水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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福井鉄道 200形電車

2013-05-12 22:46:45 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
福武線の急行用電車として登場した車両である。
昭和35年~昭和37年にかけて2体連接車×3本が製造された。
製造を担当したメーカーは日本車輛で編成の組み方は武生新(越前武生)側から
順に以下の通り。

モハ200-1形-モハ200-2形

パンタグラフや制御機器類は-1号車、補助電源装置などは-2号車に搭載されている。
モーター付きの台車は編成両端で連接部分の台車は付随台車である。

車体は普通鋼鉄製で正面は細いピラーを入れた半流線型2枚窓のいわゆる湘南フェイスである。
車体形状は当時日本車輛が地方ローカル私鉄向けに製造していた日車標準車体に
準じており、ドアの配置などは富士急行の3100系電車とよく似ている。
行先表示は当初、前面にあったヘッドマークに掲示するスタイルであったが、
後に字幕式の行先表示機が設置されている。
塗装はクリームに屋根周りと窓下が紺のツートンカラーでさらに急行専用車を示すための
白線が入れられたものであった。
後にいくつかのパターンを経てアイボリーに紺色の帯の福井鉄道標準色に塗り替えられている。

車内はドア付近と車端部をロングシート、それ以外を向き合わせのボックスシートとした
セミクロスシート配置である。
ドアは変則2ドアで全て片引き戸となっている。
また、各ドアには可動式ステップが設けられており、福井新~市役所前~福井駅前~田原町間の
市内線区間での乗降の便を図っている。
当初、冷房装置は設けていなかったが、平成元年~3年にかけて分散式冷房装置を屋根上に設置した。
また、同時期に客室のリニューアルも行い、クロスシートを国鉄113系電車の廃車発生品に交換し、
シート間隔を拡大している。

主制御装置は多段式制御器を用いた抵抗制御でブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
但し、発電ブレーキ使用時の振動が大きいことから、後に発電ブレーキは使用停止の措置が
とられている。
台車は軸箱支持をウイングバネとしたコイルばね台車でモーターの駆動方式は中空軸平行カルダン
駆動方式である。
カルダン駆動方式は福井鉄道の電車で本形式が初の採用であった。
なお、冷房改造と合わせて電動台車とモーターの交換を実施しており、現在の台車は国鉄電車からの
払い下げのものを使用している。
また、捻出された旧台車とモーターは120形121-1-121-2の高性能化のため流用されている。

登場以来、急行専用車として運用されたが、300系の導入に伴い各駅停車の運用にも就くようになった。
低床車導入で在来車の大半が置き換えられた中、本形式は全車が残存。
低床車の輸送力不足もあってラッシュ時を中心に現在も運用に就く機会が多い。
塗装は低床車置き換え前には広告塗装となっていたが、平成19年に解除となり、201-1編成がクリームに紺色の帯の
旧標準塗装、202-1編成がホワイトに窓周りが青、車体下部がグリーンの濃淡の現行標準色(低床車から採用)、
203-1編成が登場時の塗装に往時のヘッドマークを復元したものを装着したものとなっている。
過去数回に亘って置き換えが計画されたものの優秀な設計で他の車両よりも結果的に長生きとなった。
しかし、老朽化が進んでいるため、今後超低床車F1000系の導入で平成28年までに引退する予定である。


〇車内。クロスシートが整然と並ぶ。


〇運転台。前後幅は狭いが視界は広い。なお、ワンマン機器搭載時に運転席仕切りの窓が
 外されている。また、電制(発電ブレーキ)使用禁止の札が見える。


〇先頭側の台車。国鉄電車からの流用品であるDT-54型。


〇連接部の台車。こちらはオリジナルのND-108A型。以前は先頭部側の台車も同一形状だった。


〇201-1編成。広告塗装時代と現行の旧標準色。


〇202-1編成。同じく広告塗装時代と現行の新塗装。


〇203-1編成。同じく広告塗装時代と現行の新塗装。


大井川鐵道 312系電車

2013-05-06 18:15:35 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
西武鉄道より351系電車を改造の上で譲り受けたものである。
昭和52年に3両編成1本が、昭和55年に2両編成1本の5両ががそれぞれ入線している。
金谷側からの編成の組み方と新旧の車番の対比は以下の通りである。

