アルプスを越えて、やってきたのはスイスです。ここは、チューリッヒの中央駅です。
後ろの時刻表の左が長距離列車、右が都市近郊列車のものです。こういうデザインはヨーロッパらしいですね。
ちゃあんと駅の中には、これも。
スイスならではの伝統的な楽器「アルプホルン」を演奏する人を駅構内で見かけました。
アルプホルンとは、筒の長い楽器で、指で押さえる穴のようなものは着いていません。息の吹き方で音程を調節します。アルペンホルンと呼ばれることもあります。日本の高山帯もアルプスと呼ばれたことから、所々でこれを演奏することもありますが、ここは本物ですね。
ボディは木製です。「アルプスの少女ハイジ」のテーマソングで、最初になる低い音の楽器が、アルプホルンです。ちなみに、ハイジの曲は、ヨーデルとアルプホルンの音をスイスで録音したそうです。たしか、映像も現地でロケして描いたという話です。さすが、宮崎駿です。
アルプホルンでよく演奏されるのは、「ラン・デ・ヴァッシュ」というスイスの伝統的な牛追い唄です。ラン・デ・ヴァッシュは特定の曲を指すのではなく、牛追いのときに歌われる唄の総称のようです。クラシックでも ロッシーニのウィリアム・テル序曲やブラームスの第1交響曲などは、アルプホルンの影響を受けた旋律として知られています。
かつての花形電車が展示されています。
かつての日本は、気動車が客車や貨車を引いていましたが、今ではそれぞれの車両にモーターなどを取り付けたタイプが増えています。スイスは、伝統的に機関車の牽引タイプが残っており、これもかつて活躍したものです。客車と貨車を組み合わせて運行できるのが、うまく環境に適しているのでしょう。地形のこともあって、鉄道は個性的な発展を見せています。
アマデウスはこの街で約2週間を過ごしたそうです。いろいろみて歩きたいと思います。
大聖堂(グロスミュンスター)の前です。
チューリヒのシンボルともなっている大聖堂(グロスミュンスター)は、11世紀から建設が始まり、ロマネスク様式で建てられましたが、後年にはゴシック様式も加わっています。
アマデウスは、この大聖堂でもオルガンを弾いたと思われますが、コレギウムでのコンサートの記録が残されています。
ナンネルとの姉弟のコンサートを知らせるチラシのその裏にヘ長調のクラヴィーアの小品が書かれています。これはK(第6版)33Bとして整理されている作品で、僅か26小節の小品です。
チューリヒは、今日、ヨーロッパを代表する音楽都市です。1830年代に歌劇場がつくられ、1840年代には、革命騒ぎに加わってお尋ね者となったワーグナーがフランツ・リストの助けでチューリヒに逃げ込みます。
ワーグナーを援助したのが、オットー・ヴェーゼンドンクで、ワーグナーは、妻ミンナとともに、チューリヒに滞在し、楽劇『トリスタンとイゾルデ』の作曲を行いました。
どんな風景に出会えるのか、楽しみです。
後ろの時刻表の左が長距離列車、右が都市近郊列車のものです。こういうデザインはヨーロッパらしいですね。
ちゃあんと駅の中には、これも。
スイスならではの伝統的な楽器「アルプホルン」を演奏する人を駅構内で見かけました。
アルプホルンとは、筒の長い楽器で、指で押さえる穴のようなものは着いていません。息の吹き方で音程を調節します。アルペンホルンと呼ばれることもあります。日本の高山帯もアルプスと呼ばれたことから、所々でこれを演奏することもありますが、ここは本物ですね。
ボディは木製です。「アルプスの少女ハイジ」のテーマソングで、最初になる低い音の楽器が、アルプホルンです。ちなみに、ハイジの曲は、ヨーデルとアルプホルンの音をスイスで録音したそうです。たしか、映像も現地でロケして描いたという話です。さすが、宮崎駿です。
アルプホルンでよく演奏されるのは、「ラン・デ・ヴァッシュ」というスイスの伝統的な牛追い唄です。ラン・デ・ヴァッシュは特定の曲を指すのではなく、牛追いのときに歌われる唄の総称のようです。クラシックでも ロッシーニのウィリアム・テル序曲やブラームスの第1交響曲などは、アルプホルンの影響を受けた旋律として知られています。
かつての花形電車が展示されています。
かつての日本は、気動車が客車や貨車を引いていましたが、今ではそれぞれの車両にモーターなどを取り付けたタイプが増えています。スイスは、伝統的に機関車の牽引タイプが残っており、これもかつて活躍したものです。客車と貨車を組み合わせて運行できるのが、うまく環境に適しているのでしょう。地形のこともあって、鉄道は個性的な発展を見せています。
アマデウスはこの街で約2週間を過ごしたそうです。いろいろみて歩きたいと思います。
大聖堂(グロスミュンスター)の前です。
チューリヒのシンボルともなっている大聖堂(グロスミュンスター)は、11世紀から建設が始まり、ロマネスク様式で建てられましたが、後年にはゴシック様式も加わっています。
アマデウスは、この大聖堂でもオルガンを弾いたと思われますが、コレギウムでのコンサートの記録が残されています。
ナンネルとの姉弟のコンサートを知らせるチラシのその裏にヘ長調のクラヴィーアの小品が書かれています。これはK(第6版)33Bとして整理されている作品で、僅か26小節の小品です。
チューリヒは、今日、ヨーロッパを代表する音楽都市です。1830年代に歌劇場がつくられ、1840年代には、革命騒ぎに加わってお尋ね者となったワーグナーがフランツ・リストの助けでチューリヒに逃げ込みます。
ワーグナーを援助したのが、オットー・ヴェーゼンドンクで、ワーグナーは、妻ミンナとともに、チューリヒに滞在し、楽劇『トリスタンとイゾルデ』の作曲を行いました。
どんな風景に出会えるのか、楽しみです。