土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大報恩寺、六観音像は必見です。

2018年05月29日 | 京都の古寺巡り





(2018.05.26訪問) 


大報恩寺、千本釈迦堂と云う方が有名かも。特にお亀桜という大枝垂れ桜で名を馳せているお寺ですネ。時期は済みましたが大枝垂
の今は青葉満載の大樹、本堂が隠れるほどの樹勢です。そうそう「お亀さん」のお話も。本堂建築棟梁のおかみさん「お亀さん」に
まつわる天晴伝説が今も語り継がれ、本堂にはその「お亀さん」のお面や人形が展示されています。
今日は究極のベッピン「お亀さん」に会いに大報恩寺にやって参りました。目的はもう一つあるんですヨ。





            ▼参道口に立つ寺号石柱。やはり大報恩寺よりも千本釈迦堂ですか。







            [ 大報恩寺 ]
            ●山号 瑞応山(ずいおうざん)
            ●寺号 大報恩寺 (だいほうおんじ)通称 千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
            ●開山 義空上人 (ぎくうしょうにん)
            ●創建 安貞元年 (1227年)
            ●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 TEL.075-461-5973
            ▲拝観料 一般500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00
            ▲JR京都駅市バス50系統、阪急京都線四条大宮駅から市バス51系統で上七軒下車徒歩約3分。





▼綺麗な参道です。参道口は五辻通りに面しています。







大報恩寺縁起
鎌倉時代、承久三年(1221年)義空上人が、この地に小堂を建て、釈迦如来像と十大弟子像を安置したことに始まり、倶舎、天台、
真宗三教の霊場となる。安貞元年 (1227年)、現在の本堂が建立。室町時代、応仁文明の乱 (1467~1477年) では西軍の中心地(西陣)
だったため焼失。ただ、本堂だけは奇跡的に焼失を免れました。





▼山門。簡素ですが五本線が施された格調の高さを感じる山門ですネ。切妻造、四脚門、本瓦葺。







▼参道は一直線に本堂を目指しています。







▼山門を潜るとすぐ左、北野経王堂。







              ▼北野経王堂の縁起。

      





            ▼山名氏清の碑。







▼さて本堂参道に戻りましょう。右の大きな樹は……、







▼これが「お亀桜」枝垂れの見本のような桜樹、樹齢60~70年とのこと。満開の頃は圧巻です。







▼本堂(国宝)。桁行五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、正面一間向拝付。安貞元年(1227年)建立。
 十年続いた応仁の乱で唯一残ったのがこの本堂です。
 正面五間はすべて蔀戸になっているため入堂は左側面から。
 






▼蔀戸が開けられた正面。







▼広々とした堂内、外陣から内陣の様子。







▼本堂須弥壇。中央方一間を鮮やかな仏画が残る四天柱で囲み内々陣とし、本尊釈迦如来像は秘仏のため奥のお厨子に。







            ▼本尊釈迦如来坐像(秘仏)。
             像高約90cm、木像、玉眼、仏師行快(快慶の弟子)、鎌倉時代。
             千本釈迦堂の名前の由来は、この釈迦像から名付けられたと云います。
             (写真はネットからもらってきました)







▼内陣四天柱と貫、梁に残る柱絵の鮮やかなこと。







            ▼応仁の乱の生々しい痕跡が残る柱。







▼本堂左脇の間にお亀さんワンサカ集合。







▼こんな方や、







▼こんな方が。







▼本堂から境内の左方を見ると……、







▼いてはりました、お亀さん。







▼なんとふくよかな、これこそジャパニーズベッピン。







▼おかめ塚の由来。







▼本堂裏に千体地蔵塔が天を目指して。







▼鎮守の稲荷社も鎮座。







▼霊宝館。過去二度ほどこのお寺を訪ねているのですが、霊宝館に入るのは今回初めて、ブラボーな仏像が迫ってきますヨ。







▼感動の六観音立像 (重文)。仏師肥後別当定慶、貞応3年(1224年)
 右端如意輪観音坐像を除いて各立像は、ほぼ像高175cmくらいの等身像。一部ガラス越しに拝見することになりますが、相
 当真近で見ることが出来ますので細かい彫技がよく判ります。凄い技の仏師がいたものです。
 他に十大弟子立像10躯も必見。







