「追分」というのは街道の分岐点です。すなわち交通の要衝であり、従って文化の集積地とも言えるのではないでしょうか。各地から様々な人間が集まりそして分かれて行く。であるからそこには各地方の様々な文化、いわゆる民謡などの音曲をはじめ方言、食べ物、民話、持ち物、果ては遊び道具に至るまで混ざり合っていきます。そしてまたそこから新しい文化が各地へと広がり散っていったのでしょう。
「追分節」と言われる歌があり、こちらも「追分」と呼ばれます。
「追分宿」で出会った各地の歌が、そこの歌好きの人たちや、又は酒の席などで楽しく混ざり合い変容して修練されていったのだと思います。三味線や太鼓が入り、掛け声や合いの手が加わって調子が整い、それが旅人や、芝居などの一座や、又はゴゼさん達のような門付けで流して歩く人達によっていろんな形に派生しながら各地でそれが根付いていったことでしょう。
代表的な「追分節」である江差追分もそのルーツは南部藩(岩手県)にあると言われています。それが佐久の追分にたどり着き、越後から日本海側を北に上がったのでしょうか。それこそゴゼさんや北前船の船頭さん達がその仲介役となったのかも知れません。
「♪ ヤンガレサ~ 追分の~ 海で鮭を捕る~
ヤンガレサ~ 男衆は~ 汗で銭を取る~」
亜矢ちゃんの新曲「海ぶし」の一節ですが、「おなご雪波かいくぐり、崩れ番屋で飯を炊き、凍る昆布を引きながら十(とお)の指に血を流す」という厳しい気象条件の中での漁を思わせる状況からやはりこれは江差追分が歌われる地方を中心とした地方、すなわち松前から江差、奥尻、積丹あたりを想定した歌ではないかと勝手に推察しています。
歌詞の中の「ヤンガレサ~」というのは、漁に出て大漁の網を船に引き上げる時の掛け声を歌ったものでしょうか。「ヤーレサー、ヤーレサー」が「ヤンレサー、ヤンレサー」となり、節を付けて「ヤンアレサー」となったものが、亜矢ちゃんの力強い歌い方で「ア」が「ガ」に変じたものではないかと・・・。
このあたりは北の漁師様の見解を伺った方が正確な答えが得られるかも知れませんね。
いずれにしても、厳しい自然条件の中でもそれを跳ね返して生きる逞しい漁師達の力強い素晴らしい曲想です。最後のトランペットの響きがまたいいですねー、仲村さん塚本さんの出番です。これからコンサートでも「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声を全員で掛けて大いに盛り上がりましょう。(^o^)
ヨイショ!ヨイショ!
「追分節」と言われる歌があり、こちらも「追分」と呼ばれます。
「追分宿」で出会った各地の歌が、そこの歌好きの人たちや、又は酒の席などで楽しく混ざり合い変容して修練されていったのだと思います。三味線や太鼓が入り、掛け声や合いの手が加わって調子が整い、それが旅人や、芝居などの一座や、又はゴゼさん達のような門付けで流して歩く人達によっていろんな形に派生しながら各地でそれが根付いていったことでしょう。
代表的な「追分節」である江差追分もそのルーツは南部藩(岩手県)にあると言われています。それが佐久の追分にたどり着き、越後から日本海側を北に上がったのでしょうか。それこそゴゼさんや北前船の船頭さん達がその仲介役となったのかも知れません。
「♪ ヤンガレサ~ 追分の~ 海で鮭を捕る~
ヤンガレサ~ 男衆は~ 汗で銭を取る~」
亜矢ちゃんの新曲「海ぶし」の一節ですが、「おなご雪波かいくぐり、崩れ番屋で飯を炊き、凍る昆布を引きながら十(とお)の指に血を流す」という厳しい気象条件の中での漁を思わせる状況からやはりこれは江差追分が歌われる地方を中心とした地方、すなわち松前から江差、奥尻、積丹あたりを想定した歌ではないかと勝手に推察しています。
歌詞の中の「ヤンガレサ~」というのは、漁に出て大漁の網を船に引き上げる時の掛け声を歌ったものでしょうか。「ヤーレサー、ヤーレサー」が「ヤンレサー、ヤンレサー」となり、節を付けて「ヤンアレサー」となったものが、亜矢ちゃんの力強い歌い方で「ア」が「ガ」に変じたものではないかと・・・。
このあたりは北の漁師様の見解を伺った方が正確な答えが得られるかも知れませんね。
いずれにしても、厳しい自然条件の中でもそれを跳ね返して生きる逞しい漁師達の力強い素晴らしい曲想です。最後のトランペットの響きがまたいいですねー、仲村さん塚本さんの出番です。これからコンサートでも「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声を全員で掛けて大いに盛り上がりましょう。(^o^)
ヨイショ!ヨイショ!