土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

金鳳山正法寺、優しいお釈迦さんに会えますヨ。

2019年06月17日 | 岐阜の古寺巡り





(2019.06.08訪問)


両界山横蔵寺から岐阜市内に戻り日本三大仏の一つ、岐阜大仏の黄檗宗金鳳山正法寺を訪ねます。岐阜大仏が余りに有名なので、
さぞやの大寺と思い込んでの訪問は大仏殿一つのお寺でした。お寺は小さくても気宇壮大なお釈迦さんがおられます。この地で
黄檗宗のお寺があるというのも新しい発見でした。





            ▼大仏殿と呼ばれている本堂一つの大きくて小さなお寺です。







            [ 正法寺 ]
            ●山号 金鳳山(きんぽうざん) 
            ●寺号 正法寺(しょうぽうじ)
            ●宗派 黄檗宗 (おうばくしゅう)
            ●開山 千呆禅師 (せんがいぜんじ)
            ●開基 天和三年 (1683年)
            ●本尊 釈迦如来坐像 (岐阜大仏)
            ▲岐阜市大仏町8番地 TEL.058-264-2760
            ▲拝観料 200円
            ▲岐阜駅より岐阜バスで岐阜公園方面行きバスで「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車徒歩5分。





▼本堂。境内唯一のお堂、江戸時代後期に建てられた三層構造、およそお寺の建物とは思えない重厚な堂形をしています。







▼扁額には獅子窟と書かれているのかな、ハッキリ言って読めません。







 簡素な堂内には、主役が見た目イッパイにお坐りです。

▼この方が日本三大仏の一つ岐阜大仏。穏やかないいお顔をされてますネ。 
 この大仏は木材で骨格を組み、その上に竹を編んで粘土を塗り、お経を書いた紙を張って、漆を施し、金箔を置いた「乾漆仏」
 と呼ばれる仏様で、乾漆仏としては日本一の大きさ。簡素な堂内には、主役が見た目イッパイにお坐りです。
 お堂の引きが狭いので、ほとんど見上げるカットばかりになります。

    





▼像高13.63m、顔の長さ3.63m、眼の幅0.66m、耳の長さ2.12m、鼻の高さ0.36m、口の幅0.70m。 

  





▼寛政六年(1794年)から天保三年(1832年)まで38年を費やして完成したと伝えられています。  







 





▼穏やかで優しいお顔を見上げるとホッとします。  







▼堂内周囲には百数体の羅漢さんが色々な表情で並んでいます。江戸中期の造像。







                ▼裏堂には天国と地獄絵図の軸が掛けられています。   













▼本堂正面です。







▼青空と宝篋印塔。







▼境内で妙にこの黄花が目立っていました。







▼ご朱印です。







さすがに像高13m超えのお釈迦さんは迫力半端じゃありません。やや俯き加減のやさしいお顔を参拝者に向け、「ようお参りじゃ
感心々々」と言われているような錯覚さえ受けます。ほんに暖かみのあるお釈迦さん、皆さんも一度お会いになってみては。

正法寺、オ シ マ イ 。

横蔵寺、伝教大師最澄ゆかりの古刹。よこくらじと読みます。

2019年06月11日 | 岐阜の古寺巡り





(2019.06.08訪問)


久々の岐阜遠征、揖斐川町谷汲に法灯を灯す両界山横蔵寺と岐阜市の岐阜大仏金鳳山正法寺を訪ねます。
先ずは横蔵寺を訪ねましょう。大阪から名神をひとっ走り、名神関ヶ原からR303号に入り北上、途中揖斐川沿いの道は中々の風情、
初夏の心地よい川風と共に迷車大和路号は軽快な走り、じゃなく、いつもながらのチンタラ走りで横蔵寺へヨタヨタとまっしぐら、
ようやく30キロほど走ると第一目的の横蔵寺に到着です。