            ▼一番右の如意輪観音坐像。







▼ご朱印です。枝垂れ桜が地面まで枝垂れてます。







お亀さんの顔がまだ瞼の奥にチラチラしますが、今日の感動NO1は六観音に会えたことです。ザッと800年前の造像仏、大仏師運慶
さんの流れをくむ仏師定慶さん、プロ中のプロの弟子筋もやはりプロ中のプロでした。久々にプロの凄技を見た大報恩寺訪問でした。
大報恩寺 オ シ マ イ





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安岡寺、噂の千手観音には会えませんでした。

2018年05月25日 | 大阪の古寺巡り





(2018.05.20訪問) 


神峯山寺から府道6号をそのまま南下、約10分ほどで目指す安岡寺に到着。より高槻の街中寺の印象。お寺の駐車場が境内西端の西
山門の下にあるので、ココが正門かと思ったのですが、どうも様子が違ったので受付のオネーサンに聞くと、この下が正門ですと本
堂前の石段を教えてくれた。改めて入山し直したのは云うまでもありません。            





            ▼まさにお寺の正門、寺号石柱が表参道の入山口。







            [ 安岡寺 ]
            ●山号 南山 (なんざん)
            ●院号 般若院 (はんにゃいん)
            ●寺号 安岡寺 (あんこうじ)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●創建 伝 宝亀6年 (775年)
            ●開基 伝 開成皇子 (かいせいおうじ)
            ●本尊 如意輪観世音菩薩 (にょいりんかんのん)
            ▲拝観料 境内自由 朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲大阪府高槻市浦堂本町41-1 TEL.072-687-0727 
            ▲JR「高槻駅」北口から市営バス「上の口」行き「浦堂」下車、徒歩約15分





▼参道スグに立派な石柱が建ち,奥に山門が見えます。クルマは駐車場に止めましょう。







安岡寺縁起
安岡寺は第50代桓武天皇の兄、開成皇子によって宝亀6年(775年)に創建されたと伝えられ、開成皇子が自ら一刀三礼の観音像を刻ん
で本尊とし安置したと伝わる。戦国期高山右近の兵火で荒廃、寛文年間(1661~1673年)に復興、4塔頭をもつ大寺院となり大いに栄
えた。その後明治の廃仏毀釈により現在の規模になった。





▼総門。単層、三間一戸、切妻造、本瓦葺。両脇に金剛力士を安置。見るからに山門と云う感じ、奥に石段参道が見えるのもい
 かにも山寺の感じ。しかしこのお寺決して山寺ではないんです。







▼阿形仁王さん。         













▼吽形仁王さん。         







      





            ▼両仁王さんの裙にはハッキリと唐草模様が残ってます。
             造立時はさぞ華やかな彩色だったんでしょうネ。







▼目の前の石段、精神衛生上よくないです。







▼先が見えてます、一安心。







▼ご住職と遭遇。
 ボク「ご住職、写真一枚下さい」ご住職「カメラ腐っても知りませんヨ」ボク「完全ガードしてます」ご住職「ニコリ」で一件落着。







▼石段左脇に竹林が続きます。







▼やっと境内に到着。







▼手水舎。







▼鐘楼。







▼青梅観音堂。







▼青梅観音堂本尊千手観音菩薩坐像(重文)。像高1.4m、木像一木造、平安中期の作。 (写真はネットから)
 これが噂の観音さん、残念ながら会うことは出来ませんでした。







▼叶観音堂(旧阿弥陀堂)。







▼内陣須弥壇に本尊聖観音像が祀られています。







            ▼叶観音堂本尊聖観音立像。
             独特の光背を背負い、左手に蓮の蕾を持ち、右手は垂下、ポツチャリのお顔は
             やや大きめではあるがプロポーションはスラリとした美丈夫。仏師や制作年代は不詳。







