ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

垂り緒

2017-11-29 04:18:29 | 短歌





月影の 垂り緒となりて わがもとに くればとりつつ のぼりてしがな





*「~てしがな(てしかな)」は、願望の終助詞「てしか」に、感動の終助詞「な」をつkたもので、「~したいものだなあ」と訳されます。こうやって実用例を出すと、応用がしやすいでしょう。動詞の連用形意をつけるだけで、おもしろく活用できます。

月影が、月から下がって来る糸になってわたしのもとにくれば、それを手にとってのぼりたいものだなあ。

まあこういうところですか。月を見て、それがあまりにきれいだから、行けるものなら行ってみたい。近寄れるものなら近寄ってみたい。だがそれはできなしない。そういう気持ちを詠んでみたものです。

実際、人間の男性は美しい女性をよく馬鹿にしますが、それは内心その美しさにたちうちできないものを感じているからだ。美しさというものは実に大きなエネルギーなのです。そこにあるだけで愛そのものの存在を表わしている。自らそれが光っているかのように打たれて、おいそれと近寄ってはいけない。

そんな自分のふがいなさが嫌で、男は女を馬鹿にしてしまうものなのだが。内心深いところでは、すぐそばにいって声をかけたいと思っている。美しい逢瀬を編みたいと考えている。だができない。月のように、すぐそばにあるかに見えて、あまりにそれは遠いのだ。

物理的距離ではない。心があまりに遠いのだ。心がはるかに遠い時、それはすぐそばにいても、万里離れたとつ国よりも遠いのです。だれも近寄ってはいけない。その心が何を思っているかはわからなくとも。その心がおもてに出てくる時の美しさには、永遠に馬鹿な男を阻んでしまう何かがあるのです。

月の光が、糸となって垂れてくることなどありはしない。それは糸のようにつかめるものではない。誰かの重く切ない心を清めてやろうとする深い愛なのだ。そんなものがつかめるわけがないのです。

愛ですべてを救おうとしていた。ただそれだけのために、あらゆる障害に耐えながら生きていた。あの人があれだけ美しかったのは、この世で受けた満身創痍の傷に耐えていたからだ。

そんなことがわかるようになって初めて、馬鹿な男は馬鹿を卒業することができるでしょう。






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