▼駐車場から見える真っ赤な橋、医王橋です。







[ 横蔵寺 ]
●山号 両界山(りょうかいざん) 
●寺号 横蔵寺(よこくらじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開山 伝教大師最澄 (でんきょうだいしさいちょう)
●延暦20年 (801年)
●本尊 薬師如来坐像 (秘仏・重文) 60年に一度開扉
▲岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160 TEL.0585-55-2811
▲拝観料 境内自由 宝物殿と舎利堂 500円
▲拝観時間 10時00分~16時00分(宝物殿と舎利堂のみ)
▲JR東海道本線「大垣駅」から樽見鉄道「谷汲口駅」下車 揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)谷汲行き
「谷汲山」下車→揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)横蔵線終点下車すぐ
 名神高速大垣ICから国道258、21、417、303号経由、乙原トンネルより県道40号にて約70分





▼こんな小川が流れています。







▼雰囲気がいよいよ濃くなって来る参道石段。







            ▼堂々の寺号石標。







▼医王橋を渡って境内へ。







▼重層仁王門。楼門、三間一戸、檜皮葺、上層は鐘楼を兼ねています。延宝三年(1675年)建立。







▼仁王門の偏額。情なやまったく読むことが出来ません。







            ▼三重塔。姿形共すぐれた塔です。方三間、檜皮葺、寛文3年(1663年)建立。







▼三重塔初層の組み物。







▼本堂側面です。全景撮り忘れのお粗末でした。方五間、入母屋造、檜皮葺、寛文11年(1671年)建立。







▼正面鰐口と貼りまくられている千社札。







▼本堂内陣。







            ▼本堂前には本尊の大きな幟。







▼このお堂正体不明。







▼観音堂。方三間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。







▼これまた味のある扁額が掛かっています。







▼観音堂内。奥のお厨子に本尊観音菩薩がお立ちです。







▼舎利堂。







▼舎利堂内陣。見えるでしょうか、奥のお厨子には妙心上人の舎利仏(ミイラ)が安置されています。







▼石垣に囲まれて……、







▼寺門が中へと誘います。







▼石垣の苔もいい味をだしてますネ。







▼門を潜ると正面に客殿の立派な玄関が……。







▼宝蔵も緑に埋もれて。







▼正体不明の石室。







            ▼最後に立派な法華塔にご挨拶をして横蔵寺を辞しました。






        舎利仏一考!
        妙心上人の人となりは不明ですが、その舎利仏が今に残り、そのままの姿を見ることが出来ます。
        妙心上人もご自分のミイラ姿を人目に晒すなんて彼の地からどんな思いで眺めているんでしょうネ。
 
        このお寺、今に残る寺構えからして、寺格の高さと寺勢華やかりし頃の姿が彷彿とするお寺でした。
        横蔵寺、オ シ マ イ 。


永保寺、夢窓疎石作庭の庭園が見ものです。

2018年12月12日 | 岐阜の古寺巡り





(2018.12.08訪問)


岐阜の名刹を訪ねる第二弾は、多治見市の虎渓山永保寺を訪ねます。
迷車大和路号は近畿自動車道、第二京阪、名神高速、東名高速、中央道と日本の幹線高速を突っ走り、東に向かっています。
オッと間違いました、迷車大和路号は突っ走ることは出来ません、例によりチンタラ走行で約200キロを行かねばなりません。
さてさて何時間かかるやら。高速道路は高速で走れるクルマのため、迷車大和路号はスピードが出ません、しかし高速道路を走ります。
ひょっとして今話題のあおり運転をヤラレているかも、しかしそれすら気付かないまま迷車大和路号は悠然と高速道路を走っています。
本当はビクビク。





▼穏やかな土岐川の流れ。手前に永保寺が境内を広げています。







[ 永保寺 ]
●山号 虎渓山(こけいざん)
●寺号 永保寺 (えいほうじ)
●宗派 臨済宗 南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
●開創 夢窓疎石 (むそうそせき)
●開山 元翁本元 (げんのうほんげん)
●開創 正和二年 (1313年)
●本尊 聖観世音菩薩
▲岐阜県多治見市虎渓山町1-42 TEL. 0572-22-0351
▲拝観料 境内自由 (制限日、時間あり) 御朱印300円
▲拝観時間 5 : 00~17 : 00
▲http://www.kokei.or.jp/
▲JR多治見駅から東鉄バス小名田、小滝行き「虎渓山」下車、徒歩7分
 中央道多治見ICから県道381号経由8分





