菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

期待は外に、愉快は内にある。  『アフター・アース』

2013年06月28日 00時00分38秒 | 映画(公開映画)
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第442回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『アフター・アース』










SF好き、ウィル・スミス好き、M・ナイト・シャマランをどうしようもなく好きでない方には勧められないトンデモSF。


ウィル・スミスの家族映画でもある。
息子のジェイデン・スミスが主演、ウィル・スミスが助演・原案・共同プロデューサー、妻ジェイダ・ピンケット・スミスが共同プロデューーサーですからね。
これに娘のウィローが入ったら、家族勢揃いで、いつかそういう映画を撮りそうな気もする。



さて、トンデモ映画の巨匠になりつつあるM・ナイト・シャマランはついに、脚本をオリジナルかつ単独では書いていないので、あんまりシャマラン節になってない。
共同脚本で『ザ・ウォーカー』などのゲイリー・ウィッタが入っている。
あれも、トンデモSFで、しかもデンゼル・ワシントン主役だったから、バッチリ。
でも、ある意味でのシャマラン節は残っている。
これについてはおまけで。

今回、この作品が面白かったのは、おいらがシャマランのファンであることも大きいですが、SF映画として、注目ポイントが多かったから。




2000年代のトンデモSFの代表作といえば、『バトルフィールド・アース』というのがあるのですが、まさに、2010年代の代表になりかねない一本が『アフター・アース』。
まぁ、『プロメテウス』も大概ですが。

ただ、『プロメテウス』も『アフター・アース』もSF映画としては、ある種の挑戦をしているんですよね。
『プロメテウス』については紹介記事を読んでもらうとして、『アフター・アース』の何が挑戦かというと・・・。

1000年後の人類の科学発展に挑んだこと。
いわゆる、『ブレ-ドランナー』や『未来世紀ブラジル』などの既存の未来像や中世化ではなく、オリジナルの美術に挑んだこと。
『プロメテウス』は、百数十年後の科学的発展を映像にしようと取り組んでいて、その点を高く評価したんだけど、そもそも『エイリアン』のアレンジでもあった。
それに、どちらかというと古代化の方向が強かった。

ところが、『アフター・アース』はその題名の通り、人類がいなくなった後の地球が舞台。
地球の進化については、想像の範囲内ではある。
だが、その地球を離れた人類の文明の方向性に挑んでいたということ。

その方向性とは、植物や有機体、繊維、方向への発展。
居住する街も布を多く使った文明で、宇宙船でさえ、植物的なカーボン製であることが示される。
これは、結構注意しないと妙な陳腐さが出るが、CGに美術での再現で、かなり面白いものになっている。
どことなく、アフリカ、アジア、南米、中東などの雰囲気がある。
戦士の誇りが大事のようで、武士のように飛び道具を所持しない。
完全に文化が変わっている。


美術は、トーマス・E・サンダースで、中世の世界を描いた映画で腕を磨いてきており、意識して起用されたことがわかる。



撮影は、名匠ピーター・サシツキー。
何本も傑作を撮影し、デビッド・クローネンバーグの目と言えるSFやホラー、ジャンル映画にも哲学的イメージを映像に変換する異才。
『マーズ・アタック』や『銀河伝説クルール』のようなトンデモ系SFでも手腕を振るっているので、まさにバッチリ。
シャマラン的な狭めの構図に、独特の意味性を与えている。



視覚効果監修は、ジョナサン・ロスバート。
VFXはなかなかで、もうここまで来たんだなぁ、と感慨深い。



なにより音楽がいつもながらのジェームズ・ニュートン・ハワードでドラマをピアノや打楽器の旋律で盛り上げてくれて実に心地よい。



一応、書いておくと、キャストは息子にジェイデン・スミス、父にウイル・スミス、母にソフィー・オコネドー、娘役にゾーイ・イザベラ・クラヴィッツ。
ちなみに、娘役の彼女はレニー・クラヴィッツの娘。



いろんな変わり種が増えてきたSFのなかでもある種王道な設定に、親子の新たなつながりを描き出した感動系オルタナSF。
こういういい部分も多いけど、ツッコミどころ満載の映画は、自分の目を試されて楽しいのよね。


















おまけ。

このセリフにぐっときた。
「危険は外に、恐怖は内にある」。
ただ意訳んあだよね。
オリジナルだと、「DANGER IS REAL.FEAR IS A CHOICE」で、直訳気味だと「危険は目の前にある。恐怖は選択できる」になっちゃうんだよね。



ウィル・スミスの原案は、ジェイデンと共演作を考えている時の会話が元になっているそう。
現代のアラスカが舞台で、飛行機が墜落して、父と息子が生き残る。
そして、怪我で動けない父親の無線の指示を頼りに息子が山を降りて助けを呼びに行く話だった。
それを思いついたウィル・スミスがシャマランを監督と脚本に抜擢したんだそう。



アフターアースとは、西暦のADを終え、次の暦のAEのこと。
つまり、地球後暦となる。
ちなみに地球後暦1年は、西暦2025年頃で、今から12年後。



ネタバレ。

どんでん返しや、長回しなどシャマラン節はいくつかあれど、一番のシャマラン節は宗教についての視点。
今回はそれは二つの点で現れている。
救世主の父と未熟な息子が、逆の立場、その父が怪我を負い、息子が父を助けるべく行動する。
全能なる父とキリストの関係が透けて見える。
そして、もう一つは鳥。
キリスト教では、神は鳥として地上に現れがちなのよね。
この映画では妙に重要なキャラとして描かれる巨大な鳥は、まさにそれを象徴している。
だから、二度も主人公を救う。
このうちの一回は成立しているが、2回目はさすがに思いが強くです来て、映画に悪印象を残している。
意識がないはずの主人公の主観を見せていることからもそれまでの父の支店と一致し、意識が飛んでいる父親が通じたような描写になっているのだが。
シャマランは救世主とその期待を負ったものを描いてきていた。
だが、『アンブレイカブル』から、完全にSFとなり、宗教世界をSFで表現するという方法が強調される。



