MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2486 マジヤバい!

2023年10月26日 | 文化

 SNSを展開するLINEが今年の6月、全国の高校1年生から3年生の男女1,000人を対象に、「2023年に流行しそうな言葉」についてのアンケート調査を実施した結果が発表されていました。

 Top3にランキングされた言葉を見ると、栄えある1位は「それな」の5.1%、2位は「草」の3%、3位が「知らんけど」の2.1%とのこと。若者とチャットを交換する機会のない(イマドキの)世相に疎いおじさんたちには、少しハードルの高い結果となったようです。

 因みに、「それな」とはSNSや会話などで、相手の発言や意見に対し「まさに!」と相づちを打つときに使われる言葉とのこと。「そうだよね」「その通り」のニュアンスですが、「わかるわかる」といった、相手へのホスピタリティを滲ませる便利な言葉として使われているようです。

 また、2位の「草」は、「笑える」「ウケる」などの感情を伝えるワードで、そのまま「くさ」と読み「マジで草(マジで笑える)」「電車混みすぎて草(電車が混みすぎて笑える)」のように使われるとのこと。起源は、ネット上で「笑い」を意味する「www」から来ており、「w」が並んでいる様子が草原のように見えることから、「草」という言葉が生まれたとされています。

 一方、3位の「知らんけど」は、以前から関西で頻繁に使われていた言葉です。何かを話した後に「知らんけど…」とつなげ、「責任は持てないけど」「実はよく知らないけど」とエクスキューズを示すもので、断定を嫌う若者たちには重宝される言葉だということです。因みに、相手に「知らんのかい!」と突っ込ませることで、会話を盛り上げることも期待できるとネット上にはありました。

 さて、それにしても、流行り廃りの早いネット社会において(こうして泡のように)生まれては消えていく若者言葉にも、案外息の長いものがあるようです。「マジ」や「ヤバい」などはその代表格。会社での会話などを聞いていても、いい年をした30代の大人たちまでが、「えーっ、マジー?」とか「それ、ヤバっ!」とか普通に話しているのを耳にします。

 そもそも、既に耳慣れたこうした言葉たちは一体どこから来たのか。学習出版の小学館が運営する情報サイト「HugKum」に、同社で長年辞書編集に携わってきたエッセイストの神永曉(かみなが・さとる)氏が、『「マジ」は江戸時代から使われていた!「えっ!それマジ?」』と題する一文を寄せていたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 「マジ、やばい」などと言うときの「マジ」という言葉。実は江戸時代からあった語だということを知っている人は少ないだろうと、神永氏はこのコラムに記しています。

 「マジ」は通常「まじめ(真面目)」の略と考えられているが、「まじめ」も「マジ」も、使われ始めたのは同じ江戸時代の頃のこと。江戸時代中期に書かれた洒落本(←江戸の遊里を、会話を主体に描いた本)『にゃんの事だ』(1781年刊)には、既に「気の毒そふなかほ付にてまじになり」(真剣になってしまった)と使われているということです。

 因みにこの小説は、江戸本所にあった岡場所を舞台にしたもの。この岡場所は猫茶屋とも呼ばれそこの遊女はネコと称していたため、「にゃん」のこと…と題されたと氏は説明しています。

 氏によれば、「マジ」のもとになった「まじめ」の語源はよくわかっていないが、「まじめ」も「マジ」もともに江戸時代からある言葉で、「まじめ」が生まれて比較的早い時期に省略形の「マジ」も使われるようになったはずとのこと。(もしかしたら)もともと「マジ」という語があり、それに「細め」「控えめ」などと同じ、度合いや傾向を示す接尾語「め」がついて、「まじめ」になったという可能性もあるということです。

 現在使われている「マジ」は、江戸時代の用法とはいささか異なるため、それが継続的に使われたとは言えないかもしれない。しかし、(言葉の成り立ちや用法から見て)根っこの部分は同じだと考えてよさそうだというのが氏の推測するところです。