▼土岐川に沿って建つ簡素な黒門、この門からの入山です。







永保寺縁起 (永保寺 HPから抄出)
山号は虎渓山、虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。正和二年(1313年)土岐氏の招きをう
けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、文保元年(1317年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に後事を
託して上京。建武二年(1335年)夢窓が臨川寺(京都)開山となったとき、永保寺開山は元翁本元に改められました。 元翁の寂年は元
弘元年(1331年)で、開山となられた時にはすでに遷化していましたが、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展
開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代延享三年(1746年)には末寺28カ寺、孫末寺1カ寺を有し、 山内塔
頭の輪番によって住持をつとめ護持されてきました。





            ▼虎渓山永保寺と自然石に刻された寺号石標。いきなりのボケPでど〜も。







▼もみじとお地蔵さんが迎えてくれました。







▼お寺では鐘つき堂と云ってるようです。







▼鐘つき堂とさざんか。花の色はこのさざんかだけでした。







▼キレイですネ。







▼鐘つき堂。







▼旧本堂跡に再建された本堂。桁裄七間、入母屋造、檜皮葺の横になが〜い建物です。







▼本堂仏間。須弥壇奥のお厨子に本尊がお祀りのはずです。







            ▼本堂前に対の燈籠。3mはあるでしょうか陶製の燈籠。







▼境内の一部です。







▼本堂と庫裏を繋ぐ建物の唐破風玄関。出入りはしてないようです。







▼庫裏です。







▼一瞬一休さんのお寺に来たのかと錯覚しそう。







            ▼どうですこの堂々たる冬景色。大銀杏なんですが葉っぱはすでに下一面。
             永保寺のイチョウ、多治見市指定天然記念物、
             樹高25.5m、枝張り21.2m、樹齢約700年。







▼まさに黄色の絨毯。手で押さえるとクッションになってました。







▼再び庫裏。







▼臥竜池。観音堂を中心として、手前に臥竜池を配すなど名勝に指定されている庭園です。     
 夢窓疎石の作庭と伝わるそうです。













▼臥竜池の汀に建つ観音堂(国宝)。







▼前面一間の吹き通し、桁裄五間、梁間四間、入母屋造、檜皮葺、一重裳階付、鎌倉時代。
 永保寺のもっとも重要な仏殿、鎌倉末期の禅宗様建築の代表的遺産、檜皮葺屋根の大きな軒反り、凄いでしょ。
 残念ながら堂前でシャットアウト、堂内は窺うこと出来ません。







▼観音堂須弥壇。中央岩窟式厨子の中に本尊がお坐りです。(写真はネットからもらってきました)







            ▼本尊聖観世音菩薩坐像(重文)。像高62.5cm、檜寄木造、玉眼、盛上彩色。
             本尊御開帳は毎年3月15日、年1日だけの御開帳です。
             (写真はネットからもらってきました)

 





▼再び観音堂。屋根の大きな軒反りよく判るでしょう。







▼臥竜池とオシャレな反り橋、無際橋。







▼無際橋。反り橋の中央に観月台。







▼池の汀に立つ石灯籠。







▼手を叩くだけでこれだけ寄ってきました。







▼無際橋観月台。







▼橋に扁額。

 





▼も一度無際橋。







▼切り立った断崖絶壁の梵音巌。







▼梵音巌のテッペンに建つ六角堂霊擁殿。







▼梵音巌斜面には石仏が一杯。                    







▼萱葺の小さなお堂、六角堂霊擁殿。中には千体地蔵が祀られているそうです。







▼流れる小川に秋の名残が……。







▼池を巡る回遊路。この小径はもう冬の装いが始まってるようです。







▼自然石積みの瓦土塀が独特の味を醸しています。塀中に見えるのは開山堂。













▼開山堂は少し離れた塀の中、入ることは出来ないので扉の菊紋から覗いてみると……。







▼開山堂(国宝)。
 入母屋造、檜皮葺、南北朝時代。方三間の昭堂(外陣、礼堂)と奥の方一間裳階付きの祠堂の複合建物。
 昭堂には夢窓国師および開山仏徳禅師の頂相が安置、奥の祠堂には開山の墓塔である石造宝篋印塔を安置している。
 (写真はネットからもらってきました)