モハ312+サハ1426+クハ512 ← 西武クモハ366+サハ1426+クモハ365

モハ313+クハ513 ← 西武クモハ362+クモハ361

車体は17m級の半鋼製車体で元々3ドアであったが中扉を埋め込んで2ドアに
改修された。
正面は西武時代と変わりなく非貫通2枚窓の湘南フェイスで、窓下中央部に
行先表示を兼ねた大型のヘッドマークステイを設けた。
ヘッドライトも当初は原型のままであったが、後にシールドビーム2灯化した際に
ケースごと改造されている。
塗装はクリームに明るい赤色のツートンカラーで西武時代の塗装を
そのまま明るくしたような雰囲気であるが、正面の塗り分けは金太郎風になっている。

既述の通り、客用ドアを3ドア・片引き戸から2ドア・片引き戸に改造されている。
車内は同時期に座席を簡易リクライニングシートに交換中だった西武5000系
初代「レッドアロー」の回転式クロスシートを扉間に固定配置した。
車端部及び、扉付近の一部座席は原型のロングシートである。

足回りについては変更はなく、主制御装置は抵抗制御、
ブレーキは空気自動ブレーキである。
台車はイコライザー式でモーターの駆動方式は吊り掛け駆動方式である。

登場以来、主力車両として運用されていたが、3両編成では輸送力が大きすぎ、
閑散期には使いづらいことから、最初に導入された車両でもサハ1426号車を
引き抜いて2両編成にくみなおされた。
引き抜かれたサハ1426号車は新金谷で暫く留置された後、お座敷客車のナロ80形
ナロ80 2号に改造されている。
その後も長く運用されたが、平成14年に家山駅構内で312編成が脱線事故を起こし、
運用を離脱した。
この事故で車両への損傷自体は、かなり軽微なものであったが、老朽化が進んでいたことと、
冷房装置を搭載していないことから復旧はされず廃車になった。
313編成も後追って廃車になった。
廃車後、312編成は解体処分となったが、313編成は平成25年4月現在もテールランプや
連結器などが外されているものの千頭駅で姿を留めている。


岳南電車 モハ7000形電車

2013-04-24 15:58:04 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
東急より譲り受けて運用していた5000系電車の老朽化に伴う置き換えのため、
京王電鉄より譲り受けた車両である。
平成8年~9年に3両が導入された。

元々は京王井の頭線3000系電車の中間車のうち、同線の5両編成化の際に導入された
デハ3100形を種車としており、新旧の車番対比は以下の通りとなる。

岳南モハ7001号←京王デハ3103号 岳南モハ7002号←京王デハ3101号 岳南モハ7003号←京王3102号

製造は東急車輛で全車昭和46年製、改造は京王重機整備である。

車体はステンレス製で、運転台部分は窓周りがFRP、それ以外は普通鋼鉄製である。
これは本形式への改造にあたり、車体の両端を切り落として接合されたものである。
行先表示は正面向かって左側に設けられ、字幕式である。
塗装は従来車のものを引き継いだ赤に白帯でステンレス製となる側面部は赤帯が配されている。

車内はロングシートで原型の頃と大きな差はない。
ドアは片側3ドア両引き戸である。
ワンマン運転に対応するため、中ドアに整理券発行機、車内両端には運賃箱が設けられているが
モハ7001号車とモハ7002号車以降で機器が多少異なる。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
運転台機器は同時期に廃車となった京王電鉄5000系電車のものを流用し(テールライトも同様)、
デッドマン装置、専用のATS、補助電源装置(静止型インバータ)を新規に搭載している。
基本的に単行運転用であるが、沿線でのイベントやラッシュに対応するため、
モハ7002号とモハ7003号は重連総括制御が行えるようになっている。

導入以降、平成9年に3両が出揃ったところで定期列車は全て本形式で置き換えられた。
現在でも主力車両として終日運用されている。


〇車内。モハ7002号車のもの。


〇運転台。


〇吉原駅を出るモハ7001号車。この車両だけ総括制御ができない。

流鉄 2000系電車

2013-02-17 21:15:02 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した1100形電車(元京急400系)、1200系電車(元西武鉄道501系電車)、
1300系電車(元西武鉄道551系電車)の置き換えと冷房化のため、西武鉄道より701系電車及び
801系電車を譲り受けたものである。
総武流山電鉄時代の平成6年~平成9年にかけて3両編成×2本=6両、
2両編成×2本=4両の10両が入線した。
編成の組み方及び編成愛称、車番の対比は以下の通りである。