 さて、こうして話を聞いてみると、江戸時代に使われていた言葉が、現在も若者たちの間で身近に存在しているケースは他にもいろいろあるようです。

 調べてみると、例えば「ヤバい」は江戸時代の滑稽本・十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも「やばなこと」という表現が見られるとのこと。昔は牢屋を守る看守のことを「厄場(やば)」と呼んでおり、転じて、状況が悪くなって厄場(やば)の世話になりそうな悪い状況のことを「やばい」と呼ぶようになったという説があるとされています。

 また、江戸時代の矢場(射的場)では闇売春が盛んに行われていたため、役人から目をつけられたら危ないという意味で、「ヤバい」と言われるようになったという説もあるようです。

 因みに、現代では「気持ち悪い」の略語として、「生理的に受け付けない」といった意味で使われることが多い「キモイ」ですが、江戸時代には「窮屈な」とか「狭くて不快だ」という意味で日常的に使われていたということです。

 歴史は繰り返す…と言うか、こうして見てくると、言葉というのは案外身近なところで時代に合った形で使い回されているものなのかもしれません。「それな」とか「知らんけど」とか、200年も後世の若者たちが何も知らずに使っているとしたら、(それはそれで)楽しいことかもしれないなと私も改めて感じたところです。

 


#2325 クールジャパンの成果はいかに

2022年12月28日 | 文化

 2022年の年末を控え、11月16日に大晦日の夜を彩るNHK紅白歌合戦の出演者が今年も発表になりました。報道などを見ると、今年の出演者のラインアップで特徴的なのは「K-POPの復活」だと言われています。

 音楽の世界に疎い私などは、グループ名を言われても全く見当がつきませんが、ガールズグループでは、新人のIVE(アイヴ)、元HKT48、IZ*ONEの宮脇咲良率いるLE SSERAFIM(ル・セラフィム)、TWICE、J.Y.パークがプロデュースする日本人グループNiziUなどが出場するとのこと。また、ボーイズグループとしても、韓国のオーディション番組の日本版「プロデュース101」から誕生したJO1と日韓混成のK-POPがその姿を見せるということです。

 2000年代後半、女性グループのKARA、少女時代などが活躍した第1次K-POPブーム。ビジュアルな容姿に切れの良いダンス。そこまでやるかと言った見せ方に、日本ばかりでなく東アジアの若者たちが沸いたのは記憶に新しいところです。その後も、「江南スタイル」の世界的なヒットや近年ではアイドルグループBTSの活躍などにより、韓国芸能界は日本の若者たちにその底力を見せつけています。

 広く知られているのは、韓国は国策として政府がエンタメの振興を強く後押ししているということ。そうしたこともあってか、K-POPグループのビジュアルや統率されたダンスのレベルは(日本とは)段違いで、一瞬で観客を引き込むインパクト、(いわゆる)「魅せ方」に優れていることは素人の私でもわかります。

 これまで、マンガやアニメ、ファッションなど、東アジアの文化を牽引してきた(とされる)日本ですが、今年の紅白歌合戦の状況を見ても分かるように、韓国の長期的な国家戦略の前に今では「やられっぱなし」の観は否めません。

 もちろん日本も韓国の成功を横目に見て、安倍政権下の2013年以来「クールジャパン」政策を掲げてきました。しかし、漫画やアニメ、ゲームなどの人気をどう繋いでいきたいのか、文化を経済にどう生かすのかといった方針や位置づけが不明瞭なまま、個別の案件への支援がダラダラと続いている状況と言っても過言ではないでしょう。

 政策の開始とともに造成された官民ファンド「海外需要開拓支援(クールジャパン)機構」の累積損失額は既に309億円に達しているとされ、統廃合を検討中との報道もあります。そんな折も折、12月3日の日本経済新聞に「クールジャパンは民に任せよ」と題する社説が掲載されていたので、その内容を残しておきたいと思います。

