土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

苅萱堂、哀話と謎が残ってるお堂です。

2018年09月27日 | 和歌山の古寺巡り





(2018.09.23訪問)


かむろ大師から西へ少々、苅萱堂というお堂があります。それなりのお歳の方ならその昔、石童丸物語という哀しい哀しい母子のお
話を聞かされたことがあると思います。そのお話の中心がこの苅萱堂。高野山の麓、学文路にはこういった色々の哀話が結構語り継
がれているようです。これから訪ねるそのお堂は哀しいお話の外にもう一つ、ホンマかいなと思う謎に包まれたあるものが伝わって
いるんです。早速、そのホンマかいなを確かめに苅萱堂へ。




▼苅萱堂。     







[ 苅萱堂 ]
●山号 如意珠山 (にょいしゅざん)
●院号 能満院 (のうまんいん)
●寺号 仁徳寺 (にんとくじ) 通称苅萱堂 (かるかやどう)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●本尊 苅萱道心 (かるかやどうしん)
●開創 不詳
▲拝観 9:00~17:00 朱印300円(西光寺)
▲和歌山県橋本市学文路542 Tel.0736-32-2274(西光寺)
▲南海高野線「学文路駅」から徒歩15分
 京奈和自動車道「橋本IC」からR24号経由約15分





▼苅萱堂扁額。







苅萱堂縁起 (苅萱堂内掲示から)
学文路苅萱堂は、正式には如意珠山能満院仁徳寺と呼ばれる真言宗の寺院である。江戸時代に入って学文路を登山口とする不動坂が
高野参詣の表参道となったことで、石童丸物語や謡曲「苅萱」説教節「かるかや」などで知られる千里御前ゆかりの地として、苅萱
堂は女人禁制の高野山へ参拝が許されなかった女性を対象とした唱導の場として賑わったという。現在は隣の西光寺が管理している。





            ▼出ました人魚のお堂。苅萱堂というよりは人魚のお堂と云う方が有名らしい。







▼お堂前面です。左のガラス障子を開けてもらい入堂です。







▼右上の額見て下さい、あれが堂内にいるんですって、本当に人魚でしょうか?                           

 





▼堂内外陣と内陣。内陣は奥に須弥壇が設えられ……、







▼中央に苅萱道心、左に石童丸、右に千里の前が祀られています。







石童丸物語主役の三人。
▼中央の石童丸父、苅萱道心 (かるかやどうしん)。







▼左の石童丸 (いしどうまる)。







▼右の石童丸母、千里の前 (ちさとのまえ)。







            ▼苅萱堂右奥に千里の前の墓標宝篋印塔。色とりどりの花が山のように供えられています。







▼境内の人魚姫、人魚のミイラはこんなに可愛くはないか。







▼ではでは懸案の人魚に会いましょう。







▼この黒塗りの厨子に、かの人魚のミイラが収められています。







▼ジャジャーン出ました人魚のミイラ!
 今から千年ほど前、近江の蒲生川で捕獲されたと伝わり、なぜ近江の捕獲物が学文路の地に来たのか疑問だらけですが、このお堂
 に伝わる多くの秘宝の中では、最も謎に包まれたものだそうです。









 印象は一言で書けませんが、確かに生身の干涸びたミイラで上半身は人間、顔の造作も揃い、手の指などかわいいもんで、乳首まで
 ちゃんと付いてます。下半身は魚のようで腹ひれ尾びれもあり、体長60cmぐらい、脚がないことを除いては全部揃っているようです。
 目の前で見たんですが、作為痕を見つけることは出来ませんでした。
 しかしよくよく考えると、かなり気持ち悪い印象しか残りません。

 ★どこぞの研究機関で謎解きしましょうヨ。今までしないということは、バレたら困るなにかがあるのかナ。





            ▼一応お隣西光寺も紹介します。







▼西光寺本堂。真言宗のお寺です。







▼内陣です。







▼須弥壇に祀られる五尊です。







            ▼本尊阿弥陀如来立像。







            ▼穏やかなお地蔵さんに一礼! 
             気持ち悪い人魚が夢に出ませんようにお願いして、人魚のお寺お暇です。







▼ご朱印です。






昔々蒲生川で遊んでいたころの人魚姫の面影を、今の姿からはとても想像することは出来ませんが、空想ロマンととらえて、も一度あの
ミイラを思い出すと……、ヤッパリ気持ち悪い!

