水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

関東鉄道 キハ0形気動車/キハ310形気動車

2008-08-31 19:24:43 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
常総線取手~水海道間の複線化完成に伴い、昭和59年に導入された車両である。
001~008の8両が製造された。

台車やエンジンなどは、国鉄で廃車になったキハ20系気動車のものを流用し、
車体を新潟製鉄所で新造している。
関東鉄道では初めての完全2両固定編成である。
当初、正面部に幌が設置されておらず、緊急時以外、通行できなかったが、
取手駅で発生した列車暴走事故の反省から、幌を取り付けている。

車体は全鋼製で片側3ドア両開き、側窓は戸袋窓をのぞいて2段窓となっている。
正面中央上部には関東鉄道の新車としては初めて方向幕を装備した。
車内はロングシートで、ドア部分に緩いスロープが設けられている。

形式は「0」形だが、番号は「00α」で振られており、第4編成の「007」号車の
登場時には、一部のファンの間で話題となった。

当初、冷房を装備していなかったが、平成8年にエンジンの更新と共に
冷房化を実施している。
また、平成17年のダイヤ改正に伴い、ワンマン化を実施したほか、
一部では正面部分にスカートを取り付けている。

なお、ほぼ同型の車両としてキハ310形気動車が存在する。
この車両は昭和51年に輸送力増強のため、国鉄キハ17系気動車を譲り受け、
その機器と台車を流用して車体を新造したもので、311~318の8両が
製造されている。
キハ0形が新車扱いなのに対し、本形式は種車からの経歴を引き継いでいる。

こちらは固定編成は組まずに、他の車両と編成を組むことがよくあった。
当初、行き先表示器や幌はなく、ヘッドライトの位置やドアの窓が小さいなど、
多くの部分でキハ0形と異なっていたが、後の改造で、見た目も性能も
全くといっていいほど差がなくなった。
キハ2100形の増備でキハ311とキハ312が廃車になったが、残り6両が在籍している。
なお、旧型車の一掃で同形同士の2連固定で使用されるようになっている。

東京急行電鉄 1000系電車

2008-08-29 22:07:44 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
営団(→東京メトロ)日比谷線の直通運転に使用していた
7000系電車の老朽化に伴い登場した車両である。
東横線の9000系電車をベースに、日比谷線直通基準に合わせ、
車体の長さは18mでドアも3扉になっている。
種別幕、方向幕、列車番号幕を3つ、つなげた様に黒く塗りつぶされているのが
特徴となっている。
平成19年初頭に、正面にスカートが設置された。

車内はオールロングシートで、やはり、9000系同様、
3名分ずつで仕切りを設けて、定員着席の推進を図っている。
当初、車椅子スペースが無かったが、平成12年ごろまでに、
一部座席を撤去の上で設けられている。
また、東横線所属車については、ドアの上にLED式の旅客案内装置を
装備している。

主制御装置はVVVF制御で、9000系電車のものを改良したものを採用している。
台車はボルスタレス台車で、床面をホームの高さに出来るだけ合わせて
乗り降りの際の段差を最低限にしている。

日比谷線直通用に使用されている車両としては初の冷房車で、
この時期に東武鉄道が20000系電車を、営団地下鉄(→東京メトロ)が
03系電車を相次いでデビューさせている。

一部の編成は4両ずつに分割できるようになっていたが、この編成は、
目蒲線(現在の目黒線の一部と多摩川線)などで使用された後、
現在は3連に組みなおされて、池上線に所属している。

池上線では7200系の置き換えのため、3連で登場している(置き換えられた7200系は
4連に組みなおされて目蒲線に転属)。
同線に配属されている編成のうち1024編成は、
池上線用に製造された電車として、実に63年ぶりというものある
(池上線は他の線とは別会社だったが、
東急の前身の東横電鉄によって買収された経緯があり、
以降、東横線などで使い古された旧型車しか入ってこなくなった)。
それ以外の編成は一時的に目蒲線で運用された後、転入してきている。
運行開始当初はツーマンであったが、現在はワンマンカーに改造されている。
ただし、都市型ワンマンなので、運賃箱などの設置は無い。

平成20年に新7000系の登場で一部が余剰となり、初めて廃車が発生した。
廃車になったものの一部は、上田電鉄に譲渡されて、同年ゴールデンウィーク以降に
運行を開始している。


