土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大念仏寺、「万部おねり」は無形民族文化財なんです。

2019年03月25日 | 大阪の古寺巡り





(2019.03.23訪問)


大阪市平野区として大阪市の一角を占めている町中に今日訪ねた大念仏寺はあります。このお寺、境内は結構広く新旧織りまぜた大
小の堂宇がこれでもかと軒を並べています。比叡山の良忍さんが念仏勧進の根本道場とし開基したと伝えており、日本の念仏門最初
の宗派として信仰を集めて今があるそうです。宗派を問わず広く門戸を開けているのが、人気のお寺の由縁でしょうか。





            ▼参道口に建つ寺号石標。







            [ 大念仏寺 ]
            ●山号 大源山 (だいげんざん) 
            ●院号 護念院 (ごねんいん)
            ●寺号 大念仏寺(だいねんぶつじ)
            ●宗派 融通念仏宗 (ゆうずうねんぶつしゅう) 総本山
            ●開創 大治2年 (1127年)
            ●開基 良忍上人 (りょうにんしょうにん)
            ●本尊 十一尊天得如来(絵像)
            ▲大阪市平野区平野上町1-7-26 TEL. 06-6791-0026
            ▲拝観時間 9:30~16:30
            ▲拝観料 無料
            ▲JR大和路線「平野駅」より南へ徒歩5分、または大阪メトロ谷町線 「平野駅」①②出口より北へ徒歩8分
             国道25号線平野警察署西交差点より国道479号線へライフ前交差点から駐車場へ
             阪神高速松原線(大阪市内から)駒川出口(奈良から)平野出口





▼参道と山門。桁行3.6m、梁行2.7m、両脇に2.1mづつの壁落ち屋根が付く山門です。江戸初期建造。







大念仏寺縁起 (大念仏寺HPから抄出)
1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根
本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と
いわれる。その後火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い現在に至る。融通念佛宗の総本山。





▼山門扁額は霊元天皇皇女法鏡寺宮徳厳尼の親筆。群青に金の鮮やかな墨跡、とても女性の筆とは思えない豪快な筆跡です。







▼手水舎。







▼本堂です。桁裄約50m、梁間約40m、総欅造、銅板葺、入母屋造、本瓦葺、3間向拝付、昭和13年(1938年)再建。







▼本堂正面。寺院象徴の五色幕がよく目立ちます。







▼本堂外縁の吹き通し。前面扉は総て開けられています。







▼本堂内陣。







▼白壁宝形造りの経蔵。







            ▼経蔵にはこんな方が。教典を持って何やら説法をしているところかな。







▼地蔵堂。楽山上人の融通念仏5万人勧進達成記念の地蔵菩薩が安置されています。
 弘化元年(1844年)創建。方1間、宝形造、桟瓦葺。







▼円通殿 (観音堂) 。本尊として伝教大師作と伝えられる聖観音立像を祀り、左右には大通上人が募った日月祠堂位牌を安置。







▼円通殿本尊聖観音菩薩立像。なぜか上半身のみ金箔が剥げ落ちています。     







            ▼この像が伝教大師作と伝わるそうです。







▼鐘楼。







▼豪華な獅子の木鼻が四方柱に付けられ、相当睨みが効いているようです。







▼楽邦殿。胎内仏や水子地蔵をお祀りする御堂です。







▼楽邦殿扁額。







▼楽邦殿内陣。主尊を中央に諸菩薩が左右に祀られています。







▼双肩法衣で結跏趺坐する主尊はおシャカさんかな。







▼霊明殿山門。







▼霊明殿。鳥羽上皇を奉安する権現造りの社殿。江戸時代建造。







▼龍王殿。八大龍王が祀られています。







▼瑞祥閣。百畳敷きの大書院で諸事受付もここで。







▼白雲閣。多目的の会館。







▼宗務所。







▼宝物館。いかにも宝物館と云う感じの宝物館、正面扉は施錠ガッチリ。







            ▼宝物館前の聖観音立像。「宝物館への入場は諦めてネ」と云わんばかりの冷たきお顔。







▼境内唯一の花色。







▼ご朱印です。






このお寺は毎年5月にある「万部おねり」と云う行事で有名ですが、とても行事中は参拝出来ません。人で溢れ返っているんです。
万部おねりとは阿弥陀経を一万部読み上げ、極楽浄土をこの世に現出し二十五菩薩の練り供養が繰り広げられる大阪市指定無形民族
文化財に指定されている大念仏寺最大の仏教行事なんです。
(おねりとは橋渡りのことで、本堂の周りの橋を渡って本堂へ入り、ご本尊に一礼して通り抜ける行事のことです)