〇3両編成
←流山:クモハ2000形+モハ2000形(車番は2100番台)+クハ20形

「明星」:クモハ2003+モハ2101+クハ21(西武モハ745にクハ1745の運転台+モハ746+クハ1746)

「流馬」:クモハ2004+モハ2102+クハ22(西武モハ809にクハ1809の運転台+モハ810+クハ1810)

〇2両編成
←流山:クモハ2000形(偶数)+クモハ2000形(奇数)

「青空」:クモハ2002+クモハ2001(西武モハ804にクハ1804の運転台+西武モハ803にクハ1803の運転台)

「なの花」:クモハ2002+クモハ2001(西武モハ758にクハ1758の運転台+西武モハ757にクハ1757の運転台)

車体は普通鋼鉄製でクモハ2000形はいずれも中間車のモハ801形に同一編成のクハ1801形の
先頭部分を移植したものである。
それ以外は特に大きく手を加えられた部分は少なく塗装とヘッドサインを除けば西武時代からの
変化は少ない。
行先表示は字幕式であったが、後年、ワンマン化改造された2両編成についてはLED化された。
塗装は編成ごとに異なっており、「明星」は柿色(少しくすんだオレンジ)に白帯、「流馬」は水色に白帯、
「青空」は濃い青色に白帯、「なの花」は黄色に淡いグリーンの帯で側面の帯は流山線の頭文字である
「N」をあしらったストライプ状のものとなっている。

車内はロングシートで西武時代のまま変化はなく、総武流山電鉄の車両で初の冷房車となった。
ドアは片側3か所で全て両引き戸である。
車いすスペースなどのバリアフリー設備は有していない。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは電磁直通ブレーキである。
台車は電動車が軸箱支持がウイングばね式のコイルばね台車で制御車が軸箱支持をペデスタル式とした
ダイレクトマウント式空気ばね台車で種車のものをそのまま使用している。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動で総武流山電鉄の車両で初のカルダン駆動車となった。

導入以来、特に大きな改造もなされなかったが、2両編成のものは平成18年にワンマン化改造を実施し、
ドアチャイム設置、行先表示機のLED化、自動放送装置の取り付けなどが実施された。

その後、つくばエクスプレス線の開業に伴い利用客が減少したことから、合理化を進めるため
3両編成から廃車が始まり、平成19年に「流馬」、平成21年に「明星」が廃車された。
2両編成のものも老朽化から平成24年に「青空」が5000系「若葉」と置き換えで引退し、
平成25年には「なの花」の引退が予定されている。


〇最後まで残った「なの花」。

千葉ニュータウン鉄道 9100形電車

2013-01-15 12:39:38 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
北総公団線(当時)千葉ニュータウン中央~印西牧の原間延伸に伴い導入された車両である。
平成6年に8両編成×2本、平成12年に8両編成×1本の計8両編成×3本=24両が製造された。
製造を担当したのは日本車輛である。
編成の組み方は印旛日本医大側から順に以下の通り。

9101+9102+9103+9104+9105+9106+9107+9108

車番の見方は末尾1ケタが号車番号、十の位が編成番号で編成番号は第1編成が0から始まり、第2編成は9111から
始まる。
付随車は9103と9106でそれ以外はすべて電動車である。
補助電源装置は9103と9106、エアコンプレッサーは9101、9104、9108、集電装置と主制御装置は9102、9105、9107に
それぞれ搭載されている。

9000形電車と同じく千葉ニュータウン鉄道が所有し、北総鉄道が管理・運用を行っている。
「C-Flyer(シー・フライヤー)」車両愛称があり、「C」は「千葉ニュータウン(Chiba-new-town)」、「清潔(Clean)」、
「快適(Comfortable)」、「文化(Culture)」からで、「Flyer」は「速達列車」を意味する。

車体はステンレス製、先頭部分は鋼鉄製で鳥のオナガをイメージした独自の流線型となっている。
貫通扉は左側に寄せられ、運転席を広くとった構造を採用した。
ヘッドライトは角形ユニットのものを正面中央に標識灯を正面上部の行先表示左右に配置している。
行先表示は正面上部が列車番号、種別と行先の日本語表記のみ、正面窓下部がローマ字表記、
側面は種別とローマ字併記の行先表示でいずれもLED式である。
カラーリングは正面スカートと車体下部がブルー、戸袋部分や行先表示の周りににグレーの装飾帯が入る。
先頭車運転席側のドアは車いすスペース近くのドアをブルー、中間車のクロスシート近くのドアにイエローで
それぞれ着色されている。

