瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

覚醒・至高体験をめぐって15:  (2)至高体験の特徴⑦

2010年07月31日 | 覚醒・至高体験をめぐって
(タゴールの)この体験もまた、マスローのいう至高体験の特徴をよく表している。眼から覆いが除かれ、全意識をもって世界を見はじめたタゴールにとって、この世のどんな人も事物も、無意味でつまらないものはなく、存在するすべてを通して永遠の生命と歓びがかがやいて見えたであろう。この体験もまた、マスローのいうD認識からB認識への変化を如実に物語っている。また、至高体験の特徴でいえば、それは「11 愛し、赦し、受け入れ、賛美し、理解し、ある意味で神のような心情をもつ」にも対応し、さらに「12 純然たる精神の高揚、満足、法悦」も、はっきりと読み取れる。

こうして丸四日間、「自己忘却の至福の状態」にあった後、タゴールはふたたび日常の時間のなかへもどっていったという。しかし、ひとたび実在のかがやきを体験し、真の自我を見たという歓びは、その後、詩人の心から離れなかった。むしろ、そのときの直観を深め、詩という芸術へと結晶化することが、タゴールの生涯の課題となった。

興味深いことにタゴールは、それからまもなく体験の再現を期待して、ヒマラヤ山系の風光明媚なタージリンヘ旅した。しかし、「山に登ってあたりを見まわしたとき、わたしはすぐにわたしの新しい視力を呼び戻すことができないことに気づいた。‥‥‥山々の王がどんなに空に聳え立っていようとも、彼はわたしへの贈り物に、なにも持ち合わせていないこと」を知ったのだという。そして詩人は、神秘体験はけっして環境の美や、整備された宗教的状況のなかで来るものではないことを悟ったのだという。

覚醒・至高体験をめぐって14:  (2)至高体験の特徴⑥

2010年07月30日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《タゴール》

次に取り上げるのは、インドの詩人であり、宗教哲学者でもあったタゴール(Rabi_ndrana_th Tagore 、1861~1941)である。彼は21歳のときに、以下に紹介するような神秘体験をしている。その体験によって彼の詩の作風は大きく変わり、現実の混沌の背後にある神の創造の美と歓喜の世界を描く大詩人への成長していく。辻邦生が、若き日の至高体験を、その後の作品に色濃く反映させているのに似ていなくもない。(以下、タゴールの体験前後の記述は、森本達雄『ガンディーとタゴール (レグルス文庫)』第三文明社、一九九五年、から要約した。)

少年のころ、生来の自然児だったタゴールは、イギリス式の厳格な詰め込み教育に耐えられず、いわゆる「おちこぼれ」で、三度も学校を変えた。にもかかわらず、生涯一枚も学校の卒業証書を授与されなかったという。そんなタゴールを心配した父は、17歳になった彼をイギリスに留学させた。

一年半のイギリスでの生活は、その後の詩人の成長にとって無益ではなかった。彼はロンドン滞在中、西洋の古典文学やイギリス浪漫派の詩人たちの作品に親しみ、同時に西洋音楽の精神に参入した。

懐かしい故国に帰ったタゴールの創作意欲はますます旺盛で、内心の孤独や失意を、形式や韻律の伝統にとらわれることなく、自由にうたうことで、新しい自己表現の方法を見出した。こうして書かれた一連の作品は、一八八二年に『夕べの歌』と題する一冊の詩集として出版された。これらの作品によって彼は、「ベンガルのシェリー」として、一躍文壇にその名を知られるようになった。

しかし、これらの作品はおおむね、「主観的な幻想と自己陶酔のなかで孤独を嘆き、人生を悲しむといった青年期特有の憂欝や不安」を表現していた。後年タゴールは、この時代の作品を「心の荒野」としてまとめている。タゴールがそうした病的な感傷世界の殻を破って、「遍照する朝の光へ、生命の歓喜の世界へと躍り出た」のは、それからまもない21歳の初秋のことである。

ある朝タゴールは、カルカッタのヴィクトリア博物館に近いある街の、兄の家のヴェランダに立って、外を眺めていた。東の方向にある学園の校庭の樹々の向こうに、ちょうど朝日が昇りはじめた。陽はみるみる樹をつたって昇り、茂った葉のあいだから金色の光が射し、葉の一枚一枚が光を浴びて踊っていた。タゴールは、そのときの不思議な感動を次のように回想する。

「ある朝、わたしはたまたまヴェランダに立って、その方角を見ていた。太陽がちょうどそれらの樹々の葉の茂った梢をぬけて昇ってゆくところだった。わたしが見つづけていたとき、突然にわたしの眼から覆いが落ちたらしく、わたしは世界がある不思議な光輝に浴し、同時に美と歓喜の波が四方に高まってゆくのを見た。この光輝は一瞬にして、わたしの心に鬱積していた悲哀と意気消沈の壁をつき破り、心を普遍的な光で満たしたのだった。」

