シロさんとのなれそめ、前回の続きです。
シロさんがわが家の一員になって、
それから15年近く、
母はシロさんを大事にしてくれました。
1日2回、合計1時間から1時間半の散歩を欠かさず、
体調の悪い時は誰かにお願いするくらい。
(ももが健在の時は、1日4回犬の散歩をしていたことに)
旅行や長時間の留守も避けて、
旅行するなら私が実家に帰るか、
きちんと訓練士の先生に預かってもらいました。
母がシロさんと散歩する様子は村内だけでなく、
隣の村や市外でも知られているようで、
週末に私がシロさんを連れて遠くまで散歩していると、
様々な方に声をかけられました。
ご飯は手作りが主で、
自分の食べるお肉やお魚の美味しいところをおすそ分けしたり、
おやつも栄養を考えて与えていました。
(母は極端な薄味好きでしたが、
人間用の味付けの食事は本当は犬にはよくありません。)
自分のお布団は干せなくても、
お天気の良い日は必ずシロさんの毛布は干していましたし、
ほんの少し汚れただけでも洗うので、
シロさん専用毛布やタオルケットは10枚以上ありました。
シロさんが急病になったら、軽トラや軽自動車に担ぎこんで、
ひとりで病院まで連れて行きました。
ひとつの病院で不安なら、ふたつめの病院に行きました。
食欲がない日は、おかゆを炊いたり、重湯を飲ませたり。
シャンプーは、春から秋までしかしませんでしたが、
お湯で絞ったタオルでよく拭いてあげてました。
散歩で出会う方々に「きれいな犬やね」とほめてもらいました。
「この子、これ喜ぶねん」と言って、マッサージもよくやっていました。
私が実家に暮らして、仕事を持たなかったとしても、とてもそこまではできない。
母の犬愛は本当にすごいと思います。
私の週末の長時間散歩はシロさんに大好評でした。
ハーフマラソンくらいなら走れる私は、
シロさんと長時間走ってやることができます。
誰もいない深い森に行って、放してあげることもできました。
だから、私もそれなりに慕ってもらっていました。
実家へ帰ると、狂喜乱舞のジャンピング二足歩行で迎えてくれました。
大柄で脚力もすごいシロさんの手は、
私の頭にも届きました。
そんな彼女を抱こうとすると、はしゃいで大興奮で、
私の腕の中でビチビチと釣り上げたカツオのように跳ねてくれました。
(雪が降ると大喜びだったシロさん)
(好奇心旺盛だった若い頃)
実家では、
母のひとり暮らしから、
兄家族との同居を経て、
やがて兄家族が転勤に伴い転居し、
私がひとり暮らしのマンションを引き上げ実家で暮らすようになり、
ももが亡くなり…と時間が経過しました。
そこにいつもシロさんはいました。
母と一緒にいました。
(時々は軽トラに乗って、母の畑仕事のお供をしたり、遠くまでお散歩したり)
(野良犬から家庭犬へ。目元が優しくなりました。)
その後、私が仕事を辞めて、
シロクマ相方と上海で暮らすようになり、
シロさんとは会えなくなりました。
帰国して神戸で暮らすようになり、
しばらくしてから、シンガポールで暮らすようになって、
また長く会えなくなりました。
その間に、
シロさんはだんだんと歳を重ね、
本帰国した頃には、
すっかりおばあさんになっていました。
そしていつも母のことを目で追い、後を追うお母さん子に。
穏やかになって、どこかおっとりしたシロさん。
昔の爆発するような元気はなくなり、
私のお出迎えも控えめです。
それでも彼女が可愛らしかったです。
姿を見つけると近づいてきて、
私が手を顔に近づけると、すり寄せてくれます。
落ち込んだ時は向こうから体をくっつけ、寄り添ってくれました。
マッサージしたり、ご飯やおやつをあげると、手をなめてお礼を返します。
私はこんなに素直で愛らしいおばあさんになれないでしょう。
去年10月の前庭疾患で苦しんだシロさんは、
今年2月、右鼻から大量出血しました。
鼻腔内腫瘍の疑いがもたれました。
このがんは進行が早い。
色々調べましたが、
治療も緩和ケアも全身麻酔が必要な放射線治療しかないようです。
高齢犬のシロさんにはなすすべがありません。
シロはもう長くはない、と覚悟するようになった頃、
母が初めて話してくれました。
あの犬と初めて向かいあったん、桔梗の畑やねん。
(当時母は、花を出荷していた亡き父の残した畑をできるだけ手入れしていました。)
草ひきしていたら、白い足が見えて、
顔を上げたら、目の前にあの犬が座っててん。
やせてガリガリで、汚れてて、見るからに野良犬。
それが、こっちを見るねん。
ああ、これがもものご飯を食べに来る犬やな、ってわかったわ。
「目え、合わしたらアカン、
飼わんなんことになる、
うちにはももがいる、
こんな大きな犬、飼うたらえらいことになる」
そう思って、回れ右して、草ひきを続けたら、
また目の前に座ってるねん。
あの犬、しつこいねん。
それは別の日、別の畑でも繰り返されたそうです。
「よそへ行き。
うちにはもうももって子がおるねん。
知ってるやろ?