 経済産業省が所管する官民ファンドの海外需要開拓支援機構、通称クールジャパン(CJ)機構の業績が振るわない。財務省は成果が上がらなければ統廃合を検討すると通告したと記事は伝えています。過去の投資を厳しい目で点検するのは当然だが、官民の役割分担も徹底的に見直さなければならない。クールジャパンは基本的に民間に任せるべきだというのが記事の主張するところです。

 CJ機構の設立は2013年。アニメなど現代文化や生活産業を海外に売り込む目的だった。しかし、国が1066億円、民間企業が計107億円を出資し50件以上に投資したにもかかわらず、累積赤字は既に309億円に達しているということです。

 アニメや漫画、ファッション、日本食などには海外にファンも多い。観光や留学につながるなど波及効果も大きい。日本として積極的に育てていくべき分野だといえるが、問題はそのやり方だというのが記事の認識です。

 リスクを取り投資をするのは本来、民間企業の役割のはず。特に娯楽や生活関連分野は流行などに左右され予測が難しいことから、私たちは発足時から、官主導の投資対象には向かないと指摘してきたと記事はしています。

 機構は日本ブランドの商品を集めた店舗の開設や、日本の映像作品の専門チャンネルに出資した。だが、選ぶのはあくまで市場であり、多様な商品から好きなものを選びたいのが消費者の心理だというのが記事の見解です。

 官主導のやりかたと実際の消費者の行動にはズレが生じている。投資案件でも物流や食材開発など、現代文化の発信という原点にそぐわないものが目立つと記事は言います。

 一方、「クールコリア」政策で成功した韓国では、例えば映画の場合、投資は基本的に民間に任せ、政府は映画学校の開設による人材育成や映画データベースの整備と公開などを手がけ、今日の成功につなげた。俳優やアイドルの国際的人気を観光客誘致に生かすなど、分野を横断した連携も巧みだということです。

 日本文化の発信のためとして10年近くにわたってつぎ込んできた1000億円以上の税金は、一体どこに行ってしまったのか。アニメや音楽といったクリエイティブなエンターテイメントの世界で、お堅い政府が直接何かできるとは思えません。その多くがイベントなどの名目で(近頃、評判があまり芳しくない)大手広告代理店などに流れていってしまっていることは想像に難くないでしょう。

 直接的な投資は民間の資金を生かし、国は人材育成や海賊版防止などルールや環境づくりに徹するのが筋というもの。他国の例も参考に、機構の存廃を判断すべき時ではないかと結ばれた記事の指摘を、私もさもありなんと受け止めたところです。


♯26 サイン(sign)について ③

2013年07月02日 | 文化

Dsc_0195

 それでは第1問です。

 例えばある休日の午後、あなたは奥様と街に出て友人の結婚祝いのプレゼントを選びました。午後3時、通りかかったカフェの前で大きなソフトクリームを食べているカップル見て、奥様が「おいしそうなソフトクリームね…」とのたまいました。さて、貴方は、どのようなリアクションをするのが正しいでしょうか。

①「あれ、甘いばかりで実はあんまりうまくないんだ…」

 ブー、これはダメですね。彼女は貴方に、そのソフトクリームがおいしいかどうか聞いているわけではありません。

②「おなか減ったの?家に帰れば冷蔵庫にこないだ買ったのが入ってるよ…」

 少しは進歩しましたが、これではまだいけません。彼女は別にソフトクリームが食べたいと言っているわけではなのです。正解までの道のりはまだまだ遠いと言えます。

③「ダイエット中だって言ってたじゃない。そんなことだからぶくぶく太るんだ…」

 言うまでもなくこれは最悪です。彼女はひとりで先に帰ってしまうかもしれません。

④「そう言えば疲れたね。少し休んでいこうか。」

 なかなかいい所まで来ました。でももう一声といったところです。

⑤「今日はいっぱい歩かせちゃったね。疲れたろう。お詫びに好きなものごちそうするよ。」

 男子たるもの、このぐらいは口にしてほしいところです。「帰りはタクシーにしようね」とか「夕飯は僕が作るよ」とか付け加えられればなお結構です。

 続いて、第2問。

 貴方の実家に親戚が集まるというので、今日は久々に奥様と二人でお出かけです。

 着ていく服やアクセサリーを選ぶのに、奥様もいろいろとお迷いの様子。「こっちの真珠のネックレスと、そっちのカメオのブローチとどっちがいいかしら。」なんて、出かける時間が迫っているのに聞いてきます。さて、貴方はどのように答えますか。

