土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

石塔寺のシンボルはアショーカ王塔。

2011年05月18日 | 滋賀の古寺巡り


(2011.05.14 訪問)

石塔寺は全山石塔と石仏だらけ、その名の通りのなんともユニークなお寺です。
永源寺から国道421号を戻り、名神八日市IC手前県道46号を左折、名神八日市
カントリーの中を通り抜けるとスグの所にお寺はあります。

▼阿育王塔(アショーカ王塔)


[ 石塔寺 ] いしどうじ
●山号 阿育王山(あしょかおうざん)
●寺号 石塔寺(いしどうじ)
●宗派 天台宗
●開山 聖徳太子
●再興 一条天皇
●本尊 聖観音菩薩(秘仏) 御前立 十一面観音菩薩

石塔寺縁起
聖徳太子建立近江四十八院の満願のお寺といわれ旧名本願成就寺が草創。しかし
伝承寺の多くが辿るその後衰退。平安中期、今のお寺のシンボル、阿育王塔が発
見され、時の一条天皇が再興、寺号を阿育王山石塔寺と改めた。

▼参道口 寺号石標より立派な下馬碑が立っています。


▼参道


▼山門 偏額は阿育王山と揮毫されています。


▼本堂


▼本堂偏額


▼本堂須弥壇の御前立ちの十一面観音立像


▼境内に立つガンダーラ風釈迦立像


▼阿育王塔(アショーカ王塔)への参道石段
アホらしいとおもいつつ何段あるか数えながら登りました。158段ありました。
そこで新発見!!
石段嫌いの皆さん、下を向いて段数を数えながら登るといつの間にかテッペンに
つきます。上を向いて登るとエ~まだまだや~とバカらしくなり、しんどさ倍増!
上を向いていいのは九ちゃんの歌だけです。
欠点、周囲の景色が見えません。アシカラズ!! 注:おりる時に見て下さい。


▼参道左脇にはギッシリ五輪塔や石仏がイッパイです。
この写真はおりる時、上を向いて撮りました。


▼阿育王塔(アショーカ王塔)(重文)
参道石段を登りきると視界がバッと開け、一瞬異様さに目が回りました。ボクに
はスグ目が回る持病があります。
三層の石塔。塔高約8m、笠厚約70cm。
現存する最古の石塔で日本最大、朝鮮百済風の塔姿。
紀元前3世紀頃インドマウリヤ王朝第3代の王、アショーカ王が仏舎利を納めた仏
舎利塔を8万4千基建立したと伝えられ、その内の1基がこの塔だと云う伝承が残っ
ています。 誰がどうして運んできたのでしょう、気になりません?




▼五輪塔群
阿育王塔を中心に小型五輪塔が整然と並べられているのは壮観です。鎌倉以降市
井の人々が奉納するようになり数万基?あるそうです。


▼阿育王塔(アショーカ王塔)を取り巻く五輪塔群


▼石仏群
五輪塔群から細道が200mほど続き、その両側にこれまた石仏がギッシリ。


▼鐘楼
この場所ではチョット場違いな感じが。


数万基と云われる石塔石仏が山上の平坦地に整然と並べられているのは、強烈な
インパクト。異様ではあるけれども三重石塔への熱烈な信仰エネルギーを感じま
す。7世紀以降この湖東一帯は滅亡百済渡来人の居住地、彼等の故国を思う思慕が、
彼等のシンボル三重石塔にエネルギーを集中させたのでは。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ゆうこママ)
2011-05-18 21:55:43
またしてもお久しぶりです。
元気に古寺めぐりを続けていらっしゃるようでなによりです。

石段を楽に登るテクニックですが、私もこの前のGWに発見しました。九州国東半島での仏像めぐりの際です。
長い石段があれっ?て感じでした。不思議ですね。

さて、石塔寺です。
私も数年前に独りで行きましたが、以下そのときの記憶です。
石塔寺のあの超個性的な塔とおびただしい数の石仏に、実は私、恐ろしさのような何ともいえない気分を味わいました。

誰もいない境内で、世の中の音がすべて、石に吸収されてしまったかのような静寂。
そして、時間や距離の概念がふっとんでしまうような大小新旧さまざまな石。
きわめつけは、あの奇妙な形の塔です。

正直、怖くて逃げ出したくなりました。
あの感覚は、なんだったのでしょう?
いまだに自分の中でうまく消化できません。
返信する
Unknown (hidepon)
2011-05-20 00:52:38
ゆうこママさんお久しぶりです。
まるささんで読ませてもらいました。
国東半島仏像巡りいいなァ…
臼杵石仏巡りいいなァ…
九州遠征いいなァ…
ガイドや写真でしか知りませんので、
どんな行程だったのでしょう、興味があります。

石塔寺も行かれてましたか、さすが…。
感想を問われたら、やっぱり変な寺としか云いようがありません。
本堂のある狭い境内と三重石塔のあるエリアは本来まったく別ものだったのではないでしょうか。

渡来百済人の作為的意図がプンプンにおいます。









返信する

コメントを投稿