池上線所属車の現在の姿。正面にスカートが付いている。


正面部中央に貫通扉のあるタイプ。現在は池上線と多摩川線で運用されている。

熊本市交通局 5000形電車

2008-08-28 00:11:21 | 電車図鑑・路面電車
昭和51年にラッシュ時間帯の輸送力増強のため、西鉄福岡市内線で運行されていた
2体連接車の1001形電車を譲り受けたものである(※)。

この当時、オイルショックによる石油の値上がりを受けて、昭和30年代後半以降、
自動車交通の邪魔者として扱われ、廃止されていった路面電車の見直しが
叫ばれるようになった。
熊本市でもそれは同様で、利用客が再び増加し、ラッシュ時には積み残しが
起こるほどであったため、昭和50年に福岡市内線の一部廃線で余剰となった
2体連接車を譲り受けることになった。

熊本市では当初、製造年次の新しい別形式の連接車を希望していたが、
それらは既に、広島電鉄や筑豊電鉄に譲渡が決定していたため、
1001形電車の中でも状態のいいものを2両(2編成/1010AB・1011AB)を
最初に譲り受け、5010AB、5011ABとしてラッシュ時に投入した。
この効果は絶大で、ラッシュ時に度々発生した積み残しが無くなり、
好評であったため、昭和53年に2編成を追加した。
この2編成(5014AB・5015AB)は、部品が取られた状態のスクラップとして
譲られたため、それらの復旧と改装を行っている。
また、原型では通常の菱形のパンタグラフであったが、
この2本分からZパンタに交換し(屋根周りの部品などは、広島電鉄などに
売却されて何も付いてなかった)、前に譲渡された2本も交換された。
昭和60年には冷房化を実施している。

登場以来、ラッシュ時間帯専用で、当初は2系統(田崎橋・熊本駅~健軍町)で使用されたが、
上熊本車庫の完成で、3系統(上熊本駅~健軍町)で使用されるようになった。

平成11年に5010ABが廃車されたが、残り3本は現役で、5014ABは平成14年に
塗装を西鉄時代のマルーンとクリームのツートンに変更している。
他の車両はホワイトにドアがグリーンである。

なお、熊本市電ではワンマン運転を実施しているが、本形式と
ノンステップ電車の9700形はツーマン運転で、車掌が乗務している。


西鉄時代の塗装になった5014AB。ちなみに「~AB」とは、2つ車体のある連接車を
1つの車両であることに見做すための記号である。
法律上、路面電車の連結運転が認められてなかったための措置である。


車内。連接部を通るパイプは冷房の風道。

(※)西日本鉄道1001形電車
旧型車の置き換えと輸送力増強のため、昭和28年製造の北九州線1000形を
ベースに、翌年、福岡市内線用に登場した2体連接車である。
北九州線の1000形が多くのメーカーで長期に亘って製造されながら、
通し番号だったのに対し、福岡市内線では、車両の仕様や製造年毎に
1001形、1101形、1201形、1301形と形式番号で分類している。
1001形は昭和29年と32年に合わせて15本が登場。
メーカーは川崎車両で、台車にOK形を採用したカルダン駆動車である。
昭和43年にツーマン化(3ドア以上の路面電車では各ドアで運賃収受をしていたが、
これを乗務員のいるドアのみで行うもの)改造を受けている。
また、現在の5011AB、5014AB、5015ABを含む5本(1011AB~1015AB)は、一時的に
北九州線で運行されたことがある。
昭和50年に、西鉄福岡市内線の第一次廃線と共に、他の連接車と共に廃車となった。

広島電鉄 1150形電車

2008-08-26 18:13:51 | 電車図鑑・路面電車
昭和46年に神戸市電より譲り受けた車両である。

神戸市電時代も同じ形式で、前年登場の1100形をベースに昭和30年~31年にかけて
8両が製造された。
神戸市電初のPCC車でカルダン駆動、間接制御の高性能車であった。
しかし、高性能車ゆえに故障も多く、他の車両と扱いの違う部分も多かったことから、
大阪市電より中古部品を購入し、吊り掛け駆動、直接制御の在来車並の性能に
落とされた。
性能は落ちたものの、他の車両と同じように使えるようになったため、
安定して運用できるようになり、昭和43年にワンマン化改造を受け、
昭和46年に神戸市電が全廃になるまで使用された。