かむろ大師、「学文路」に有る真言宗のお寺です。

2018年09月25日 | 和歌山の古寺巡り





(2018.09.23訪問)


南海電車高野線に「学文路駅」と云う名の駅があります。学文路地区にあるのでその名が付けられています。今週も難問です「学文
路」なんと読むでしょうか? 全国には難解な読みの地名が沢山ありますが、ここもその一つ、「かむろ」と読みます。かむろ大師
は、その「学文路」にあるお大師さんを本尊とするお寺で、本堂一つのごく小さなお寺ですが、 ここがまた抜群の景観を誇っていま
す。遠く葛城山系を望み、眼下には紀の川が滔々と流れ、晴れた日の夕景は「和歌山県朝日夕陽百選」に選ばれています。きょうは
そんな見晴らしのかむろ大師を訪ねました。





▼かむろ大師は紀の川を見下ろす高台にあります。     







[ かむろ大師 ]
●寺号 かむろ大師 (かむろだいし)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●本尊 弘法大師 (こうぼうだいし)
●開山 尊海上人 (そんかいしょうにん)
●開創 明治43年 (1910年)
▲拝観 AM8:00~PM5:00 朱印300円
▲和歌山県橋本市学文路938-1 Tel.0736-34-2680
▲南海高野線「学文路駅」から徒歩15分
 京奈和自動車道「橋本IC」から車で約15分





▼今盛りとコスモスがユラユラと。







かむろ大師縁起 (かむろ大師パンフから抄出)
当寺は明治43年3月、開祖尊海上人の発願により開創されました。かむろ大師発祥の地は旧高野街道に面し、その昔弘法大師がお通
りになり高野山と各地を往復、その途中、大師が腰を掛けて休憩したと云う「腰掛け石」が旧本堂門前の物狂い地蔵尊の前に在り、
大師とご縁浅からぬ場所柄であります。寺名の「かむろ大師」は地名の学文路(かむろ)と弘法大師の大師をとって学文路のお大師さま
と親しみを込めて呼ばれたのが由来とされています。





▼駐車場からいきなり参道、大きな燈籠がお出迎えです。







▼70~80段の石段、苦もなく上りきると……、







▼本堂です。

      





▼堂々の向拝があるのでこちら正面と思うでしょうけど……、







▼実は側面なんです。左面……、







▼こちらが正面、二重垂木と太めの2本角柱が重厚さを盛り上げているようです。







▼高野山大僧正の揮毫扁額。







▼お大師さんの姿はありませんが、その人気は窺えます。







▼内陣の荘厳。本尊のお大師さんはお厨子の中、秘仏ですから。







▼屋根の二重垂木は直線ではなくやや丸みを付けた角材、柱間の二重桁には宝相華の蟇股など手がこんでます。







▼本堂。







            ▼開山尊海上人碑。







▼十三仏と真言。







            ▼お大師さん祈念の姿。







▼彫像と云えどもイイお顔ですネ。







       ▼こちら修行大師。お大師さんの足元向こうには、







▼紀の川が静かに流れています。







▼健気な1輪に「可愛いね !」と。さて次のお寺へ向いましょうか。







▼ご朱印です。






本堂一つの小さなお寺にも、秋は確実にやって来ています。揺れるコスモスに秋を感じながら、見晴るかす景観に感動、お寺巡りも
時にはこれもありかな、と思いつつ次に訪ねるお寺は少々ハードなものを見ることが出来るお寺、ここからは近いので訪ねてみまし
ょう。

高山寺、京の高山寺じゃないですよ、紀州田辺の高山寺です。

2018年09月21日 | 和歌山の古寺巡り





(2018.09.15訪問)


救馬溪観音から帰途の道すがら田辺大師高山寺に向かいます。京の栂尾山高山寺と同名の古刹がこの紀州路に大伽藍を構えて古来
からの法灯を守っているのです。救馬溪観音から県道を走ること7~8キロ、一部田辺市中心街を走るので少々時間がかかるものの
みてる間に到着です。実は始めから大失敗、アプローチで山門の前を通りながら気づかず駐車場に直行、そしていきなり目の前に
不動堂ですわ。




            ▼境内ガイドマップ。     






            [ 高山寺 ]
            ●山号 正南面山 (しょうなんめんざん)
            ●寺号 高山寺 (こうざんじ)愛称 田辺大師 (たなべだいし)
            ●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
            ●本尊 大日如来坐像
            ●開創 聖徳太子 (しょうとくたいし)
            ●中興 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい) 
            ▲拝観 自由 朱印300円
            ▲和歌山県田辺市稲成町392 Tel.0739-22-0274
            ▲JR紀勢本線「紀伊田辺駅」よりタクシー6分
             阪和自動車道「田辺IC」から車で約5分。





