飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム 草木、あさ

2011年09月15日 | 万葉アルバム(自然編)

庭に立つ 麻手(あさて)刈り干し 布(ぬの)さらす
東女(あづまをみな)を 忘れたまふな
   =巻04-0521 常陸娘子=


庭に生えている麻を刈り取って干しては 織った布を日に曝す(そんなつましい暮らしの中にいる)この東女をお忘れにならないでください。という意味。

この歌は、藤原宇合(ウマカイ)が若い頃、その任地である常陸の国から都へと戻るときに、その土地の女から贈られた歌である。
当時は都のある西国に比べて東国は遠い田舎に過ぎなかった。しかし東女という言葉に遠い都へのたくましい自己主張が感じられる。

宇合は719年常陸守に赴任し、2年後の721年に都に帰ったとみられる。その後トントン拍子で出世する藤原家の御曹司・あの藤原不比等の三男である。

常陸娘子については詳しくはわからないが、おそらく宇合の赴任中に一時期を共に過ごした地方豪族の娘あたりであろうと思われる。

「麻手」はアサ(麻)のこと。
麻は、今は麻薬の原料ということで栽培が厳しくなり、さらには化学繊維に押されてあまり利用されなくなったが、かつては日本人の生活にはなくてならぬもので神事・冠婚葬祭から日常生活までいろいろと利用された。江戸時代に木綿が普及するまでは布といえば麻布を指した。
麻は古代衣服の重要な原料であり、麻の刈り取りから布作りまで娘たちの仕事だったようだ。麻は紅花・藍とともに三草と呼ばれ、古くから全国で栽培されていた。特に開放的な夏に忍びよる魔を祓うのに使われたのが生命力みなぎる麻の葉であったという。

アサに関する万葉歌は26首と多くみられる。

 常陸国府跡
この万葉歌碑は茨城県石岡市常陸国府に建っているものである。
常陸の国は、古くは高、久自、仲、新治、筑波、茨城の六国が独立していたが、大化の改新の際、六国が統合されて誕生した。国府は石岡に置かれ、また国分寺、国分尼寺なども建てられた。石岡小学校の敷地内に上の常陸国府跡の碑がある。
石岡小学校の一角に石岡市の民俗資料館があり、万葉歌碑がある。