▼こんな可愛いお地蔵さんが境内の片隅に。







▼本堂です。本尊如意輪観音菩薩(秘仏)







▼本堂内陣。







            ▼お前立ち如意輪観音菩薩がお厨子前に祀られています。綺麗な新しいお像のようです。







▼本堂横の大護摩壇つきの広場。奥に不動明王石像が見えます。







            ▼二童子を従えた弘紹不動明王石像。
             弘紹の名は衆上に広く功徳を紹めされるところにより名付けたという。
             毎年二月一日節分会大護摩供の本尊。







▼ご朱印です。







安岡寺は高槻観音と地元で親しまれているそうで、近年重文指定された千手観音が居られるお寺です。目指す千手観音は観音堂で拝
観出来ると聞いたので寄ってみたのですが、お堂の内部を拝見することは出来ませんでした。坐像の観音像としては大振な半丈六の
大像らしく、是非一度は拝見してみたいものです。今日は大大阪高槻の町にも歴史由緒のあるお寺が存在するのを再認識した一日。
改めて再訪を誓って安岡寺を辞しました。
安岡寺 オ シ マ イ





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神峯山寺、ここ高槻にも役行者の名が残っています。

2018年05月23日 | 大阪の古寺巡り





(2018.05.20訪問) 


存在不確かな役行者、本名役小角の名は山岳寺院の縁起や奈良仏教初期の頃、頻繁にその名を現す謎の人ですが、ココ高槻の山中に
もその朧げな存在が確認されます。修験の開祖、神出鬼没の呪術者として、この地に毘沙門天を祀り、100年後の開成皇子の開基を
待って修験霊場としての神峯山寺が誕生した。
そんな経緯の山岳寺院神峯山寺、1300年の時の流れは、修験霊場をどのように変遷させ、役行者の残した確かな名残を感ずることが
出来るのか、と、マァそんな思いで神峯山寺を訪ねることにしました。





▼この葉隠れに仁王門が姿を現しました。







[ 神峯山寺 ]
●山号 根本山 (こんぽんざん)
●院号 寳塔院 (ほうとういん)
●寺号 神峯山寺 (かぶさんじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開創 伝 天武元年 (683年)
●開山 伝 役行者 (えんのぎょうじゃ)
●創建 宝亀年間 (770年)
●開基 開成皇子 (かいせいおうじ)
●本尊 毘沙門天 (びしゃもんてん)
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲http://kabusan.or.jp/
▲大阪府高槻市原3301-1 TEL.072-688-0788 
▲JR「⾼槻駅」阪急「⾼槻市駅」からタクシー利⽤ 所要時間約20 分
 高槻市街より府道6号線を亀岡方面へ「原立石」のバス停を過ぎ約350m直進し、「神峯山寺」の案内標識を右折





▼仁王門。三間一戸、入母屋造、桟瓦葺。
 門手前左右に、阿吽の狛獅子が睨みを効かせてます。言わば狛獅子と仁王のダブルガード、これは心強い。







神峯山寺縁起 (神峯山寺HPから抄出)
神峯山寺は天台宗寺院として千年以上の歴史を持つ古刹ですが、伽藍やお堂は天台宗が伝わる以前から存在していたのです。大和の
国葛城山中で修行をしていた役小角は、北方のおぼろげに見える稜線付近から一点の光を見つけ、その地に向かいます。そして辿り
着いた九頭龍滝で、水神金比羅童子に出会ったのでした。その金比羅童子は役小角に対し、この地に伽藍を建立するよう告げました。
その際に使った霊木から、童子は四体の毘沙門天像を刻んだとされています。そして、それらのうち一体は神峯山寺に留まり、第二
は北東に位置する京都・鞍馬山へ、第三は南方に位置する奈良・信貴山へ、第四は神峯山の北峯へと飛び去ったと伝えられているので
す。四つの毘沙門天の軌跡を辿れば、この伝説の興味深い点が現れてきます。





