脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

世界戦争へのフレームワーク (2)。

2022年07月31日 23時34分22秒 | 社会時評
安倍事件関連のネット記事・論説に下記のような内容を短い文章で投稿すると、
私の投稿だけ3回位削除されてました。どんな投稿だったのか、私の視点を
以下に再現してみます。

安倍暗殺事件ですが、私は1909年10月26日の伊藤博文暗殺事件に構図が
酷似していると思います。偶然にも安倍も伊藤も、山口の出身、肩書も元総理、
享年も安倍が67歳 確か、伊藤が68歳です。伊藤博文は初代の内閣総理大臣と
して知られてますが、彼は内閣を4回組閣し、暗殺は4回目の内閣を終えた数年後
の、旧満州のハルピン駅での出来事です。

19世紀末頃の日本では外交戦略として、ロシア協商派と大英帝国との同盟派に意
見が2分されていました。伊藤はロシア派でしたが、日本は1902年に日英同盟
を結び、日露戦争(1904~1905)に踏み切ります。この戦争はロシア国内の政情不安
やら、アメリカも日本の味方となったこと等、日本はかろうじて戦勝国となります。

伊藤暗殺事件は、伊藤がロシアの大蔵大臣他要人との非公式会談に呼び出され、ハ
ルピン駅構内で待ち伏せていた暴徒に、拳銃で撃たれたものです。暗殺犯は、抗日
活動家の安重根で、犯行は単独に見えますが、ロシア側が伊藤の政治的な裏切りを
恨んで仕組んだようです。このとき、伊藤の体に受けた3発の銃弾は、安の拳銃の
ものとは種類の異なる銃器の弾丸でした。また、致命傷となったのも、建物上方か
らの弾道による被弾でした。

安は、ロシアに差配されたダミーであり、別に狙撃手がいたものと推察されてます。
しかしながら、安重根の名前は、一部に「抗日英雄」として朝鮮や中国では今日で
も称えられています。私には、暗殺英雄の「物語」のせいで、事件の真相が覆い隠
されてしまっているように見えます。「物語」が黒い幕となり、出来事をブラック
・ボックスの中に封じてしまう。
安倍事件で進行していることも、事実の歪曲と証拠の隠滅であり、事件のブラック
・ボックス化と、他の感情移入しやすい「物語」化です。
真相の風化と、「物語」で真相を閉ざすこと、それがいつも権力当局の狙いです。


2022年7月8日 安倍晋三元総理は、昼間の選挙応援演説中に銃撃を受け、
心肺停止に陥り、同日午後5時3分、奈良にて逝去されました。
       (ここで話は、更に日本史を遡ります。)
1853年7月8日(旧・嘉永6年6月3日)・午後5時頃、神奈川県浦賀沖にペリー
の艦隊が来航します。世にいう「黒船来航」です。両者は奇しくも同月同日同時刻
なのです。一体、誰の考えたシナリオなのでしょう。山上某氏が一人で考えた?
あまりにも見事な符号なので、こんな歴史美学の業(わざ)を仕込むなんて、歴史の
長い国家らしい、卓越した芸当だと感嘆する想いです。
日本史で象徴的に言えば、「黒」の脅威から「紅」の脅威へ。
歴史がまた大きく揺さぶられ、転回を迎えようとしてしているのでしょうか?

幕末史は、ここから外国を排撃する攘夷運動、更に尊王思想と結び尊王攘夷、倒幕、
、明治維新へと突き進みます。黒船の脅威、アメリカによる植民地化への懸念は、
南北戦争等の米国内事情で一旦回避されますが、1941年に日米は開戦します。
1945年8月、敗戦した日本は、軍事、政治・経済・文化等、国家的社会的に
黒船・アメリカの絶大な影響支配の下に、戦後を歩むことになりました。

その歴史が、今100年超刻みの大きな里程に差し掛かったのでしょうか?
2022年7月8日(金)。ケネディ(JFK)暗殺も、金曜日でした。
この日に、海からの黒船ではなく、空中から跳んで来たものは、
日本の歴史に1世紀の転回を迫る、脅威の「紅」い弾丸だったのか?
いや今我々は、むしろ世界史の巨大な交差点に、呆然と立って居るのでしょうか?


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