土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東寺の今、講堂立体曼荼羅21体中半数の仏像は、江戸に出張中!!

2011年08月30日 | 京都の古寺巡り


(2011.08.27訪問)

二週続けて京都ですが、お天気記号の全部が今日の京都東寺上空に集まったよう
な相当にヒドイお天気でした。快晴のち晴のち薄曇りのち小雨のち晴のち真っ黒
曇りのち強風のち雨のち大雨のち雷のち晴、空は青空されど雨が降る何という天
気。ほぼ二時間くらいの気まぐれお天気です。これで雪でも降ったらどうしょう。

▼寺名石標。



[ 東寺 ] とうじ
●山号 八幡山(はちまんさん)
●寺号 東寺(とうじ) 公称 教王護国寺(きょうおうごこくじ) 
●宗派 東寺真言宗総本山
●宗祖 弘法大師空海
●創建 延暦15年(796年)
●開基 桓武天皇
●本尊 薬師如来坐像(重文)

東寺縁起
桓武天皇により平安京遷都後、京鎮護のための寺院として東寺と西寺が建立。そ
の後、嵯峨天皇から空海さんに東寺が下賜され、真言密教の根本道場として栄え、
順次寺景が整えられ日本最初の密教寺院として空海哲学を今に継承しています。
平成6年(1994年)「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。

▼南大門(重文)。
九条大路に面した堂々の貫禄。明治28年(1895年)三十三間堂の西門を移築したそ
うです。



▼境内。
とりあえず中心伽藍エリアへ行きましょう。



▼金堂(国宝)。
本尊 薬師三尊。 
中尊 薬師如来坐像(重文)、左脇侍 日光菩薩立像(重文)、右脇侍 月光菩薩立像(重文)。
東寺の本堂。延暦15年(796年)東寺創建時最初に建立されたお堂。
文明18年(1486年)焼失し、現存の建物は慶長8年(1603年)再建。入母屋造本瓦葺。



外観は二重に見えますが一重裳階。正面屋根の形状は非常に複雑な形ですが、様
式は和様と大仏様の併用らしいです。



▼金堂から見た南大門。



▼講堂(重文)。
空海さん渾身の密教立体曼荼羅、21体の仏が織りなす一大ページェント。
日本最古の密教彫像であり、21体の仏像のうち、五大如来(重文)、五大菩薩の中
尊像を除く残り15体は講堂創建時の像(国宝)。空海さん存命中には完成しなかっ
たと云いますが曼荼羅構成や内部荘厳は空海さんプロデュースと云われているそ
うです。



▼不動明王(国宝)。
数年前に描きました立体曼荼羅カテゴリーの明王グループの中尊、不動明王のお
顔ペン画です。



▼五重塔(国宝)。
高さ55m。過去4回焼失し現在の塔は5代目、江戸寛永21年(1644年)徳川家光の
寄進で再建。
初層内部は密教空間が再現され心柱を大日如来とみなし、その周りを金剛界四仏
像と八大菩薩像を安置しています。
以前初層特別開扉のとき拝観しましたが、江戸期の再建とはいえ、空海さん哲学
がこの狭い空間に凝縮されているようで、ドキドキ高揚感アリアリでした。



▼五重塔宝輪。



▼瓢箪池を囲む庭園。
中心伽藍の南側、瓢箪池を中心に広がっている庭園です。



▼わりと横着な亀。上るでなし、下りるでなし、後ろ足をピンと伸ばしてズーッ
とこの格好。



▼瓢箪池からの五重塔。



▼宝蔵。



▼食堂(じきどう)。



▼食堂本尊。
本尊 十一面観音立像。昭和8年(1933年)造像。木造彩色。仏師は明珍恒男さん。



▼大師堂北門。



▼大師堂(国宝)。
もともと空海さんの住房。今も毎朝6時、朝のお膳をお供えする生身供が行われ
ており、どなたでも参拝できるそうですヨ。
前堂、後堂、部分からなる複合仏堂。檜皮葺。
前堂本尊 弘法大師坐像(国宝)。 後堂本尊 不動明王坐像(国宝)。