▼山門。小振りの仁王さんが頑張ってるようです。
 今回は駐車場直行でしたので実は山門を通らず参道石段も歩いていません。 



 (山門写真はネットから拝借)





高山寺縁起 (高山寺パンフから抄出)
田辺大師と呼ばれる高山寺は、聖徳太子の草創で弘法大師中興の古刹。千三百数十年前、推古天皇の御代、熊野牟婁郡に金満家で
智識豊富な長者が居り人々から尊敬されていた。長者は聖徳太子を深く尊敬し、太子は深く仏教に帰依、各地に寺院を建立。太子
は英邁で、推古天皇即位と同時に二十一才で摂政となった。太子は随、唐の文化を大いに吸収、日本文化はこの時から画期的な進
歩をとげた。長者は太子の勅を受け、私財をもって荘厳な御堂を南面山に建立しそれを勧修学問寺と命名。高山寺と改めたのは後
世のことである。





▼この参道は駐車場からの道です。

      





▼境内に着きました。







▼取り敢えず心身清めの手水。







▼岩が寄せ集まった云いようのない変な水口。ドコから水が出ているか判らないでしょう。                     

     





▼不動堂。本尊不動明王。方3間、宝形造、本瓦葺、1間向拝付。外縁は勾欄が付き。
 小さいお堂ながら堂形抜群! 残念ながら堂内は窺うことは出来ません。







▼不動堂正面は格子戸風壁面、火頭窓も一応飾り。







▼不動堂チョット横から。







            ▼子安地蔵。







            ▼多宝塔。塔高約15m、1816年 (文化13年) 建立。
             これほど安定感の優れた塔形は久々に見ました。 













▼多宝塔扁額。上宮閣と読めますが、やはり聖徳太子を偲んでか。







            ▼多宝塔。







▼鐘楼。後方の寺院らしくない建物は庫裏です。







▼観音堂。本尊観世音菩薩。桁裄5間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。四周は勾欄付き外縁。







▼観音堂正面。やはり入堂出来ません。






▼観音堂チョット横から。







▼本堂は屋根瓦葺き替え工事中。先の台風の影響でしょうか。







▼本尊は大日如来で秘仏です。







▼工事は何時まで続くのかな、そりゃー終わるまででしょう。当然のことながら本堂入堂は出来ません。







▼気をつけてお励みを。







▼遍照金剛殿。本尊弘法大師。田辺大師の名の由来です。







▼遍照金剛殿前面。このお堂も完全シャットアウト。







▼縁の彫刻がこれまた凄い、龍が取り巻く細かい彫を感心しながら見上げた遍照金剛殿扁額。

     





▼境内道すがら弥勒さんも居られました。







▼池を巡る庭園です。岩上を歩き……、

      





▼小砂利の汀を通り……、







▼お堂の写り込みを楽しめる庭園です。







▼蓮花は終わりですが……、







▼これが満開の時はさぞやの感が。







▼池の小島に建つお堂。宝形造りのお堂ですが堂名確認忘れました。







     





▼境内北辺に建つ比較的新しい薬師堂。本尊薬師如来。方3間、宝形造、本瓦葺。このお堂も四辺密閉。







▼何とも愛嬌たっぷり、こんな灯籠、我が家に欲しい。アッ、忘れてた我が家には庭がないんですわ。







▼ご朱印です。

     




知らないこととは云え、紀州の古寺古刹はこのお寺を始めとして大寺が結構残っているようです。京の名刹と同じ名を持つここ田
辺市の高山寺、広い境内に堂塔伽藍が其処彼処に配され、古寺古刹巡り愛好家にとっては嬉しいお寺ですが、残念なことに、総て
のお堂の入堂ダメ、当然のことながら堂内の荘厳や祀られている本尊や仏の姿を拝することも出来ません。小窓から覗くことすら
出来ず、完全シャットアウト。聞けば近隣の檀家寺で、基本的に観光寺院ではないとのこと。信仰信心の対象仏か、愛好家のため
の見せ物仏なのか、古来から結果の出ない問答を思い浮かべながら高山寺おイトマでした。

救馬溪観音、「すくまだにかんのん」と読みます。

2018年09月18日 | 和歌山の古寺巡り





(2018.09.15訪問)


