「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

交通事故!

2006-02-11 22:54:11 | Weblog
知り合いが交通事故に合った。たまに一緒に仕事をする仲間の方である。両足大腿部を含めて5ヶ所骨折の大怪我だった。
関西からこちらへ出張で来ていて事故に合った。どうも右折待機中に前方から下り坂を猛スピードで走ってきた車に突っ込まれたようだが、詳細はまだ分からない。レスキュー隊が出動して救出しなければならないほど車も大破してしまった。

昨夜は家族の方や所属する会社の方が関西から到着するまで病院で待機した。応急処置とX線検査の後、救命救急病棟の集中治療室へ入った。

交通事故は本当に身近なところで起こっている。私も車でアチコチ出張することがあるので他人事(ひとごと)とは思えない。遠方で事故に合った場合、その知らせを受けた家族も驚きと共に大きなショックを受けることだろう。取るものも取りあえず病院に駆けつけてこられた。息子さんがしっかりしていたので安心しましたが・・・。

自分の身に置き換えると、慄然とするばかりである。一日も早い回復と仕事への復帰を願っている。
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「熱病時の抜粋集」

2006-02-06 23:52:32 | 躍動
昨年の10月、名古屋リサイタル後の超興奮状態の中、夜桜挽花様の「演歌桜・亜矢桜」に半ば熱病のようにして書き綴らせて頂いた物を今読み返してみて、改めて「心中天の網島」『小春』の背景をおさらいしておきたいという気になった。自分でももう既に忘れ去っていることもあったので抜粋して記憶を呼び戻すことにする。


「心中天の網島」が書かれた当時は元禄のバブルがはじけ、享保の改革を迎えた時代、うまく立ちまわるものが生き延び、正直者は損をするという理不尽が横行していました。少数の「勝ち組」と大多数の「負け組」に否応なく分別されていくような現代とよく似ているような気がしないでもない。そういえば今の世も心中や自殺者の数が高水準を維持したままとか。そういう意味ではこのお題は的を射る題材であるのかも知れません。
道行の過程において、治兵衛と小春はこの世の束縛やしがらみから解放され、この世への未練も消えうせて、その先に至福が待っているかのような充足感に浸ります。

秩序の乱れを恐れる幕府は心中に対して厳しい処分を課していましたが、逆に心中に対する好奇心と同情心はより一層庶民の心をとらえるようになったようです。

「遊女小春」
今回の名作歌謡劇場のヒロイン『小春』。しかし遊女小春の生い立ちまではどうも追いきれません。社会の底辺で毎日の食べることにも事欠くような家の事情があったのでしょうか。時代劇でもよく出てきます。いわゆる「借金の形に娘をもらっていく」というやつです。
廓に身売りされてくる娘たちの深い悲しみ、苦しみ、あきらめ、世をはかなむ心の内、察するに余りあります。
「こんな生き方、こんな世の中なんか、もういややー!」そんな叫び声が聞こえてきそうです。
そして客を取るときにはそのような感情はおくびにも出さずに・・・。 (T_T)
いやそうではない。やはり心の中では「小春涙で 帯を解く」の心境そのものだったのでしょう。

何年もそのような世界に身を置くと、いかに客の男を騙して金にしようかとする者も出てきて当たり前でしょうか。
しかしそうではなく、純真な心根を持ったままの娘も中にはいたと思われます。小春はそういう遊女の中の一人だったのでしょうか。曽根崎新地のはずれにあった「紀伊国屋」という茶屋は決して高級なところではなかったと言うことですが・・・。
治兵衛の兄「孫右衛門」が侍に姿を変えて、その小春の覚悟の程を探るために小春を呼び出したのが『河庄』です。

「紙屋治兵衛」
一方の紙屋治兵衛、女房はいとこ同志のおさんです。おさんはしっかり者で店の切り盛りまで一手に引き受けて働きます。勘太郎とお末という二人の子供を授かっています。
このおさんのどこが、何が気に入らなかったのでしょうか。あまりによく働く、よくできた女房を持つと男は駄目になるという見本でしょうか? 廓通いに明け暮れて小春の元へ走り、挙句の果てに心中まで約束してしまいます。
いきなり心中に飛んでしまうと分かりにくいですが、廓の掟、女が抱えた多額の借金、それを返して身請けすることの困難さ、お互いが好き合って一緒になろうとしてもなれないもどかしさ、世間の風評、親戚内の評判、家庭内での自分の立場、そのような様々な事が積み重なって、結局二人に残された道は心中しかないと思い詰めてしまうのでしょうか。
そんな駄目亭主でも、男としての魅力はあるのでしょう。野暮な私には女心の中までは到底分かりません。なにが小春の心を捉えたのでしょうか。こんなつらい生き方を断ち切りたいための相手として治兵衛を選んだだけのことなのでしょうか。それとも、好きなこの人と一緒になりたい。でもそうはいかない。ならばいっそのことこの人と一緒に死にたい、死んでもいいという深い愛を育むところまで行き着いていたのでしょうか。あるいはその全てが渾然一体となってしまったのでしょうか。疑問は深まるばかりです。