▼仁王門戸口から見る参道は真っすぐです。







▼阿形仁王。一人ぼっちの怒りか、真っ赤になってます。        













▼吽形さんお留守表示。







▼お浄水。全身清めたい所ですが、手と顔だけにしときました。







▼早速新しいお堂に着きます。化城院、護摩堂です。平成25年(2013年)復興落慶。







▼重鎮が揮毫された化城院扁額です。







▼本尊不動明王坐像。







▼本堂まで続く一直線の参道、白壁がなかなかのもんです。







▼ここでもお浄水でもう一度清めましょう。







▼この石段を上ると本堂です。







▼判りにくい写真ですが本堂(毘沙門堂)です。桁行5間、梁間5間、入母屋造、1間向拝付、銅板葺。明和二年(1765年)消失、
 安永六年(1777年)再建。







▼毘沙門天王と書かれた扁額。







▼正面の折り戸は開けられていますが……、







▼入堂不可。内外陣の仕切りは格子戸が嵌り内陣の様子はこれが限度。







            ▼三本尊のうち兜跋毘沙門天像 (写真は神峯山寺HPから借用)
             この本尊のみ11月秋の大祭で秘仏開帳されるそうです。
             それにしても精悍ないいお顔ですネ。







▼釈迦堂。本堂庭の右に新しいお堂です。     













▼石段下に開山堂の石柱が。







▼左右も石積みされた自然石の石段、早速上りましょう。







▼開山堂。開祖役行者をお祀りしてます。方三間、宝形造、桟瓦葺の質素な小堂です。







▼役行者の神号、神変大菩薩の号が書かれている扁額。







▼開山堂屋根の宝珠。







▼一瞬ギョギョ、開山堂横の軒下に捨てられていた鰐口打ちの五色綱。そう云えば開山堂正面の五色綱は新調されてました。
 しかしこんな所に普通捨てますか。







            ▼宝篋印塔。







            ▼十三重石塔。
             奈良朝最後の天皇、光仁天皇は息開成皇子に神峯山寺再興を命じ中興。
             天皇勅願所として後世に残したと伝えます。
             この十三重石塔は光仁天皇の分骨供養塔として造立されたと伝わるそうです。







▼五地蔵。







▼観音堂。本堂後ろの石段上に建っています。方三間、入母屋造、桟瓦葺。             













▼境内西の高台に建つ鐘楼。                                  













▼本坊への参道。







▼本坊山門。







▼ご朱印です。







毘沙門天、四天王のお一人多聞天の別名を名のる戦闘神、勝利の神を本尊に戴く神峯山寺には、本邦初の三毘沙門天が祀られている
そうなんですが、いずれも秘仏のため拝観出来ません。三毘沙門天中、兜跋毘沙門天像のみ、年一回11月秋の大祭で秘仏開帳するそ
うです。戦勝祈願の方、その時を逃さず是非どうぞ。
そうそう、役行者の名残り、開山堂の神変大菩薩の扁額にその名を留めているのみでした。
神峯山寺 オ シ マ イ





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七宝瀧寺、役行者や空海さんの修行跡を行く。

2018年05月18日 | 大阪の古寺巡り





(2018.05.12訪問) 


半世紀以上前、確か小学校6年生の夏休み、林間学習の一貫で犬鳴山へキャンプ学習に行ったおぼろ記憶があります。キャンプ行っ
たと云うだけで内容は全く覚えてはいませんが、僅かに思い出すのは犬鳴山の忠犬のお話にクラスみんなが感激したことくらいでし
ょうか。今いる河内長野金剛寺から泉佐野の犬鳴山七宝瀧寺まで40キロ弱、山岳ドライブと云っても1時間もかからないでしょう。
小学校6年生の思いでを確認がてら、大和路号は金剛寺から犬鳴山七宝瀧寺に向います。





