菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

映画に自由をこめて。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

2019年09月07日 00時00分47秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1574回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 

 

 

1969年のハリウッドを舞台に、復活を期す落ち目のTV俳優と、長年彼のスタントマンを務めてきた男の友情の行方を、古き良き60年代アメリカへの愛満載に、虚実を織り交ぜつつ郷愁あふれる筆致で描き出すノスタルジック・エンタテインメント。

 

有名な“シャロン・テート殺人事件”も下敷きにしている。

これが初共演となるレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピット。

 

 

監督と脚本は、クエンティン・タランティーノ。
10作で監督は引退と宣言している。そして、これが第9作。

 

 

 

 

物語。

俳優リック・ダルトンは一時はTVB ドラマで人気スターとなったものの、映画への転身に失敗し、日の出の勢いも8年前、なかなか復活の道が拓けずにいた。
焦りと不満で情緒不安定な彼を慰めるのは、リックのスタントダブルとして、公私にわたって支えてきたスタントマンのクリフ・ブース。二人で、厳しいショウビジネスの世界を生き抜いてきた。
いくら演技に真摯に向き合ってもリックのキャリアはゆっくりと下り坂を下りていく。
そんな時、リックにマカロニ西部劇映画に主演の話が舞い込むが、彼はそれは落ちぶれ者の仕事だと断ってしまう。

そんな彼の家の隣には、上り調子の時代の寵児となった映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で新進女優のシャロン・テートが越してきていた。リックは彼らとの勢いの違いを痛感していた。

 

 

 

出演。
レオナルド・ディカプリオが、リック・ダルトン。
ブラッド・ピットが、クリフ・ブース。

マーゴット・ロビーが、シャロン・テート。

アル・パチーノが、マーヴィン・シュワーズ。

ロレンツァ・イッツォが、フランチェスカ・カプッチ。 

エミール・ハーシュが、元婚約者でヘアメイクのジェイ・セブリング。

ジュリア・バターズが、子役のトルディ。
ティモシー・オリファントが、主演のジェームス・ステイシー。
ルーク・ペリーが、共演者のウェイン・マウンダー。

ダミアン・ルイスが、スティーブ・マックイーン。
マイク・モーが、ブルース・リー。
ニコラス・ハモンドが、監督のサム・ワナメイカー。 

カート・ラッセルが、スタントマンのランディ。
ゾーイ・ベルが、奥さんのジャネット。
レベッカ・ゲイハートが、ビリー・ブース。

ブルース・ダーンが、牧場主のジョージ・スパーン。

デイモン・ヘリマンが、チャールズ・マンソン。

マーガレット・クアリーが、プッシーキャット。
ダコタ・ファニングが、リネット・“スクィーキー”・フロム。
オースティン・バトラーが、マンソン・ファミリーのテックス・ワトソン。
スーザン・アトキンズが、サディ。
パトリシア・クレンウィンケルが、ケイティ。
マヤ・ホークが、リンダ・カサビアン。

ラファル・ザビエルチャが、ロマン・ポランスキー。
コスタ・ローニンが、ヴォイテック・フライコウスキー。
サマンサ・ロビンソンが、コーヒー財閥の相続人アビゲイル・フォルジャー。

 

 

 

 

 

 

スタッフ。

製作は、デヴィッド・ハイマン、シャノン・マッキントッシュ、クエンティン・タランティーノ。
製作総指揮は、ジョージア・カカンデス、ユ・ドン、ジェフリー・チャン。

撮影は、ロバート・リチャードソン。

プロダクションデザインは、バーバラ・リング。
衣装デザインは、アリアンヌ・フィリップス。

編集は、フレッド・ラスキン。

 

 

 