車内は先頭車がオールロングシート、中間車が片方の車端部をクロスシート、それ以外をロングシートとした
セミクロスシート配置である。
ドアは片側3か所・両引き戸であり、最初の2本はLEDスクロール式の旅客案内装置を各ドアに、
9121編成はチドリ状にそれぞれ配置している。
3・6号車には日本の通勤形電車で初めてカード式公衆電話を設置した電話コーナーが設けられていたが、
携帯電話の普及と走行区間の大半が地下で用を為さないことから平成9年までに撤去されている
(9121編成は当初より搭載していない)。
なお、座席の配置の仕方や化粧版などは最初の2本と追加で増備された9121編成で改良が加えられている。

主制御装置はVVVFインバータ制御でブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキである。
台車は軸箱支持をSU形ミンデン式としたダイレクトマウント式空気ばね台車でモーターの
駆動方式はWNカルダン駆動、ないしTDカルダン駆動方式である。
運転台はワンハンドル式で車両モニタ装置のディスプレイが設置されている。
これらの機器類は京成電鉄3700形及び北総鉄道7300形と同じものを採用しており、車体が大きく
異なるものの実質的に同じ電車ということができる。

運用範囲は北総線、京成電鉄押上線、都営浅草線、京急線、京急羽田線などで主に羽田空港直通列車で
使われていることが多い。
京成スカイアクセス開業後もスカイアクセス線経由で成田空港に乗り入れる機会はなく、印旛日本医大での
折り返しとなる。
また基本的に京成本線の青砥から京成上野方面と高砂から京成船橋経由で成田空港方面への運用は無く
過去にも臨時列車で数回乗り入れた程度である。


〇先頭車。運転台側の青いドアは車いすスペースの近くを示す。写真の9111編成は車体が梨地仕上げ。


〇中間車。黄色いドアはクロスシートの近くを示す。


〇中間車のクロスシート。かつてあった電話コーナーの近くだけ4人向き合わせとなる。
 9121編成だけクロスシートは片側だけの配置となり向かいはロングシートになっている。


〇現時点でのラストナンバーである9121編成。車体側面の一部が光沢仕上げとなり、
 夕日を受けて輝いているのがわかる。

近江鉄道 ロコ1100形電気機関車

2013-01-05 21:50:18 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
彦根駅構内での貨車の入換のため、国鉄より譲り受けた電気機関車である。
昭和24年より借り受け、昭和26年に正式に入籍した。

元は阪和電気鉄道(JR阪和線の前身。戦前は「超特急」など高速運転をする電車を
運行して並行する南海電鉄と凌ぎを削った)が天王寺駅での貨車の授受・入換の為に
導入したものである。
昭和5年にロコ1101号の1機のみが日本車輛で製造された。

当時の私鉄に多く導入されていた普通鋼鉄製の典型的な凸型車体を有する。
進行方向側の片隅(向かって左側)に乗務員用の出入り口を設けているため、
上から見るとボンネットの形状が運転台を境に点対象となっている。
塗装は茶色一色であったが、近江鉄道移籍後独自のグレーにデッキをイエローとした
ものに変更された。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは発電ブレーキと回生ブレーキ、空気自動ブレーキを
備え、回生ブレーキは近江鉄道に移籍後撤去されている。
発電ブレーキと回生ブレーキは天王寺駅での貨車の授受線に急勾配があったため、
ここを降りる際に必要とされたためである。
また、直流1500V架線集電式の車両では珍しく制御器に直接制御を採用した。
基本的にこの電圧であれば間接制御を用いるのが一般的であるが、機敏な操作が求められる
入換作業において、マスコン投入から起動までのタイムロスが直接制御ではほぼそれが発生しないため、
敢えて採用されている。
なお、本形式は当初より入換用であり、本線を走行することはほぼ無く、近江鉄道移籍後も同様であった。
台車は板台枠台車でモーターの駆動方式は吊り掛け駆動である。