広島へは保存車となった1155号を除く7両が譲渡された。
空いた番号の穴埋めと整理のため、ラストナンバーの1158号が1155号になった。
昭和57年に冷房化と方向幕の大型化を行った。
その後は全車健在のまま推移したが、平成9年にカードリーダー式運賃箱に
交換した際に、乗降口の狭さが問題となったほか、収容量やモーターの出力の弱さなどが
指摘されたため、平成11年より廃車が始まり、現在は、最後の1両となった
1156号が残っている。

この1156号は平成15年に事故廃車になった1105号がまとっていた「ハノーバー」号の
塗装を引き継いでいる。
所属車庫は千田車庫で主に1・3・5系統で運行されている。

なお、保存車として神戸に残った1155号は神戸市東灘区の本山交通公園に展示されている。
平成15年に老朽化と損傷から、解体が計画されたが、市民運動により整備され、
美しい姿を保っている。


車内。床は木製。


運転台。よく見ると速度計がない。

札幌市交通局 7000形電車

2008-08-23 21:17:07 | 電車図鑑・地下鉄
昭和63年に開業した東豊線用の車両として、前年の昭和62年に登場したものである。
3次にわたって製造され、現在4連20編成が在籍する。

当初、東西線用の6000形の車体カラーをラインカラーの水色にして、
若干の変更を加えて、投入する予定であったが、寸法や設計などを見直した結果、
デザイン等も変更されて別形式となった。

車両の検査などは東西線の車庫で行うため、東西線内も走行可能である。
東西線6000形よりも車内の壁厚を薄くし、座席の奥行きを狭くし、
立席スペースが広くなったため、同形に比べて、定員が多い。
車体も若干、大きくなったため、連結部の間隔を縮めて寸法を合わせている。
主制御装置は全車電機子チョッパ制御、ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式
電磁直通液圧変換ブレーキである。
車輪は他の路線同様ゴムタイヤ式である。

車内はロングシートで、連結部は八角形状の貫通路となっている。
化粧板はラインカラーの水色で、鈴蘭や牧場のイラストが入る。

塗装はクリームにラインカラーの水色のラインが入る。

平成6年に東豊線豊水すすきの~福住間が開通した際に、増備車5本を追加した。
この5本は車体形状は変わらないが、各所に変更を行った。
主な変更点は、以下の通り。

・トンネルの狭小断面化に伴う屋根上機器の小型化
・塗装と正面紋章の変更
・先頭車へのLED式行き先表示の装備
・ドア上への路線図付LEDスクロール式の旅客案内装置(千鳥配置)
・肘掛の変更と、それに伴う着席区分の変更

車体塗装は「STカラー」と呼ばれるものになり、ホワイトを基調に正面非常扉と
客用扉に路線カラーのブルーというものになった。
これは後の札幌市の地下鉄の新車(南北線5000形、東西線8000形)に
引き継がれている。

平成19年に全車両への自動放送装置と各ドアへの点字プレートが取り付けられた。

先述のとおり、通常は東豊線で運行されているが、車両検査時には
東西線西11丁目~西28丁目を走行する。


7000形後期増備型。


車内。写真は後期型のもの。

京都市電 狭軌1形電車(博物館明治村) 

2008-08-22 22:44:48 | 保存車・博物館
明治村開村に伴い、京都で廃止になった日本で初めて電車運転を行った、
京都市電堀川線の狭軌1形電車2両を、登場時の姿に復元したものである。

狭軌1形は、前身の京都電気鉄道により明治28年から末期にかけて、133両が
製造された電車である。
運転台は吹きさらしのオープンデッキで直接制御、ハンドブレーキ、
吊り掛け駆動の4輪単車で、車体は木造である。
屋根は2重となっており、昼間の採光と通風器の役割をしている。
車内はロングシートである。
運転台については、後に改造されて窓付きになった。
集電装置はトロリーポールで、最初が1本で進行方向が変わるごとに
前後に回転させるスタイル(これを「ポール回し」と呼ぶ)、
後に前後配置で進行方向後方側のものを上げて使うスタイルに変更された。

