川島さんの先日の3本立ての記事、面白かったです。
サッカー負け、脱力感。
パスを回すだけでは…。
インタビューも攻め手なし。
サッカーのアジアカップの話。
日本戦は全部、ちゃんとしっかり見ました。
印=川島さんの指摘。
「組織力」って、相手が怖くない所でパスをくるくる回していること ではないはず。
日本チームの戦い方については、何度も書いていますが、「パスは回るが、攻め=ゴールへの意欲が足りない。」
「行けるときにズバッと行かない」「パスする相手をつい探す」日本人。
個人技がいいか、組織サッカーがいいかという話ではなく、パスを回すだけではなく、たてにつっかける勇気。そして、二人目三人目が連動する組織プレーでパスも生きてくると思うのです。
するどく攻めていけない。相手にゆだねれば(味方にパスすれば)どうにかなると思っている。想像力(=創造力)の欠如。
ひとつは、このことですね。
いろんなところで言われてます。
何のためのパスか。
パス回しのためのパス。
ボールキープするためのパス。
相手に渡さないための正確なパス。
チョコチョコ近くに回して、少し前に行くけど、ディフェンスにあって、また戻ってきて、キーパーまで戻して、また同じように進んで、逆サイドも使い、ボールは回るけど、また戻ってきて、いつまでたっても同じ。
取られなきゃ、いいだろ、って?
よくねえよ。
いつになったら、進むんだよ。
つまり、パスの意味。戦略的なパス。
当たり前ですよね、こんなこと。
攻めるため、クロスボールをあげるため、裏をついたスルーパスのため、そして、もちろんシュートのため。
そういう意識がどう見ても感じられない。
目的意識。
何のためのプレゼか。
何のためのビジュアルか。
何のための営業か。
何のための仕事か。
オシム監督の標榜する「日本人のサッカー」は、コンセプトはいいけれど、競合プレゼンでは「インパクトに欠ける」と言われ、負け続ける表現アイデアのようなものなのか。
と、川島さんの鋭いコメント。
おたくの案は、いい線行ってましたよ。
かなり評価も高かったんですが、決め手がなくて。
おおまかにはいいんですけど、あー、これ!!っていう部分がなくて・・・。
ほんと、全体的にはとてもよかったんですけどねえ。。。
よくあることです。
サウジアラビアの「ここぞ」のたたみかけるような攻め、ドリブル等の個人技。
「ゴール前で落ち着いて決められない。」
それこそ「日本人」のキャラクターなのでしょうか。
お隣の韓国のほうが「狩猟民族的攻め」には長けている気がする。
サウジアラビアの攻めの“スピードと技”も素晴らしかったなぁ。これは見る価値あった。
シュートでもドリブルでも「個人技」で打開しようとする気持ち。
ゴールキーパーと一対一になったとき、「どれどれ、どう料理してやろう」と口からよだれが出るようなサディスティックな気持ち。
次にここです。
組織か個人か。
やはり、最後の攻めは、リスクが伴います。
そこを果敢に突破する。
針の穴のようなパスを通そうとする。
最終ラインから一気に前線へ。
こういう個人プレーの許容。
ここでつっかけて、ボール取られると、オシムに怒られるから、安全にパスを回した方がいい。
自分はこうした方がいいと思うけど、監督は多分ダメというだろうから、別の方向で。
そこまで含めての、勇気を。
アグレッシブな生き方を。
農耕民族は、ゆったりと地道に。
決して目立たないように、組織の中で浮かないように。
安全な仕事。安全なプレゼ。
日本サッカーの戦いぶりが、自分の(日本人的)仕事の姿勢とも重なってしまうから、こんなにひっかかってしまうのかなぁ。
ほんと、そう感じます。
これぞ日本のサッカー。
そして、これは番組のことだけど、今までもいろいろ書いている、制作サイドの問題。
「残念な結果でしたが、いかがでしたか、どうでしたか」という質問ばかり。
すべて、相手が「何かしら」しゃべってくれるだろう、という気持ちに依存した、「ここを聞いてやろう」という考えがまるでないインタビュー。
例えば、「あのときの攻めは判断ミスではなかったですか」とか、決めるときに決められなかったと言う選手に対し、「いつも聞く台詞ですが、打開策は練っていなかったのでしょうか」等、賞賛するところは賞賛しつつ、突っ込みがもっとあっても良いのではないでしょうか。
スポーツ番組の、非常に重要な試合を終えてのインタビューが、なんでこんなにレベルが低いんだ。あいつはいったい誰だ?テレビ局はそんな人間をなぜ配置するんだ!
ほんと、そう思います
他のスポーツはまだましなのに、なんで、サッカーだけ、あんななわけ?