▼万部おねりの一部。(写真は大念仏寺HPからお借りしました)




大念仏寺これにてオシマイ


新善光寺、こちらもキャッチは「牛に引かれて新善光寺詣り」

2019年03月19日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.03.16訪問)


今日も大和路号は名神高速を走っております。途中栗東インターで下り久々の東海道を一路東へ向かっています。栄えある国道一号
線ですが、近ごろの街中一号は不法駐車やトロトロ走りに走りにくいったらありゃしないんです。それはともかく、今日訪ねるのは、
あの長野善光寺の「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ滋賀の「新善光寺参り」なんです。新善光寺は栗東市で約800年の法灯を守っ
ているお寺で、本尊はあの長野善光寺さんと同じ「一光三尊善光寺如来」なんです。勿論拝顔は不可能、七年に一度しか開扉されま
せん。
牛さんに期待しましょう。さてさてどんな牛さんが待ってくれているのやら……。





            ▼山門脇に建つ寺号石標。 







            [ 新善光寺 ]
            ●山号 九品山 (くぼんざん) 
            ●寺号 新善光寺(しんぜんこうじ)
            ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
            ●開創 慶長5年 (1253年)
            ●開基 高野宗定 (たかのむねさだ)
            ●本尊 一光三尊善光寺如来 (阿弥陀三尊像)秘仏(七年に一度ご開帳)
            ▲滋賀県栗東市林256 TEL. 077-552-0075
            ▲拝観時間 8:00~16:00
            ▲http://www.mediawars.ne.jp/~zenkouji/index.html
            ▲JR琵琶湖線「草津駅」下車 バス水口方面行き「高野」下車、徒歩5分
             名神高速道「栗東IC」から約10分





▼豪快な山門。チョット上層のガラスが気になりますが。
 桁行3間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺、八脚楼門、明治35年(1902年)建立。上層部に釈迦仏と十六羅漢像安置。






新善光寺縁起 (新善光寺HPから抄出)
創建は鎌倉時代、小松左衛門慰尉宗定(高野宗定)が平家の御霊を慰める為、信州善光寺へ48度参詣を繰り返したところ、宗定の霊夢
に善光寺如来の化身が現れ、「近江の霊地に私の分身を祀れば住民を守ることが出来るだろう。」と告げた。慶長5年(1253年)宗定
は御告げに従いこの地に御堂を建立し善光寺如来像を安置したのが始まりとされます。




▼山門から見る境内。







▼今日の龍は水を吐きません。







▼待ってくれていたのはこんな牛さん。新善光寺もメインキャラクターはモチロン牛さんです。     







▼オーよう来たな!







            ▼両親(ふたおや)供養観音さんが境内睥睨中。







▼遠慮がちな石標が本堂前に。







▼本堂。正面写真は撮り忘れのオソマツ。でした。







▼本堂前面は格子戸と格子窓。







▼本堂扁額は「新」がありません。







▼内陣の扁額。こちらは山号が書かれています。







▼外陣からの内陣の様子。







▼これも内陣の扁額。こちらは寺号が書かれています。







▼瓔珞で荘厳された内陣、奥に立派なお厨子が見えますネ、残念ながら仏像の姿はありません。







            ▼仏殿再建の記念碑。本堂のことかと思われます。







▼念仏塚とか経塚など石碑や塚が結構多い境内です。







▼比較的新しい千体観音堂。







▼堂内両脇に千体の黄金観音さんがお立ちです。













▼こんな優しいお顔の観音さんがズラリ。







▼山門上層のガラスを気にしつつ新善光寺オイトマです。







▼ご朱印です。






立派な山門に圧倒されましたが、境内には本堂と観音堂、開山堂のみの小さなお寺です。本堂には外陣まで入堂可能ですが、内陣に
は入れず、須弥壇奥には豪華な荘厳の立派なお厨子が見えますが、本尊は勿論、お前立ち像も見ることは出来ませんでした。
相当物足りない新善光寺これにてオシマイ


