飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(関東):群馬県、板倉雷電神社弁天社 伊奈良の沼

2012年07月18日 | 万葉アルバム(関東)

上毛野(かみつけの) 伊奈良(いなら)の沼の 大藺草(おほゐぐさ)
よそに見しよは 今こそまされ  
   =巻14-3417 作者未詳=


 上野國(かみつけのくに)の、伊奈良(いなら)の沼の( まだ刈り取る前の) 大藺草(おほゐぐさ)と同じように、あなたのことを傍らから見ていただけの頃よりも、(お会いした)今の方がずっとずっと素敵です。という意味。

 →この歌は同じ板倉町中央公園にも別の歌碑が建っており、歌の詳細はこちらの万葉アルバム

 板倉町中央公園の雷電沼のほとりに白龍弁財天がある。
この万葉歌碑は白龍弁財天のわきに建っている。この弁財天は隣接する雷電神社の摂社だろう。
歌碑の前に松の木が生い茂って、歌碑の存在をあやうく見失ってしまうところだった。

 雷神碑<写真クリック拡大>
 この歌碑は雷神碑と記され雷電神社の由緒を書いた碑である。
それには、聖徳太子が建てさせたもので・・・から始まり由来が書かれ、終わりに、この伊奈良(いなら)の沼は昔の風情を残し、国歌に詠われたとあり、万葉集の「上毛野(かみつけの)伊奈良(いなら)の沼の・・」が刻まれている。嘉永元年(1848)建立とある。(左3列に万葉仮名の万葉歌と建立年が記されている)

 雷電沼
 雷電沼は、かつての伊奈良沼かとも考えられる。
 昔、この沼からは龍駒・龍馬が飛び出したとも、あるいは龍が棲むとも伝えられ、日照りのときに雨乞いを行い、参拝者が身を清める沼でもあった。

 板倉雷電神社
板倉雷電神社は、関東に多い雷電神社の総本宮だそうだ。聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良(いなら)の沼に浮かぶ小島に祠(ほこら)を設け、天の神をお祀(まつ)りしたのが最初とされている。