▼表情豊かな瀧が迎えてくれます。







[ 七宝瀧寺 ]
●山号 犬鳴山 (いぬなきさん)
●寺号 七宝瀧寺 (しっぽうりゅうじ)
●宗派 真言宗犬鳴派 (しんごんしゅういぬなきは)
●開山 役行者(えんのぎょうじゃ)
●開創 斉明天皇七年(661年)
●本尊 倶利伽羅大龍不動明王
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲時間 7:00~17:00
▲http://www.inunakisan.jp/
▲大阪府泉佐野市大木8 072-459-7101
▲JR阪和線「日根野駅」から南海バスに乗り換え「鳴山」下車 徒歩20分
 泉佐野粉河線の南海バス犬鳴山終点の手前100m、一の庄橋を渡り、犬鳴林道を1km半にて本堂上の広場に至る。
 広場には50台駐車可。





▼観音堂。弘法大師自作の十一面観世音菩薩像が祀られているそうですが、お厨子の中でしょうか拝観は出来ません。
 本来ココが七宝瀧寺の拝観スタート地点ではありません。クルマでこの下の駐車場まで来たために、前半の面白コースは完全に抜
 け落ちです。あしからず!







七宝瀧寺縁起(七宝瀧寺HPから抄出)
犬鳴山は、斎明天王の7年(西暦661年)、修験道の開祖である役小角が28歳の時に開基されました。大和の大峰山より6年早く開
山されたので、元山上と呼ばれます。役行者の開山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられています。また葛城
峯中の奥の院とも呼ばれ、葛城二十八宿修験根本道場でもあります。役行者は当山で、国家案穏、五穀豊穣、緒人快楽の密法を修せ
られた。





▼本堂への参道鳥居。







▼燃える光背、迫力満点の難切り不動明王。     













▼少し行くと護摩壇のある広場に到着。







▼手前に鐘楼があり……、







▼奥に南無大聖身代わり不動明王が、







▼睨みを効かせています。右手に持つ宝剣には同じく龍が巻き付き睨みを効かせています。







▼お大師さんもお立ちです。







▼信者奉納の水子地蔵ちゃんが酷いことになってます。







▼それを見てボケ除けお不動さんの怒り、宝剣にも火が点いてます。







▼鎮守堂。







▼本堂舞台。本堂全景は地形の制約上撮れません。

 





▼折しも堂内では読経が始まりました。







▼行者瀧を目指してこんな山道を行きます。







▼犬鳴川に沿った山道を行くと赤いお堂が見えてきました。







▼終点の清瀧堂に着きます。瀧見のお堂です。







▼扁額と云えるかどうか。







▼外も内も真っ赤に荘厳、堂内にはお不動さんが中尊で、左には役行者が祀られています。







▼犬鳴川の岩盤を流れ落ちる行者の瀧。
 禊や瀧行がおこなわれる神瀧、かつては役行者や空海さんもこの瀧で修行されたと伝わります。 



















▼「気をつけてお帰り」役行者の声が聞こえたような……。







▼ご朱印です。







不動明王や役行者が主役の山岳仏教、葛城山中犬鳴山は修験の根本道場です。犬鳴川渓谷に沿った道には不動明王を始めとす役行者
等石仏の数々がこれでもかと祀られ、自然景観に溶け込んでいます。古代から続く山岳修行の厳しさはボクには到底想いが及びませ
んが、今でも白装束に身を包んだ修行者の皆さんが物事成就の願望実現のために瀧行に励んでいると聞きます。信ずればこその修行
なんですネ。問題は半世紀前の記憶はついに蘇ることはありませんでした。
犬鳴山七宝瀧寺 オ シ マ イ





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天野山金剛寺、蘇った金堂と見事な本尊大日如来そして眷属。

2018年05月15日 | 大阪の古寺巡り





(2018.05.12訪問) 


