「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

私の「精神の糧」

2008-11-30 20:58:28 | 躍動
「精神の糧」、「心の糧」、良い言葉です。
「糧」とは食糧、食物のこと。すべての生き物の生命を維持するためには欠かせない。そしてまた一日の糧を得るために働き、または狩りをする。生きていくためには最低限の営みといえるだろう。

先ほど見ていたテレビで、ある切手収集家が「あなたにとって切手とは?」と問われて「『精神の糧』です」と言い切っていました。なにか心を癒すものに没頭できるという事は幸せな事です。他の動植物はイザ知らず人間という生き物はただ単に生きるための糧を得るのではなく、心の糧を持つ事が出来る事に人間としての価値があるのでしょう。いや、逆に言えば「精神の糧」「心の糧」を持つ事の出来ない人生なんてあり得ないのではないだろうか。

生きるために腹を満たす事が叶った後、その上に心を満たすものが得られれば人生豊かになりますねえ。勿論食べる事そのものから「心の糧」を得る事だってできます。私も「チョッピリの美味しいお酒とお気に入りの美味しい料理と気の合う仲間との楽しい語らい」があれば至福の一刻(ひととき)を感じます。いくら美味しいお酒と美味しい料理でも一人で飲み食いするのはあまり好きではない。そしてその語らいが亜矢ちゃんの事となるともうこれ以上の贅沢はないのではないかとさえ思えます。

しかし私の本当の心の糧はやっぱり「亜矢ちゃんの歌」ですねぇ。いえ私だけではなくファンの皆さんすべての思いでしょう。美味しいお酒や楽しい語らいなども全てがその上に成り立っているような気がします。
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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-6

2008-11-23 15:37:24 | 躍動
多少端折っては来ましたが大体のポイントはふまえながら報告を続けてきました。しかしそれも今回が最終回です。

余呉湖を出発してから長浜までと、長浜から永源寺までの間は少しまとまった時間があるために関島さんのトークと共に参加者の自己紹介で楽しく過ごしました。
秋田から参加されたTさん、千葉や熊本からの皆さん、滋賀、岐阜、京都など地元、準地元からの皆さんなどなど楽しい紹介がありました。山形から岐阜に嫁がれてウン十年のUさんと秋田のTさんの掛け合いも楽しかったですねー。

そうこうしている内に永源寺です。凄い車と人でした。紅葉も真っ盛り。
ここで大阪のrokoさんご夫妻と合流でしたが、足を引きずっているご主人にビックリ。スポーツマンの彼らしい名誉の負傷との事でした。その足で永源寺の急階段を上り下りされましたが、その後大丈夫でしょうか。この見事な紅葉に痛みも忘れて・・・。

その後お二人に見送られながらバスは出発地の大津京駅前へ。
ところがこのツアーはここで「ハイおさらば」というわけには参りません。これからがまた一盛り上がりです。(^o^) いやー、楽しい二日間でした。

今回回りきれなかった個所(竹武島、国宝十一面観音立像、湖東三山など)はまた来年の楽しみにという事で再会を約してお別れしました。関島さん、二日間ご一緒させていただいた皆さん、本当に有り難うございました。

    - 完 -
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琵琶湖周遊の旅

2008-11-23 15:05:06 | 躍動
一日飛ばしてしまいました、スイマセン。

実は昨日も滋賀県まで行ってきました。昨日は残念ながら仕事で日帰り出張でした。(^o^;
三連休の初日、しかも場所が湖東三山と永源寺の間という事で紅葉狩りの車の渋滞に巻き込まれはせぬかと心配していましたが、朝早くに出かけて帰りは暗くなってから向こうを出発したため案じたほどの事はありませんでした。

先週は琵琶湖一周の旅、そしてその後の平日はそのしわ寄せが来て少しタイトな日々。その後の日帰り出張だったため昨日は帰ってきて食事をしたらもうダメ。今朝も午前中はぼーーっとして過ごしてしまいました。

などという言い訳はこのくらいにして最終回の報告を・・・。
 
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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-5

2008-11-21 17:26:30 | 躍動
夢の余呉湖が再び幻の湖に近い状態で殆ど脳裏に残っていないということで昨日の書き込みには写真は付きませんでした。残っているのは関島さんの歌とその後の美味しいお酒の味だけ?。まあそれだけでも十分ですが。(^o^)

二日目はまず長浜からスタート。黒壁ガラス館を中心とする黒壁スクエアアーケード街を散策してとりあえず時間をつぶします。「とりあえず時間をつぶす?」どういうこと?
実は11時からKBS京都というラジオ局の長浜サテライトスタジオから生放送される中村鋭一さんの番組に我らが関島秀樹さんが出演されるのです。バスツアーの途中でラジオ生出演とはまたなんという巡り合わせでしょうか。予定をその日に合わせて番組出演させて下さったとしてもそれはそれで大変なことです。中村鋭一さんといえば関西では知らない人はいないという名パーソナリティーです。熱烈な虎キチとしても知られている方です。

