土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大観音寺、本尊は身の丈三十三米、純金の大観音菩薩像。

2019年07月20日 | 三重の古寺巡り





(2019.07.13訪問)


迷車大和路号は、R165号を東へまっしぐら。櫻井、榛原、名張を越え目指すは榊原温泉。鼻歌でも歌いながら温泉三昧、いえいえ
とんでもございません、今日訪ねるのは、身の丈33メートルの黄金の大観音さんが居られるその名も大観音寺なんです。大観音寺は
入山すると、純金の大黄金観音像をはじめキャラ満点の仏像がこれでもかと登場、まるで仏像アミューズメント寺院。参拝者を楽し
ませてくれる不思議なお寺、それが大観音寺。さてさてどんな仏像が迎えてくれるのやら。




▼神々しく立つこの方が、身の丈33メートルの大観音さん。







[ 大観音寺 ]
●山号 寳珠山(ほうじゅざん)
●寺号 大観音寺(だいかんのんじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう) 中本山
●開基 竺翁雄仙 (ちくおうゆうせん)
●開創 応永8年 (1401年)
●再興 皇慶上人 長徳年間
●本尊 観世音菩薩立像
▲三重県津市白山町 059-262-1717
▲拝観料 800円
▲拝観時間 9:30AM~5:00PM
▲近鉄上本町駅発伊勢中川方面行き特急「榊原温泉口駅」下車 
 西名阪松原I.C → 西名阪天理I.C → 国道25号線 → 名阪上野東I.C → 国道422号線 → 青山 → 国道165号線 → 榊原温泉口駅前





▼およそ寺院のイメージがない、赤いアーチのここが入り口。







大観音寺縁起
欽明天皇26年 (565年) 勅願により薬師寺として開かれたのがはじまり、応永8年 (1401年) 竺翁雄仙が曹洞宗に改宗。
1451年(宝徳3年)、当時の佐武ケ嶽城主坂根修理亮が父親の桂林院の菩提を弔うために堂宇を増築、寺領30石を寄進し寺号を「桂
林寺」に改称.。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで六世大渓は細川幽斎を支援、その功績に対し細川家より阿弥陀像と絹本著色仏
涅槃図、梵鐘が寄進される。江戸時代、歴代藩主から庇護され寺運が隆盛、末寺30余寺を擁する曹洞宗中本山として大きな影響力
を持つようになった。





▼阿吽両金剛力士に睨まれながら、境内へ……、













▼大観音の仏足下駄。大観音が下駄を履いたらと想定して作られた仏足下駄。丈7m、巾3m、青銅造、重さ30トン。
 なぜか猫の楽団がいます。







▼参道先に純金、33メートル大観音さんが見えます。







▼参道途中にはいろんな方が迎えてくれます。この方やるき達磨さん、喝を頂きました。







▼にっこりお福さん。なんでこの方が、ここに居るのかよく判りません。







▼観音霊石。人為的細工をしていない事を祈るばかり。                 













▼菊花霊石。なんでこれがここに。

 





▼水子三観音。
 水子三観音とは「慈母水子観音」「聖水子観音」「大悲水子観音」のこと。この水子三観音の三力終結で必ず水子を救い、すこ
 やかに育ててくれるといいます。

 





            ▼慈母水子観音。







            ▼聖水子観音。







            ▼大悲水子観音。







▼河童大明神。なぜお寺に河童が居るの。







▼よく見るとよく出来た河童ですネ。







▼烏天狗もいます。







▼神獣白澤。古来中国より伝わる伝説上の生物で、いろんな厄難に効果を発揮する瑞獣。







▼萬倍釜。弘法大師秘伝金運の釜。
 弘法大師が炊いたお米が一万倍になり、飢えで苦しむ多くの庶民を救ったといわれる「一粒一万倍の釜」の伝説にあやかって造
 られた世界最大の釜。