69年、落ち目俳優とそのスタントダブルが明日を探し、新進女優が明日を輝かせるドラマ。
クエンティン・タランティーノ作品。今までとは毛色が違うが集大成でもある。架空史ものの第三弾だが明確な繋がりはない。
あの時代と映画と俳優への愛に溢れている。そして、自由に。
なにより子供心の帆を大人体の舵で横断していく。
二人がいるということに友情がある。台詞や答えがないとその思いが探れない向きには物語が薄く見えるかもしれない。それはモチーフ話法のせいでもある。ニューシネマの息吹もある。
多くのアメリカ映画のクリシェを使いながら映画が引き継いできたスタイルで歴史を繋げていく。
映画が起きてみる夢、現実の分身であることをあの二人で示していく。
そこには現代映画史のアイコンであるレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットのコンビだからこその意味がある。アル・パチーノが彼らに二つの道を指す。
その車のスピードはダイジェストではない映画の語りの速度を音楽とともに先導する。
美術、撮影、編集の芸。
歩き、進み、転び、倒れ、立ち上がり、運ばれていくか歩いていくかの甦作。

 

 

 

 

 

 

おまけ。 

原題は、『ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD』。
『昔々、ハリウッドで』。

 

この時点で、寓話であることも示されている。

前の2作と違い、現代に近いので、観客が受ける印象に気を配ったのだろう。
映画内にも入れたある小道具もその仕掛けの一部として組み込んだと思われる。

セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム』シリーズ三部作を引き継いでいる意図もあるのかも。

 

 

 

 

上映時間は、161分。
製作国は、アメリカ。
映倫は、PG12。

 

 

 

 

受賞歴。

2019年のカンヌ映画祭にて、パルム・ドッグ賞が、クリフの飼い犬ブランディを演じたアメリカン・ピット・ブル・テリアに与えられた。

 

 

 

 

キャッチコピーは、「1969年8月9日、事件は起こった。この二人にも――ラスト13分。タランティーノがハリウッドの闇に奇跡を起こす。」。

ラスト●●あおりではありますが、スケッチ系の映画で長めでもあるので終わりに楽しみを意識させたんでしょうね。 

 

 

 

 

ややネタバレ。 

レッド・アップル(タランティーノ映画に出てくる架空の煙草)のCM監督役(声だけ)をやっているのは、クエンティン・タランティーノ自身。レッド・アップルはタランティーノ作品でお馴染みの煙草の銘柄。

 

ティム・ロスは出ていましたが、カットされてしまい、クレジットはTim Roth(cut)に。

クレジットではGANGSのくくりにありますが、これは古くからの協力者をタランティーノ・ギャングス(悪友チームみたいな意味)としてくくったとのこと。ギャング役のことではない。

ジェームズ・マースデンもカットされている。バート・レイノルズ役だったそう。

 

ブラッド・ピットは俳優業の縮小を宣言した。今後は裏方やその他のアーティスト(彫刻)活動を中心にするそうだ。 

 

ベンガル・ランサーは『ベンガルの槍騎兵』(原題は『The Lives of a Bengal Lancer』)という1935年のアカデミー賞にもノミネートされた作品のネタではないか。

 

『パルプ・フィクション』と『フロム・ダスク・ティル・ドーン』に出てくる架空のバーガー店ビッグ・カフナ・バーガーもありましたね。 

 

 

リックがセリフが飛んだ後でトレーラーに帰ってからの芝居は、ほぼレオナルド・ディカプリオのアドリブなんですと。

 

 

ハリウッドは子役をスターにして消費するところでもあるので、モデルといえるほどの方はたくさんいて、明確には不明ですが、大人でもプロでない俳優、子供でもプロの俳優という配置だとは思います。
実は最初のホンにはトルーディのキャラはいなかったそうですが、TVで見たジュリアをオーディションに呼び、惚れ込んだタランティーノが彼女のためにあの役をつくり、シーンを書いたそうです。

 

 

ルーク・ペリーの遺作の一つ。

 

 

 

 