そして女房おさんの胸中やいかに・・・。

「女房おさん」
紙屋治兵衛の女房のおさんは治兵衛のいとこです。何か私には、この物語、事件の鍵はこの辺にあったのではないかと感じています。
私の察するところ、多分このおさんは親戚内の評判もすこぶる良かったのではないでしょうか。そして治兵衛のほうはというと、あまりしっかり者でもなく、家業の仕事にもあまり熱心ではなかったのかもしれません。あくまでも推測ですが。
だからこの二人を結びつけたのは親類縁者の多数決(?)による取り決め、「家(家業)」を守るためのいわゆる政略結婚のようなものだったのかもしれません。
おさんの胸中は計り知れませんが、ひょっとしたらおさんもやっぱり
「家(家業)・家系」が大事で一生懸命だったのかもという気がしています。

おさんは治兵衛と小春が心中の約束をしていると知って小春に直談判をします。どうか治兵衛を助けてほしい、心中などという早まったことを思い止まってほしいと。
それが夫治兵衛を愛しているが故なのかどうか、私にも判然とはしていません。しかし、もしおさんが家のことだけでなく夫治兵衛を本当に愛してもいたとしたら、この物語の主人公は『おさん』であるべきだと思うのです。

小春はおさんの懇願を受け入れ、治兵衛に愛想尽かしをする振りをして心中するのをやめてしまいます。その愛想尽かしの小春の芝居を受けて、治兵衛はウジウジと嘆き悲しむ毎日です。軟弱な・・・。

そんなある日、小春が太兵衛という別のお大尽に身請けされるという話が飛び込んできます。そして好きでもない相手に身請けされたその後に小春は自害しようと考えます。
しかしそれでは折角夫治兵衛との心中を思い止まって、夫の命を助け遊女というつらい仕事を続けさせることになっている小春に対する義理が立ちません。
おさんは、ここは何が何でも小春の命を救わねばならぬという思いに駆られます。

そしてその為におさんがとった行動とは、治兵衛がおさんを身請けすることができるように金策に走り回るのです。自分が嫁入りの時に持参した着物までも処分してしまいます。「私や子供は何も着なくても、男は世間が大事です。請け出して小春を助け、太兵衛に対する男の面子も立ててください」

治兵衛はおさんにこう問いかけます。「そんなことをしてその後はお前はどうするつもりじゃ」、ハッと行き詰まったおさんは「そうよなあ、私は子供の乳母か飯炊き女、それとも隠居なりともしましょうか・・・」といってワッっと泣き伏してしまいます。

《離縁》
夫治兵衛に小春の身請け金を持たせようとするおさんの切ない胸の内、ここで治兵衛は少しは改心して立ち直ろうとしたのかも知れません。
そこに現れたのがおさんの父親、「廓通いにうつつを抜かすお前のようなやつとおさんを一緒にさせておくわけにはいかん、去状(離縁状)を書け!」。怒り心頭です。治兵衛は頭を床に摩り付けて「今までのことはどうか許してくださいませ。これからは心を入れ替えて家業にも励みます。女房子供も大事にしますー」。
しかしおさんの親父は聞き入れず、去状を書かせます。治兵衛は泣く泣く脇差にて指に切り傷をつけて血で去状を書きます。ところがおさんはこの去状を受け取ろうとはしません。「父上様、この治兵衛こそは他人なれど、その子達は可愛い孫であるはず、可愛うはござらぬか」、おさんは治兵衛の足にすがり付いて泣き叫び、連れ帰ろうとする父に抗いますが、最後にとうとう父はおさんを連れて帰ります。
(うーん、やっぱりおさんは治兵衛を心から愛していたのか・・・?)

