ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

親心

2017-04-18 04:47:13 | その他






いつまでも そうてはゆけぬ 親心     夢詩香







*「そうて」は「そふて」ではなく、「そひて」のウ音便なので、「そうて」です。間違いやすいので、覚えておきましょう。

よくありそうな語句だが、詠んでみました。探せば似たような句がありそうですね。俳句に難があるとすればこれです。たった17文字ですから、自分が詠んだ句と、似たような句がほかにもないとは言えない。時には、ものの見事に、他の人がほとんど同じ句を詠んでいたりするのです。


ひん抜いた大根で道ををしへられ    誹風柳多留


大根引大根で道を教へけり     一茶


「大根」は「だいこ」と読みます。こういうのを同巣吟(どうそうぎん)というそうです。誹風柳多留の句のほうが先なので、一茶が盗作したと考えられないわけではないが、同じ情景に出会って、同じような句を詠んでしまうのは、結構よくあることでしょう。

しかしまあ、ほかにも似たような句があるかもしれないなどと深く考えていると、俳句はできません。もしあったとしたら、それが見つかったときに、そちらに譲るとして、ここでは表題の句を持ち上げならが、語っていきます。

親は子供のために、できることは何でもしてやろうとするが、そういう親心も、いつまでも添うてやることはできない。子供がいつまでも親に甘えようとして、何もしないでいると、親の方があきれるか、添うてやるのが返って子の害となると思い、離れていくものだ。

子供も、いつまでも甘えていることはできないということです。

阿呆な人間というものは、親に甘えていると、親にしてもらっていることが、自分がしているものと錯覚することがある。それで何でもできると思い込んで、馬鹿なことをやることがある。それでつらいことになれば、親の陰に隠れて助けてもらえばいいなどと考えている。

よくこんな人はいますね。マザコンなどと言われる男が、よくこういうことをします。痛いことをすることが怖くてできない弱い男ほど、盲目的な母の愛情に甘えるものだ。そのくせ、女というものをことのほか馬鹿にしている。痛いことをしないと、相手にしてもらえないからです。

馬鹿はいつまでもこれです。痛いことをやっているようでも、ほんとはみな、親みたいな人にみんなやってもらっているのですよ。自分でやっていることなど、ほとんどない。できることがまだ小さいので、自分を大きな人間に見せるために、色んな馬鹿を利用している。そして全部盗んでいる。

だが、こんなことばかりしてきて、とうとう大変なことになったというのが、今の時代です。人間そのものが成長してしまい、自分の嘘が通用しない世界がやってきた。そうなると、何もできない自分が丸裸になる。誰もだませない。

そうなって初めて、親のことなどを思い出して、親に頼ろうとするが、親ももう、馬鹿があまりにひどいことをするので、嫌になっているのです。

親の愛にも限界があるのです。

子が、これは親にも耐えられないということをしたら、離れて行く。

そうなればもう、人間に頼るものは、自分しかありません。

こうなってしまったら、親が自分を捨てていくことを、なじってはいけませんよ。なぜならもう、あなたは自分の力で生きていけるからです。それができるのに、まだ親に甘えようとするから、親はあなたから離れて行く。子はいつまでも子供でいて、子供の特権を使用しようとすることをやめ、自分で決意して、大人の責任を背負い、自ら大人の世界に入っていかねばならない。

それができねば、人間として本当に幸せにはなれないのです。

いつまでも添うてはいけない。離れていくのがおまえのためなのだと、それが親心というものなのです。







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