津観音寺、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」はこのお寺が唱い始め。

2019年03月14日 | 三重の古寺巡り





(2019.03.09訪問)


専修寺から南へスグ、日本三観音の一つ津観音寺を訪ねます。日本三観音の一つと云われるだけに、門前から参道まで色々な出店と
参拝者でイッパイ、大変賑やかなお寺です。ご近所さんが二、三人連れで三々五々境内を散歩なんて方も見受けられ、かなり親しま
れているお寺みたい。境内は決して広くはないですが観音さんのご利益は抜群なんでしょうネ。




▼仁王門。寛永6年(1629年)創建。 







[ 津観音寺 ]
●山号 恵日山 (えにちざん) 
●寺号 恵日山津観音寺(つかんのんじ)通称津観音
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開創 和銅2年 (709年)
●本尊 聖観音菩薩 (せいかんのん)
▲三重県津市大門32-19 TEL 059-225-4013
▲拝観 境内自由
▲http://www.tsukannon.com/
▲紀勢本線「津駅」東口から「三重会館方面行」の三重交通バス約7分「京口立町」「三重会館前」から徒歩5分





▼金剛力士阿形像。







津観音縁起 (津観音HPから抄出)
恵日山観音寺は「津観音」の名称で日本三観音の一つに数えられる真言宗の古刹です。室町時代の永享2年(1430年)将軍足利義教が
勅命で三重塔、恵音院を建立。延徳2年(1490年)天台真盛宗の開祖真盛上人が山内観音堂で説法され天台真盛宗を広めました。本坊
である大宝院は後花園帝以来、歴代天皇の綸旨を賜る別格寺院です。桃山、江戸時代には豊臣家や徳川家から寺領を賜り、藩主藤堂
家からは祈願寺として特別な庇護を受けました。昭和20年の戦火で多数の寺宝や41棟の大伽藍を一夜にして全焼。幸い難を免れた
寺宝約600点を収蔵庫に保管し津観音資料館で年4回程度公開をしています。





▼金剛力士吽形像。







▼活況の参道。







▼鐘楼堂。 昭和59年(1984年)再建。







▼参拝者を優しく見守ってくれているようです。







▼参道左に護摩堂。桁行3間、梁間3間、寄棟造、本瓦葺、平成6年(1994年)再建。







▼護摩堂扁額。







▼内陣須弥壇にはお大師さんがお坐りです。







▼頭脳明晰が衣を着ているような。







            ▼境内は小さいけれど堂々勇姿の五重塔。平成13年(2001年)再建。







            ▼五重塔相輪です。







▼観音堂。観音寺の本堂。桁行5間、梁間5間、寄棟造、本瓦葺、1間向拝付。昭和43年(1968年)再建。













▼観音堂前面。外陣と内陣は格子で仕切られています。







▼須弥壇中央にお厨子には本尊聖観音菩薩が、お厨子前にはお前立ち像がお立ちです。







            ▼お前立ちの観音菩薩立像。







            ▼一光三尊の阿弥陀仏、証拠の弥陀と呼ばれているそうです。



            (この写真はネットからもらってきました)





▼右脇壇の阿弥陀如来坐像。







            ▼手印が定印ではない阿弥陀さん、珍しくはないですか。







▼左脇壇はお厨子のみ。







▼天井には笛や琵琶を持った天女が舞っています。













▼ご朱印です。






お寺は大小ではなく、どれだけ民衆の心を掴むかが問われると云いますが、訪ねてみてそれが実感出来る観音寺でした。
全国的にその名が知れ渡り、多くの参拝者が訪れ「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と唄われたのはこのお寺の功績
だと聞きました。
伊勢のお寺シリーズこれにてオシマイ

本山専修寺、親鸞思想は伊勢でも健在。

2019年03月12日 | 三重の古寺巡り





(2019.03.09訪問)


大和路号は名神草津から新名神に入り、亀山JCTから東名阪道を経由して伊勢街道を走っています。津市内は全く初めて、今日訪ねる
お寺は津の名刹、高田山専修寺と日本三観音の一つと云われている津観音寺。久々の絶好天に大和路号はご機嫌よろしく約130キロの
道のりを例によりチンタラ走行かわりなく走行中。





▼山門(重文)。専修寺の総門。5間3戸重層12脚楼門、桁裄5間、梁間2間、高さ15.5m、入母屋造、本瓦葺。
 元禄6年(1693年)建築にとりかかり宝永元年(1704年)建立。上層階には釈迦三尊像を安置。