▼大師堂鐘楼。



▼北大門。



▼蓮花門(国宝)。



お天気もひどかったのですが、いま講堂内部須弥壇には足場が組まれ拝観どころ
ではありません。約半数の仏像は東京国立博物館へ出張中です。皆さんご存知だ
ったのでしょうか? 拝観の皆さん不満も云わず黙々と拝観されていました。ボク
ですか? ムス!(下調べ大事ですね)。

聖徳太子の山城国拠点か、太秦広隆寺。

2011年08月22日 | 京都の古寺巡り


(2011.08.20訪問)

久々の京都は雨でした。一連の京都市評価下落の涙雨でしょうか。朝、大阪を出
るときから空は怪しかったのですが、広隆寺拝観を終え、サア次はというところ
で降り出しました。

[ 広隆寺 ] こうりゅうじ
●山号 蜂岡山(はちおかさん)
●寺号 広隆寺(こうりゅうじ) 
●宗派 真言宗
●開山 聖徳太子 
●開基 秦河勝
●創建 推古天皇11年(603年) 異説 推古天皇30年(622年)
●本尊 聖徳太子像

▼寺名石標。



広隆寺縁起
日本書紀に曰く、推古天皇11年(603年)聖徳太子が「私のところに尊い仏像があ
るが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるかと諸臣に問うたところ、秦河勝が、
この仏像を譲り受け、広隆寺の前身蜂岡寺を建立したという。この本尊が著名な
弥勒菩薩半跏思惟像であるといわれています。
蜂岡寺創建当初からこの地にあったかは不詳で、7世紀前半に今の京都市北区平
野神社付近に創建され、平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力だそう
です。

▼南大門。嵐電太秦広隆寺駅前三条通に面してこの門がどっしり構えています。



▼南大門阿形金剛力士。



▼南大門吽形金剛力士。



▼うずまさ聖徳皇太子殿の石標。



▼薬師堂。南大門を入ってすぐ左に建っています。



▼講堂(重文)。
京都最古の木造建造物。正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺き。平安時代永万元
年(1165年)再建。
本尊は阿弥陀三尊形式をとっていますが、脇侍は通常の観音、勢至菩薩ではなく、
珍しいトリオです。内柱が丹塗りであることから赤堂とも呼ばれているらしいで
すがボクの目には全く丹には見えませんでした。



▼講堂本尊 中尊阿弥陀如来坐像(国宝)。
像高261.5cm。承和年間(840年頃)の作。印相は上品中生の説法印。
二重ネットの外からの拝見なので相当須弥壇までの距離があるので、像高ほどの
大きさは感じません。漆箔は所々残り安定感抜群のお像です。光背は二重円光背、
後補だと思いますがよく輝いています。



▼左脇侍 地蔵菩薩坐像(重文)。



▼右脇侍 虚空蔵菩薩坐像(重文)。



▼井戸舎。手水舎ですが、導水は井戸からの汲み上げです。



▼太秦殿。
秦氏名残りの漢織女(あやはとりめ)、呉秦女(くれはとりめ)、太秦明神を祀ってい
ます。



▼上宮王院太子殿(本堂)。
入母屋造、檜皮葺き。享保15年(1730年)建立。
本尊 木造聖徳太子立像 像高148cm。元永3年(1120年)仏師頼範刻。



▼上宮王院太子殿扁額。
大悲救世と以和為貴の扁額が揮毫。





▼上宮王院太子殿須弥壇の荘厳。
奥のお厨子に本尊木造聖徳太子立像が祀られています。



▼鐘楼。



▼鐘楼基礎木の経時魅力。



▼新霊宝殿前の蓮池。



▼最後の力をふりしぼるかのように健気に咲く蓮花。
この蓮花を撮ってるときに降り出してくれたら、蓮の葉に水玉があれば……。
別にイイんです、花を撮りにお寺に来てませんから。



▼新霊宝殿に安置されている国宝第1号。弥勒菩薩半跏思惟像(通称宝冠弥勒)が
蜂岡寺当初の本尊といわれていますが、もう一体の弥勒菩薩半跏思惟像(通称泣
き弥勒)との本家争いも異説としてあるそうです。
数年前に描きました弥勒菩薩半跏思惟像(通称宝冠弥勒)のお顔ペン画です。



