頭を下げて 負けを認める ことができ 弱さを知るが ほんとの強さ
*読んですぐわかるとおり、これは大火の作です。彼の個性はわれわれの中でも出色だ。現代語を駆使して言いたいことを小気味よく言ってくれる。誰にでも詠えそうで詠えない。極端なことでも何でも軽々と詠んでしまうが、一ミリもぶれないのが憎い。
こういう彼に魅了されている人は多いでしょう。柘榴が彼の顔の絵などを描いてくれましたが、本当にアンタレスはあんな顔をしてるんですよ。実に美しいが、きついんです。ド派手と言われるのは、本人は痛いようだが、事実、かなり派手です。まあ、歌を読めば納得するでしょう。いかにもああいうことを言いそうな顔だ。
このように、自分の顔というのは本来、まっすぐその人の性格を表わすものなのです。
それはそれとして、表題の歌にいきましょうか。
「頭」はもちろん「ず」と読みましょうね。こういう一文字の言葉というのは大事だ。抑えておきましょう。「器」と書いて「き」と読んだり、「籠」と書いて「こ」と読んだりする。こういうのはちゃんと知っておかねばなりませんよ。
瑠璃杯の器を荷にこめてせおひつつ月砂の丘をゆく夢を見し 夢詩香
この場合の「器」は「き」と読むのです。
頭を下げて、自分の負けを認めることができて、自分の弱さも知っている。それが本当の強さというものだ。
明快です。実にそのとおり。自分の弱さを知っている者は、自分の限界をわかっていますから、無理なところでごり押ししたりしない。本当の自分を使い、有効な勝負をすることができる。だが、負けを認めることすらできない人は、無理な勝負ばかりをして、負けるのが嫌なばかりに、馬鹿なことばかりをして、どんどん変なことになっていく。
負けるということは、実に大変なことですよ。人に馬鹿にされるのを耐えねばいけません。長い間辛抱していかねばならない。強い精神力が必要です。要するに負けを認めるのが嫌な人間というのは、そういう苦しさを味わうのが嫌なのです。そんなことに堪えられないほど弱いということなのだ。
負けたくない人の正体など、もうみんなにばれているのですがね、馬鹿はまだ勝ちにこだわる。勝てる勝負ばかりしていると、そのうちだれにも相手にされなくなるのだが。
北朝鮮の話など取り上げなくても、もう十分にわかっているでしょう。