既述の通り、天王寺駅構内での貨車のやり取りで運用された。
戦時買収で阪和電気鉄道が南海電気鉄道に吸収されて南海山手線となり、
さらに国鉄に買収されて阪和線になったが、籍は動いたものの形式などの変更は行われず
そのままとされた。
昭和24年より近江鉄道に貸し出され、昭和26年に正式に移籍した。
近江鉄道でも彦根駅構内での貨車や電車の入換作業に用いられた。
本線での華々しい活躍とは無縁であったが、入換機としては優秀であり、
平成16年まで在籍していた。
除籍後は彦根駅構内にて保存されている。
また稼働状態であり、時折ほかの展示車両の移動などにも用いられている。

しなの鉄道 115系電車

2012-07-24 17:46:18 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
北陸新幹線長野開業に伴い、並行在来線のJR東日本信越本線の軽井沢~篠ノ井間が
しなの鉄道に移管された際にJR東日本より譲り受けたものである。
平成9年に3両編成×11本=33両を導入した。
前所属は全車JR東日本長野車両センターで元々この区間を走っていた車両であった。

115系電車自体の詳細についてはリンク先を参照願いたい。
しなの鉄道に譲渡されたのは115系1000番台(昭和52年~57年製造)の3連車で以下の様な編成となっている。

S1:クモハ115-1004+モハ115-1007+クハ115-1004
S2:クモハ115-1012+モハ115-1017+クハ115-1011
S3:クモハ115-1013+モハ115-1018+クハ115-1012
S4:クモハ115-1066+モハ115-1160+クハ115-1209
S5:クモハ115-1069+モハ115-1166+クハ115-1212
S6:クモハ115-1002+モハ115-1003+クハ115-1002
S7:クモハ115-1017+モハ115-1023+クハ115-1017
S8:クモハ115-1529+モハ115-1052+クハ115-1021
S9:クモハ115-1527+モハ115-1048+クハ115-1223
S10:クモハ115-1067+モハ115-1062+クハ115-1210
S11:クモハ115-1020+モハ115-1027+クハ115-1019

上記編成のうち、S8、S9編成のクモハ115形は中間車からの改造車である1500番台が種車となっている。

譲渡に当たって車体については大きく手を加えられた部分は少ない。
塗装はガンメタリックに車体両端を赤、下部に白い細線を4本入れた独自の塗装に変更されている。
なお、ガンメタリックの部分は当初、光沢のあるものであったが、維持が難しいため、
現在ではガンメタリックに近い光沢のないグレーに塗り替えられている。
また、JRからの移管前後は運用上の問題から塗装の変更が間に合わず、いわゆるJR東日本「信州カラー」のまま
正面貫通扉に「しなの鉄道」のロゴを入れて営業に就いたものもある。

車内は車端部と戸袋部分がロングシート、それ以外が4人向き合わせの固定式クロスシートのセミクロスシート配置で
配置そのものに変更はない。
座席のモケットについてはグレーの濃淡柄に変更されている。
トイレはクハ115形に装備されているが、しなの鉄道にはトイレで発生した汚物を処理するための施設がないため、
閉鎖されている。
一時期、S8編成のトイレをバイオトイレとして試験的に運用していたが、こちらについても現在は閉鎖措置が取られている。
なお、平成21年までに全車両で客室のリニューアル工事が実施されている。
主な内容としては座席の交換、バケットシート化、ドアチャイム設置、ドア上へのLCD液晶モニターの設置、
ワンマン運転対応化、車外スピーカー設置などである。
しなの鉄道では、ほぼ各駅に駅員を配置しているため、自動放送装置やドアスイッチの移設など最低限のものに留まる。
この改造の際に取り付けられた液晶モニターは停車駅などの旅客案内用ではなく広告用である。

走行機器については手を加えられておらず、ほぼ原形のままであるが、先のリニューアルの際に
補助電源装置を電動発電機から静止型インバータへ換装した車両が存在する。
保安装置については移管の際に廃線となった軽井沢~横川間の碓氷峠を下りてから先の区間で使用していたものを外して
他のJRの車両に譲った車両がある。
運転台も基本的にそのままであるが、既述の通り、ワンマン化対応で多少レイアウトが変化している。

運用区間はしなの鉄道全線とJR東日本信越本線篠ノ井~長野間である。
しなの鉄道線のうち、軽井沢~戸倉間でワンマン運転を実施している。
臨時運用では篠ノ井線経由で諏訪湖花火大会の臨時列車で使われることもある。
115系の中では比較的車齢が若いこともあり、今後も当分の間は本形式が主力を務めることになる。
また、北陸新幹線金沢延伸に伴い、長野~妙高高原間もしなの鉄道が委託を受けるが、これに際し、
2両編成×7本の115系を譲り受ける予定である。


