それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

結婚式のスピーチ

2016-11-10 11:02:49 | 日記
 この間、留学時代の友人ふたりの結婚式に出て、友人代表のスピーチをやった。

 ふたりを結び付けたのが僕だということで呼ばれたのだ。

 友人の席には、僕ともうひとりだけ。

 海外生活が長いと、日本にいる友達の結婚式には出られないから、ふたりともずっと断っていたみたい。

 それで式に呼べる友人が極端に少なくなったって、新婦のお父さんが話してくれた。



 はじめて結婚式でスピーチするものだから、僕は事前に原稿を用意することにした。

 それで、ふたりと一緒にいた時間のことを色々思い出していた。

 特に新婦とは、結構一緒にいる時間が長かった。

 お互いに博士課程で、将来どうなるのか分からない状態だったから、孤独を分かり合えるすごく大切な友人だった。

 新郎とはその後に出会った。

 不器用で、すごく真っ直ぐで、シャイな人だった。

 彼に好きな人ができて、僕はその相談を受けていた。新婦じゃない別の女性。まだ彼はこの頃、後のパートナーと出会っていない。

 

 僕は彼の恋愛がうまくいかないことを知っていた。

 彼の好きだった女性が彼のことをどう考えているのか、全部聞いていたから。

 でも僕は、彼がやりたいようにするべきだと思った。

 ちゃんと燃え尽きないと、次の恋愛に行けないものだと思った。

 正直言えば、若干面倒くさかった。

 気づけ!!と思っていた。



 で、彼は失恋した。ちゃんと失恋した。

 そして、僕がイギリスを去るとき、彼に僕の大切な友人を紹介した。

 でもそれは、あくまで仕事に関係で役に立つように、と思って。

 それで、いつの間にかふたりは付き合いだして、そして結婚した。



 すごく不思議な気持ちだった。

 ホッとしたような、寂しいような、少しだけ不安なような。



 そんな様子をご親族の前ですべてスピーチするわけはなく、

 ご親族が聞きたいことをちゃんとパッケージして、それでスピーチした。

 みんな、すごく喜んでいた。僕のスピーチにすごく興奮していた。

 さすが大学の先生ねって、言っていた。

 僕は、式の後も新郎・新婦のふたりのお父さんにつかまって、ずっとお茶していた。

 彼らは話したいことが山ほどあるようだった。

 僕は娘や息子を手放す、お父さんの気持ちがどうしても知りたくて、

 それで沢山話を聞いてしまった。



 僕もずっと前に結婚式をやった。

 僕は両親だけを呼んで、妻は親戚を3人だけ呼んだ。

 僕はどうしても他人から僕の幸せを勝手に解釈してほしくなくて。それで式を最小規模にしてもらった。

 意味も分からないのに祝ってもらっても困る、と僕は思っていた。



 それは今も変わらないのだけど、

 でも、研究についてはちょっと違うなと思っている。

 本のあとがきにも書いたけど、僕の研究は本当に多くの人との出会いによってできている。

 それが僕を守ってくれている。

 結婚したふたりとの出会いもそうだ。

 僕の研究は、僕ひとりが頭の中で勝手に考えたものじゃない。

 沢山の人とのやり取りのなかで、多くの人の思いによって支えられて、できている。

 今もそれは変わらない。

 すごく大切なことを思い出したような気がしている。

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