▼参道沿いに獅子吼庭。
 京都東福寺本坊庭園の「井田の庭」を模しているそうです。何故ここにこんな庭があるのかよく判りません。







よく判らないまま永保寺 オ シ マ イ

▼拝観初めからオシマイまでこんな天気でした。






開基の夢窓疎石という人は、相当なマルチ人間だったらしく、臨済宗の禅僧で天龍寺の創建に関わり、各地に多くの禅刹を開山、
時の権力者室町将軍家から国師号を与えられ、政治的発言力もあり将軍家からも重用された人物だったようです。
中でも夢窓疎石の名を不動のものにしているのは、作庭家としての名声。お馴染みの「枯山水庭園」「池泉回遊式庭園」を最初に
手掛けた人物とされているそうです。そんな夢窓疎石が手掛けた永保寺の名勝庭園は、素人のボクの眼から見ても、名庭要素が総
てクリアされた庭園に見えました。お寺としての構成要素は、観音堂と開山堂の国宝建造物二棟と本堂、庫裡、庭園の臥竜池、そ
して断崖絶壁の梵音巌と変化に富んだ境内です。大阪から三時間かけてやって来た「お値打ち多ありの永保寺」でした。

これにて永保寺 オ シ マ イ

華厳寺、西国三十三所観音霊場三十三番札所です。

2018年12月05日 | 岐阜の古寺巡り





(2018.12.01訪問)




たまたま西国三十三所観音霊場のご朱印帳を眺めていたら、何としたことでしょう、知らぬ間に三十二所のお寺が拝観済みになって
るじゃありませんか。残り一カ寺を残すのみ、それが三十三番札所谷汲山華厳寺、締めの結願寺院なんです。お寺を訪ねて十数年、
特に三十三所を意識して訪ねてはいませんが大半寺院が近畿圏内にある中で華厳寺は岐阜県にあります。我が大大阪からは少々遠い
ので敬遠していたのかも知れません。よっしゃ、結願しようじゃないかと云うことで大和路号は取り敢えず名神を走っています。





▼境内マップ。







            [ 華厳寺 ]
            ●山号 谷汲山 (たにぐみさん)
            ●寺号 華厳寺 (けごんじ)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開祖 豊然上人 (ほうねんしょうにん) 
            ●創建 延暦十七年 (798年)
            ●本尊 十一面観世音菩薩 (秘仏)
            ▲拝観料 無料 朱印 300円
            ▲ 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
            ▲札所 西国三十三所観音霊場三十三番札所
            ▲JR東海道本線大垣駅→樽見鉄道 谷汲口駅下車 名阪近鉄バス、揖斐川町バス(谷汲山行き)谷汲山下車
            名神高速(関ヶ原IC)(大垣IC)(岐阜羽島IC)から共に約60分 約35km
             東海北陸自動車道(各務原IC)から60分 約35km





            ▼西国三十三満願霊場の碑。







華厳寺縁起 (華厳寺HPより抄出)
奥州会津の出身の大口大領は十一面観世音の建立を願い奥州の文殊堂に参篭し苦行の末、満願明に霊木を手に入れる事が出来、大領
はやっとの思いで尊像を完成させました。京の都から観音像を奥州へ運んでいこうとすると、観音像は近くにあった藤蔓を切って御
杖にして、御笠を被り、わらじを履いて自ら歩き出しました。途中、美濃国赤坂 (現岐阜県大垣市赤坂) にさしかかった時、観音像は
立ち止まり「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と述べられ、奥
州とは異なる北に向かって歩き出しました。しばらくした後、谷汲の地に辿り着いた時、観音像は歩みを止め、一歩も動かなくなっ
たので、大領はこの地こそが結縁の地だろうと思い、山中に柴の庵を結び、誠に持戒堅固な豊然上人が住んでいたので、大領は上人
と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて尊像を安置しました。すると堂近くの岩穴より油が滾々と湧き出し尽きることが無いので、
それより後は燈明に困ることが無かったといいます。