飛鳥時代の山城国と聖徳太子、聖徳太子と秦河勝との関係とは、若かりし日の聖
徳太子の好戦的な面が蘇我氏ではなく秦一族への接近があったのでは。蜂岡寺開
基秦河勝と秦一族とは、いったいどのような氏族だったのでしょう。応仁期に来
朝した秦一族、この山城の地を与えられて先進の大陸文化を我が国に伝え、この
太秦の地を産業と文化の中心として、平安遷都にはその一大勢力と経済力を駆使
し、理想の都造りに尽力したと史書は伝えますが、大きな勢力のわりには登場す
る秦氏の具体的な氏名の記述は数人のみといい、幻の氏族といえそうですね。

永平寺は日本曹洞第一道場。

2011年08月18日 | 福井の古寺巡り


(2011.08.13訪問)

「只管打坐」ただひたすらに座禅をしなさい。それが最高の修行であり、悟りへ
の道だ。曹洞宗祖道元さんが開いた永平寺を訪ねました。
お盆の一日、北陸の名刹はなんと人の多さか老若童男女だらけ。その中に混じっ
てボクたち二人の名刹巡りが始まりました。

▼永平寺全景図。



[ 永平寺 ] えいへいじ
●山号 吉祥山(きちじょうざん)
●寺号 永平寺(えいへいじ) 
●宗派 曹洞宗大本山
●開山 道元 
●開基 波多野義重
●創建 寛元二年(1244年)
●本尊 釈迦牟尼仏坐像

▼寺名石標。



永平寺縁起
嘉禄元年(1225年)二十四歳で入宋した道元さんは、天童山景徳寺如浄禅師から堂
奥の聴許を許され帰朝後、京深草に観音導利興聖宝林寺を開創。その後、北条家
臣波多野義重からその領地越前国志比庄の大佛寺を寄進され、寛元四年(1246年)
道元さん四十七歳の時、大佛寺を永平寺と改名、座禅修行道場として永平寺開山。

▼石碑。
山号寺号と共に日本曹洞第一道場と刻されています。



▼参道。
参道入口は参拝者でこの通り、相当な人出、参道手前は土産物お店、旅館ホテル、
駐車場と門前市をなす如く、大変な賑わいです。





▼通用門。
通常お寺拝観は、先ず山門を通り境内へとなりますが、このお寺は様子が違いま
す。この通用門がすべての人々の入山門です。



▼傘松閣画天井の大広間。
入るとスグ傘松閣総受処がありいよいよ入山です、二階に156畳敷きの画天井の
大広間があり、昭和の初めの画家144名による230枚の花鳥画が描かれています。
ここから伽藍巡りが始まります。



▼山門内。



▼山門左右の四天王。
正面左に多聞天と持国天。



正面右に増長天と広目天。



▼中雀門。
山門と仏殿との間にある門。



▼仏殿。永平寺の中心伽藍。



▼仏殿扁額。



▼仏殿須弥壇。
内陣は質素な荘厳、中央に祈祷の扁額が架かり、周辺欄間には透かし彫りの木彫
がはめられています。禅宗逸話だということです。



▼仏殿本尊、中尊釈迦牟尼仏坐像、脇侍に阿弥陀如来と弥勒如来の釈迦三尊形式。



▼仏殿。



▼法堂。
七堂伽藍の最奥最高所に建つ説法道場。



▼法堂須弥壇。
法堂本尊、聖観世音菩薩。須弥壇手前に阿吽の白獅子が控えています。



▼法堂からの眺め。手前の長い建物は回廊です。



▼承陽門。
奥に見える堂宇が承陽殿。道元さんの御廟。日本曹洞宗発祥の聖地です。



▼大庫院。
一般寺院の庫裡、厨房や客接待間、宿泊施設などがあるそうです。



▼大祠堂殿。
一般の人々の供養法要のお堂。



▼納経塔。
写経納めの報恩塔。



▼浴室。
三黙道場の一つ。一切の私語禁止。「あー気持ちよかった」等はもってのほか。



▼鐘楼。
昭和三十八年に改築、NHKのゆく年くる年の「除夜の鐘」のあの鐘楼です。



▼唐門。
参道正面に見える唐門(勅使門)。
細部には優れた彫刻があり、風格や気品は素晴らしいものといわれているそうで
すが、ボクたちは近づくことすら出来ません。永平寺貫首の普山式や皇室使者が
入山時に開かれます。



