石くれも 積みて山とも なりぬれば 人も鹿をも やしなふものを
*ツイッターでは短期間のうちに5000首以上の歌を詠みました。脳みそは一つですが、詠んだ霊魂はたくさんいます。ですからこれだけのことができたのです。
いかにわれわれでも、ひとりではここまでできません。
これはツイッターで、百合と名乗っている人の歌です。これより先に蘭という人が出ましたのでね、それに習うようにして、よく考えもせず百合にしたらしい。ですが本人の実像を、この百合というかわいらしい名前から想像してはいけませんよ。
全然違います。詳しくは言いませんが、百合だなどという名前が、痛く似合ってしまう天使は、かのじょだけです。
まあ、名前などは、テキトーに考えてしまう傾向のある人です。この人のお陰で、その後にツイッターに出てきた人が、みな右にならえでテキトーに名乗るようになってしまいました。
それはそれで面白いので、別にいいのですがね。困るのは、名乗った本人が自分の名前を忘れてしまっているらしいことです。最近は、歌を詠んでツイッターに入れようとして、はて、自分の名前は何だったかと、思い出せないらしい。わたしたちも忙しいですから、いろいろやってるうちに失念してしまう。そういう感じで、今のツイッターはちょっとややこしくなっているのですよ。
多くの詠み手が、百合と桐だけを使うようになってしまったのです。最近百合や桐ばかり出てくるのはそのせいです。
まあそれはそれとして、表題の歌にいきましょう。
石くれのようにつまらないものでも、山のように積んでいけば、草も生え木も生え、人も鹿をも養うようになるものを。
「ものを」は終助詞ですね。「~のになあ」という風に訳されます。思いに反する現実などを見て詠嘆する調子ですね。
つまりは、人は石くれなどつまらないものだと思って何もしないのです。自分にできる小さな努力でも積み重ねていけば、よいことになっていくのに、つまらないことなどしないほうがましだと思って何もしない。そんなひとがたくさんいるといって嘆いているのです。
小さな自分ができることを、真面目にやっていくだけで、人間はどんどんよいことになっていくのに、そんな努力を馬鹿にして、人から盗むなどの嫌なことをしていいことになろうとするから、人間は痛いことになってしまうのだ。
ずる賢い知恵など本当は何にもならない。本当の自分の力が必要になる時に、何もできはしないのです。
本当の自分にできることを、まじめに積んでいきましょう。たとえそれが道路掃除くらいのことでも。本当の自分にできることなら、絶対にそれはよいことになっていくのです。