明治44年の京都市への吸収に伴い、レールの幅が京都市の路線よりも狭かったことから、
英語で狭いということを表す「Narrow」の頭文字をとってN1~N133に改番された。
これは同じ1形が京都市側にも在籍していたためで、こちらは番号表記の変更はなく、
「広軌1形」と呼ばれた。
京都市への併合後、すぐに33両が売却(熊本電鉄、名古屋市電など)されたほか、
狭軌で開業した部分も一部が広軌に変更されたことなどから、
数を減らし、最終的に28両が残った。
昭和30年に、これらを1~28号に整理している。
尚、広軌1形が昭和28年に全廃となっていたため、「N」の記号は付けられなかった。
廃線を前に6両が引退し、その後の路線廃止で全車が廃車となった。

明治村へ譲渡されたのは明治44年製造の8号車と15号車で、旧番号はN58号と
N115号である。
明治村では、2両とも登場時の姿に復元されて、順に「壱號車/№1」、「弐號車/№2」
になっている。

明治村開村を前に宣伝を兼ねて、名鉄の岐阜市内線で運行されたが、
当時の岐阜市長から、「我が文化都市に博物館行きの電車を走らせるとはけしからん!」と
クレームがついて、すぐ車庫に引っ込められたという。
ちなみに、この時は集電装置をビューゲルにし、側面に明治村を宣伝する
横断幕を付けて運行された。

開村までは、名鉄犬山ホテルの場所にあった名鉄犬山パークで
静態保存されたが、昭和40年の開村に合わせて移動。
昭和48年以降、陸蒸気と共に動態に復帰し、現在に至る。
運転されている場所は陸蒸気の名古屋駅から品川灯台までの間で、
途中に、京都七篠駅(明治村の中心部にある)が存在する。
基本的にツーマンで、車掌が集札業務を行うが、閑散時はワンマン運転になることもある。
車両は混雑期に2両続行となるほかは、どちらか1両が使われる。

■博物館明治村
開村時間
9:30~17:00(3月~10月)/9:30~16:00(11月~2月)

休村日
12月・1月・2月の毎週月曜日と大晦日。祝日と正月期間は開村。
3月~11月までは毎日開村。

入村料金
大人1600円(乗り物一日券付2200円)
大人(65歳以上)1200円(乗り物一日券付1800円)
高校生1000円(乗り物一日券付1600円)
小・中学生600円(乗り物一日券付1000円)

未就学児と明治生まれは無料。65歳以上は身分証明要提示。
その他、パノラマパック(名鉄旅行センター)、団体、身障者等の割引あり。

行き方
名鉄名古屋駅から、犬山線犬山駅下車。「明治村」行きのバスで20分ほど。

豊橋鉄道 モ3500形電車

2008-08-20 22:46:54 | 電車図鑑・路面電車
平成4年と平成12年に、都電7000形電車を2両ずつ、4両を譲り受けたものである。

都電7000形は昭和29年に93両が製造された車両で、製造時期ごとに車体や機器が
異なっていた。
レールの幅が異なる杉並車庫を除く、全ての車庫に配属されたが、本格的に都電の
廃止が始まった昭和42年以降、廃車が進んだ。
このうち、最後まで荒川車庫に残っていた31両を対象に、車体を新製して
ワンマン化を行った。
詳細についてはこちらをごらん頂きたい。
豊橋鉄道へ、譲渡されたものは、この車体新製・ワンマン化改造後のものである。

譲り受けた車両は、平成4年に7009号と7028号、平成12年に7017号と7021号である。
入線にあたっては以下のような大掛かりな改造が自社の赤岩口車庫で施された。

1・台車のレール幅変更改造(1372mm→1067mm)

2・客用ドアへのステップ取り付け。

3・前ドアの折り戸化。

4・中ドアの移設。

5・冷房取り付け(平成4年度分のみ。平成12年分は東京都時代に改造済み)。

6・集電装置のZパンタ化(3501と02はビューゲルから、3503と04はパンタから改造)

7・乗降表示取り付け。

台車については、本体はそのままで、モーターも交換している。
駆動方式は吊り掛け駆動で、東京都時代よりもパワーダウンしている。

ドアは、前ドアについては引き戸のままステップを付けると、車体と台車が干渉して
井原駅近くのカーブを曲がれないため、バスの部品を流用した折り戸とされた。
中ドアについても同様の理由で移設されている。
なお、前ドアの開閉と連動して「チンチン」と鳴動する電鈴は継続して使用されている。