○車内。座席のバケット化などが行われたリニューアル車。
 JR東日本のものは化粧版なども張り替えられ、ロングシート部分の袖仕切りに風防が設けられたり
 したが、こちらでは化粧版は原型の薄緑のままで肘掛も手を加えられていない。
 代わりに床が張り替えられ、ドア付近も昨今の新車のように黄色く塗られている。


○液晶広告表示機。停車駅などの案内は流さず、沿線の広告と広告募集を流している。

京福電気鉄道福井支社 モハ3001形電車(許可を得て撮影)

2012-05-05 17:56:12 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した在来車両の置き換えのため、南海電鉄で架線電圧の1500V化で不要となった同社の
11001形(昭和29年~昭和37年製造。南海で初めてのカルダン車で南海本線で特急車として
運用された。全車帝国車輛製)を譲り受けたものである。
昭和48年~49年にかけて先頭車ばかり9両を譲り受け、このうち2両編成×4本=8両が在籍し、
1両は部品供給車となった。
編成の組み方と南海時代からの車番対比は以下の通りとなる。

←福井:モハ3001形+モハ3002形

・モハ3001+モハ3002=南海モハ11009+モハ11010 ・モハ3003+モハ3004=南海モハ11011+11012
・モハ3005+モハ3006=南海モハ11013+モハ11013 ・モハ3007+モハ3008=南海モハ11001+11008

部品供給車:南海モハ11004

車体は京福福井で初めての20m級で高抗張力鋼鉄を用いた普通鋼鉄製となっている。
元となった車両の関係から、モハ3001~3006号までとモハ3007・モハ3008で先頭形状が異なる。
前者は流線型・2枚窓のいわゆる南海式「湘南スタイル」、後者は切り妻・貫通型で後に非貫通・
2枚窓に改造され独自の形状となった。
塗装はアイボリーにエンジの帯の京福カラーに変更されている。
行先・種別表示は行先板を掲出するタイプである。

車内は車端部をロングシート、ドア間を転換クロスシート(左右2列配置)としたもので
南海のクロスシート車の特徴でもある網棚照明もそのまま残されていた。
ドアは片側2か所でいずれも片引き戸で窓は一段下降窓である。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは発電ブレーキ連動の空気自動ブレーキである。
台車は軸箱支持をウイングばね式としたコイルばね台車でモーターの駆動方式は
中空軸平行カルダン方式で大手私鉄から地方私鉄向けの譲受車としては
初めてのカルダン駆動車(自社製造は昭和30年代に富士急行、秩父鉄道、長野電鉄、
北陸鉄道などに例有り。また本形式より少し前に大井川鐵道に北陸鉄道のカルダン車
6050系「くたに」号があったが譲渡にあたり、電装解除されトレーラーになっている)となった。

本形式の導入を検討し始めた頃は越前本線(現・えちぜん鉄道勝山永平寺線)勝山~京福大野間が
存在しており、途中に存在した下荒井トンネルの通過が不可能で京福大野までの乗り入れができない
恐れがあったが、同区間の廃止が決定すると共に導入が決定した。
入線当初からクロスシートの車内と優美なスタイルが好評を博し、三国芦原線で海水浴シーズンに
運行されていた福井から三国港への臨時直通急行「イルカ」・「かもめ」などに投入され、京福福井の
看板車両として活躍した。
昭和56年に貫通型だったモハ3007・モハ3008の非貫通2枚窓化改造を実施し、全車に対して
ヘッドライトのシールドビーム2灯化も施工されている。
平成2年にワンマン運転開始に伴い、側面運転室寄りの客用扉を運転席のすぐ後方に移動させる
改造を実施した。
その後、平成6年にモハ3003+モハ3004が機器不調により廃車となり、以降は部品取り兼
倉庫として福井口車庫の奥に留置された。
残りの3本は引き続き、運用されたが老朽化が進行してきたことやワンマン車とはいえ、
2連でしか運用できず、日中は輸送力過剰となりやすいことから、徐々に予備車になっていった。
平成12年と平成13年に相次いで列車衝突事故を起こして京福福井が運行停止処分となると
他の車両と共に全車が休車となる。
京福福井からえちぜん鉄道に経営譲渡がされた後、同社に本形式も引き継がれたが、
老朽化が大きく進行していたことから一度も使われることがないまま廃車となり、
永平寺線の廃線跡を利用した永平寺口駅構内に留置された後、平成16年ごろまでに解体された。
福井口車庫の3003号と3004号は3004号が先に解体処分された後も3003号が長く残され、
平成17年に解体されるまで存在した。