ネタバレ。

リックのモデルは複数のスターで、スティーブ・マックイーンとクリント・イーストウッドもそうだが、マカロニ・ウェスタンに出演するので、TVの西部劇ドラマ『ガンスモーク』で名を売り、渡りセルジオ・コルブッチの西部劇『さすらいのガンマン』に主演したバート・レイノルズがメインのイメージと思われる。『さすらいのガンマン』の原題は『Navajo Joe』で陸が主演したのは、『ネブラスカ・ジム』だったのもそれをもじったのだろう。『マクラウスキー 14の拳』のキャラは戦争映画『大反撃』でをバート・ランカスターが演じた片目に眼帯をした軍人ファルコナーだろう。ほかにもTVでスターになったが映画へキャリアを移せなった多くの俳優たちの集合体。

実際、バート・レイノルズにも出演のオファーをしており、リハーサルもしたが、逝去してしまたっため。叶わなかった。クリフが言われる「その(スタントマン)割に顔が綺麗だ」はバート・レイノルズがブラッドピットと話したことを基に作った台詞だそう。
その役はジョージ・スパーンで、代わりにブルース・ダーンが演じている。

そうなると、クリフのモデルは、バート・レイノルズのスタントマンから、後にアクション映画の監督となり、佳作を連発したハル・ニーダムだろう。

 

タランティーノはインタビューで、クリフは第二次大戦中にグリーンベレーに所属し、戦争中に多くの敵兵を殺した経験を持つ男という設定で、それは同じくブラッド・ピットが演じた『イングロリアス・バスターズ』のアルド・レイン中尉の設定と重なっている。

同様に、リックが演じるラテン系のガンマンは、同じくレオナルド・ディカプリオが演じた『ジャンゴ 繋がれざる者』のムッシュ・キャンディに似ている。

なので、これはクエンティン・タランティーノの虚構歴史もの三部作の締めくくりとも言える。第二次世界大戦の時代(対するはナチス)、西部時代(対するはフランス系白人)、本作はハリウッドの一時的凋落前の黄金時代の終わり68~69年(対するはイタリア映画界)。
その二つの時代を演じる男(とその分身)が主役となっている。

欧米ではなんでか分身ネタが大好きで、ドッペルゲンガー、鏡像、別の自分ネタだけで一ジャンルになるほど。
今作はそれを現実の分身であるスタントダブルとして主人公を二人にした設定で構造。つまり、構造そのものが欧米の映画というものを示してもいる。
オープニングのクレジットであえて二人の背中に逆の名前を載せてるところから狙っている。

エピソードも対になっている。
リックは子役の横で座り、彼女の大人ぶりを見せられる。そして、足の上に乗せ、突き放し、讃えられる。
クリフも少女を車の助手席に座らせ、彼女の大人ぶりを見せられる。そして、足の上に乗られ、拒絶される。
クリフは戦争という実際の戦闘の経験者。そこでは分身ではない。
リックは映画で戦争を体現する。そこでは分身である。
嫁殺しであるクリフは最後、リックの新妻を守る。シャロン・テートという新妻も守る。
リックはある意味でのマンソンの妻を焼き殺す。

最後のCMでリックが自分のスタンディを倒すのは、分身を倒し、真の自分を探す旅を示している。あの時間軸は、『無法者の掟』の最後の方なのだろう。リックは次へと進んでいくのだ。
今作は、人気絶頂の『無法者の掟』の中盤から始まり、その終盤で終わる。西部劇の終わり、大戦を経て、もう一度西部劇時代から冷戦を経て、現代へと向かっていく。

リックがわざわざスタンディの自分を「二重アゴだ、誰か気づけよ」というのも、時間軸では、その後の太ったラストの自分へ行ったようにしているのだろう。そして、誰かはクリフのことになるに違いない。

 

 

『イングロリアス・バスターズ』ではユダヤ人女性ショシャナ・ドレフュスがもう一人の主人公だったように、シャロン・テートが配されてる。

『イングロリアス・バスターズ』は映画館が燃え、『ジャンゴ』は屋敷が燃え、 今作ではプールが燃える。

ムッシュ・キャンディは農園主で、殺害を指示したチャールズ・マンソンはスパーン映画牧場を乗っ取り暮らしていた。『イングロリアス・バスターズ』は農場が冒頭。『イングロリアス・バスターズ』は冒頭が農場。

 

