せぬがよき とこしへの世を こしらへて 醜女ばかりの 常世となりぬ
*ああ、これはきついですね。大火の作です。文語調で詠もうと現代語で詠もうと、彼の作品は彼の作品だと、明らかにわかりますね。
なにもしないのがよいという、永遠の楽土をつくってみれば、美人は誰もいなくなって、醜女ばかりの天国になってしまいましたよ。
「常世(とこよ)」とは海のかなたにある不老不死の理想郷のことらしいが、ここでは極楽とほぼ同じ意味で使っています。
まあ解説せずともわかっているでしょうが、馬鹿な男が、きれいな女性と好きなだけセックスができる世の中を作ろうとして、自分の思い通りにならない美女はみんなつぶして、男にいいことをしてくれる美人ばかり残したら、なんとそんな美人の正体が見えるようになって、残った美人がみんなぶすだとわかったと。
「ブス」などという言葉は、わたしはあまり使いたくないのだが、大火は平気で使います。それはそれはパンチ力がある。だがこの歌は文語調なので「しこめばかりのとこよ」と品よく言っているのです。気分が口語調にいけば「ぶずばっかりの天国になる」なんて言ったことでしょう。どっちがいいでしょうね。
どちらにしろ、悲惨なことだ。
心の世界の真実から言えば、心の醜い美女など存在しないのです。勉強をし、愛を理解し、美しいことができるようになった美しい心の持ち主でなければ、美しくはなれないのです。
だがそんな女性だと、いやな男の思い通りにならないので、男は美人から顔を盗んで、まだものごとのわからない馬鹿な女性に美人の顔をかぶせ、男の思い通りにできる馬鹿な美人ばかりこしらえてきたのです。
それで、自分の思い通りに美女とセックスができる理想郷をつくろうとしたのだが。
全部をすっかり思い通りにした時に、自分の感覚が進歩して、偽物の美人の正体が見えるようになった。人から盗んだ顔ばかり生きてきた馬鹿女が、どんないやらしいものになっていたかが、わかるようになった。
もうそうなったら、とても偽物の美人を好きになることなどできなかったのです。
心根のきれいな本物の美人はことごとく殺してしまった後で、それに気づいてもつらいだけなのだが、気付いてしまったものはしかたない。
もう人間は、永遠に、麗しい女を失ってしまった。夢のような美女と、本当の恋をすることが、できなくなった。
女性はこれからも生まれてきてくれるし、それなりに美しいことをしてくれるだろうが、もうかつての女性とおなじではない。
これから、人間たちの恋がどういうものになっていくかはわからない。みんな努力していくでしょうが。
永遠の恋を月にかけながら、この世の恋を、新しく育てていくでしょうか。
まずは、やってみねばわかりません。