菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

思い出、ドン!   『オブリビオン』

2013年06月07日 00時00分12秒 | 映画(公開映画)
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第432回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『オブリビオン』








巨大でありながら、細密でささやかなSF。


デビュー作史上最高のヒットを記録した『トロン:レガシー』でデビューしたジョセフ・コシンスキーによる2作目。
珍しく『トロン:レガシー』に続いて連続してSF。
原作も兼ねている。
脚本はカール・ガイダシェクとマイケル・デブライン

原題でもある『OVLIVION』は、『忘却』の意味。
このタイトルの理由は映画を見れば、分かります。


忘却と名付けられていながら、さまざまなSFの記憶を取り戻させる映画でもある。

実際、この映画の中でも記憶は重要なモチーフであり、忘れても思い出してしまう記憶についての物語でもある。
すなわち、忘れていた映画の記憶が、映画を見ることで思い出されていく。
記憶のモチーフの面白さはこういうところに生きてくる。

どんな映画が思い出されるかは、もちろん人によるがネタバレにもなるので、おいらの思い出した映画をおまけにて書いておきます。




主役に、SFに馴染む機械人間スターとしてはアーノルド・シュワルツェネッガーと双璧とも言えるトム・クルーズ。
リーダーをやらせて、この人の右に出る人はいないモーガン・フリーマン。
オルガ・キュリレンコとアンドレア・ライズブローはそのSFに馴染む美しい容姿に二元性をにじませる。
ニコライ・コスター=ワルドーはその若さで物語に緊張感を与える。
メリッサ・レオの存在感は、モーガン・フリーマンに迫る。




撮影は、現代の光の魔術師の一人クラウディオ・ミランダ。
彼女の静謐な光が世界を静けさに包む。


プロダクションデザインは、ダーレン・ギルフォード。
新奇なSF的アイディアを馴染みあるものに変換している。


M83の音楽は、郷愁と未来を同時に感じさせる。




既視感に囚われながらも、それこそが映画の構造に組み込まれている優等生ぶりに、それを支配するビジュアルと映画の撮影的挑戦。
自然と人工物が馴染んだ美しいSFとして、記憶されるだろう佳作。




















おまけ。

ネタバレ。

思い出された映画のリスト。
『月に囚われた男』は、エネルギー問題の使い、クローンの自我、孤独な作業、白い美術デザインなど。
『トータル・リコール』は、上塗りされた記憶と夢の中に現れる記憶。
『シックス・デイ』は、複製された自分との戦い。
『アイ・アム・レジェンド』は、残された地球人、暗闇からせめてくる敵。
『マッドマックス2』は、エネルギー問題と小型ヘリ、荒涼とした大地、レジスタンスたち。
『サラマンダー』は、地下のレジスタンス。
『スター・ウォーズ』シリーズのEP3とEP6は、巨大宇宙基地の爆破、クローン兵。
『AKITRA』は、半壊した月。
『ブレードランナー』は、人造人間の人間的行動。
『クローン』は、異星人による人間のクローンでの侵略、人間だと思うクローンの自我。
『惑星ザルドス』は、半壊した図書館、地下のレジスタンス、残された文化。
『ルーパー』は、アメリカの田舎的暮らしをする未来。
『猿の惑星』は、破壊されたランドマーク。
『ダークスター』は、密室で暮らす数人の暮らし。
『2001年 宇宙の旅』は、隔離空間での数人の暮らし。
『時計じかけのオレンジ』は、白を基調にしたビジュアルデザイン。
『ソラリス』は、密閉空間での記憶と異星人をめぐるラブストーリー。
『ヴァンパイア/最期の聖戦』は、ケーブルで引っ張られるアクション。
『デイ・アフター・トゥモロー』は、地上から埋もれた建物へケーブルで調査に入り、落下。
『デイブレイカー』は、レジスタンス、白を基調にしたビジュアル、工学的デザイン。
『華氏451』は、古い本への愛情、記憶。
『キングコング』は、キングコングの人形。
『邂逅(めぐりあい)』とそのリメイク『めぐり逢い』は、エンパイアステートビルでの愛情の確認。
『ザ・ウォーカー』は、荒涼とした未来、二人乗りバイクでの逃走、本をめぐる記憶。
『ミスター・ノーバディ』は、愛の記憶をめぐる物語、高所、白を基調にしたビジュアル。
『カンパニーマン』は、ミッションのための記憶の消去。
『ペイチェック 消された記憶』は、ミッションのための記憶消去。
『ギャラクティカ』は、人間のコピーである機械による人間への大軍での攻撃。
『スクリーマーズ』は、クローン人間による侵略。
『CODE46』は、クローンのラブストーリー。
『わたしを離さないで』は、クローンの自我。


他にも、タイトルはあやふやだが、映像的記憶だけなら、もう少しある。
同じ影響元を持つ映画も並べてしまったものもある。
タイトルも映像もあやふやだが、設定だけ思い出せるものもある。
水を奪いに来た異星人や地球を捨てた地球人のために地球に残されるとか。

『二都物語』や『十二夜』からも踏襲した点もある。


だが、それらを混ぜ合わせて、破綻愛用にすることはある種、物語を創作する一つの方法だ。
古かったり、無名なものから元ネタを分からなくパクる方法や、有名な傑作からオマージュとしてパクる、たくさんの元ネタからパクるなどの方法の一つなのだ。

たくさん入れて、統一感ある物語を生み出すのは至難のワザだ。



寂しいのは、色んな批評でも『クローン』と『スクリーマーズ』にほとんど触れられていないこと。
どちらも、フィリップ・K・ディック原作で前者はゲイリー・シニーズ、後者はピーター・ウェラーという名役者による自我の危機を芝居で見せているそこそこ良作なのに。
内容から言っても、前者は『オブリビオン』の前日譚のようであり、後者は『オビリビオン』の内容をビジュアル的かつ内面的にも補足し、楽しみをふくらませてくれる。






オリジナルの部分もいくつかある。
監視防衛機械ドローンと修理に従事するコピー人間の組み合わせや海水を奪い続ける巨大基地、高所基地のデザイン、バブルシップなど、ビジュアル的にはかなりチャレンジしている。
そこにも意味があるというのが、実にSF的で好感。


コシンスキーは、デビュー作の『トロン:レガシー』にもあった、コピーというか創作物の苦しみを描く。
父と子の関係にも創作物の関係を見せる。
そのまま、父VS若い父=息子という構図さえ見せて。
それは桐す教的な父と子の関係というよりは、ギリシャ神話の世界観のようにさえ見える。
SFとギリシャ神話の親和性はよく知られている。
彼がSFに向かう理由はそういうところにもあるのかもしれない。




ちなみに、この映画のクローンは、遺伝子からの別の肉体を培養したものではなく、三次元コピー機のように、記憶もコピーされたコピー人間で、年も一定で記憶を消す必要がある。
そして、この映画は、コピーであり、クローンであると言える。
多くの記憶がごちゃまぜにひとつの器に入るまでは誰でもできる。
その記憶の盛り方で、個性は分けられるのだろう。



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