「私がバルコニーに立っていると、通行人のそれぞれの歩きぶりや姿や顔つきが、それが誰であろうと、すべて異常なまでにすばらしく見えた――宇宙の海の波の上をみんなが流れて過ぎてゆくように、子供の時から私はただ自分の眼だけで見ていたのに、今や私は自分の意識全体で見はじめたのだ。

私は一方が相手の肩に腕をかけて無頓着に道を歩いてゆく二人の笑っている若者の姿を、些細の出来事と見なすことはできなかった――それを通して私は、そこから無数の笑いの飛沫が世界中に踊り出る、永遠の喜びをたたえた泉の底知れぬ深みを見ることができたのだから」(タゴール『わが回想』、『自伝・回想・旅行記 (タゴール著作集)』第三文明社、一九八七年所収)

覚醒・至高体験をめぐって13:  (2)至高体験の特徴⑤

2010年07月29日 | 覚醒・至高体験をめぐって
作家・辻邦夫の若き日の体験は、その後の彼の作品にも色濃く反映されている。以下に挙げるのは、作品の中の明らかに彼自身の体験に根ざして書かれた思とわれる文章である。

「…そんな人間にも、いつか死が訪れてくる。死は自分を消滅させる。 どんなにじたばたしたって最後には自分を放棄するほかない。人間はそのときになって初めて、自分中心の気持ちから解放されるんだよ。もう諦めて、自分に執着することをやめて、ただ黙ってこの世を見るんだ。そうすると雲も風も花も光も今まで見たこともなかった美しいものに見えてくる。玻璃のような世界がそこに姿を現しているのに気がつくんだ。だから人間にとって死とは、この世が何であったかを知る最後の、最高の機会になるんだね。その意味でも、死は、人間にとって、やはり素晴らしい贈物であると思わなければならないんだよ。」 (辻邦生『樹の声 海の声 ) (朝日文庫)』朝日新聞社、一九八五年)

「‥‥あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄ててしまったほうがいいのです。そう思い覚ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい。」(辻邦生『西行花伝 (新潮文庫)』新潮社、一九九九年)

最初の例で、「人間はそのときになって初めて、自分中心の気持ちから解放されるんだよ。もう諦めて、自分に執着することをやめて、ただ黙ってこの世を見るんだ。」と語られるのは、「1 対象をあるがままの形で全体的に把握」、「3 人間の目的とは無関係な独立した存在として対象をとらえる」、「4 認知が自己没却的で無我の境地に立つことができる」などの至高体験の特徴に対応する。二番目の例で、正邪の判断を棄ててこの世を見ると言われるのは、「7 至高体験は能動的な認識ではなく、受動的である」という特徴に関係するとも言える。正邪の判断は能動的な認識活動につながっているからである。

さて、辻邦生の体験は、もうひとつ別の観点から見ておく必要がある。それは、彼がこの体験に至ったきっかけ、すなわち死への直面という観点である。死への直面が、至高体験や覚醒の契機となったという事例は他にもかなり多く集められている。いずれわれわれは、何が契機となって至高体験に至ったかという観点から事例を検討する機会があるだろう。その中で死への直面がきっかけとなった事例もいくつか取り上げる予定だが、その時、辻邦生の事例をもう一度思い起こすことになるだろう。

 【注】辻邦夫の体験については、私のサイト『臨死体験・気功・瞑想』の一読者が寄せてくれた情報によって知ることができた。この場を借りて感謝したい。

覚醒・至高体験をめぐって12:  (2)至高体験の特徴④

2010年07月28日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《辻邦生》

次に取り上げるのは、『安土往還記 (新潮文庫)』、『背教者ユリアヌス (中公文庫)』などの作品で知られる作家・辻邦生(つじくにお、一九二六~一九九九)の場合である。

辻は、旧制高校の頃、青年期特有のロマン的気分に惹かれ、詩人プラーテンの 「美しきもの見し人は/すでに死のとらわれ人」という詩に憧れ、自殺願望を抱いたことさえあったという。日常生活がひどく下賤なものに思え、昼夜ドストエフスキーやバルザックに読みふけっていた。平穏無事な家庭生活など文学には無縁だと思い、太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」を本気で信じて、デカダンスにあこがれていた。

『そんな現世否定的な考えが、決定的に変化して、なみの人間よりも、さらに激しい現世肯定派になったのは、さまざまな読書体験にもよるが、決定的なのは、やはり病気であやうく死にかけたためだった。

大学を卒業した年の春、突然高熱が出た。急性肝炎だった。もう駄目だというところまでいって、奇蹟的に熱が下がり、一ヵ月ほどして退院した。

その当時、東大前に住んでいたので、退院の日、病院から大学構内を歩いて家に帰った。その途中、ちょうど五月の晴れた日で、図書館前樟(くす)の大木の新緑がきらきら輝いていた。私は思わず息を呑んだ。これほど美しいもの を見たことがないと思った。それは、プラーテンの詩にあるような、死と一つになった陰気な美ではなく、逆に、生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美だった。