冷房取り付けは、東京都時代に冷房化対象外だった3501号と3502号にのみ実施した。
そのため、冷房化済みで入線した3503号と3504号とは車内の吹き出し口の形や
冷房装置が異なる。

車内についてはそのままで、ロングシートとクロスシートの点対称配置で
クロスシートは優先席となっている。

塗装は、登場時がアイボリーに濃いグリーンと淡いグリーンの帯という
都電の冷房化車と似たものであったが、現在は全て車体全面広告電車になっており、
ベースカラーの車両は存在しない。

平成20年7月現在も4両全車が在籍しており、特に他の車両と区別されることなく、
軌道線全線で運行されている。

東京都交通局 8000形電車

2008-08-16 22:57:39 | 保存車・博物館
昭和31年~32年にかけて131両が登場した車両である。

当時、都電の輸送力は、まだまだ伸びていた頃であるが、既に都電の廃止構想があり、
安価で多数を製造できる電車が求められた。
そのため、耐用年数を10年ほどとし、徹底した車体の軽量化、及び、構造の簡易化が
図られている。
目的は異なるが、現在、JR東日本で運行中の209系電車と設計コンセプトが近い
(209系は最新技術の新車を入れやすくするため、敢えて寿命が短くされており、
実際、E231系、E233系という後継車種が登場し、同系に廃車も発生している)
といえる。

車体は直線的で、側面の客用窓は上段ゴム固定下段上昇のバス窓で
下部は台車や床下の機器を覆い隠すような形状である。
正面の系統板は初期が在来車と同じ鉄板製のものを掲示するタイプで、
それ以外は内側から蛍光灯で照らす行灯式のものを採用した。
晩期は予備パーツの枯渇からか、行灯式のものに強引に鉄板の系統板を
差し込んだものも見られた。

座席はロングシートであるが、一部は取り外し可能なベンチシートが
使用されていたようである。
ドアは自動ドアであった。

性能面では、間接制御、釣り掛け駆動で、ブレーキは発電ブレーキ付
空気自動ブレーキであった。
車体が軽量であり、モーターも在来車よりもハイパワーなものを使用していたため、
ひじょうにスピードの出る車両であったが、台車の構造も簡易設計のもので、
軸間距離が短すぎ、振動や騒音も相当のものであった。

集電装置はビューゲルで、一部でZパンタが使用された。

配属された車庫は、レールの幅が異なる14系統を担当していた杉並車庫を除く
全ての車庫で、都内では3000形、6000形などと共に、よく見られる形式であった。

また、デザインや車体工法の一部が、他の都市の同世代の車両でも模倣されている
(富山地方鉄道7000形函館市交通局710形など)。

廃車は青山車庫が廃止された昭和44年からで、荒川車庫以外で最後まで残った
柳島車庫が廃止された昭和48年に全廃となった。
廃車後は、台車が荒川車庫に検査中の車両を移動させるための予備台車として
残っているのと運転台の計器などが札幌市交通局に譲渡されたほかは、
個人や自治体に払い下げられて、展示された。

現存するものは8053号と8125号の2両である。

8053号は京成電鉄・東葉高速鉄道の勝田台(東葉勝田台)駅から徒歩数分のところで
喫茶店「TRAIN CAFE(トレイン・カフェ)」として、利用されている。
今年(平成20年)8月3日に、一時休止となり、9月より、若干、リニューアルの上で
再開される予定である。
塗装や車内は大きく変えられているが、ビューゲルから足回りまで一式揃って
保存されているのは、この1両だけで貴重な存在である。

8125号は越谷市内で台車を外されたダルマ状態で児童館の図書室として使用されたが、
平成18年に同館が解体された際に、個人に売却されて、某所にて復元の時を待っている。


越谷市に保存されていた頃の8125号。これを撮影した頃は解体の危機にあったが、
ある個人が名乗り出て、窮地を救われた。


8000形が使用していたD-21形台車。作業用の台車になっている。
荒川車庫にて(敷地外撮影)。

熊本市交通局 1350形電車

2008-08-14 21:57:15 | 電車図鑑・路面電車
昭和35年に、熊本国体に備えた輸送力増強のため、6両が製造されたものである。
当初は登場した年にちなみ、350形と称した。

