瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

大きなひとつの場の中に

2010年04月09日 | 瞑想日記
◆半月ほど更新しなかったが、この間に仕事の環境は大きく変った。高校教師としての仕事は定年退職したが、4月からは新しい高校で週三日という限定的な形で教壇に立つことになった。かなり自由な時間が増え、その時間を使ってやりたいことはいくつかあるのだが、まだ本格的な軌道には乗っていない。これからゆっくり態勢を整えていかなければならない。

◆これまで更新もせずほったらかしたままになっていたサイト『臨死体験・気功・瞑想』や『日本の気功家たち』や関連のブログも徐々に更新を再開しようと思っている。

いまやっているのは『臨死体験・気功・瞑想』のトップページで不定期に更新していた『心に響く言葉』(過去に掲載したものを集めたページ)を、更新が便利なようにブログ化している。→『精神世界・心に響く言葉』 これを機にトップページの言葉も頻繁に更新するようにしたい。

ブログ化のために読み返して思うのだが、過去に感銘を受けた言葉は、何度読んでも新たに影響を受けるなということ。何よりも自分自身のためにできるだけ毎日更新作業をしてこうした言葉に触れ続けることが大切だ。最近、他に強く引かれるテーマがあって精神世界関係の本を読まなくなっているが、だからこそサイトもブログも更新を続けていきたい。それは過去に読んだ本にもう一度目を通し、自分がその本から受けた影響を掘り起こすという作業でもある。

たとえがアーノルド・ミンデルの次の言葉。

「自分ひとりだけのプロセスなどはない。
私たちはみんな一緒に、ものすごく大き なひとつの場の中に生きていて、
その一部分を受け取っているだけなのだ。
だから、 私たちが感じるすべての感覚に感謝し、できるかぎり、
そのすべての感覚を活かさな ければならない。
こうなると、すべてのものが私であると同時に、
これが私だというものは何もない、といえる。」(『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』春秋社)

自分と、自分の周囲で起っているすべての出来事とは、ひとつの大きな場の中につながって、それらの出来事の一切が開花しようとするプロセスなのだ。開花するかどうかは、私たちがそれらをどう気づき、感謝し、活かすかにかかわっているのだろう。