大阪河内の名刹天野山金剛寺が平成21年から今年まで約10年かけて金堂を中心に、多宝塔、鐘楼など大規模な修復、解体修理工事が
行われ、今年3月27日落慶法要が営まれました。2カ月遅れで金剛寺を訪ねました。このお寺、特に南北朝の混乱期に観心寺とともに
主役を張った名刹です。8年前に一度訪ねてるんですがサテサテどんなカタチで蘇ったのかワクワクです。





            ▼楼門前に建つ石標。







            [ 金剛寺 ]
            ●山号 天野山 (あまのさん)
            ●寺号 金剛寺 (こんごうじ) 通称は天野山金剛寺
            ●宗派 真言宗御室派 (しんごんしゅうおむろは)
            ●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
            ●開山 行基(ぎょうき)
            ●開創 天平年間(729~749年)
            ●本尊 大日如来坐像
            ▲拝観料 200円 朱印300円
            ▲http://amanosan-kongoji.jp
            ▲大阪府河内長野市天野996 0721-52-2046
            ▲南海電鉄高野線または近鉄長野線「河内長野駅」下車 南海バス「河内長野駅前」
             光明池駅前行、槇尾中学校前行、サイクルスポーツセンター行のいずれかに乗車「天野山」下車。





▼楼門(重文)。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に二天像が安置されています。







金剛寺縁起(金剛寺HPから抄出)
奈良時代天平年間、聖武天皇勅命により行基が開山といわれています。平安時代に弘法大師が修行した聖地といわれ、平安後期に高
野山より真如親王筆の弘法大師像を拝受、御影堂を建立し、弘法大師御影供の法要を始め、金堂、多宝塔、楼門、食堂など伽藍を再
興。当時は女人禁制のお寺が多かったが、女性が弘法大師にお参りができたことから女人高野と呼ばれるようになりました。南北朝
時代、金剛寺は南朝方の拠点となり、正平9年(1354年)からの6年間にわたり、南朝の後村上天皇が、子院の摩尼院と食堂を行宮とし
ていました。その間、北朝の光厳、光明、崇光上皇が、子院観蔵院に幽閉。南北朝が終わると、寺領特産の「天野酒」が、寺の経済
を潤し、子院が90以上を数え、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け、幕末まで307石の寺領を所有。 そのため金剛寺には、国宝4件、
重要文化財37件をはじめ、数多くの歴史的建造物が伝えられています。特に金堂、多宝塔、御影堂、鐘楼、食堂、楼門などの重要文
化財のほか、五仏堂、薬師堂、開山堂などの大阪府指定文化財で構成されています。これらの建物は、慶長11年(1606年)に豊臣秀頼、
元禄13年(1700年)には徳川綱吉により修理が行われています。その後300年間大規模な修理は行われませんでした。そして300年の
時を経て、平成21年(2009年)から建物の解体修理が行われ平成30年に完了、3月27日落慶大法要が挙行されました。





▼楼門扁額。







            楼門初層左右の二天像。通常は金剛力士が安置されていますが、例外も多少あり、ココでは……、

            ▼右に増長天立像。阿形を表しています。







            ▼左に持国天立像。吽形を表しています。







▼楼門を潜り正面に見える境内景観。







▼簡素な手水舎。







▼食堂(重文)。桁裄3間、梁間6間、入母屋造、本瓦葺、唐破風付き向拝風の屋根が付けられています。政庁の格付けのための造作で
 しょう。建物前に「南朝六年間の常御殿」の石柱が建ってます。天野御殿と呼ばれ、南朝後村上天皇が政庁として使用。







▼鐘楼(重文)。重量感と美を兼ね備えている立派な鐘楼です。この鐘楼も平成大修復修理で屋根修復、再塗装されました。







今日の拝観目的は新装金堂の拝観です。3月27日落慶大法要が挙行されました。

▼見事に蘇った見違える金堂(重文)。桁裄7間、梁間7間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。治承二年(1178年)建立。







