即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

《相撲》の本質的なあり方

2011年02月07日 15時35分46秒 | 日記とニュース
白鵬「いつからこんな相撲界になったのかな…」(読売新聞) - goo ニュース

新聞もテレビも、マスメディアは大騒ぎです。

いろんな人がいろんなこと言ってます。

まあ、どうでもいいというか、食傷気味ではあるのだけど、一応。

話はさかのぼって、昔は結構見ていたけど、もう見てないですよね。
いつ頃から見なくなったのだろうか。
思い出せない。
愛子さまとか、好きな人はまだまだいるんだろうけど。
しかし、NHKも衛星放送も両方であんなに長い時間やらなくても、と思うし、特に名人戦、竜王戦中継の時は腹が立つ。

昨年の父の13回忌の時、83歳のお寺さんが一緒に昼食をとりながらこう言ったのが忘れられません。
『もう私なんか生きててもなんの楽しみもないです。早くお迎えが来てほしいくらい。でも、唯一の楽しみは相撲。今日もこれから帰って、3時くらいからずっと観てるんです。相撲がある日はこうして楽しみもあるんだけど、相撲のない時はすることもなくてねえ。1年6場所よりもっとやってほしいですよ。』
あー、こういう人もいるんだよなあ、と。

かわいがりをはじめとした各種暴行事件、大麻、朝青龍品格関連トラブル、野球賭博、などなど、枚挙に暇がない。

いい機会だから、一年でも二年でも休んで本質を見直すべき。
将来に向けた明確なビジョンを作るべき。

相撲はあくまでもガチンコ勝負のスポーツとして行くのか。
それとも日本の伝統文化、伝統芸能のひとつとして、神事とか、奉納とか、そっちの方向で行くのか。


誰にもわかりやすいスポーツとしていくのであれば、もっとシンプルに普及も含めた路線を取るべき。国際的にも理解されやすいコンテンツにするべき。
そうであるなら、柔道と同じように、国際ルールがどんどん変わったり、青い柔道着になったり、そういうのはやむを得ないことになる。
どんどん変わって行ってもある意味仕方ない。
海外にも普及して、オリンピック種目になり、日本はひとつもメダルを取れずに終わっても仕方ない。
裸でまわしではなくなるのかもしれない。

一方、歌舞伎や能・狂言や文楽と同じ伝統芸能方向で行くのであれば、八百長はともかく、ガチンコであろうがなかろうが関係ない。
7勝7敗の力士の勝率が8割というのも別に問題ない。
こっちであれば、歌舞伎や能などと同じように、外人力士は必要ないのかも。
あくまでも神事として、美しい伝統芸能としての相撲。
その歴史の重みとか、深さを追求しつつ、現代に合った形に少しずつ修正していく。

神事かスポーツか。
相撲の本来的な立ち位置は何か。
理事会をはじめとして、この議論がずっとないままに、ここまで惰性で来ちゃったから、すべてが問題になってる。
中途半端が一番いけない。

神事で行くなら、外人力士も要らないのかも。
能や狂言や文楽にも外人がいないように。
もっと早くこういう本質の議論をすべきだったんだよね。

たにまちの存在や興行になると出てくるその業界の人など、NHKの放映権も含め、たくさんの金が動いてしまうから、いろんな膿ができてくる。
利権争いになり、賭博対象になり、八百長も出てくる。

どうでもいいけど、どういう方向にしていくのか。
予定調和的な、互助会的取り組みを見せられて、一喜一憂する時代ではない。

提案。
1)神事としての相撲は、そこを目的存在意義として、やり直す。
そっちの方向でやりたい力士や関係者はそっちで出直す。
ビジネスモデルも新規で考えて、マイナーながらも伝統芸能として生きていく。

そして、
2)スポーツとしての方向は、モンゴルや他国に頼んで、ワールドツアーを開催。
テニスやゴルフのように、トーナメントプロとして、ランキングや賞金などを争う。
こっちの方向でやりたい力士や関係者はこっちでいく。
賞金がかかっているから、八百長も何もない。
ガチンコで強いものが勝つシンプルで当たり前の世界。

さて、どうでしょうか?
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