 





[ 専修寺 ]
●山号 高田山(たかださん)
●寺号 専修寺(せんじゅじ)
●宗派 浄土真宗高田派 (じょうどしんしゅうたかだは)
●開創 寛正6年 (1465年)
●開基 真慧上人 (しんねしょうにん)
●本尊 一光三尊の阿弥陀仏、証拠の弥陀 (あみだにょらい)
▲三重県津市一身田町2819 TEL 059-232-4171
▲拝観 境内自由 
▲JR紀勢本線「一身田駅」から徒歩5分
 近鉄名古屋線「高田本山」駅から徒歩20分
 伊勢自動車道津ICから約15分
 伊勢自動車道芸濃ICから約15分





▼山号が書かれた扁額。







専修寺縁起 (専修寺HPから抄出)
親鸞聖人は、関東各地を教化中に栃木県真岡市高田の地に一宇を建立、専修念仏の根本道場とせられました。本尊には長野の善光寺
からお迎えした一光三尊仏を安置し、門弟リーダーの真仏上人が管理。ここを中心とした教団は、関東各地の門徒の中で最も有力な
教団となり、京都へ帰られた聖人からは、しばしば自筆の手紙や自分で書き写された書物などが送られてきました。その後、高田教
団は次第に発展し、専修寺は「本寺」と呼ばれて全国に崇敬を集めるようになりました。それを一段と飛躍させたのが第十世真慧上
人で、東海、北陸方面に教化を弘めると共に、朝廷の尊崇を得て、専修寺は皇室の御祈願所ともなりました。一身田の専修寺はその
真慧上人が伊勢国内の中心寺院として建てられたのでしたが、関東の本寺が兵火によって炎上したりしたため、歴代上人がこちらに
居住されるようになって、ここが本山として定着しました。





▼山門中央の1間柱間からの境内、向こうに見えるのは御影堂。







▼手水舎。







▼地中から這い上がる龍の水口。







▼山門潜ってスグ右に茶所。







▼鐘楼。これ以上の頑丈さはないほど頑丈な鐘楼です。4隅の柱はその間に八角形の柱が2本ずつ入れられている。奈良東大寺の大
 鐘楼に似ているような。桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺、正徳3年 (1713年) 建立。







▼御影堂(国宝)。宗祖親鸞聖人木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇にお祀りしています。
 桁裄9間、梁間9間、単層入母屋造、本瓦葺、向拝三間付、外縁は間吹通し。







▼御影堂の前面は障子戸。







▼御影堂内部は外陣、中陣、内陣と明快な区切りです。







▼中陣から内陣の様子。          













▼内陣欄間の扁額は親鸞さんの大師号。







▼須弥壇最奥に宗祖親鸞さんをお祀りしています。 













▼御影堂を斜めから撮ってみました。







▼この通り広い境内です。







▼御影堂ともう一つの大堂如来堂を繋ぐ通天橋。







▼如来堂(国宝)。証拠の如来と呼ばれる阿弥陀如来立像が本尊。教義上この堂が専修寺の本堂です。
 桁裄7間、梁間7間、単層入母屋造、本瓦葺、向拝三間付、一重裳階付。
 寺院建造物は難しいもんで、この建物はどう見ても単層に見えませんよネ。しかし単層なんです。  







 