▼向拝正面の柱と貫の彩色。







▼向拝垂木の手挟みの意匠。これでもかの色使いと各部意匠の凝り具合徹底してますネ。繧繝彩色が綺麗でしたヨ。







▼堂内外陣の様子。内陣との仕切りは格子を全面巡らしています。

 





▼堂内内陣。ものの見事な三尊を拝することが出来ます。
 須弥壇上に本尊大日如来坐像、右脇持不動明王坐像、左脇侍降三世明王坐像が祀られています。

                 

 中央本尊大日如来坐像(国宝)、像高313.5cm、木造、平安時代。
 右脇持不動明王坐像(国宝)、像高207.5cm、木造、仏師快慶の高弟行快(ぎょうかい)作、天福2年(1234年)。
 左脇持降三世明王坐像(国宝)、像高220.9cm、木造、鎌倉時代。





▼本尊大日如来坐像。







▼金堂。







こんな感じでした2010年9月に訪ねた時の平成大修理時の金堂の様子。













▼白壁塀を巡らせた境内の一部。







▼多宝塔(重文)。本尊大日如来。檜皮葺の屋根の反りが美しい塔です。この塔も平成大修理で蘇りました。創建は平安時代。













▼上層の組み物のリズム感。







            ▼多宝塔の相輪です。







▼多宝塔。







▼経蔵。







▼五佛堂。平成大修理中の仮本堂。方3間、宝形造、檜皮葺、一間向拝付。創建は平安時代、慶長11年(1606年)再建。







▼五佛堂内陣。五佛堂の名の通り五智如来が本尊です。







            ▼五佛堂中尊大日如来坐像。







▼薬師堂。方3間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼宝蔵。







▼御影堂(重文)。本尊弘法大師木像を安置。







▼護摩堂。方3間、宝形造、本瓦葺。







▼法具蔵。







▼開山堂。阿観上人のお墓と伝えられているお堂。方1間、宝形造、杮葺。全面格子で囲み、中は三重石塔2基。







▼求聞持堂。方3間、入母屋造、桟瓦葺。少しばかり離れた高台に建てられた虚空蔵求聞持法を修する行堂。







▼シャガの花。お寺によく咲いている花ですネ、なぜシャガと云う名なのか、始めはシャカと云う名だったが、おシャカさんに余り
 に失礼なのでシャガにしたのです。ウソです。







▼光厳天皇分骨所。光厳天皇陵は京常照皇寺の山国陵、ココは分骨陵として、境内の高所にある宮内庁管理のエリア。







それでは本坊庭園と北朝三上皇の御座所へ伺いましょう。

▼天野川沿いの参道。白壁の続く石畳の道、川のせせらぎを聞きながら歩く、いいもんですヨ。







▼本坊の山門が見えます。







▼本坊大玄関。ココからは入れません、右側の建物が入口になってます。







▼庭園。草行山水自然形庭園と云うらしいです。今の時期杉苔を始め緑がことのほかきれいです
 室町期に創成、桃山期に手直し、江戸寛政期に改園改装されたと伝わるそうです。 

























▼庭園の片隅に持仏堂。







            ▼持仏堂本尊不動明王立像。







▼庭園南端の奥殿。南北朝期に幽閉された北朝三上皇の御座所となった建物。







▼三上皇の御座所。優雅な幽閉と云う感じ、どんな制約された生活を三上皇は送ったんでしょうネ。 













▼ご朱印です。







やんごとなきお方の生活を思いつつ、天野山金剛寺 オ シ マ イ 。

外見上、再塗装するだけでも印象は当然のことながらガラリと変わるもんです。経年古色を見慣れている眼には、ケバイと云う印象
も一方ではありますが、どんなお寺も創建時にはこのような色鮮やかな姿を世の衆生に見せていたハズ。繁栄と衰亡を繰り返しなが
ら寺景観も落ち着いた色に変貌して行くのでしょう。100年200年後の変わりようを見てみたいものです。

大和路号はもう少し南に向けて走ります。クルマ登山をするために……。





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