「救馬溪観音」皆さんこの寺号読めました? ボクは全く読めませんでしたが、正解は「すくまだに観音」というお寺です。
大和路号は今日久々に紀州路を走っています。我が大大阪から阪和自動車道が南紀田辺まで通っていますので、今日の目的地「救馬
溪観音」までは迷車大和路号でもスイスイと苦もなく到着です。と云うのはウソです。我が身は現在、交通法規絶対厳守しながら走
行せねばならず1点も失うことが出来ない苦境にあり、常に高速道路は左車線を走行、一般道では前に女人が運転中であろうと、お
年寄りのチンタラ走行であろうと静かに成り行きに任せて走行、160キロほどの道のりをお蔭で3時間弱かかりました。往路だけで
すでに気分的疲労困ぱい。





▼参道です。両路ともいずれは同じところに。      







[ 救馬溪観音 ]
●山号 瀧尾山 (ろうびざん)
●寺号 救馬溪観音大悲閣 (すくまだにかんのんだいひかく)
●宗派 真言系単立寺院 (しんごんけいたんりゅう)
●本尊 馬頭観世音菩薩(御影)
●開山 役の行者 (えんのぎょうじゃ)
●中興 小栗小次郎助重 (通称小栗判官) 
▲拝観 自由 朱印300円
▲和歌山県西牟婁郡上富田町生馬313 Tel(0739)47-1140
▲JRきのくに線「紀伊田辺駅」「白浜温泉駅」下車 駅よりタクシーで約20分。
 大阪方面より 阪和道、紀勢道「上富田IC」から国道42号線を南下。上富田町岩崎より国道311号線へ最初の信号を左折。





▼いかに広い境内か、よく判るガイド図が中門を潜ったところに掲示されてました。







救馬溪観音縁起 (救馬溪観音HPから抄出)
当山は飛鳥時代、修験道の開祖「役の行者」によって開山、その後天暦7年(953年)、空也上人が自ら刻んだ観音像を奉安。後に熊野
詣でに行幸された鳥羽天皇が堂宇を建立され、寺名を「岩間寺」といった。中興の祖は、小栗判官こと小栗小次郎助重で、足利持氏の
軍に破れ逃れた後、仏門に帰依し各地を巡錫中「瘡痍」にかかった。妻照手姫と紀州湯の峯温泉に湯治に向かう途中、突然愛馬が病に
冒され動けなくなってしまった。この時、当山の霊験あらたかなることを聞き、参拝祈願すると馬の病は忽ちに全快、無事湯の峯にた
どり着くことが出来た。愛馬が救われたことに感激した小栗判官は応永33年 (1426年) 堂宇を再建「救馬渓観音」と名付けたという。





▼参道の途中に咲く白い曼珠沙華。

             





▼もう少し行くと右に曲がります。







▼いきなり七福神。ちゃんと七人いらっしゃいますヨ。







▼前鬼後鬼を従えた役行者も。

            





            ▼いつもお目にかかる小角さんとはチト違う雰囲気、お顔など相当リアルです。







▼どうです、このお顔。







            ▼こんな方もいらっしゃいます、倶利伽羅不動尊。







▼中門の手前に厄除地蔵さん。







            ▼これが読めんかったんですワ。







▼コンクリート造りの大きな建物の前に建っている中門。総ケヤキ造り、平成2年(1990年)建立。
 左右に仁王さんが迎えてくれます。







            ▼阿形仁王さん。







            ▼吽形さん。







▼ここから本堂に向かいます。61段の階段があり、厄除階段として一段一段に般若心経の写経が納められているそうです。







▼観音さんの水口。







            ▼観音さんの水口は珍しいんじゃないですか。







▼やってまいりました本堂前の広場です。この広場は、コンクリート造りの建物のいわば屋上なんです。







▼鐘楼です。運が開ける開運、厄除の鐘。吊られてる梵鐘は径2尺8寸、紀南最大らしいです。







▼神馬がいました。







▼標高100m位の本堂広場からの景観。







▼本堂。欅造、大きな一枚岩の陀々鬼羅岩窟に建てられ、屋根は一枚岩と一体になっています。








▼本堂扁額。







▼本堂向拝の彫刻。

            





▼本堂内陣。







▼内陣奥ガラス障子の向こうにお厨子が見えます。キット本尊馬頭観世音菩薩はその中に。







            ▼これが本尊馬頭観世音菩薩絵姿(秘仏)。
             馬頭観世音菩薩は12年に一度、午歳の初午の日のみ開帳。



             (本尊写真はネットから拝借)