1匹でも大変で、私、よちくたしてんねん。
あんたのことは飼われへん」
言うても、目をくりくりさせて、こっち見るねん。
「あんた、まだ大きくなるやろ?
私、歳とってきたし、あんたみたいな子はとても無理やん。
あんた、たくさん食べるやろ?
私、無職やし、うち貧乏やねん」
どんだけ言うても、のけへんねん、あの犬。
『そんなに大きくなりません!』
『そんなにたくさん食べません!』
『そんなにぜいたく言いません!』
にこにこと訴える犬。
どうにか目を合わそうと首をかしげ、
角度を変えて訴える犬。
それがシロさんでした。
飼え飼え詐欺
後に母はそう呼んでいました。
なんだ。
私がシロに選ばれたんじゃなくて、
シロは母を選んでたんやん。
シロ、自分を飼ってくれるひとを一所懸命探してたんや。
必死にリクルート活動しててんやん。
シロ、すごいな。
すごい見る目、あるわ。
その目に狂いはなかったや。
(母の動物好きエピソードはこのあたりで確認を→
母の思い出、
続・母の思い出)
私はこんなふうに犬に見初められたひとを他に知りません。
シロと母の結びつきにはかなわないと思いました。
それから、これは余談。
数年前に知ったことです。
以前働いていた会社の先輩が教えてくれました。
私がシロさんを引取りに行った時にセンターの方が撮られた写真。
当時の広報に載って県内で配布されたようです。
『犬はつないで飼いましょう。
逃げたり迷子になったりすると、迷惑をかけます。
その犬もかわいそうです。
写真は
迎えにきた飼い主との再会を喜ぶ犬です。』
シロさん、私の犬とちゃうかってんけどなあ。
まあこれでかわいそうな犬が減るならいいんだけど。
シロさんが家族に加わって、シロさんと暮らすようになって、
わかったことがありました。
この子は以前は、どこかで飼われていた。
そうして、捨てられた。
物心ついた頃に、
おそらく家から離れたところへ連れて行かれ、
置き去りにされた。
母も同じように感じていたようでした。
シロさんは車に乗っている時間が長くなると、だんだん落ち着きがなくなり、怯えます。
保健所や動物愛護センターへの移動を思い出すのかな、
とも思いましたが、それだけじゃなさそうで。
また、散歩で誰もいない森に行って、放してやると、
最初は喜んで鉄砲玉みたいに疾走していますが、
先代犬たちのようにひとり遊びもできず、
すぐに戻ってきます。
いつもこちらの姿がどこにあるか確認しています。
先代犬たちが目を盗んでは逃亡を図ったのとは大違い。
先代犬たちが大好きだったかくれんぼも、
パニックになってこちらを探す始末。
ああ、
置き去りにされて野良犬になったのか。
突然、世の中にひとりぽっちで投げ出されて、
まだ子どもで、何のノウハウもないのに、
誰にも守ってもらえずに、生き延びてきたんだ。
腰を圧迫骨折するような痛い目にあい、
足を怪我するようなひどい目にあい、
お腹をすかせて、ガリガリに痩せて、
心細い思いをしながら、
いつも怯えながら、
長いこと放浪していたんだなあ。
さらに保健所や動物愛護センターでは、
死ぬほど怖い思いをさせてしまったんだなあ。
シロさんの人生は辛い始まりで苦難の連続でした。
想像するだけで涙が出ます。
終わりも難しいがんになってしまって、
私たちがなかなか気づいてやれず、
どれだけ辛かったか。
それでも、真ん中の15年のほとんどは、
毎日、母のもとで、大事にされて、
ぜいたくはできなかったけれど、
たくさん食べて、たっぷりのびのびと散歩を楽しみ、
安心して、のんびりと、穏やかに暮らせたんじゃないでしょうか。
(亡くなる10日前。最後のお顔アップ写真)
シロさん、幸せでしたか?
私たちはあなたを幸せにできましたか?
私たちはあなたに幸せにしてもらいました。
一緒に過ごせてとても幸せでした。
ご覧いただきありがとうございました。