新妻フランチェスカ・カプッチ役のロレンツァ・イッツォはイーライ・ロスの奥さんで、夫婦でタランティーノ映画に出ているわけだ。

そうそう、マーティン・スコセッシ作の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では、レオナルド・ディカプリオとマーゴット・ロビーは夫婦役だった。

 

 

マンソン・ファミリーによる “シャロン・テート殺人事件”について、知っていると知っていないでは、映画の見方がまたく変わる。それは前の2作では、西部時代の黒人奴隷と白人奴隷主の関係、ドイツのナチスのユダヤ人迫害の知識はある程度、劇中でも見せていたのは全く違う。だから、本来は“シャロン・テート殺人事件”に繋がる、その前のマンソン・ファミリーの手による音楽教師のゲイリー・ヒンマンの殺人事件を描いてもよかったのではないか。主人公3人と関係ない事件ではあるし、犯人が一部違うが同じにしてつなげる手もあったのではないか。

カットされたティム・ロスはもしかしたら、ゲイリー・ヒンマン役だったのではないか。写真で見ると二人はかなり似ている。ティム・ロスの代表作の一本は『海の上のピアニスト』だしね。
ナレーションで一気に説明していく小説的なスタイルにを選んだのは構成的ズレを埋める手でもあったのではないか。

今作ではそこまでを描いていないが、“シャロン・テート殺人事件”以後、ヒッピー文化が廃れていく。それにより、自由なアメリカの象徴でもあった彼らが恐怖の対象となってゆく。劇中でも出てくるようにラブ&ピースが主義だったはずがある種のカルトや狂人のように見られていく。
そこから、アメリカの自由やおおらかさが失われていき、原題を迎えたともいえる。
だから、リックがアメリカのお家芸である西部劇の模倣品から始まったマカロニ西部劇(アメリカではスパゲッティと言われていたらしい)を拒否する姿が象徴的に描かれる。

クリフがチーズマカロニを食うのはそこにかけているんだろうなぁ。

 

いままでクエンティン・タランティーノはあまりモチーフを使わなかったが、映画を描くにあたってか、今作はモチーフを使っている。
足フェチとして知られ、女性の足を映しまくってきたが、今作ではそれをモチーフとして、歩く、座る、転ぶ、立ち上がる、というアクションで映画を描いている。
そのまま、歩いているようで流されていて、座ったり転ぶことで立ち上がった時、新たな道を見出すという物語が浮かび上がる。
座って、落馬シーンの説明で映画は幕を開ける。アンテナも倒れ、タイヤもパンクさせられる。スパーンは立ち上がりもしない。

だから、転んで、ナイフで足をやられ寝たまま運ばれるクリフもこの事件で有名になり、立ち上がることになるのではないかと推測できる。

 

シャロン・テートが、小説『テス』の初版本を夫へのプレゼントに購入しているシーンは、1979年にロマン・ポランスキーはこの小説を映画化したことへの思いを深める。

 

シャロンの元婚約者のジェイ・セブリングは才能あるヘアメイキャップで、スティーブ・マックイーンの髪形をつくったのは彼で、シャロンの髪も担当しているため、別れも一緒に過ごしている。

 

冒頭の『無法者の掟』のセットでのインタビューは、よく見ると『ジャンゴ 繋がれざる者』のセットで、シュルツとジャンゴが出会う町のセット。

 

 

クリフは戦争経験者であるがゆえに自分を曲げられないし、アジア人への偏見があるのだろう。当時のアジア人俳優への差別意識は知られており、その中でブルース・リーは準主役(日本人役で)に抜擢されたのは異例で、それ以後キャリアは伸び悩んでいる。そこで映画界でのキャリアを築こうとさまざまなスターへの武術指導を行っており、その一番弟子がスティーブ・マックイーン。シャロン・テートも実際に『サイレンサー(第4弾)/破壊部隊』で武術指導を受けており、ロマン・ポランスキーもファンで、スイスにまで呼び寄せてレッスンを受けていた。
ブルース・リーはあんな人物ではないという声もあるが、当時のアメリカで若き日にもがいていた時に虚勢を張っていたことは証言があるし、『グリーン・ホーネット』の現場では強さを誇示するパフォーマンスを行ったりしていたという証言もある。実際、決闘をして背中に大けがを負ったこともある。特徴的な怪鳥音もはったりとしてやや誇張されているが、飛び蹴りなどの大技は彼が学んだ詠春拳にはなく、勝ちを狙った戦いでは使わなかったと思われる。拳闘もやっており、かなりの強さを誇っていたので、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)についてのあのような発言もしていたというリンダ夫人の回想もある。