▼不動堂。重層、入母屋造、欅造で一枚岩の岩窟に建てられています。    













▼不動堂扁額。







▼不動堂内陣。本尊大日大聖不動明王。脇侍は二童子。







▼慈母観音堂。                          







            ▼本尊慈母観音。







▼一枚岩に建てられている慈母観音堂。







▼清光大黒堂。チト仏堂のイメージがないと思うのはボクだけかしら。







▼扁額です。







▼大黒堂内陣。大小様々の大黒さんが祀られています。







▼こちら恵比須堂。施錠固し内部を窺うことは出来ません。







▼岩窟の稲荷さんにご挨拶をして救馬溪観音お暇です。







▼ご朱印です。

        




厄払いの古刹は各地にありますが、この救馬溪観音は巡りごたえあり過ぎのお寺で、岩山と一体になった境内で、参拝コースが色々
あり、すべて巡ることが出来ず、非情に残念な思いです。ボクの場合、厄に関わる色んな思いは、すでに過ぎ去りましたが、それに
関わらずこれだけの大寺、再チャレンジ訪問を誓って救馬溪観音をお暇しました。

盛安寺、著名な十一面さんがいらっしゃるのですが……。

2018年09月11日 | 滋賀の古寺巡り





(2018.09.09訪問)


今週も湖国を巡ってまいりました。今日は大津市坂本穴太の里の古刹巡りです。この坂本の地は穴太積で著名な穴太衆発祥の地で、
付近にはその石垣を備えた古刹が多く残っているようです。この地は何度か訪ねていますが、やはり比叡の麓は天台王国、小さい
ながらも宗祖伝教大師最澄さんの教えを連綿と受け継ぐ古刹が数多く甍を並べています。そんな古刹の一つ盛安寺を先ず訪ねてみ
ました。





▼穴太衆石垣を残す山門。      







[ 盛安寺 ]
●山号 瑞應山 (ずいおうざん)
●院号 法王院 (ほうおういん)
●寺号 盛安寺 (せいあんじ)
●宗派 天台真盛宗 (てんだいしんせいしゅう)
●開創 不詳
●本尊 阿弥陀如来坐像 十一面観音立像 (重文)
●再興 天文年間 (1532~1555年) 杉若盛安 (すぎわかせいあん)
▲拝観 9:30~16:00 300円 朱印300円
▲滋賀県大津市坂本1丁目17-1 Tel.077-578-2002
▲京阪電車石山坂本線「穴太駅」下車徒歩5分
 R161号線下坂本を左折5分





▼山門。後の山は比叡山系の連なりですが、雲が相当降りてきています。雨ですネェ、イヤですネェ。







盛安寺縁起
戦国時代、越前朝倉氏の家臣杉若盛安が再興し、自分の名を付けたと伝えられています。その後、何度か焼失しましたが、その都
度復興され、現在に至っています。





            ▼立派な寺号石柱が建ち、

       





▼穴太積みの石垣が周囲を囲んでます。







▼入山はこちらから。







▼正面いきなり本堂です。

        





▼本堂。桁裄5間、梁間6間、寄棟造、桟瓦葺、1間向拝付。慶安5年 (1652年) 建立。
 棟から平行に流れる瓦紋の美しさ、本瓦の美にも匹敵するようですネ。







▼少し大きめの扁額。







▼本堂内陣の荘厳。須弥壇中央に本尊阿弥陀如来坐像がお坐りです。







▼本堂。







▼五輪塔と屋根。







▼南無阿弥陀仏。と読めました。







▼本堂前の植栽。







▼六地蔵。







▼鐘楼。







▼井戸。







▼観音堂。一本道を隔てた所に建ってます。ポストがやたら目立ちます。







            ▼観音堂本尊がこの方。十一面観観音立像 (重文)。 
             像高180.5cm、檜一木造、漆箔、平安時代。
             四臂の前手は合掌、写真の後ろ手は何も持ってませんが、右手は錫杖、
             左手は蓮の蕾を持ちます。条帛の襞や裳の縦襞などの細かい表現が
             目立つ作風ですネ。
             この十一面さんは現在収蔵庫にいらっしゃるそうです。



                                     (本尊写真はネットから)





▼太鼓楼。







▼太鼓楼に梵鐘が置かれてます。







▼堅く閉ざされた収蔵庫。十一面さんはこの中に。この収蔵庫、常時開扉していると聞いたんですが……。
 お寺の方ご不在でいかんともしがたし。







▼可憐。







▼庫裏。







▼最後に芸術的石積みの初、穴太衆の穴太積を感心しながら盛安寺オイトマです。







                            ▼ご朱印は書置きをいただきました。

      



重文の十一面さん会いたさに、雨模様の湖国に今週もやってまいりましたが、またもや残念でした。
盛安寺 オ シ マ イ 。