形態や性能は200形(→1200形)と、ほぼ同じ直並列抵抗制御の
釣り掛け駆動で、運転席や車掌台の窓が、若干、変更された程度である。

本形式の登場以降、急速なモーターリザーベーションの進行で、市の財政が
悪化した。
そのため、熊本市では昭和57年に8200形が登場するまで、新車の投入をやめた。
その間に老朽化した車両の置き換えには大阪市から電車を譲り受けて使用した。

昭和42年にワンマン化を実施し、現在の形式に変更され、
昭和54年に冷房化を実施している。

塗装は、標準がアイボリーにライトグリーンの8200形から採用されたものであるが、
大半が広告電車になっており、オリジナルカラーは滅多に見られない。
現在も6両全車が在籍しており、1090形、1200形などの在来車と共に
終日運用されている。

鉄道保存施設:ながでん電車の広場

2008-08-13 22:49:15 | 保存車・博物館
ながでん電車の広場は、長野電鉄が創立70周年を記念して、平成2年に
長野線小布施駅構内に設置した鉄道保存施設である。
機関車1両、電車3両の計4両、腕木信号機、鉄橋などが展示されている。
展示車両は、屋根がかけられ、本線との間に設置された通路から、車内の見学が
可能である。
なお、展示車両の概要は長野側から以下の通りである。

○ED5000形電気機関車5002号機

昭和2年に同型で現役(車籍は無い)のED5000形5001号機と共に竣工した電気機関車。
製造時の車号は502号であった。
主に貨物輸送に従事したが、昭和45年に定山渓鉄道から譲り受けた
ED5100形(昭和54年越後交通へ譲渡)電気機関車と置き換えられて、廃車となり、
越後交通に譲渡され、同社のED511形511号になった。
昭和54年に保存のため、里帰りして、須坂駅構内での展示された。


○デハニ201形201号

大正15年の長野電気鉄道開業時に導入された荷物室付の電車。車体は半鋼製である。
後にモハニ201となったあと、モハニ111、そしてモハニ131となった。
製造後の主な改造点は天井の鋼板化、ドアの鋼鉄化などである。
登場以来、50年以上も運行されたが、長野駅周辺の地下化に伴い引退。
昭和52年除籍。

○モハ600系電車604号

昭和2年にデハ350形として4両が製造された全鋼製電車。西武や阪急等で見られた
川崎造船所(→川崎重工業)製電車特有のスタイルをしている。
登場時は雪を跳ね飛ばすためのエアパイプを正面の窓周りに付けたり、
353号(→603号)、354号(→604号)では信州中野~湯田中間の勾配区間専用となった際に
車輪を冷やす水タンクを積んでいたというが、詳細は不明。
昭和28年にモハ600形に改称した。
この604号は、昭和55年の廃車後、同じ県内の上田交通に譲渡され、
モーターやパンタグラフなどを外して、クハ271号として使用された。
昭和60年、東急から譲り受けたクハ291系(元東急5000系の中間車を改造したもの。
通称・平面ガエル)と置き換えられて廃車。
その後、里帰りし、現在に至る。

○モハ1000系電車1003号

昭和23年に登場。保存車は翌年の昭和24年製造である。
当時、運輸省が規程した規格に準じた新車に限って、優先的に製造を
認めていたため、それに沿った設計となった「運輸省規格形電車」である。
当初、1005号車であったが、2両がモーターを外し、クハ1050形に形式を変更して
車番をつめたため、1003号となった。
製造された時期や新車、旧型車からの機器流用などで、車体は共通ながら、
バリエーションが豊富であり、一時は長電一の大所帯であった。
多くの仲間が廃車となる中、屋代線で使用され、昭和60年廃車。


これらの車両は、小布施まで、または、小布施からの乗車券(フリーきっぷの
類も可)を持っているか、同駅の入場券(大人160円/小人80円)を購入することで
見学することができる。
フリーきっぷや乗車券購入で見学する場合は、余計なトラブルを避けるため、
駅係員に一言ことわってから入場した方がいい。
ホームからだと、写真のとおり上屋根や見学通路が邪魔になるため、
あまりよく見えない。
先述したとおり、屋根つきではあるが、前回の整備が平成7年(車両の検査票に
表記)であり、だいぶ傷みが進んできているため、早急な整備が望まれている。