七堂伽藍はすべて回廊で結ばれ、伽藍の外に出ることなく、靴を脱いだり履いた
りすることなく、お堂巡りが出来るよう配慮されています。残念だったのは、総
ての伽藍をつなぐ回廊と各お堂からしか他の堂景を見る事が出来ません。要する
に地面に足を下ろすことが出来ず、周辺ウロウロ派にとっては、とっても不満が
残ります。
お寺はウロウロする処に非ず、写真を撮りまくる処に非ず、道元さんや信仰厚き
方々から怒られそうですが……。

御杖神社は むらまつり が聞こえてきそうな鎮守様。

2011年08月10日 | 奈良の古寺巡り


(2011.08.06訪問)

御杖神社は東禅寺からほんの少々、村道の脇に今はヒッソリと鎮座しています。

▼社標石。



[ 御杖神社 ] みつえじんじゃ
●社格 延喜式内小社 旧社格は郷社
●祭神 久那斗神(くなどのかみ)
   八街比古神(やちまたひこのかみ)
   八街比女神(やちまたひめのかみ)

御杖神社縁起
垂仁天皇の勅命で皇女倭姫が天照大神の御杖代となり、遷宮の地を求めて巡幸の
おり、この地に行宮を造り御休座になられた処と伝承され、残された玉杖をお祀
りしている処から社名と村名が付けられたと伝えています。
祭神久那斗神の久那斗とは杖という意味で、久那斗神は人生行路の安全と幸福を
もたらす神様だそうです。祭神三神のほか、須佐之男尊をはじめ十三神が合祀さ
れています。

▼境内口。



▼手水舎。



▼拝殿。
入母屋造りの重厚な拝殿で、屋根は銅葺き。



▼拝殿扁額。



▼拝殿から本殿を。



▼拝殿前両側の大杉はご神木「上津江杉(かみつえすぎ)」樹齢600年。



▼神社前を流れる小川。



拝殿の前に立つと何やら聞こえてきそうな気がします。

村の鎮守の神様の
 今日はめでたいおまつり日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓

夏祭りや秋祭りの日には村の子供たちの声でさぞや賑やかに、御杖神社はそんな
郷愁を誘う村の鎮守様でした。

御杖村東禅寺は雨の中。

2011年08月10日 | 奈良の古寺巡り


(2011.08.06訪問)

奈良県の東端、あと2キロくらい東に行くと三重県というところに御杖村は在り
ます。西名阪針ICから伊勢本街道(国道369号)宇陀から山越えで曽爾村を経て御
杖村に向かいました。この日はこの村の東禅寺、安能寺、全昌寺を訪ねるつもり
でしたが、行き着いたのは残念ながら東禅寺のみ。御杖村役場で所在を尋ねたの
ですが、「道は細いですよ、行き違いできませんよ」の一言で急遽東禅寺と御杖
神社のみに変更。帰途、針の観音寺と円成寺に立ち寄りました。
それにしても皆さん、御杖村にはガソリンスタンドが二軒しかありませんご注意
のほどを。

▼寺標。



[ 東禅寺 ] とうぜんじ
●山号 龍谷山(りゅうこくさん)
●寺号 東禅寺(とうぜんじ) 
●宗派 曹洞宗 
●開基 不明
●創建 不明
●本尊 釈迦牟尼仏

東禅寺縁起
創建年代や由緒縁起などは不明ですが、鎌倉期には真言宗のお寺で、村の檀那寺
としてこの地に在ったそうです。

▼山門。重層の立派な山門で、上層には外廊が巻いています。



▼手水舎。



▼木を刳りぬいた樋に生紫陽花の粋な演出。



▼本堂。
本堂正面に木組みがあり、何か法会の後のような感じなので入堂は遠慮しました。
昭和二十五年近隣の火事で本堂などが焼失したそうで、このお堂は再建堂です。



▼山門。



ちょうど東禅寺に着いたとたんに大雨、山門の下で雨宿りのはめになりました。
西空みればピーカンの青空、御杖村は道も複雑ですが、天気も気分も複雑な一日
の始まりでした。