放送中のブース(といってもちょっとした土間ですが)にも入れてくれますが、私達はガラスで仕切られたすぐ目の前で観覧させて頂くことにしました。途中琵琶湖周遊ツアーの話題になった時、私達が胸に付けている名札を小川アナが見つけて外にいる私達2~3名の名前を読んでくれました。いきなりのことだったのでその瞬間は年甲斐もなくちょっとドキドキしましたね。なにせラジオとはいえ私の名前が電波に乗って放射されたという経験は初めてだったものですから・・・。(^o^)
小川アナウンサーは私がカメラを構えながらテレパシーを送ると一瞬でしたが目線をカメラに合わせて下さいました。カワイイ! 

そのサテライトスタジオのすぐ隣にあるお菓子屋さんの若主人が「私も関島さんのファンなんです」と仰って関島さんとも少し話ができました。さすが地元。

ところで何故「黒壁」かといいますと、今ガラス館となっている建物は以前は銀行だったとかで、その壁が黒壁だったことから「黒壁銀行」呼ばれていたのがその由来とか。というのはその隣のお菓子屋の若主人から仕入れたネタですが、当然ネットでも紹介されていますからその程度は皆さんも先刻ご承知でしょうか。

番組の途中で関島さんが唄われた歌は「恋の永源寺」でした。
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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-4

2008-11-21 01:38:02 | 躍動
今夜の宿泊地「国民宿舎 余呉湖荘」に着く頃にはもう日が暮れました。「熊がでるかも知れないので夜は外に出ないように」との注意を受けてバスを降りましたが、あいにく雨がしょぼしょぼと降っており気温も下がってきましたから熊に会いに行く事も出来ず宿舎内で大盛り上がりという事に・・・。

暗くなってから到着したので余呉湖がどれくらいのものか大きささえ分かりませんでしたが、対岸の灯を見る限りイメージしていたよりも結構大きいかも・・・ などと思いつつ美味しい料理とお酒に舌鼓。地図で見ると巨大な琵琶湖の北の端にちょこっとへばりついているほどの感じですが、なんのなんの余呉湖もかなりのものです。という事は「マザーレイク琵琶」がいかに巨大かという事の裏返しですね。凄い。

夕食後の関島さんのコンサート、やはり印象に残るのは何と言っても「正調 五木の子守歌」。帰りの車の中でも東京王子ホールで録画されたものを聴きながら走りましたが、心に染み入りますネー。これまで聴いていた「五木の子守歌」とは全く違った曲調ですが、思わず引き込まれてしまいました。

この辺りは賤ヶ岳の戦いで有名ですが、私が「余呉湖」を知ったのは高校生生の頃(多分)。水上勉の「湖の琴(うみのこと)」という小説が新聞連載された事に依ります。ということはもう40年以上も前の事になるんですねー。そう考えると恐ろしい。その時間の膨大さに慄然とします。(^o^) いずれにしても一度その余呉湖とやらへ訪れてみたいとズーーっと思い続けていたのですがなかなかその機会がなくてこれまで願いは叶わなかったのですが、やっとそれが叶いました。関島さんと幹事の永源寺様のお陰です。

しかし翌朝もまだ雨模様でした。結局余呉湖は未だ私の中では幻の湖のようなままで終わってしまいました。でも却ってこれでよかったのかも・・・。

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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-3

2008-11-19 18:45:47 | 躍動
琵琶湖バレイ山頂のレストハウスでバイキング昼食を済ませ、記念撮影をして再び下界へ舞い戻りました。関島さんのお住まいもこのあたりということです。後ろはスキー場、前は琵琶湖の水泳場という好立地、その間の春は桜、秋は紅葉で最高のロケーションですねー。

そして今度はここもスキー場で有名なマキノ町です。さすがにここではもうスキー場に上がることはしませんでしたが、その麓にある「メタセコイア並木」の見学をしました。私はまったく知りませんでしたがメタセコイア並木といえば「冬ソナ、ヨン様の世界」だとか。
なんだかだと言いつつ私もちゃっかりその気になって? 記念撮影してきました(もの好き)。(^o^)
夕刻ということもあって並木の下はもう薄ぐらいです。直線道路を突っ走ってくる車をかわしながらカメラを構えていると周りから「車が来た来た!危ないよっ!危ないって!」という声が飛び交いますが、通り過ぎるとまたまた懲りずに道路に出ます。それの繰り返しでタイムアップ。地元の方も慣れているというか諦めているというか・・・。まあ考えてみれば迷惑な話ですね。あ、いえ、ここに写っている方々が迷惑ということではございませんです、ハイ。スイマセン。

