだ。8時30分に開店なんだから、その前にすべての準備を終えているのが当然なのである。早朝からだと、アルバイトやパートに割り増し賃金を支払わなくてはならなくなるのだろう。だからぎりぎりに仕事をさせている。
 これが正社員だったら、賃金の事ばかりは考えないはずだ。少なくとも、これからの社員はそうでなくては務まらない。アルバイトやパートなら店のためではなく、賃金のために働いても文句は言えない。しかし社員は違う。店のために働く事が、ひいては自分のためにもなる。客から喜ばれてこその店ではないか。

 私は様々な店で、ここをこう改善すれば、もっと客が分かり易く、買い易くなるのに、と思う事が多々ある。店側はいつも見慣れているからそれで少しも不便だなどとは思わないのだろう。だが、時々しか見ない客にとっては、店は不案内の場所なのである。幾つもの店に行く客にとって、それぞれの店の商品の配置を覚えるなんてとても出来やしない。初めての客にでも簡単に商品の配置が分かる工夫とか、見やすい値札とか、工夫はもっと色々と出来る。
 ある店でアボカドの食べ頃を尋ねた。店員は分からないと言った。その店のアボカドは安かったが、私は買う気を無くした。自分が扱っている商品の事ぐらいしっかりと勉強しろよ。私は店で様々な事を聞く。一つには自分が分からないからであり、もう一つにはその店がどれほど商品に対する知識を持っているかを見るためである。決まり切った商品で値段も明確なら、安い店で買う。だが、肉や魚、野菜、果物などは見た目だけでは分からない。もちろん、見た目で判断出来るような勉強をする事が客にも必要だが、店に店員が居るのは、何も金と商品の受け渡しだけのためではないだろう。

 人件費の節約とか言って、正社員を減らし、アルバイトやパートを増やす事は、長い目で見れば、絶対に得な事は無いはずだ。客が移り気な事も原因ではあろうが、もっと長い目で見た商売をすべきだろうと私は思う。店の質が向上すれば、客だってそんなに移り気にはならないはずだ。

法律に違反するような事はしていない、とは言うが

2010年01月12日 | 社会問題
 何か汚い事をやっていそうな人間に聞くと、誰もがこう答える。今回の小沢氏の答も同じである。当たり前じゃないか。法律に違反しないように、と違反ぎりぎりの事をしているのだ。違反しない上で、いかに違反ぎりぎりの事をするかが腕の見せ所なのである。
 だから、すべて弁護士に任せてあるから、自分は答えない、と言う。そりゃあそうだ。本人は何も手を打ってはいない。全部専門家にお任せなのだ。だから答えられないし、下手に答えれば尻尾が出る。
 普通なら、常識なら、通らない事でも、法律と言う濾過装置を通すと、あーら不思議。何の汚れも無い事になって出て来る。法律を通っているんだから、何も怖い事は無い。
 結局、どうやって法律の網をくぐり抜けるかが勝負。

 昔、法人会の講習に参加した。会場は税務署。初めに税務署長などが挨拶に現れる。税務署の関係者が一人も居なくなった所で、おもむろに法人会の人が話し始める。それも小さな声で。我々が節税と言っている事柄の多くは脱税すれすれなのである。だから税務署員の居る前では口を開かない。
 我々の節税なんてたかが知れている。その何十倍も何百倍もの事を政治家を始めとして様々な人々がやっている。だからこそ、専門の税理士などの出る幕であり、いざ問題になったら、弁護士が出る幕となる。報酬の高い税理士を雇い、弁護士を雇ってもまだ利益が出る。何と旨くて甘い事か。我々なんか、やりたくたって出来やしない。そんな大金など動かす事は出来ないのだ。

 彼等は法律に違反していないからいいでしょう、と大威張りだが、我々はそうした法律のうさん臭さを嫌と言うほど知っている。法律なんて、最低限の防波堤なのだ。ぎりぎりの歯止めなのだ。法律の遵守と違反とは紙一重。そんなに高をくくっていて良いものでは無いと私は思うのだが。
 俗に上手の手から水が漏れる、と言う。たとえ漏れなくても、我々は彼等が汚い事をしているのを感じ取っている。事はカネに関するから、真剣になる。鵜の目鷹の目で見る。ほんのわずかな「感じ」が大きな痛手になって返って来る事を彼等は知る必要がある。たとえ法律の網の目はくぐれても、我々の素朴な目はくぐれないと思うべし。