▼厄除け不動明王と三十六童子。







▼白蛇霊石。人為的細工をしていない事を祈るばかり。







▼大観音手形。
 印相は、与願印で、指には五智如来と吉祥を表す卍が施され、手の中心には、煩悩を滅ぼし、菩提心を表す金剛杵が表現。







▼さて遅まきながら、気持ちいい参道の真ん中を通って、大観音さんへアプローチ。    













            ▼純金開運寶珠大観世音菩薩。大観音寺の本尊、像高33m 、純金1トン使用。
             右手に開く蓮花、左手に宝珠を持っている。



















▼大観音さんの周囲を囲んでいる108の煩悩を取り払う108体の観音像。
 一体一体にご挨拶をしてグルリと一周、大観音さんの参拝これにてオシマイ。







▼御朱印です。




さすがに33メートルの大観音さんの迫力は半端じゃありません。全身を黄金で纏い全山を睥睨する姿は、まるで補陀落浄土から人
間界のゴタゴタを見透かされているような感覚を受け、一瞬身が引き締まる気になる大観音さんでした。

みなさん!気がつかれましたか。このお寺境内に本堂とか堂宇が一棟もないんです。不思議なお寺ですネ。



津観音寺、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」はこのお寺が唱い始め。

2019年03月14日 | 三重の古寺巡り





(2019.03.09訪問)


専修寺から南へスグ、日本三観音の一つ津観音寺を訪ねます。日本三観音の一つと云われるだけに、門前から参道まで色々な出店と
参拝者でイッパイ、大変賑やかなお寺です。ご近所さんが二、三人連れで三々五々境内を散歩なんて方も見受けられ、かなり親しま
れているお寺みたい。境内は決して広くはないですが観音さんのご利益は抜群なんでしょうネ。




▼仁王門。寛永6年(1629年)創建。 







[ 津観音寺 ]
●山号 恵日山 (えにちざん) 
●寺号 恵日山津観音寺(つかんのんじ)通称津観音
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開創 和銅2年 (709年)
●本尊 聖観音菩薩 (せいかんのん)
▲三重県津市大門32-19 TEL 059-225-4013
▲拝観 境内自由
▲http://www.tsukannon.com/
▲紀勢本線「津駅」東口から「三重会館方面行」の三重交通バス約7分「京口立町」「三重会館前」から徒歩5分





▼金剛力士阿形像。







津観音縁起 (津観音HPから抄出)
恵日山観音寺は「津観音」の名称で日本三観音の一つに数えられる真言宗の古刹です。室町時代の永享2年(1430年)将軍足利義教が
勅命で三重塔、恵音院を建立。延徳2年(1490年)天台真盛宗の開祖真盛上人が山内観音堂で説法され天台真盛宗を広めました。本坊
である大宝院は後花園帝以来、歴代天皇の綸旨を賜る別格寺院です。桃山、江戸時代には豊臣家や徳川家から寺領を賜り、藩主藤堂
家からは祈願寺として特別な庇護を受けました。昭和20年の戦火で多数の寺宝や41棟の大伽藍を一夜にして全焼。幸い難を免れた
寺宝約600点を収蔵庫に保管し津観音資料館で年4回程度公開をしています。





▼金剛力士吽形像。







▼活況の参道。







▼鐘楼堂。 昭和59年(1984年)再建。







▼参拝者を優しく見守ってくれているようです。







▼参道左に護摩堂。桁行3間、梁間3間、寄棟造、本瓦葺、平成6年(1994年)再建。







▼護摩堂扁額。







▼内陣須弥壇にはお大師さんがお坐りです。







▼頭脳明晰が衣を着ているような。







            ▼境内は小さいけれど堂々勇姿の五重塔。平成13年(2001年)再建。







            ▼五重塔相輪です。







▼観音堂。観音寺の本堂。桁行5間、梁間5間、寄棟造、本瓦葺、1間向拝付。昭和43年(1968年)再建。













▼観音堂前面。外陣と内陣は格子で仕切られています。







▼須弥壇中央にお厨子には本尊聖観音菩薩が、お厨子前にはお前立ち像がお立ちです。







            ▼お前立ちの観音菩薩立像。







            ▼一光三尊の阿弥陀仏、証拠の弥陀と呼ばれているそうです。



            (この写真はネットからもらってきました)





