前に朝青龍のことを書いたりして、いろいろ考えていたら、
茂木健一郎さんのクオリア日記の《規格外》という記事に出会った。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
朝青龍の問題は、結局、
「規格外」の人をどう扱うかという哲学
だと思う。
日本の「国技」としての相撲が、
守るべき美学があるのはわかる。
品格をうんぬんする人の気持ちもわかる。
伝統を守ることは尊い。
その一方で、すでにある枠組みから
はみ出している人の個性を認めてこそ、
生命力は維持されるのではないか。
ボクの理解する「横綱の品格」とは、
まさに、枠をはみ出そうとする
とてつもないエネルギーを御した
ところにこそ生まれるのだと思う。
最初から「いい子」だったら、品格うんぬんを
そもそも問題にする必要がない。
容易に御すことのできない荒々しさを
みがいてこそ、ほれぼれするような
風合いが生まれるのではないか。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本の社会って、本当に規格外の扱い方が下手だよね。
「いい子」を求める。
「いい子」ばかりなら、ある意味秩序のある社会になるのは当たり前。
管理しやすい。
問題が起こりにくい。
先日書いた、この話に通じる。
皆が画一的に「いい子」になるような教育。
はみ出させない。
型に閉じ込めようとする。
規格外の人、モノにぶち当たると、どう対処したらいいかわからない。
というより、避ける、認めない、評価しない、抹消しようとする。
社会にうまく適応して、一切の波風を立てないような人間。
今まで皆で長年かけて作ってきた社会の枠組みに対して、疑問や反発を感じないような人間。もし感じたとしても、おとなしく、温厚に、従順な人。
超一流と言える人、ってそうじゃない人もいるけど、
やはり、規格外の人のほうが面白いし、すごい。
規格外とは、
枠にとらわれない、はみ出る、常識はずれ、
意外性、想定外、
ヒール、アウトロー、異分子、侍、悪漢。
世界基準でなく、自分基準。
摩擦を生む。
軋轢を生む。
でも、それだけの自信とパワーがなければ、潰される、潰れる。
前にサッカーのアジアカップのこと、いろいろ書いたけど、
これもやはり、同じ根っこのことだと思います。
規格外を作らない教育。
際立った個を歓迎しない。
無謀にチャレンジして、ドリブル突破とか、ロングシュートなどしないで、
安全なところを探して、確実にパスを出す。
いつまでたってもパス回しばっかりで、いい子(個)ばかりの集団。
『枠をはみ出そうとするとてつもないエネルギーを御したところにこそ生まれるもの。』
ヒデは、はみ出そうとしてたんだと思う。
イチローにもそういう部分を感じる。
『容易に御すことのできない荒々しさを
みがいてこそ、ほれぼれするような
風合いが生まれるのではないか。』
朝青龍や亀田もそうだし、ホリエモンもそうかもしれない。
規格外のダイナミズムとインパクト。
それを、大きな意味で、磨く、という方向に行かず、
単に持ち上げて、助長させてしまった。
企業の採用担当者なんて、こういう視点、ありますよね。
ちょっと変わってて、面白い奴ほど、伸びる。
規格外の取り入れ方、磨き方。
しかしまた、田坂広志さんが言うように、
操作主義になってしまっては、御せないし、磨けないのでしょう。
ほっといてもダメ、無理にコントロールしようとしてもダメ。
それにしても、今の時代、
『枠をはみ出そうとするとてつもないエネルギー』、がもっともっと出てきて、
潰そうとする、または、御そうとする、磨こうとするエネルギーと、
あたかも化学反応を起こすが如く、
火花が散るほどぶつかり合った方が、
活力のあるいい社会になるんじゃないかと思う今日この頃です。
茂木健一郎さんのクオリア日記の《規格外》という記事に出会った。
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朝青龍の問題は、結局、
「規格外」の人をどう扱うかという哲学
だと思う。
日本の「国技」としての相撲が、
守るべき美学があるのはわかる。
品格をうんぬんする人の気持ちもわかる。
伝統を守ることは尊い。
その一方で、すでにある枠組みから
はみ出している人の個性を認めてこそ、
生命力は維持されるのではないか。
ボクの理解する「横綱の品格」とは、
まさに、枠をはみ出そうとする
とてつもないエネルギーを御した
ところにこそ生まれるのだと思う。
最初から「いい子」だったら、品格うんぬんを
そもそも問題にする必要がない。
容易に御すことのできない荒々しさを
みがいてこそ、ほれぼれするような
風合いが生まれるのではないか。
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日本の社会って、本当に規格外の扱い方が下手だよね。
「いい子」を求める。
「いい子」ばかりなら、ある意味秩序のある社会になるのは当たり前。
管理しやすい。
問題が起こりにくい。
先日書いた、この話に通じる。
皆が画一的に「いい子」になるような教育。
はみ出させない。
型に閉じ込めようとする。
規格外の人、モノにぶち当たると、どう対処したらいいかわからない。
というより、避ける、認めない、評価しない、抹消しようとする。
社会にうまく適応して、一切の波風を立てないような人間。
今まで皆で長年かけて作ってきた社会の枠組みに対して、疑問や反発を感じないような人間。もし感じたとしても、おとなしく、温厚に、従順な人。
超一流と言える人、ってそうじゃない人もいるけど、
やはり、規格外の人のほうが面白いし、すごい。
規格外とは、
枠にとらわれない、はみ出る、常識はずれ、
意外性、想定外、
ヒール、アウトロー、異分子、侍、悪漢。
世界基準でなく、自分基準。
摩擦を生む。
軋轢を生む。
でも、それだけの自信とパワーがなければ、潰される、潰れる。
前にサッカーのアジアカップのこと、いろいろ書いたけど、
これもやはり、同じ根っこのことだと思います。
規格外を作らない教育。
際立った個を歓迎しない。
無謀にチャレンジして、ドリブル突破とか、ロングシュートなどしないで、
安全なところを探して、確実にパスを出す。
いつまでたってもパス回しばっかりで、いい子(個)ばかりの集団。
『枠をはみ出そうとするとてつもないエネルギーを御したところにこそ生まれるもの。』
ヒデは、はみ出そうとしてたんだと思う。
イチローにもそういう部分を感じる。
『容易に御すことのできない荒々しさを
みがいてこそ、ほれぼれするような
風合いが生まれるのではないか。』
朝青龍や亀田もそうだし、ホリエモンもそうかもしれない。
規格外のダイナミズムとインパクト。
それを、大きな意味で、磨く、という方向に行かず、
単に持ち上げて、助長させてしまった。
企業の採用担当者なんて、こういう視点、ありますよね。
ちょっと変わってて、面白い奴ほど、伸びる。
規格外の取り入れ方、磨き方。
しかしまた、田坂広志さんが言うように、
操作主義になってしまっては、御せないし、磨けないのでしょう。
ほっといてもダメ、無理にコントロールしようとしてもダメ。
それにしても、今の時代、
『枠をはみ出そうとするとてつもないエネルギー』、がもっともっと出てきて、
潰そうとする、または、御そうとする、磨こうとするエネルギーと、
あたかも化学反応を起こすが如く、
火花が散るほどぶつかり合った方が、
活力のあるいい社会になるんじゃないかと思う今日この頃です。
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