視聴率もかなりよく、日本サッカーには、皆期待してるというのに、なんでああなるんだろう。
あれでいいと思ってるんだろう。
こういうのって、もしかしたら、
昔の方が、レベル高かったんじゃないでしょうか。
やはり、放送でも、インタビューでも、
ちゃんとプロがいて、拘ったプロの仕事をしてたんじゃないでしょうか。
決め手を欠くサッカー、決め手のない番組、決め手のないインタビュー。
決め手を欠く方針、決め手のない組織、決め手のない会社。
序盤・中盤まではいいけど、終盤になると、決め手がないままずるずるいっちゃう将棋。
うまくできてるし、美味しいって皆言うんだけど、最後のあと一味っていうか、なんか決め手に欠ける料理。
日常に鑑みて、いろいろ考えちゃったアジアカップでした。
サッカー負け、脱力感。
パスを回すだけでは…。
インタビューも攻め手なし。
サッカーのアジアカップの話。
日本戦は全部、ちゃんとしっかり見ました。
印=川島さんの指摘。
「組織力」って、相手が怖くない所でパスをくるくる回していること ではないはず。
日本チームの戦い方については、何度も書いていますが、「パスは回るが、攻め=ゴールへの意欲が足りない。」
「行けるときにズバッと行かない」「パスする相手をつい探す」日本人。
個人技がいいか、組織サッカーがいいかという話ではなく、パスを回すだけではなく、たてにつっかける勇気。そして、二人目三人目が連動する組織プレーでパスも生きてくると思うのです。
するどく攻めていけない。相手にゆだねれば(味方にパスすれば)どうにかなると思っている。想像力(=創造力)の欠如。
ひとつは、このことですね。
いろんなところで言われてます。
何のためのパスか。
パス回しのためのパス。
ボールキープするためのパス。
相手に渡さないための正確なパス。
チョコチョコ近くに回して、少し前に行くけど、ディフェンスにあって、また戻ってきて、キーパーまで戻して、また同じように進んで、逆サイドも使い、ボールは回るけど、また戻ってきて、いつまでたっても同じ。
取られなきゃ、いいだろ、って?
よくねえよ。
いつになったら、進むんだよ。
つまり、パスの意味。戦略的なパス。
当たり前ですよね、こんなこと。
攻めるため、クロスボールをあげるため、裏をついたスルーパスのため、そして、もちろんシュートのため。
そういう意識がどう見ても感じられない。
目的意識。
何のためのプレゼか。
何のためのビジュアルか。
何のための営業か。
何のための仕事か。
オシム監督の標榜する「日本人のサッカー」は、コンセプトはいいけれど、競合プレゼンでは「インパクトに欠ける」と言われ、負け続ける表現アイデアのようなものなのか。
と、川島さんの鋭いコメント。
おたくの案は、いい線行ってましたよ。
かなり評価も高かったんですが、決め手がなくて。
おおまかにはいいんですけど、あー、これ!!っていう部分がなくて・・・。
ほんと、全体的にはとてもよかったんですけどねえ。。。
よくあることです。
サウジアラビアの「ここぞ」のたたみかけるような攻め、ドリブル等の個人技。
「ゴール前で落ち着いて決められない。」
それこそ「日本人」のキャラクターなのでしょうか。
お隣の韓国のほうが「狩猟民族的攻め」には長けている気がする。
サウジアラビアの攻めの“スピードと技”も素晴らしかったなぁ。これは見る価値あった。
シュートでもドリブルでも「個人技」で打開しようとする気持ち。
ゴールキーパーと一対一になったとき、「どれどれ、どう料理してやろう」と口からよだれが出るようなサディスティックな気持ち。
次にここです。
組織か個人か。
やはり、最後の攻めは、リスクが伴います。
そこを果敢に突破する。
針の穴のようなパスを通そうとする。
最終ラインから一気に前線へ。
こういう個人プレーの許容。
ここでつっかけて、ボール取られると、オシムに怒られるから、安全にパスを回した方がいい。
自分はこうした方がいいと思うけど、監督は多分ダメというだろうから、別の方向で。
そこまで含めての、勇気を。
アグレッシブな生き方を。
農耕民族は、ゆったりと地道に。
決して目立たないように、組織の中で浮かないように。
安全な仕事。安全なプレゼ。
日本サッカーの戦いぶりが、自分の(日本人的)仕事の姿勢とも重なってしまうから、こんなにひっかかってしまうのかなぁ。
ほんと、そう感じます。
これぞ日本のサッカー。
そして、これは番組のことだけど、今までもいろいろ書いている、制作サイドの問題。
「残念な結果でしたが、いかがでしたか、どうでしたか」という質問ばかり。
すべて、相手が「何かしら」しゃべってくれるだろう、という気持ちに依存した、「ここを聞いてやろう」という考えがまるでないインタビュー。
例えば、「あのときの攻めは判断ミスではなかったですか」とか、決めるときに決められなかったと言う選手に対し、「いつも聞く台詞ですが、打開策は練っていなかったのでしょうか」等、賞賛するところは賞賛しつつ、突っ込みがもっとあっても良いのではないでしょうか。
スポーツ番組の、非常に重要な試合を終えてのインタビューが、なんでこんなにレベルが低いんだ。あいつはいったい誰だ?テレビ局はそんな人間をなぜ配置するんだ!
ほんと、そう思います
他のスポーツはまだましなのに、なんで、サッカーだけ、あんななわけ?
視聴率もかなりよく、日本サッカーには、皆期待してるというのに、なんでああなるんだろう。
あれでいいと思ってるんだろう。
こういうのって、もしかしたら、
昔の方が、レベル高かったんじゃないでしょうか。
やはり、放送でも、インタビューでも、
ちゃんとプロがいて、拘ったプロの仕事をしてたんじゃないでしょうか。
決め手を欠くサッカー、決め手のない番組、決め手のないインタビュー。
決め手を欠く方針、決め手のない組織、決め手のない会社。
序盤・中盤まではいいけど、終盤になると、決め手がないままずるずるいっちゃう将棋。
うまくできてるし、美味しいって皆言うんだけど、最後のあと一味っていうか、なんか決め手に欠ける料理。
日常に鑑みて、いろいろ考えちゃったアジアカップでした。
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