▼右脇壇の阿弥陀如来坐像。







            ▼手印が定印ではない阿弥陀さん、珍しくはないですか。







▼左脇壇はお厨子のみ。







▼天井には笛や琵琶を持った天女が舞っています。













▼ご朱印です。






お寺は大小ではなく、どれだけ民衆の心を掴むかが問われると云いますが、訪ねてみてそれが実感出来る観音寺でした。
全国的にその名が知れ渡り、多くの参拝者が訪れ「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と唄われたのはこのお寺の功績
だと聞きました。
伊勢のお寺シリーズこれにてオシマイ

本山専修寺、親鸞思想は伊勢でも健在。

2019年03月12日 | 三重の古寺巡り





(2019.03.09訪問)


大和路号は名神草津から新名神に入り、亀山JCTから東名阪道を経由して伊勢街道を走っています。津市内は全く初めて、今日訪ねる
お寺は津の名刹、高田山専修寺と日本三観音の一つと云われている津観音寺。久々の絶好天に大和路号はご機嫌よろしく約130キロの
道のりを例によりチンタラ走行かわりなく走行中。





▼山門(重文)。専修寺の総門。5間3戸重層12脚楼門、桁裄5間、梁間2間、高さ15.5m、入母屋造、本瓦葺。
 元禄6年(1693年)建築にとりかかり宝永元年(1704年)建立。上層階には釈迦三尊像を安置。

 





[ 専修寺 ]
●山号 高田山(たかださん)
●寺号 専修寺(せんじゅじ)
●宗派 浄土真宗高田派 (じょうどしんしゅうたかだは)
●開創 寛正6年 (1465年)
●開基 真慧上人 (しんねしょうにん)
●本尊 一光三尊の阿弥陀仏、証拠の弥陀 (あみだにょらい)
▲三重県津市一身田町2819 TEL 059-232-4171
▲拝観 境内自由 
▲JR紀勢本線「一身田駅」から徒歩5分
 近鉄名古屋線「高田本山」駅から徒歩20分
 伊勢自動車道津ICから約15分
 伊勢自動車道芸濃ICから約15分





▼山号が書かれた扁額。







専修寺縁起 (専修寺HPから抄出)
親鸞聖人は、関東各地を教化中に栃木県真岡市高田の地に一宇を建立、専修念仏の根本道場とせられました。本尊には長野の善光寺
からお迎えした一光三尊仏を安置し、門弟リーダーの真仏上人が管理。ここを中心とした教団は、関東各地の門徒の中で最も有力な
教団となり、京都へ帰られた聖人からは、しばしば自筆の手紙や自分で書き写された書物などが送られてきました。その後、高田教
団は次第に発展し、専修寺は「本寺」と呼ばれて全国に崇敬を集めるようになりました。それを一段と飛躍させたのが第十世真慧上
人で、東海、北陸方面に教化を弘めると共に、朝廷の尊崇を得て、専修寺は皇室の御祈願所ともなりました。一身田の専修寺はその
真慧上人が伊勢国内の中心寺院として建てられたのでしたが、関東の本寺が兵火によって炎上したりしたため、歴代上人がこちらに
居住されるようになって、ここが本山として定着しました。





▼山門中央の1間柱間からの境内、向こうに見えるのは御影堂。







▼手水舎。







▼地中から這い上がる龍の水口。







▼山門潜ってスグ右に茶所。







▼鐘楼。これ以上の頑丈さはないほど頑丈な鐘楼です。4隅の柱はその間に八角形の柱が2本ずつ入れられている。奈良東大寺の大
 鐘楼に似ているような。桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺、正徳3年 (1713年) 建立。