この映画ならではの有機体的科学発展は面白かったのだが、軽いのでどうしても安っぽく見えてしまってもったいなかった。
特に、武器の軽さは、確かに軽くて、切れ味がいいのは武器としていいんだけど、映画的に少々力不足には感じた。
おいらはその矛盾した感じは好きなのだが、機能的すぎることが仇となったかな、と。
せいぜい3種類ぐらいしか使われないし。
あと、ビニール素材は近未来につきものなので、それがチープさを少し感じさせた可能性大。


地球の進化の状況があまりにもわからないのも、ちょっと乗り切れない気もするが、まぁ、『ハプニング』後だと考えるとちょっと楽しい。
しかし、ホットスポットはどういうところにあるのかとか、通信がうまくいかない可能性があるのに目印とかを伝えないのか?、とかは気になる。


他にもスーツの飛ぶ設定はいいけどあれで着地どうするんだ?、宇宙船に常備されている呼吸薬の少なさとか、監視マシーンを数機でキタイの周りと、自分の周りに配置しないのはなぜか?、とかツッコミどころは山ほどあります。


これはネーミングなので、ツッコミとは違いますが、息子の名前がキタイで、娘の名前がセンシ。
日本人にだけは少々直接的すぎる名前なのよね。
期待に戦死または戦士とも読める。
そして、実際に、日本語の期待から名付けた、とシャマラン自身が発言している。
父はさすがにサイファで母はファイアだったけど。


で、敵の化物の名前がアーサとアースと響きが似ているのもなんでだろう?
もちろん、EARTHとURSAで発音はだいぶ違うんだけど。
もしかして、アーサって、アメリカの隠喩だったりしてね。
人の恐怖心を嗅ぎつけて襲ってくる化物だしね。




今回オイラが惹かれたのは、もうひとつのシャマラン節。
それは妙に細かい設定。
物語に生きるかどうか不明なまでに細かい設定を、きちんと描いてしまうところがあるのよね。
これが物語に噛み合っている時までは、トンデモ映画ではなかった。
今回は、多くの設定が、物語に絡まず、ビジュアルを支えているだけになっている。
もちろん、無人カメラや主観映像化システム、多機能スーツなどは、物語だけでなく映画的にもかなり寄与しているだけに、実に惜しい。

その中のひとつで、オイラがシャマランのファンである理由のシャマラン節もきちんとやってくれたのよね。
だから、記事に今回書いたのよね。

それは、色による語り。
ここに2作ではナリを秘めていたのだけど、今回はそれが満載だったのよね。
しかも、設定にまで入れて。
特徴的なのは、多機能スーツ。
体調に合わせて、色彩まで変わり、それはそのまま主人公の感情表現にまでつながっている。


主役に監督、プロデューサー、脚本家までが有色人種のハリウッドメジャー映画というのは、快挙なんではないか?
ただ、残念なことに、北米ではヒットとはいえない成績になっている。
世界成績がいいことを祈る。




シャマランは実際は、かなり小さいサイズの映画をハリウッドメジャー作品で撮っている例外中の例外でもある。
脚本も自分、『シックス・センス』のヒットから、プロデューサーも兼ね続けている。
今回も、メインキャストは4人だけだし。
主役はブルース・ウィリス、メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、マーク・ウォルバーグ、ポール・ジアマッティとハリウッドのスター。
出た当時は無名でも、ハーレイ・ジョエル・オスメントやブライス・ダラス・ハワードを一躍スターに変えた。
いくつか失敗作を重ねても、大作『ハプニング』でエコ・ホラーを作り上げ、原作はヒット作でもほぼ無スターなしの『エアベンダー』と、トチ狂った作品を送り出し続けている。
ある意味でのレジェント。
『アフター・アース』は大スターであるウィル・スミス主演作でありながら、北米ではかなりのこけ方をしているが、はたして、シャマランは何処へ行くのか?
逆に、次の作品が楽しみでならない。

そして、シャマランといえば、スピルバーグ信奉者。
今回の親子関係をどこか『インディー・ジョーンズ3』になぞらえて観るのも面白い。
それに、子供を主人公にした話、親子関係を描くというテーマをいくども描いてきたシャマランならではの物語だとも言える。
『エアベンダー』は少々やりすぎだったけれど。

あと、ヒッチコック信奉者でもあり、カメオ出演もしていたが、今回も出ていたのかしら?
実際、長編デビュー作では自伝的作品で、自分で主役をやっていたりしており、ある意味で、今作のウィル・スミスとジェイデン・スミスはシャマランの映画にしてくれる最大のキャストを見つけたのかもしれない。
まぁ、殿堂入りにサミュエル・L・ジャクソンがいるのだけど。





追記。
書き忘れ。
どんでん返しはラストのキタイの選択にあると言えるかもしれない。
レンジャーになりたがったキタイが最後に選ぶのは、母ファイアを働くこと。
つまり、戦士の道を諦める。
言ってしまえば、恐怖を克服した少年が選ぶのは、恐怖の存在しない場所。
つまり父親の状態を見て、恐怖を克服しても、事故には勝てないし、姉を失った家族のために、失うという恐怖を選択肢に入れにくい場所に場所を求める。
巨富を捨てた先には、期待や自己満足、遅々とおなじみ日夜どうかではなく、現在を選択する心の強さを獲得する。
誰かの為に戦いを捨てることの美しさを描いた稀有なハリウッド大作なんである。


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