▼如来堂内陣の様子。







▼最奥須弥壇上に黄金のお厨子が置かれています。







            ▼本尊阿弥陀如来立像。







▼欄間彫刻の豪華絢爛さに圧倒されます。







▼天井下の華麗な色彩。いずれも近年の金箔や彩色と思われますがここまでやるとはスゴイの一言。







▼欄間彫刻。







▼如来堂を斜めから撮ってみました。







▼如来堂の左に建つ大師堂。方3間宝形造、桟瓦葺。







▼大師堂内部は見事にシンプル。







            ▼本尊は聖徳太子幼年像。







▼進納所、大玄関(重文)。院號、法名を頂く場所。高田本山へ参詣される方々が御懇志を納めるところです。







▼御対面所。5室3列の座敷からなる建物。大正初年まで法主が座を設けて門信徒に対面していた。







▼食堂。







▼太鼓門。境内東側の門、内部に大きな太鼓が吊り下げられている門で、一身田町の人々に時を告げています。













▼唐門。如来堂正面にある総欅造の四脚門、切妻造、檜皮葺。唐破風の装飾で空間を埋め尽くした豪華な門。







▼ご朱印です。



豪華な唐門から専修寺オイトマ

浄土真宗の並々ならぬ実力を伊勢でも見せつけられた思いです。このお寺の主要伽藍の御影堂と如来堂は、平成29年(2017年)三重
県初の国宝建造物の指定を受け、その他11件の重要文化財の指定を受ける浄土真宗の本山なんです。真宗のいいところは宗派関係な
く伽藍拝観でそこダメ、ここダメの制約が比較的少なく、心置きなくどうぞの精神が嬉しいところです。少々残念だったのは、名庭
雲幽園と安楽庵が団体優先で予約制とのことで見れなかったこと。この庭園は一生見れないと云うことか。

次は専修寺から伊勢街道を南下、観音さんで著名なお寺を訪ねます。


渡岸寺観音堂、秀逸無比の十一面さんにやっと逢えた。

2019年03月07日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.03.02訪問)


いつ逢いに行こうか、がやっと実現。全国に七躰現存する国宝十一面観音菩薩像のボクがお会いする最後のお一人が渡岸寺観音堂の
十一面さんなんです。奈良の室生寺、法華寺、聖林寺、京都の大御堂観音寺と六波羅蜜寺、そして大阪の道明寺の十一面さんが有名
なんですが、とりわけここ渡岸寺観音堂の十一面さんは日本の仏像彫刻史上最高傑作と常々評価されていることは皆さんもご存知の
とおり。写真でしか見たことがない秀逸の国宝に今から逢いに行くんです。





            ▼参道口に建つ堂々の石柱。刻された文字も貫禄と品が感じられます。







            [ 渡岸寺観音堂 ]
            ●寺号 渡岸寺観音堂(どうがんじかんのんどう)
            ●宗派 浄土真宗真宗大谷派
            ●開創 伝天平8年 (736年)
            ●勅願 伝聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝僧泰澄 (たいちょう)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像 (あみだにょらい)
            ▲拝観 9:00~16:00
            ▲拝観料 500円 (仏像拝観)
            ▲滋賀県長浜市高月町渡岸寺50 TEL 0749-85-2632
            ▲問い合わせ 渡岸寺観音堂国宝維持保存協賛会 0749-85-2632 
            ▲JR北陸本線「高月駅」徒歩10分
             北陸自動車道木之本ICまたは小谷城スマートICから10分





▼仁王門。桁裄3間1戸、梁間2間、入母屋造、本瓦葺。両脇に阿吽の仁王像が安置されています。
 門を通して前方に見えるのは本堂。







渡岸寺観音堂縁起 (渡岸寺観音堂冊子から抄出)
聖武天皇の天平8年当時都に疫病が流行、天皇は除災の祈祷を僧泰澄に勅し、泰澄は勅を奉じ祈願をこめて十一面観世音を刻み、一宇
を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしその憂いを絶ったと寺伝は伝えます。以来霊験あらたかな観音像として敬仰せられ、桓
武天皇の延暦二十年には比叡山の僧最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立、多くの仏像を安置し繁栄の美を極めました。その後、戦国時
代の兵火戦火のためお寺は廃滅、この兵乱で観音像を敬仰する住職を始め地元住民たちは猛火を冒して観音像を搬出、お祀りする堂
なく、やむなく土中に埋蔵して難を免れたといわれています。





▼参道一直線、本堂が近づいてきます。     







 





目指す十一面さんは本堂には居られません。渡り廊下で繋がった観音堂(慈雲閣)でお待ちです。我が国仏像彫刻史上最高傑作は中央
台座にお立ちです。ガラスや囲いなど無粋な遮るものはありません、そして周囲を巡ることが出来るので後ろ姿もバッチリ、最高の
仏を最高の環境で拝観出来る、中々ありませんヨ。これで写真OKなら云うことなしですがそうはいきません。



























像高194cm、檜材一木造、彫眼 平安初期の造像。こういう素晴らしい仏像に限って仏師が不詳なんですよネ。惜しいよネ。

(十一面さんの写真は渡岸寺観音堂カタログから複写)





▼ご朱印です。




理屈なしです。素晴らしいの一言です。今夜は気分よく眠れます。