▼御影堂(国宝)。宗祖親鸞聖人木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇にお祀りしています。
 桁裄9間、梁間9間、単層入母屋造、本瓦葺、向拝三間付、外縁は間吹通し。







▼御影堂の前面は障子戸。







▼御影堂内部は外陣、中陣、内陣と明快な区切りです。







▼中陣から内陣の様子。          













▼内陣欄間の扁額は親鸞さんの大師号。







▼須弥壇最奥に宗祖親鸞さんをお祀りしています。 













▼御影堂を斜めから撮ってみました。







▼この通り広い境内です。







▼御影堂ともう一つの大堂如来堂を繋ぐ通天橋。







▼如来堂(国宝)。証拠の如来と呼ばれる阿弥陀如来立像が本尊。教義上この堂が専修寺の本堂です。
 桁裄7間、梁間7間、単層入母屋造、本瓦葺、向拝三間付、一重裳階付。
 寺院建造物は難しいもんで、この建物はどう見ても単層に見えませんよネ。しかし単層なんです。  







 





▼如来堂内陣の様子。







▼最奥須弥壇上に黄金のお厨子が置かれています。







            ▼本尊阿弥陀如来立像。







▼欄間彫刻の豪華絢爛さに圧倒されます。







▼天井下の華麗な色彩。いずれも近年の金箔や彩色と思われますがここまでやるとはスゴイの一言。







▼欄間彫刻。







▼如来堂を斜めから撮ってみました。







▼如来堂の左に建つ大師堂。方3間宝形造、桟瓦葺。







▼大師堂内部は見事にシンプル。







            ▼本尊は聖徳太子幼年像。







▼進納所、大玄関(重文)。院號、法名を頂く場所。高田本山へ参詣される方々が御懇志を納めるところです。







▼御対面所。5室3列の座敷からなる建物。大正初年まで法主が座を設けて門信徒に対面していた。







▼食堂。







▼太鼓門。境内東側の門、内部に大きな太鼓が吊り下げられている門で、一身田町の人々に時を告げています。













▼唐門。如来堂正面にある総欅造の四脚門、切妻造、檜皮葺。唐破風の装飾で空間を埋め尽くした豪華な門。







▼ご朱印です。



豪華な唐門から専修寺オイトマ

浄土真宗の並々ならぬ実力を伊勢でも見せつけられた思いです。このお寺の主要伽藍の御影堂と如来堂は、平成29年(2017年)三重
県初の国宝建造物の指定を受け、その他11件の重要文化財の指定を受ける浄土真宗の本山なんです。真宗のいいところは宗派関係な
く伽藍拝観でそこダメ、ここダメの制約が比較的少なく、心置きなくどうぞの精神が嬉しいところです。少々残念だったのは、名庭
雲幽園と安楽庵が団体優先で予約制とのことで見れなかったこと。この庭園は一生見れないと云うことか。

次は専修寺から伊勢街道を南下、観音さんで著名なお寺を訪ねます。


観菩提寺、お水取り創始のお寺。

2016年01月21日 | 三重の古寺巡り




(2016.1.16訪問)

新大仏寺から帰途の道筋島ヶ原に、やはり東大寺に縁のある観菩提寺が在ります。
東大寺二月堂に先駆けてお水取りが行われることで著名なお寺で、東大寺と同じく創始実忠和尚の名が残っているようです。五年前に
一度訪ねているのですが、折角ですので改めて訪ねることにしました。
昨年十一月、三十三年に一度の秘仏本尊十一面観世音菩薩のご開帳が済み、今年の修正会はまだ少し先、今は何もない時期、要するに
肝心な時を必ず逸するボクのお寺巡りは、今年もこんな調子の繰り返しになりそうです。事前調べをすりゃ済むことなんですがネ。