▼仁王門。重層楼門、3間1戸、入母屋造、銅板葺、奥の間左右に仁王像を安置、宝暦年間の再建。







▼山号谷汲山と書かれた仁王門扁額。







▼早速入山しましょう、いきなりのインパクト、期待出来そうじゃないですか。







▼参道沿いはとりどりの赤。







▼十王堂。







▼須弥壇には閻魔大王を中心に十人の裁判官が睨んでいます。







▼羅漢堂。







▼須弥壇中央にはキンピカの阿弥陀三尊、周囲に十六羅漢が取り巻いています。







▼境内は赤の競演。







▼英霊堂。







▼南無阿弥陀仏と書かれた扁額。







▼堂形の珍しいお堂、一切経が納められた経堂です。







▼観音さんと勢至さん、仲がおよろしいようで。







▼袴腰で鐘楼と判りますが、唐破風付きの立派すぎるほど立派な鐘楼。







それでは本堂へ参りましょうか。
▼本堂への石段。







            ▼フル表示は本堂前に。







▼これが結願札所の本堂です。本尊十一面観世音菩薩。桁裄5間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼香煙の絶えることはありません。







            ▼向拝左右の柱の「精進落としの鯉」
             西国巡礼をこのお寺で満願して記念にこの鯉に触ると万々歳。







▼本堂正面の扁額、寺号が書かれています。







▼本堂外陣には多くの奉納額が。







▼内陣に架かる大きな鰐口と山号扁額。







▼質素でシンプルな須弥壇ですネ。







▼奥はこれ以上見えません。お厨子と思われる中に本尊はいらっしゃるのでしょう。







▼本堂後堂に祀られる観音さんと彩色鮮やかな四天王の面々。







            ▼お札を貼りまくられている雨乞い祈願仏。







▼本堂前から来た参道を見下ろすと。







▼見言聞のタヌキ版。







▼本堂横段上に納骨堂。







▼おいづる堂。西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳さらに千羽鶴(折鶴=笈摺)が奉納されされています。







▼おいづる堂内部には奉納された数々の品。







▼奉納された千羽鶴。







▼おいづる堂隣の子安観音堂。本尊子安観音。安産子宝祈願のよだれかけが奉納されています。







▼子安観音堂内の子安堂にはキンピカの観音さんがお坐りです。







▼山々もいい感じ。







            ▼紅葉のボリュームに負けず劣らずの満願堂石柱。







▼小さいながら堂々の堂姿ですネ。お堂周囲に満願の文字の刻まれた狸が大勢並んでいます。







▼満願堂須弥壇。中央に本尊がお立ちです。







            ▼満願堂本尊十一面観音立像。お顔が見えないのは残念でした。







            ▼紅葉と十三重石塔。







▼今盛り。







▼庫裡の一部の阿弥陀堂。







▼本尊阿弥陀さんはまだ新しいようですネ。







▼とりどりの赤。







▼境内の少し離れた所に建つ不動堂。







▼本坊中門、門内から外は赤グラデの世界。







▼講堂は大修復中。







▼全く読めない講堂扁額。







▼講堂仏間。中央のお厨子に立つのは何方かナ。







            ▼今日一印象に残った襖絵。







▼最後に庫裡玄関。







▼西国三十三所観音霊場三十三番札所ご朱印です。






広い境内に所狭しと建ち並ぶ堂宇伽藍、古色に彩られ落ち着きと重厚さが漂うその姿は結願寺院そのものの貫禄か。さすが西国三十
三結願寺院の開創1220年の歴史は伊達じゃありません。西国三十三所観音霊場三十三番札所として巡礼者の最後のお寺として、そし
て時は絶好紅葉のシーズン、もみじの名所としての顔をも持つこの華厳寺、訪れる人の多さは半端じゃありませんでした。ボクの場
合特に巡礼を目的としてお寺を訪ねている訳ではありませんが、ここ華厳寺へは観音霊場結願寺院の重みを感じながら、大阪から約
160キロの道のりをやって来た次第であります。

これにて華厳寺 オ シ マ イ