地上の生の素晴しさを、それまでまったく知らなかったわけではない。死に憧れた信州でも、朝日に染まるアルプスや、高原の風にそよぐ白樺や、霧のなかに聞えるカッコウの声など、好きでたまらないものがいくらでもあった。しかしそれは一瞬心のなかを過ぎてゆく映像で、次の瞬間にはもう不安や焦燥や不満が入れ替って心を満たしていた。いつも晴れやかというわけにはゆかなかった。

しかし死をくぐりぬけ、恢復の喜びを噛みしめていたその瞬間に見た樟の若葉は、そういったものとは違っていた。それは、この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景といったものに見えたのだった。 (中略)

ちょうど樟の新緑は、心のなかの太陽のように、その後、生命感の源泉となった。物悲しい雨の日も、暗澹としたパリの午後も、目をつぶると、太陽に輝くきらきらした新緑が見えた。その途端、この地上とは、惰性で無感動に生きている場ではない、という思いに貫かれた。死という暗い虚無のなかに、〈地上の生〉は、明るい舞台のように、ぽっかり浮んでいる。青空も、風も、花も、町も、人々も、ただ一回きりのものとして、死という虚無にとり囲まれている。この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で 生きなければもうそれは二度と味わうことができないのだ――私は痛切にそう思った。』(辻邦生『生きて愛するために (中公文庫)』中公文庫、)

こうして辻邦生は「地上に生きているということが、ただそのことだけで、ほかに較べもののないほど素晴しいことだ」と思うようになったのである。おそらく辻は、死を覚悟したぎりぎりのところから恢復したとき、目的―手段の連鎖の中で見る日常的なD認識のレベルとはまったく別の視点で見ていたのである。自然は、「生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美」であり、「この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景」として認識される。これは、マスローがB認識といった視点と同じであろう。

覚醒・至高体験をめぐって11:  (2)至高体験の特徴③

2010年07月27日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《林武》 

まずは、その強烈な表現と独自の造形理論で知られた画家・林武(はやしたけし、一八九六~一九七五)の体験である。彼は、一番大事な絵を捨てようと決心した、あるときの心境と体験を次のように語っている。(『美に生きる―私の体験的絵画論 (1965年) (講談社現代新書)』)

『僕は、絵の道具を一切合財、戸だなのなかにほうりこんでしまった。愛するものを養うために、あすから松沢村役場の書記かなんかにしてもらって働こう。僕はそう決心した。それは実になんともいいようのない愉快な気分であった。からだじゅうの緊張がゆるんで精神がすっとして、生まれてこのかた、あんなにすばらしい開放感を味わったことはいまだなかった。』

『それは一種の解脱というものであった。絵に対するあのすごい執着を、見事にふり落としたのだ。僕には、若さのもつ理想と野心があった。自負と妻に対する責任から、どうしても絵描きにならなければならなかった。だからほんとうに絵というものをめざして、どろんこになっていた。そのような執着から離れたのであった。』

『外界に不思議な変化が起こった。外界のすべてがひじょうに素直になったのである。そこに立つ木が、真の生きた木に見えてきたのである。ありのままの実在の木として見えてきた。』

『同時に、地上いっさいのものが、実在のすべてが、賛嘆と畏怖をともなって僕に語りかけた。きのうにかわるこの自然の姿──それは天国のような真の美しさとともに、不思議な悪魔のような生命力をみなぎらせて迫る。僕は思わず目を閉じた。それはあらそうことのできない自然の壮美であり、恐ろしさであった。

この至高体験をまず取り上げたのは、マスローのいうD認識からB認識への変化をみごとに描写しているからである。B認識において人や物は、「自己」との関係や「自己」の意図によって歪められず、「自己」自身の目的や利害から独立した、そのままの姿として見られる傾向がある。自然がそのまま、それ自体のために存在するように見られ、世界は、人間の目的のための手段の寄せ集めではなく、それぞれのあるがままで尊厳をもって実感される。 逆にD認識においては、世界の中の物や人は「用いられるべきもの」、「恐ろしいもの」、あるいは「自己」が世界の中で生きていくための手段の連鎖として見られる。

林武の事例において、木が「真の生きた木、ありのままの実在の木」として見えたとは、主体との関係や主体の意図によって歪曲されず、主体自身の目的や利害から独立した「それ自体の生命(目的性)において」見られたということであろう。そのとき「その情緒反応は、なにか偉大なものを眼前にするような驚異、畏敬、尊敬、謙虚、敬服などの趣きをもつ」のである。認識が、D認識(目的―手段の連鎖の中で見る日常的認識)からB認識(それ自体の尊厳性において見る)に激変したことの驚きを、画家は「きのうにかわるこの自然の姿──それは天国のような真の美しさとともに、不思議な悪魔のような生命力をみなぎらせて迫る」と表現している。
覚醒・至高体験事例集・林武の事例も参照のこと)