①「どっちだっていいよ。どうせ中身はたいしたことないんだから…」

 言うまでもなく、これが最悪の回答です。「じゃ、アタシ行かない。」と言われても仕様がありません。

②「ちょっと砕けた席だから、カメオの方ががいいんじゃない…」

 これもいかがなものでしょうか。彼女は貴方のファッションセンスをそんなに信じているとは思えません。

③「どっちもよく似合っていると思うけどな。君はどっちがいいと思うの?」

 適当に相づち打っているように聞こえますが、結構計算されています。まだまだこちらの方がダメージは少ないと言えるでしょう。

④「せっかくの休みなのに気を遣わせちゃって悪いね。今度気に入ったのがあったらプレゼントするよ」

 ハイ、正解。そういうことです。彼女の「ホントは行きたくない」という気持ちを、貴方はうまくフォローしなくてはいけません。

 さて、女性の出すサインというのは、男性にとっては基本的に理解不能だと思ったほうが良いかもしれません。この人は本当は何が言いたいのか。こちらは聞かれたこと、相談されたことを一生懸命考えて解決策を提示しているのに、どうして突然怒り出すのか…。わけわからん。

 ちょっとした表情やしぐさ、話の流れなどに目を配り、女性がかすかに示すにサインに敏感に反応するためには、女性のコミュニティの中で暮らすという経験がどうしても必要になるのではないかと思っています。


♯24 サイン(sign)について ①

2013年06月30日 | 文化

 電子メールの普及に伴い、(^_-)とか(^^)/とかいった、いわゆる「顔文字」と呼ばれる記号が、様々な場面で一般的に利用されるようになっています。

 知らなかったのですが、この顔文字、日本ばかりではなく外国でもよく使われているのだそうです。

 不思議なのは、英語圏の顔文字は縦横が日本のものと90°違っていること。「:-D」とか「;-)」とか、頭を横にして見ないと日本人にはよくわかりません。(首がちょっと疲れます。)

 一体どうして顔が横になっているのでしょう。一つの文字を「形=意味」として見る習慣がある漢字圏と、音韻を表す記号と見て左から読んでいくアルファベット圏との、視覚信号に対する脳の認識の仕方の違いということなのでしょうか。(不思議です。)

 また、ウィキペディアによれば、日本の顔文字は主に目の形をもって感情を表現するのに対して、アメリカの顔文字は主に口の形で感情表現をしているのだそうです。表情から感情を感じとるやりかたも、お国柄で異なるものなのですね。

 さて、よく考えるとこの「顔文字」というもの、そんなに昔からあったものではありません。

 1970年代、アメリカのベトナム反戦運動と相まって「ピースマーク」(正式にはスマイリーフェイスというのだそうですが)というものが流行ったことがありました。当時、大人から子供まで、大勢の人たちが黄色い缶バッジをつけていましたが、これは少なくとも日本では、あくまでファッションとして親しまれていたもののような気がします。

 顔文字は、自分の気持ちを端的に表す記号として、情報伝達手段のIT化とともに急速に普及しました。

 「合図」とか「信号」とかを意味する言葉に「サイン(sign)」というものがあります。「シグナル」と言った方がわかりやすいでしょうか。言葉だけでは表現しきれない、微妙なニュアンスを伝えるためのサインです。

 「自分の気持ちを知ってもらいたいたい。」「今はこういう気分なんだ。」自分を分かってもらうためのサインを、人々は周囲に向けて発信し続けています。

 他人と関わっていたい、他人から理解されたい。現代人のこうした孤独や不安の心情を、氾濫する「顔文字」が代弁しているということでしょうか。