やっと目を覚まして心を入れ替え、やり直そうと思った矢先のこの舅の仕打ち、またまた悲しみにうち沈む治兵衛、そしてとうとう自暴自棄、かくなる上はやっぱり小春と心中するしかない。二人は示し合わせて茶屋の潜り(くぐり)を出て死出の道行きに至ります。

ここからが《道行名残の橋尽くし》です。
『釈迦の教へもあることか 元はと問えば分別の あのいたいけな貝がらに 一杯もなき蜆橋、(中略)この世を捨てゝ行く身には 聞くも恐ろし天満橋。「この世でこそは添はずとも 未来はいふに及ばず こんどのこんどのずっとこんどのその先までも夫婦ぞや。アレ寺々の鐘の声 最期を急がんこなたヘと 手に百八の魂の緒を 涙の玉にくりまぜて 南無綱島の大長寺』

しかし最後の最後まで小春の心に引っかかっていることがあります。おさんとの約束です。
ここで二人並んで死んでしまってはおさんへの義理が立たない。悩みに悩みます。「世間の者たちの千人万人より、おさん様一人のさげしみ、恨みねたみもさぞと思ひやり、未来の迷ひはこれ一つにございます」
しかしその迷いも治兵衛の一言で割り切ります。「おさんとはもう既に別かれた身、おさんはもう他人じゃ、義理立てすることなどない」。

「最期は今ぞ」と引寄せて、後まで残る死顔に「泣き顔残すな」「残さじ」と気を取り直し一刀えぐる苦しき暁の見果てぬ夢と消え果てたり・・・。
うしろに響く大長寺の鐘の声。

そう、あの舞台の上にしつらえられた橋こそ治兵衛と小春が此岸(この世)から彼岸(あの世)へ渡るための、 死出の道行の橋だったのです。

この先何度生まれ変わろうともこの小春は治兵衛様と夫婦ですと言い残してあの世に旅立ちます。
「輪廻転生」をイメージしつつ橋の中央が回り続け、幕が下ります

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『小春』~女いのちの建て前本音

2006-02-01 23:12:29 | 躍動
以前夜桜挽花様の「演歌桜・亜矢桜」のリサイタル観覧記掲示板の中で「心中天の網島」の予習復習をしましたが、今回名作歌謡劇場『小春』が発売されたのを機に、もう一度この歌に沿っておさらいをしてみたい。

遊女『小春』が妻も子もある紙屋治兵衛と恋に落ち、それが新地中の噂になる。その噂が元で監視の目も厳しくなって二人が合うこともままならない今日この頃。思いつめる治兵衛。それをいいことに小春に身請けを言い寄る太兵衛。この姿を見ていて治兵衛の妻おさんは治兵衛が小春と心中するかも知れぬと思い至る。
夫の命を救おうとおさんは小春に手紙を出す。「どうか心中を思いとどまってほしい。夫の命を助けてほしい」と。小春はおさんに女同士の義理立てを誓う。

 ♪ 人の噂で 運命(さだめ)がかわる
    小春哀しや 義理に泣く。

その義理立てのために小春は嫌な太兵衛に身請けされ、借金を返して自由の身になったその後に自害しようと思い至る。(親の?)借金の形に身売りされたそのときの証文を消し去る為には、嫌な太兵衛に身請けされる証文が残る。自分一人ではどうすることも出来ない閉塞感が小春に覆いかぶさってくる。

 ♪ たかが一枚 この誓紙(かみ)きれで
    小春涙で 帯を解く
   
いやいやながらも太兵衛に抱かれなければならないのか・・・。

「大好きな母(かか)さまからもらったこの大事ないのち、自ら絶っていいものか」

「でも一体私の命ってなんだったの? 何をしにこの世に生まれてきたの?」

「このままこの世界に身を置くしか道はないのか」

「嫌な太兵衛に身請けされた後、一人で寂しく死んでゆこうか」

「いえ、小春は愛する治兵衛さまと一緒にあの世へ行きたい」

考えても考えても堂々巡り、結論など出やしない。揺れ動く小春の心。何が本音で、どこが建て前なのか。

 ♪ 女いのちの 建て前本音
    捌ききれずに 袖をかむ
   
「世の人千人万人より、おさん様ひとりのさげしみが気にかかる」
   
 ♪ 死ぬも生きるも 絵草紙ならば
    夢の道行き 浄土の旅へ    《南無阿弥陀仏》  
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