昭和59年に犬山、内海などへの観光輸送を目的として登場した
特急用電車である。
登場時は2連で後に中間車を挟んで3連になった。
それまで、赤一色だった名鉄の電車の中でアイボリーのボディに
赤帯を巻いて車体の下の部分をグレーに塗った大胆な塗装で目を引いた。
展望席をパノラマカーとは逆に、運転台を低くして客席を上にした構造を
日本で初めて採用した。
この構造は後に登場するJRのジョイフルトレインや私鉄のリゾート列車などに
大きな影響を与えた。
展望席の座席は固定クロスシートである。
先頭車の平屋部分の客席はセミコンパートメントになっており、
4人用のボックスタイプと2人用の回転クロスシート(一部はリクライニングシート)と
なっている。
中間車は、やはり、コンパートメントがあり、更にラウンジも設けられていたが、
平成4年に津島線・西尾線特急に転用された際に団体用に残された
1本を除いて跳ね上げ式フットレスト付きの回転リクライニングシートに
改造されている。
これらの設備や外観デザインが評価され、昭和60年度の
鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。
走行機器はパノラマカーの廃車発生品を利用しており、パノラマカーは
もちろん、旧型車とも連結が可能であった。
登場時は、そのデラックスな車内から「デラックス特急」に充当され、
パノラマカー使用の座席指定席特急より格上の扱いをされていた。
主に新鵜沼~内海間の特急に用いられ、指定席料金は一乗車500円であった。
しかし、平成4年に西尾線~津島線特急に転用されることになり、
この別格扱いは無くなった。
その後は平成12年の東海豪雨により1本を冠水させた以外(後に復旧)は
大過なく、運用に就いていたが、特別仕様の車内が災いし、一般利用客の
評判も芳しくなく、走行機器も先述の通り、パノラマカーと同じということもあって、
最高速度が110km/hまでと性能上の問題も抱えたことから、平成17年に
「ミュースカイ」2000系、2200系電車の大量投入によって廃車となった。
全車が解体されたが、モ8803の先頭部分(展望室周り)は保存された。
特急用電車である。
登場時は2連で後に中間車を挟んで3連になった。
それまで、赤一色だった名鉄の電車の中でアイボリーのボディに
赤帯を巻いて車体の下の部分をグレーに塗った大胆な塗装で目を引いた。
展望席をパノラマカーとは逆に、運転台を低くして客席を上にした構造を
日本で初めて採用した。
この構造は後に登場するJRのジョイフルトレインや私鉄のリゾート列車などに
大きな影響を与えた。
展望席の座席は固定クロスシートである。
先頭車の平屋部分の客席はセミコンパートメントになっており、
4人用のボックスタイプと2人用の回転クロスシート(一部はリクライニングシート)と
なっている。
中間車は、やはり、コンパートメントがあり、更にラウンジも設けられていたが、
平成4年に津島線・西尾線特急に転用された際に団体用に残された
1本を除いて跳ね上げ式フットレスト付きの回転リクライニングシートに
改造されている。
これらの設備や外観デザインが評価され、昭和60年度の
鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。
走行機器はパノラマカーの廃車発生品を利用しており、パノラマカーは
もちろん、旧型車とも連結が可能であった。
登場時は、そのデラックスな車内から「デラックス特急」に充当され、
パノラマカー使用の座席指定席特急より格上の扱いをされていた。
主に新鵜沼~内海間の特急に用いられ、指定席料金は一乗車500円であった。
しかし、平成4年に西尾線~津島線特急に転用されることになり、
この別格扱いは無くなった。
その後は平成12年の東海豪雨により1本を冠水させた以外(後に復旧)は
大過なく、運用に就いていたが、特別仕様の車内が災いし、一般利用客の
評判も芳しくなく、走行機器も先述の通り、パノラマカーと同じということもあって、
最高速度が110km/hまでと性能上の問題も抱えたことから、平成17年に
「ミュースカイ」2000系、2200系電車の大量投入によって廃車となった。
全車が解体されたが、モ8803の先頭部分(展望室周り)は保存された。