▼参道石段。






[ 観菩提寺 ]
●山号 普門山(ふもんざん)
●寺号 観菩提寺(かんぼだいじ)
●宗派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
●勅願 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開山 実忠和尚(じっちゅうおしょう)
●開創 天平勝宝三年(751年)
●本尊 十一面観世音菩薩立像 三十三年に一度開帳される秘仏。
▲拝観 正月堂修正会の時 500円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00 
▲三重県伊賀市島ケ原1349 電話0595-59-2009
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲JR関西本線「島ヶ原駅」より徒歩20分




▼仁王門(重文)。






観菩提寺縁起 (観菩提寺パンフから抄出)
観菩提寺の創建時は観音寺、植山寺とも称され、当時未開地であった島ヶ原の南面傾斜の地域を切り開いて、段階的に諸伽藍を配置す
る様式であったと思われる。創建翌年東大寺僧実忠和尚によって伽藍が再興整備され観音堂が建立され、本尊十一面観世音菩薩を中心
として東大寺出作の墾田開発が展開されたのである。修正会を正月に勤修した観音堂は正月堂と称され、本尊は島ヶ原郷の守護神とな
った。




▼仁王門(重文)。重層楼門、三間一戸、入母屋造、檜皮葺、初層左右に金剛力士像、室町前期建立。
 鄙と云っては失礼ですが旧島ヶ原村にこれだけの豪華な建造物が千二百有余年累々と残る不思議。東大寺や実忠と云う普遍の名が関
 係するこの地こその理由なんだろうか。何とも云いようのない素晴らしい仁王門です。

      




▼仁王門には扁額が二つ、上額は山号、下額は寺号が書かれている余り見かけない一門二扁額。






▼右脇の阿形仁王さん。






▼左に吽形さん。



両像とも玉眼が睨みをきかせていますが、体型的に頭でっかち、少々アンバランスは愛嬌かな。室町期作と伝えるそうです。




            ▼仁王門の後室右に広目天が、






            ▼左に多聞天が境内を見守っているようです。両像とも平安後期の作。






▼なんか変な写真ですけど、境内は狭く本堂(正月堂)と仁王門だけが天平の香りを残しているようです。






▼本堂(正月堂)(重文)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺、三間向拝付、室町前期建立。






▼正月堂と書かれた本堂扁額。






▼本堂を正月堂と呼ぶ由縁。



毎年二月十一日と十二日に行われる「修正会」は天平勝宝四年(752年)創始以来実に1260年以上の歴史を持ち、東大寺二月堂の「お水
取り」に先駆けて行われる正月堂の「お水取り修正会」なのです。お水取りと言えば東大寺の二月堂ですが、二月堂は旧暦二月に行われ、
こちらお堂では旧暦一月に行われます。どちらも実忠和尚によって創始され、こちらはひと月早く行われるので「お水取り発祥の地」と
云われ、このお堂を正月堂と称しているそうです。




            ▼本尊十一面観世音菩薩立像(秘仏)。
             像高177cm、十一面六臂、木造寄木造、檀像系、平安初期。



            (写真は観菩提寺パンフレットをスキャン)




            ▼本尊のお顔です。



            (写真はネットからもらってきました)

およそ観音の慈悲のお顔とはほど遠い凄まじい異様な感じ、衆生救済のための観音の苦渋がこんなお顔を作り出したのか、はたまた造
仏時の不安定な世相を仏師達が感じ、その心の怒りがこんなお顔を作り出したのか。ともあれこんな厳しい表情の仏は、高雄神護寺の
薬師如来以外ボクは知りません。

まるで見てきたような書き方をしましたが、あくまでも写真を見てのボクの感想です。




▼本堂。






            ▼国宝正月堂の石碑。戦前の旧国宝が今じゃ重文、悔しいでしょうねご住職。
             こうゆう例が全国で結構あるようですが、文化庁さん「ナゼ」なのかを教えて下さい。