多くはフィクションとされる『ドラゴン/ブルース・リー物語』でもけっこう神格化されていたので、人間ブルース・リーに可愛げが合ってよかった。可愛げのあるブールス・リーは『イップ・マン 継承』でも見られます。

 

クリシェ(フランス語: cliché)は、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指す。さらにはシチュエーション、筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象にも適用される(wikiより)。ちなみに、音楽ではコード進行においてコードの中のあるひとつの音を順番に下げたり上げたりしてコードそのものを変化させていくやり方のこと。

タランティーノはクリシェを使って新しい表現に生まれ変わらせる天才。今回はそこにさらに踏み込んでいる。
ハリウッドの黄金時代の終わり頃を舞台にしているだけあって、いつもより映画でよく見るカットや技法を多く用いている。移動シーンでもわざとリアプロジェクション(スクリーンに背景を映す方法)を使ったり、クレーンによる二つの空間を繋げる方法など。
構造にも応用していて、白黒映像から始まることで時代を示す方法だが、それを過去の記録として見せる。過去に挟まれたリックたちの現実時間の数日間となっており、間にも回想がきっちりと挿入され、フラッシュバック説明もナレーションとありとあらゆるテクニックが使用されており、時間軸に話法でスコセッシ的な映画(スコセッシは映画の映像や編集技法でやる)にしている。

事件が解決して、一人が担架で救急車に、一人はそれを見送る、というハリウッド映画のお決まりのシーンで終わるところまでがオマージュ。

 

マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートが自分での出ている映画を映画館に自分が出てるのと明かして、写真を撮り、見せてもらう。そして、自分の演技へ観客がいいリアクションをするシーンの幸福感よ。
マーゴット・ロビー演じるシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が演じる従業員が出ている映画をシャロン・テートが映画館で見て微笑むシーンを映画館でマーゴット・ロビーが見ているというのを、そのシーンを演出したクエンティン・タランティーノが見ているというのをカンヌ映画祭では見られたそうですよ。

 

 

二度使われる台詞は、「お前は最高の友人だ」に対しての「努力してる」はいくつも含みがある。お前のために「努力している」であり、自分のために「努力している」。
最高ではない部分があるが、そうであろうとしたいのだと(生活の糧でもあるから)。
リックはクリフのために頼むばっかり(まだスターパワーがあった頃はアクション担当のランディにクリフをねじ込めたが)で便利に使うだけだが、裏切らない。クリフは裏切った嫁を殺した(事故?)という噂があるから、立場が弱いが、合わせて自分を捻じ曲げられない性格でもあり、納得できなければリックだって叩きのめしていたかもしれないから、それを押し殺していたのかもしれない。スパーンに会いに行ったように独特の情を持つ男なのだ。
そして、友情は努力させるエネルギーでもある。

 

 

 

架空の人物が現実の人物に劇中で会うことで虚構の生を祝うことになるはずさ。

 

寓話であるとタイトルでも示しているが、ある小道具もその仕掛けの一部として組み込んだようで、LSDを沁み込ませた煙草がそれ。ラリったことにより、そこから先の展開の現実味を薄めている。このタバコつながりでラストのCMも煙草のCMなのかもしれない。

そう、ここに描かれることはすべて「ドーナツの穴のように現実だ」。ドーナツの穴は哲学でよく使う実存の例え。ドーナツの穴は周縁は存在しているが穴そのものは存在がない。だが、ドーナツはあの形こそドーナツだと認識させる。つまり、ドーナツは存在と存在しないものでできている。

 

 

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