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#2266 安倍氏国葬の受け止め方

2022年09月27日 | ニュース

 国民の意見を二つに割る中で実施された安倍晋三元首相の国葬儀。その是非の議論を見る限り、氏の政治的実績への評価や政治信条ばかりでなく、安倍晋三という(ある意味個性の強い)政治家への好き嫌いなども重なり、メディアも含め世論は落としどころを見つけられないでいるように見えます。

 一方、今回の国葬儀を巡る海外メディアのニッポン評は、もう少し冷静でドライなもののようにも感じられます。在米国ジャーナリストの飯塚真紀子が式典当日9月27日のYahoo newsにおいて、米国の二大有力紙「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の取り扱いを紹介しているので、小欄にその概要を残しておきたいと思います。(「安倍氏国葬に対する見方、米2大有力紙で温度差」2022.9.27) 

 ニューヨーク・タイムズは9月24日の電子版に「日本が、暗殺された指導者の国葬に怒っている理由」と題する記事を掲載し、日本国民の国葬に対する怒りの中身とその状況を整理していると氏はしています。

 曰く、日本を代表する政治家の暗殺によって噴出した怒りは、殺された政治家が指導者として長期に治世した自民党と彼の国葬をすることに向けられた。何千人もの抗議者が、国葬は公共のお金の無駄使いであり、後を継ぐ岸田氏と同氏の内閣によって一方的に課されたものだと不満を示し、そのため国民の悲しみが弱まっているとのこと。

 また、安倍氏の右寄りの政策に反対していた識者の間には、「安倍氏は主に海外の舞台ではもてはやされたが、国内では多くの分断を生んでいた」あるいは「様々な疑惑が解明されていない」などとして、安倍氏の生前の実績自体に批判の目を向ける意見も根強いということです。

 さらに、旧統一教会と自民党との関係が明らかにされるにつれ、安倍氏を暗殺した山上徹也容疑者が経済的社会的に打ちのめされている人々の“アンチ・ヒーロー”として際立つことになった。

 その背景には、安倍氏の経済政策が引き起こした過去数十年にわたる成長の停滞と拡大した不平等があり、それが自分達は犠牲者であると強く感じる世代を生み出したというのが記事の見立てだということです。

 一方、ワシントン・ポストは9月26日付け電子版で「安倍氏の葬儀に対する激怒は、日本の最も許し難い議論だ」と題された、分析記事を掲載したと飯塚氏はしています。

 これは、(タイトルが示すとおり)国葬に対する激怒が噴出している日本の状況を疑問視するもの。同紙は、「(単純に考えて)葬儀は、政治的な点稼ぎをしたり昔から持っている不満を晴らしたりするための機会なのか?」「今は指導者の功績を認めて評価するか、せめて、他の人がそうすることを許す時だ」と訴えているということです。

 ポスト紙によれば、日本政府が国葬を打ち出した背景には、安倍氏が史上最長の首相だったことや彼が国際的に有名であるというステイタス、悲劇的な状況で亡くなったことなどに敬意を表する必要があるとの考えがあったとのこと。しかし、「日本に恥ずかしい思いをさせる許し難い議論が煽られ、人々を狼狽させた」というのが同紙の見方だということです。

 「安倍氏が存命だった時に彼を失墜させることに失敗した安倍氏の政敵にとっては、安倍氏の死は点稼ぎの機会になる」と、安倍氏の政敵が安倍氏の死を政治利用していると批判するポスト紙。

 同紙は、岸田氏が対処を誤った点にも言及しており、対応を迷っていた岸田氏がいきなり(国葬の)動きに出たこと、国葬日が安倍氏が死去した日から間が空くような予定を組んだことなども、メディアで国葬問題が多く取り沙汰される状況が生み出す原因となったと記しているということです。

 飯塚氏によれば、ポスト紙の記事は「安倍氏は聖人君子ではなかった」が、「政界のトップに到達した者はほとんど聖人君子ではない」と記しているということです。「民主主義の中心には、政策では反対していても政敵はリスペクトに値するという理解がある。安倍氏を頑固に中傷する人々も、安倍氏が国を愛し、銃弾に倒れたその日まで彼の全キャリアを通じて国のために働いてきたことを受け入れなければならない」というのが、この問題に対する(ポスト紙の)姿勢だということです。

 さて、同じ米国の2大有力紙でも、その見方は(それなりに)違うものだなとは思いますが、実は、両記事を最後まで読むと、与党も野党も問題があるという見方をしている点では、両紙の落としどころは似通っていると飯塚氏はこの論考に記しています。

 ニューヨーク・タイムズは、「国民が国葬に反対しても、政治的変革は起きない。岸田氏の支持率は落ちているが、野党に対する支持も上がっていない。国民は怒っているが、彼らははっきりとわかっていない。彼らはどうしたらいいか途方に暮れているのだと思う」という石破茂氏のコメントを紹介している。

 一方、ワシントン・ポストは「(賛否両論が渦巻く)国内の議論は、日本が安倍氏なしで政権運営にどう取り組むのかを浮き彫りしている」と総括している。「安倍氏亡き後、派閥がひしめく自民党を結束させ、権力のレバーを担える政権運営者はほとんどいない。何もしない方向へと引き寄せられる政治システムでは、強い指導者が必要とされている」とリーダーシップが欠如している日本の政治の問題を指摘しているということです。

 さて、米紙の指摘にもあるように、今回の国葬の是非に関する一連の議論において、 日本の多くの国民が、「安倍氏のテロ死」「旧統一教会の活動内容の違法性」「旧統一強化と政治との関係」の三つの問題の狭間で大きなとまどいや混乱の中にあるのはおそらく事実でしょう。

 そうした中でもはっきり言えるのは、国葬に反対する多くの声は、旧統一教会を後ろ盾として憚らなかった自民党政権、中でも(日本の政治に輻輳する)アベ的なものの考え方に拒否感を反映しているということ。さらに言えば、安倍氏と自民党と旧統一教会の三者は、多くの国民の心の中で既に同一化されてしまっているということなのかもしれません。

 故人に対して抱く思いは、個人個人で異なるもの。安倍氏に対しても同様だろうと、飯塚氏はこの論考の最後に記しています。

 ワシントン・ポストの分析記事の著者のように安倍氏を絶賛する人もいれば、ニューヨーク・タイムズが伝えているように安倍氏に怒りを感じている人もいる。悼む人、悲しむ人、讃える人、怒る人、無視する人、何も感じない人。安倍氏の国葬はそうした様々な思いが渦巻くものになったとこの論考を結ぶ氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 



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