今はまだ青々と茂っていますがこの木も紅葉(茶色?)するそうですし、冬は雪を被ってこの景色も見応えありだそうです。植え始めてからまだ27年ほどといいますから成長の早い木なんですね。ここまでくるともう琵琶湖の最北端に近いです。目指すは今夜の宿泊地余呉湖荘。関島さんのコンサートと宴会付きでーす。

 
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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-2

2008-11-19 01:47:03 | 躍動
大津京駅には朝9時半過ぎに到着。駅裏に新しい駐車場が出来ており、オープニングプライスということで一日800円という料金で車を泊める事が出来ました。ラッキー!

まず向かうは「びわこバレイ」。湖西地方に足を踏み入れるのは初めての事です。これからスキーシーズンになると賑わうところです。私はかつて近江八幡に住んでいた事がありますが、冬になるとそこから山頂のスキー場の灯りがよく見えていました。という事はここに上ると逆に近江八幡がよく見えるかも?
そのはずでしたが当日は生憎の曇り空。山頂はガスっていて雲上の世界に近い状態、それはそれでいい雰囲気でもありましたが残念ながら下界の景色を楽しむ事が叶いませんでした。

最近出来たという121人乗りの大きなゴンドラが急傾斜を往復する様は壮観です。でも大きすぎて却って恐いくらいです。「こんな大きなものに121人も乗せてロープでぶら下げるって大丈夫?」なんて・・・。
写真ではロープの傾斜は緩やかそうに見えていますが途中はかなりきつい角度がついています。ゴンドラの手前に写っているお二人、ロマンチックムード満点? ご一緒させていただくのは今回でもう3度目位になりますが、相変わらず飛びっきり楽しいご夫婦でした。(^o^)
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関島秀樹さんと行く琵琶湖周遊の旅-1

2008-11-18 00:10:07 | 躍動
11月15(土),16日(日)の二日間、関島秀樹さんの後援会主催バスツアーに参加させていただきました。その名も「関島秀樹と行く琵琶湖周遊の旅」。周遊というその名の通り、大津を出発して湖西、湖北、湖東、そして再び湖南大津まで二日間掛けて琵琶湖をまるまる一周する旅です。

滋賀県といえば琵琶湖。この日本一大きい「マザーレイク・琵琶」は私の中のイメージとしては滋賀県の大半、いわゆる面積としても70%位は締めているのではと想像していました。ところが意外や意外、琵琶湖の面積は県の面積の6分の1程度だそうです。滋賀県に5年間も単身赴任していたのは一体何だったのでしょうか。(^o^) しかし実際にこの湖を目の当たりにするとやはり琵琶湖はデカイです。地元では『湖』と書いて『うみ』と呼ぶそうです。海に面していない国のウミ。滋賀県はまさに『湖国』です。関島秀樹さんは熊本県出身ですがいまはこの滋賀県に在住です。

11月15日午前10時、大津京駅集合。
北は秋田から南は熊本まで全国から集まった関島ファンを乗せていざシュッパーツ!(ここ滋賀県は西武グループのオーナーさんの出身地ということで、バスも勿論大きなレオマーク付きでした)(^o^)。
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芸どころ名古屋・・・ 中津川との差

2008-11-09 18:18:05 | 躍動
徳川御三家の内の一つ尾張徳川家の城下町・名古屋。この町では古くから稽古事や芸能が盛んであり、江戸と上方に挟まれ東西交流の中で芸能・文化・芸術が育ち、栄えたと言われています。
特に徳川宗春が領主になってからは領内に芝居小屋や遊郭を承認・奨励し、能や歌舞伎、舞踊、茶道、華道、製陶、文学などの文化・芸能が飛躍的に盛んになったという。元々裕福な商家なども多かったのかも知れない。
そんな事でいつの頃からか「芸どころ・名古屋」と呼ばれるようになった。
(ここまではネットからのにわか仕込み) (^o^;

その名古屋で「これがホントに芸どころ?」と思わせる事を目の当たりにした。先日の「島津亜矢 名古屋リサイタル」、前の方に座っていた方は気付かなかったかも知れないが公演中に中座する人の何と多かった事か。私は22列目に座っていたが、特に第1部では絶えずどこかから席を立って外に出たり、また逆に席に戻ってきたりと全く落ち着いてみて折れる雰囲気ではなかった。誠に残念な事である。当然の事ながら亜矢ちゃんもきっと落ち着かなかった事だろうと思う。

