土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

四天王寺、「聖徳太子絵伝」を拝見。

2017年11月03日 | 大阪の古寺巡り





(2017.10.30訪問)


ハルカス36階へお使いに行った帰り、谷町筋を歩いて四天王寺に向かっています。
今、四天王寺絵堂で杉本健吉さん渾身の「聖徳太子絵伝」の壁画が公開されているんです。この絵堂が明日まで特別開扉されている
というのでこの際是非という事で行ってみます。いつもは西門から入山しますが、今日は正式に南大門から入山する事にします。





            ▼このビルの36階へお使いに行った帰り谷町筋を歩いています。







            [ 四天王寺 ]
            ●山号 荒陵山(あらはかさん)
            ●寺号 四天王寺 (してんのうじ)
            ●宗派 和宗 (わしゅう) 総本山
            ●開創 推古天皇元年(593年)
            ●開山 聖徳太子
            ●本尊 救世観音菩薩坐像
            ▲拝観 境内自由 中心伽藍 300円 極楽浄土の庭 300円
            ▲大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号 TEL.06-6771-0066
            ▲JR環状線「天王寺駅」から北へ徒歩12 分
             地下鉄御堂筋線・谷町線「天王寺駅」から北へ徒歩12 分
             地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から南へ徒歩5 分
             近鉄南大阪線「阿部野橋駅」から北へ徒歩14 分





            ▼日本仏法最初四天王寺の石柱が南大門の前に建ってます。
             こちらからの参詣者は極々少なく、大半の方は西門から入山されます。
             本来は南大門がお寺の正門、今日は正攻法で四天王寺を訪ねたいと思います。







四天王寺縁起 (四天王寺HPから抄出)
四天王寺は、推古天皇元年(593年)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。「日本書紀」の伝えるところでは、
物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、もしこ
の戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために
建立されました。
伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形
式で、日本では最も古い建築様式の一つです





▼南大門。重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺。昭和六十年再建。
 初層と上層とのバランスがやや異質、勾欄卍崩しが妙に印象的な山門です。初層左右には何方も居られません。
 一戸口から見えるのが、中心伽藍の入り口中門です。







さて「四天王寺式伽藍配置」といわれる中央伽藍へ。

▼中門(仁王門)。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート。左右脇の間に阿吽金剛力士が控えています。
 屋根上の相輪は仁王門の相輪と違いますよ。







▼右脇の間、阿形金剛力士。像高5.3m。仏師は松久朋琳、宗琳親子の作。         













▼左脇の間、吽形金剛力士。像高5.3m。                        









仏師松久朋琳、宗琳さん親子は故人ですが作風は仁王の威厳が十二分に発揮され現代作家の面目躍如と云うほどの両像で、顔貌の睨
みは素晴らしい。





▼仁王門から見る五重塔。







            ▼五重塔(五重宝塔)。内部拝観が出来ます。
             塔高39.2m、相輪12.3m、鉄筋コンクリート、本瓦葺。
             昭和三十四年再建。



            再建後半世紀も経つと塔も貫禄が出てきますネ。

















            ▼相輪。







▼金堂。本尊救世観音菩薩坐像。重層、桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、昭和三十六年再建。







▼金堂正面戸口。







▼金堂と五重塔。







▼講堂。聖徳太子が法華経、勝鬘経を講讃したお堂と伝わるそうです。
 桁裄八間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、昭和三十六年再建。
 堂内は夏堂と冬堂に別れ、冬堂には十一面観音菩薩,夏堂には阿弥陀如来坐像が祀られています。







▼講堂冬堂の本尊十一面観音菩薩立像。







次は西門から再入山しましょう。

▼西門鳥居(重文)。普通の日で真っ昼間、やはり参拝者は少ないですネ。







▼西門鳥居の扁額。これがまた何が書いてあるのかサッパリ。







            ▼今日四天王寺を訪ねたのはこれを見に来たのです。
             鳥居の横に告知されている聖徳太子絵伝の特別公開ポスター。







▼極楽門。元々西の大門と呼ばれていたそうで、松下幸之助さんの寄贈だそうです。
 三間一戸、重層楼門、桁裄三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。







▼阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂正面。







▼南鐘堂。境内南端に建つ、中華レストラン風鐘楼。八角重層、本瓦葺。







▼亀の池。亀さんの姿見えず。売店のオバさんに聞くと、冬眠準備中らしいです。







▼六時礼讃堂(重文)。桁裄七間の大きなお堂で昼夜六回諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があり、薬師如来、四天王等をお祀
 りし四天王寺の中心道場。入母屋造、本瓦葺。元和九年(1623年)建立。







▼六時礼讃堂の正面。







▼六時礼讃堂扁額。







▼大黒堂。境内北端に建ってます。本尊は大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ三面大黒天です。







▼大黒天の大提灯。







境内東側の聖徳太子をお祀りする聖霊院へ行ってみましょう。

▼聖霊院正門の猫の門。出入りは出来ません。
 全く気付きませんでしたが、門の奥上欄に猫の彫り物があります。「猫の門」の猫は聖霊院にある経堂のお経がネズミにかじられ
 ないように見張り番をしていると云うお話が残っているようです。







▼聖霊院通用門。







▼太子殿。太子信仰の中心御堂、太子十六歳像・太子二歳像・四天王がが祀られています。







▼太子殿扁額。







▼太子奥殿。八角円堂ではありません。屋根は八角ですが、壁面は円になっています。今まで全く気付きませんでした。
 基壇内には永代奉安された太子観音像「六観音」が奉安されてるそうです。







今日の拝観目的がコレ!

▼絵堂の杉本健吉画伯により描かれた「聖徳太子御絵伝障壁画」の一部。
 聖徳太子の一生の事蹟が描かれた絵伝を礼拝の対象として安置する堂宇で、 絵伝は主として太子の奇跡的な伝説を中心に制作され
 たものです。見応えのある壁画で、壁面イッパイによくもまあこれだけ緻密に描けるもんだと、杉本健吉さんのまた違う面を見た
 ような気がします。







最後に本坊「極楽浄土の庭」へ行ってみましょう。

自然の湧き水を利用した二つの小川「水の河」と「火の河」および二つの池「瑠璃光の池」と「極楽の池」を配し白砂の廻遊路を
「白道」という広さ1万m²の池泉廻遊式庭園。

▼本坊玄関。







▼本坊方丈。「極楽浄土の庭」はこの堂宇の前庭になっています。







▼瑠璃光の池。







▼薬師の瀧。







▼極楽の池。







▼八角亭。ブルーの建物です。1903年大阪内国勧業博覧会パビリオンの遺構だそうで小さな建物です。







▼極楽の池。







▼廻遊路の石畳。







▼補陀落の庭。



まだまだ緑イッパイのお庭ですが、もうしばらくすると、樹々が染まり散策には絶好のお庭になるでしょう。お庭大好きの方にはこ
たえられない廻遊庭園だと思いますヨ。


日本仏法最初四天王寺の名に恥じない広大な境内は大大阪の中心に位置し、色んな面を見せてくれる変幻自在のお寺、数えきれない
堂塔伽藍の数々、四天王寺式伽藍配置という中央伽藍の偉容は聖徳太子の時代を彷彿とさせる感慨に浸れます。余りにも多い堂宇の
数に総てを廻るのは少々無理、中途半端な入堂になりましたが、次の機会を待つ事にしましょう。

これにて四天王寺 オ シ マ イ





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