瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

近況

2015年04月06日 | 瞑想日記
このブログに自分のことを語った最後が、2013年12月末だから、もう2年数ヶ月もご無沙汰していたことになる。少し近況に触れておきたい。

まず健康と仕事の面だが、2013年6月末に脳梗塞で二ヶ月近く入院したが、その後は健康に活動している。歩行に若干の違和感は残るが、ほぼ普通に歩ける。最近は健康のため毎日1時間ほど歩くように心がけている。体重は発病前の72キロ前後から10キロ減り、62~3キロ台をほぼ保っている。退院後、持久力は少し弱まった感じがするが、睡眠時間を多くすることでカバーしている。

今年3月までは、高校で「再任用」という形で政治経済、日本史などを中心に週3日ほど教え、短大で一日教えていた。4月からは高校は非常勤という形になり、仕事は純粋に授業だけ、今年は政経と世界史、週二日6時間の担当だ。短大の非常勤講師は4年目になるが、一般教養の英語と「実践コミュニケーション」という講座、合せて4コマの担当だ。前年度は、高校と併せ週4日の勤務だったが、本年度は週3日、それも自分の授業時間だけの拘束になるので、かなり時間的な余裕ができる。その分、自分の関心分野の研究に力を注げる。

このブログを更新しなくなったひとつの理由は、瞑想をしなくなったからだと思う。以前はこのブログに報告することによって、自分の瞑想や求道の励みにしていた面がある。ということは求道の思いがそれだけ弱まった、と言えるのかもしれない。読む本も、最近は精神世界関係の本がすっかり減って、日本文化に関係するものや政治・経済分野のものが圧倒的に多い。日本文化論関係では、いずれ本にまとめたいという気持ちで研究を続けている。

もちろん求道の思いがまったくなくなったということではない。自分の日常的な思考の流れに気づきを入れたり、人間関係のなかで自分の心のあり方を振り返ったり、ということは毎日、何かしらある。精神的な成長や解放にかかわることはつねに意識して、日々を送っている。もちろん、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したときのような深いところでの「統合」体験があるわけではない。ときどきそんな日々を思い出し、合宿時のような体験が自分にとって本質的に重要なことなんだということを確認したりもする。

最近というか、ここ数年の私にとって大切なことは、同年代の古い友人との語り合いだ。関心や追求しようとすることに若干のずれもあるが、共通する部分も多い。精神世界への関心やそれに関係する体験も、違いもあるが、ともにそうした関心を長いあいだ語り合ってきた。現在も、月に二度や三度は語り合っている。その語り合いによって影響を受ける部分も多い。脳梗塞以来、ただでさえ弱かった酒を禁止された。それでも少しだけ飲みながら友人と語る時間は、自分にとってかけがえのないものだ。