「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

吉良殿、見つかり申した~!

2010-07-29 17:25:40 | 躍動
先日、吉良町まで行ってきました。
「吉良の仁吉」と「吉良上野介義央公」のゆかりの町です。
といっても吉良公は元々吉良の生まれではなく、江戸の生まれとも
福島の生まれとも言われていますが。

現在の愛知県幡豆郡一帯は吉良家の領地ということですが、上野介
がその領地を訪れた記録は1回かせいぜい2回と言うことです。
そして、その時は「赤馬」に乗って領地を見廻ったと言います。

その銅像が、上野介が命じて作らせたという「黄金堤(こがねづつ
み)」の脇に飾られています。像の背景になっているのが黄金堤。
やった、「吉良殿、見っけー!」写真では分かりづらいですが意外
と小さい像です。

忠臣蔵では完璧な「悪役」という設定の上野介ですが、しかし領地
三河国幡豆(はず)郡では、貞享3年(1686年)に築いた黄金堤に
よる治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓や人柄から名君と
され、地元では慕われていたらしい。(Wikipedia)

尾崎士郎もこう記している。
『若くして友情に厚く隣人に慕われ、功成り名遂げた後は善行とい
う善行のかぎりをつくし、人生の行路ようやく終わりに近づこうと
するに及んで、運命はだしぬけに逆転する。』(「吉良の男」より)
余談ですが、普通「限りを尽くし」という言葉は「悪行」に続く言
葉かと思っていましたが、そうでもないんですね。(^o^)

閑話休題;
人の噂というものは面白可笑しく語り継がれ、また、芝居などでは
当たりをとるためにそれこそ極端にデフォルメされるため、今とな
っては実際のところはなかなかわかりにくい。

というようなこともあって、忠臣蔵関係の出し物を見聞きするとき
には吉良の殿様に対しても幾ばくかの同情の念(?)を感じなが
らとなってしまう。それがたとえ亜矢ちゃんの歌う「俵星玄蕃」や
「赤垣源蔵」や「決闘・高田馬場」や「立花左近」であってもです。
うーん、複雑な気分。

 
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