『芸』というものは、これは私の単なる思いこみというか主観的なものであるが、演者・芸人の技や能力が第一義である事はいうまでもないが、それを生かすも殺すも観客次第ではないかと思っている。すなわち演者・芸人(舞台)と観客(客席)が一体となって初めて芸が生き、芸人が生きるのではないかと。芸に対してド素人の私が口幅ったい事をいうかも知れないけれども、全くの的はずれでもないはずである。

これが例えば亜矢ちゃんの歌や芸が二流、三流であるというなら別である。最近のテレビ番組などでの大食い競技だの馬鹿さ加減を競い合うような見るに堪えないものなら納得も出来ようが、この飛びっきりの芸(芸術)を目の当たりにして、それも自ら金を払って入場しておきながらなんという体たらくだろうか。まったく「芸どころ」が聞いて呆れる雰囲気でした。

昨日の中津川コンサートでの観客の皆さんのマナーと反応の良さを見て心から感じ入り、余計にその感を強くし書かずにはおれなくなったという次第です。中津川コンサートに集われた皆さんの、亜矢ちゃんのコンサートを楽しもうとする気持ちと態度、それに充分応えるに足る技量の亜矢ちゃんの歌とスタッフの努力。最後列から見ていても途中で席を立つ者など勿論一人もいませんでした。まあこれが普通といえば普通ですがね・・・。こちらは本当に気分のいいコンサートでした。

いつもは高速道路を突っ走って通り過ぎるだけの町でしたが、これからは中津川ICを通る時には好印象を抱きながら通過する事になりそうです。(^o^)

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戦慄の「戦友」

2008-11-05 21:21:06 | 躍動
 ♪ ここはお国を何百里~  離れて遠き満州の~

で始まるこの歌は子供の頃から何度となく聞いてはいるが、こんなに長い歌詞だとは今まで知らなかった。「今まで」とは「亜矢ちゃんの歌を聞くまで」というか、東京リサイタルからの多くの方の報告を読ませていただいて初めて知った。

この歌を聞くにつれいろんな事を考えさせられます。
自分の周りで人が死ぬ。友が死ぬ。敵の兵士を殺す。自分もいつ死ぬかという極限状態。

何の為に敵地へ赴く? お国の為? お国の誰の為? 「敵」って誰? そして誰の敵? 敵国の兵士を沢山殺して、国を奪い取って、日本の兵士も沢山死んで、それで誰が悦ぶの? 誰が得するの? 本当のお国の為ってそういう無惨なことをいうの? 自分の国さえよければ周りの国はどうなってもいいの? よしんば周りの国も開放されたとしたなら、今どうしてアジアの国々にこんなにも反日感情が残っているの?

人間誰も人の子だ。親もいれば妻も子も兄弟もいる。そんなフツーの人間同士が殺し合うことがお国の為とは恐れ入る。

団塊の世代は戦争を知らない。本当の生死の狭間に放り出されたことがない。でも、知らないからこそ先人から伝え聞く戦争体験を貴重な教訓として生かさねばならぬ。後ろから突撃命令を出しておいて、戦況が不利になったら真っ先に自分が国に逃げ帰るような奴や、安全な日本の国の中にいて無数の人間を殺し合いさせるような輩の言うことを信じてはならぬ。

最近団塊の世代の中で両極端な二人が話題になっている。一人は防衛省航空幕僚長という立場の空自のトップ。先の戦争は「侵略ではなかった」と言い放った。じゃあ聞くがあなたの言う「侵略」の定義はなんだ? 他国へ軍隊が攻め 込んで自分の国の都合がいいように平定しようとすることが侵略でなくて何を侵略というのか? 戦争を正当化してその奥に何を企んでいるんだ? この男60歳、戦争を知らぬ男。

あと一人はあのジュリー(沢田研二)。歌うは「我が窮状」。九条を窮状に引っかけて、憲法九条を守ろうという歌。

     「我が窮状」(1番のみ)

    麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
    忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
    英霊の涙に変えて 授かった宝だ
    この窮状 救うために 声なき声よ集え
    我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
  
こちらもまた60歳、もちろん戦争を知らぬ世代。

人口構成から見ても多数を占め、まだまだ体力も気力も持ち合わせている今、団塊の世代が立ち上がらなくてどうする。日本を間違った方向へ向かわせてはならない。

再び「戦友」・・・
敵の銃弾に倒れた友。戦い済んで探し回ってようやく見つけた友はもうすでに息絶えていた。遠い異国の地で冷たくなっていた。呼べど叫べどもうもの言わぬ人となりぬ。何を思いながら死んでいった? 母のことだろうか、それとも国に残してきた妻や子の事だったろうか。

  ♪ 空しく冷えて魂は~
    故郷(くに)へ帰ったポケットに~
    時計ばかりがコチコチと~
    動いて居るのも情なや~
    
この歌を只の「懐かしの軍歌」で終わらせてはならない。亜矢ちゃんの心の歌唱に期待。

 
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