源P参上!
さっき具志から帰ってきました。本来なら火曜は沖縄市で最後のレッスンがあって直帰なんですが、どうしても具志に行かない理由があったんです。
その理由というのが、今日が喜瀬コーチの最後のレッスンだったんです。なんだか喜瀬コーチって呼びづらいので、いつも呼んでるように一輝にしますね。
レッスン生の方の中にはまだ知らなかった人もいるかもしれませんが、大人の諸事情で告知が遅れてしまいました。一輝にも皆さんにも申し訳なく思ってます。すみません。
なので、今日はセンチに一輝との思い出を書きたいと思います。(BGMはサザンのYaYaがかかってるつもりで読んでいただくと幸いです)
一輝との出会いは彼が高校生の頃でした。実は彼はジュニアの頃レッスン生だったんです。だけどジュニアの頃は源Pのレッスンはバイトの都合(本人いわく)で1年余りで一回だけだったんじゃないですかね?ほとんど俺のこと避けている状態でした。源Pは彼らの年代と仲が良く成人式の2次会にも呼ばれる始末!カラオケ行って3万ほどおごってあげましたよ。(結構無理したんですよ!)後で思えばそのころから具志に縁があったのかもしれません。カラオケが小録の漫画倉庫のとこあったんですけど、帰りにそこから吉野家行こうって話になって一時間歩いて行ったのがそのころは影も形もない具志校の向かいにある吉野家。成人式を迎えたやつらと、そのころはまだ30代だった源Pとの10人くらいの変な組み合わせの集団でワイワイしながら歩きましたよ。その翌年、打ち初めに来た一輝になんだかインスピレーションを受けてミューに誘ったわけです。
今日だけは本音で話しますね。彼は苦労を惜しまないいいやつで、結構助けられました。どうしようもないとき以外は「はい」って二つ返事をするやつで、「どうしてもお願い」って頼んだことはありません。だから今回も違う目標ができてそれに進みたいって言われて、「もう考えは変わらないの?」って聞いたら「はい」って。だから「わかったって」それで源Pとの話は終わりでした。だって無理なこと以外断ったことなかったから。
彼との思い出はたくさんありますよ。神谷コーチがアメリカに留学に行った時、結構な量のレッスンを二人で守ってました。その頃一輝は車の免許も持ってなく、運転手はもっぱら源P。特に土曜日は朝から晩まで南部一周のレッスンの旅でした。その時いろんな話したな~。今考えたら源Pの一番弟子だったのかもしれません。
こんなこともありました。レッスンのレクチャーよくしたんですけど、その甲斐あって源Pのレッスン盗もうとして話し方までそっくりになったことあって側通るときに気持ち悪くなることもありました。レッスンのメニューもまねるもんだから、月曜にやった源Pのメニューをその次の自分のレッスンで使ったらしく、その次そのメニュー使ったら「源河コーチ喜瀬コーチのまねしてる」って言われたこともありました。俺がオリジナルなのにね。よく考えてみると最近は俺の真似しなくなってたな・・・。彼も自立してたんですね。
その他にも、喧嘩もしたし(一方的に源Pが怒ってたんですけど)酒も飲んだし、ビーチパーティーもしたし。一緒に徹夜で仕事もしたし。いろんな思い出がありますよ。今日も沖縄市から具志に向かう車の中でそれらを思い出してつい涙ぐんじゃって、やっぱりさびしいもんですね。明日一輝の送別会があるんですけど、どうしても俺と一輝はレッスンのつながり多かったからレッスンの最終日にありがとうって花束渡したかったんです。久々に泣いちゃいました。一輝はけろっとしたんですけどね。彼は彼なりにもう次の目標に向かってるんですね、きっと。そういえば彼が入ったころ親子と間違えられたこともあったっけ。だけど今日の気分は多分娘を嫁に出すときの親のような気分じゃないかな?淋しいけど彼の門出を祝ってあげたいと思います。それでいついか彼が「自分もここで働いていたんだよ」って子供に自慢できるようなミューにしていきたいな!今までの一輝の頑張りは後輩にも受け継がれています。まだまだ源Pもコートで現役で頑張りますよ!
一輝今までありがとうな!
がんばるんだよ!