▼鐘楼。






▼八十八カ所巡りが出来ますよ。






▼御朱印です。






受付で、昭和のお姉さんから御朱印を戴き、本堂拝観をお願いすると「ダメです!」「事前予約です!」けんもほろろのお言葉。
と云うことで、観菩提寺これにてオシマイ。




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新大仏寺、快慶さん渾身の如来が待ってくれてました。

2016年01月18日 | 三重の古寺巡り




(2016.1.16訪問)


迷車大和路号は、163号線をひたすら東を向いて失踪じゃなかった疾走しています。その昔、国道163号線を四日市線と云ってたのを
ご存知の方もまだいらっしゃるでしょう。ホンマに四日市まで行ってるのか、又その昔、ロードマップを広げて確認したところ163号
線は四日市には行ってなく、津とまりだったんです。で最近四日市線と云わんようになったんかなァ。
そんなことはどうでもいいんです。
今日はなぜ東を向いて走っているのか、163号線は我が家から真東に向かっています。非常に分かり易い道なのです。迷車のナビがア
ホなんで分かり易い道とお寺はどこだ、探したところ新大仏寺が伊賀に在ったんです。




▼山門。三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺。両脇に仁王像が安置されています。
 仁王さんの撮影失敗、奥の手が使えません。






[ 新大仏寺 ]
●山号 五宝山(ごほうざん)
●寺号 新大仏寺(しんだいぶつじ)
●宗派 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
●勅願 後鳥羽法皇(ごとばほうおう)
●開基 源頼朝(みなもとのよりとも)
●開山 俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)
●開創 建仁二年(1202年)
●本尊 盧遮那仏坐像(重文)
▲拝観 新大仏殿(宝蔵庫)300円 朱印 300円 駐車場無料
▲時間 9:00~16:00 
▲三重県伊賀市富永1238 電話0595-48-0211
▲http://www.shindaibutsu.or.jp
▲近鉄大阪線 「伊賀神戸駅」(乗換え) 「上野市駅」下車、バスさるびの温泉方面汁付行き「成田山前」下車
 国道163号線上野城の北を右折、次の信号を左折、東進(国道163号線)名阪国道中瀬ICをくぐって約20分
 名阪国道天理方面から名阪国道中瀬ICを下車 、 東進(津方面へ約20分)



           ▼寺号石標。






新大仏寺縁起 (新大仏寺パンフから抄出)
新大仏寺は、建仁二年(1202年)源頼朝公が後鳥羽法皇の勅願寺として開創。開山は東大寺再興の勧進職重源上人とし、全国に七カ
所の東大寺別所の中の一つで、伊賀別所として南北六十丁、東西四十丁の広大な寺領伽藍を有したと云われ、新大仏寺と称するところ
は上人が東大寺に敬意を払って寺号に「新」の一字を加えてものです。




▼山門両脇の赤いもの、仁王さんなんです、真っ赤なんです。






▼この額を扁額と云っていいかどうか、全国に七ヶ所東大寺別所の一つの証。






▼蹲踞。






▼明王殿、交通安全祈願所。モダンデザインなのか変なデザインなのかよく判らないデザインのお堂。
 成田山不動尊から伊賀成田山不動尊の称号を称賜、伊賀の成田山としてご利益を求めて参拝者が後を絶たないそう。
 しかし今日は誰もいませんでした。

 




▼本尊不動明王立像。






           ▼高台の法面に白寿観音と、






▼慈母観音の像が置かれています。いずれも銅像です。






▼鐘楼。






           ▼鐘楼前の十三重石塔。まだ新しいもののようです。






▼芭蕉歌碑丈六塚。  ~丈六に 陽炎高し 石の上~
 貞享五年(1688年)芭蕉帰省の際、旧友とこの寺を訪れた時、詠まれた句。






▼大師堂。四方二間、宝形造、元文三年(1738年)建立。ペリーが浦賀来航時、国難消除の祈祷を修したと伝わるそうです。






▼堂内須弥壇。空海さんをお祀りしています。






           ▼浩宮徳仁親王(皇太子)来寺記念の碑。






▼大仏殿(金堂)。
 桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、千鳥破風と唐破風の二重破風構成の重厚な屋根造。大仏様式。
 本来の本尊は盧遮那仏坐像であるが今は収蔵庫に祀られ、釈迦如来立像を本尊としています。






▼内陣扁額。






▼四天柱に囲まれた内陣、中央に本尊釈迦如来立像。






▼ピッカピカの本尊と欄間の飛天絵。右絵は鼓を打つ飛天、左は太鼓を打つ飛天が豊かな彩色のまま残されています。






           ▼本尊を横から。






▼左欄間の飛天絵。右絵は笙を吹く飛天、左は琵琶を鳴らす飛天。






▼琵琶の飛天をアップで。






▼天井組、梁、斗供など大仏様の見本市。






▼四天柱の内陣と周囲の作り。外陣は畳式になっており周囲を回りジックリ拝観が出来ます。






           ▼後陣には地蔵菩薩立像と、






           ▼ちょっくらマンガチックな役行者と前鬼、後鬼が祀られています。






▼真正面の大仏殿。






▼豪華な銅製の妻飾りが付けられています。






▼大仏殿後ろの護摩祈祷堂。不動明王拝殿でもあります。






           ▼岩屋不動尊。後ろの岩肌を穿った半洞窟に像高6mの不動明王が二童子を連れて
            お立ちです。






▼こんなお顔のお不動さんです。






▼本堂(上人堂)。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。寛永九年(1632年)建立。






▼上人堂と書かれた本堂扁額。
 元は重源像を祀った由縁から上人堂と称していたが、現在は本堂として阿弥陀如来を本尊としている。






▼本堂内陣と須弥壇。中央に阿弥陀如来坐像が祀られています。






▼本堂。






▼宝蔵庫(新大仏殿)。宝蔵庫には本尊盧遮那仏坐像の他に重源さんの木像も祀られています。






           今日の最大トピックスは盧遮那仏坐像だ!

           ▼新大仏寺の本尊盧遮那仏坐像(重文)。
            像高4.04m、木造寄木造り、仏師快慶、鎌倉時代。
            快慶作は頭部のみ、体部は元阿弥陀三尊像を江戸期に修復改変したそうで、
            快慶の傑作、播磨浄土寺の阿弥陀三尊像の様式だったと云います。




           (写真はネットからもらってきました)




           ▼本尊盧遮那仏のお顔。
            お顔は誰が見ても快慶さん作と思うほど、とにかく言いようのない素晴らしさと
            美しさ、改変されずに三尊が残っていれば間違いなく国宝、浄土寺三尊像と優劣
            を競ったことでしょう。惜しむらくはお顔の再彩色、金箔と体部の金箔処理の必
            要があるのかなァ。



           (写真はお寺パンフを複写)




           ▼こんな面白い石塔が立ってました。






▼八十八カ所巡りのどこかのお寺、舟形光背に半彫りの千手観音さん。小さな石仏も並んでます。






▼八十八カ所巡りの参道から境内を。右大師堂、中大仏殿、左本堂。左端にちょろっと見えてるのが宝蔵庫。






▼御朱印です。






本尊盧遮那仏坐像を拝して。
江戸期の仏師も大したもんだ。立像を坐像に改変したそのテクニックはお見事、お顔と体部の継のバランスの崩れもなく当初の彫像
と見紛うほどの出来だと思われます。この出来だと快慶さんも許してくれるでしょう。
仏師は慶派の祐慶、運慶の流れは時代を経ても力量的に褪せることはないんですネ。

ただなぜ、三尊立像の中尊を坐像に、そして脇侍の観音勢至は一体どこへ消えたのか、誰もこの訳を教えてくれませんでした。
 



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