近江鉄道 820系電車

2012-02-24 22:11:40 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進んだ旧型車両の置き換えと車両の大型化による輸送力改善、冷房化の推進のため、
西武鉄道401系電車を譲り受けたものである。
平成2年~9年にかけて2両編成×15本=30両を譲り受けたうち、2両編成×2本=4両が
本形式へ平成9年に改造された。
貴生川側からの編成の組み方と新旧車番の対比は以下の通りである。

近江鉄道モハ820形+モハ1820形←西武鉄道クモハ401形(奇)+クモハ401形(偶)
821編成・モハ821+モハ1821←西武鉄道クモハ429+クモハ430
822編成・モハ822+モハ1822←西武鉄道クモハ431+クモハ432

竣工したのは822編成の方が平成9年3月と早く、821編成は5か月遅れの同年8月である。
2両電動車ユニット方式をとっており、820形にパンタグラフと主制御装置、1820形に電動発電機や
エアコンプレッサーなどの補助機器を搭載している。
本形式は正式に西武鉄道からの譲り受け車という扱いになっており、近江鉄道では通例となっている
在来車からの車籍引き継ぎを実施していない。

車体は普通鋼鉄製で従来車よりも車体が大きくなったことから先頭部分や連結部分の角の部分が
削られている。
先頭部分については西武鉄道時代と比較してもそれほど手が入っておらず、上記の左右下部の
角部分が削られ、ステンレスの装飾が外された程度である。
なお本形式は2本とも雨どいが屋根の方に上った元西武401系(←西武411系)の中でも後期型の
車体となっている。
塗装は竣工時よりイエロー一色で客用ドアはステンレス無塗装であったが、821編成については
平成23年の検査時にドアもイエローで着色された。
行先表示は正面のみで字幕式である。

車内はロングシートで基本的に西武時代との変化は少ない。
ワンマン運転実施のための機器を運転席後方に設置したため、運転席直後の座席が
片方だけ撤去された他、整理券発券機が連結側のドア付近に設置されている。
ドアは両引き戸で片側3か所である。

主制御装置は抵抗制御で西武時代そのままであるがブレーキは発電ブレーキ併用
電気指令式ブレーキに改造されている。
この電気指令ブレーキは近江鉄道で独自採用されているものである。
台車は車軸支持がペデスタル式のダイレクトマウント式空気ばね台車で
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式である。
運転台はツーハンドル式でいかにも古めかしいマスコンと独自の形状の電気指令ブレーキの
ハンドルが並んだものとなっており、本形式で一番手のかかった改造部分となっている。

元々平成5年に登場したものの駅施設の改修が済むまで営業運転に就くことができなかった
800系電車の簡易改造版として登場したものであるが、正面窓の形状から冬季の着雪時に
雪がはりついて前方の視界が塞がりやすいことが判明したため、本形式以降の改造車は
800系もしくは700系となった。
なお、竣工時期の差から先に改造されていた800系よりも営業に就いたため、
近江鉄道で初めて営業運転に就いたカルダン駆動車は本形式が初である。
2本とも他の800系や700系と共に運用されている。
平成22年の春ごろ、機器の不調から821編成が運用を離脱していたが、翌平成23年の梅雨入り前に
検査と整備の上で運用復帰している。
この時、記述の通り、ドアが黄色に塗り替えられたため、編成の区別がしやすくなった。


○八日市駅で近江八幡への発車を待つ821編成。ドアが黄色く塗られている。


○八日市駅で留置される822編成。こちらはドアは無塗装のまま。


○車内。西武時代とほぼ変化なし。少し前の西武線を知るものなら誰もが懐かしむ雰囲気。


○運転台。ナブコ製の電気指令ブレーキのハンドルが目立つ。


○休車となり彦根車庫で留置される821編成。塗装などにだいぶ痛みが出ていたが、
 この後、検査を受けなおして運用復帰している。
 

福井鉄道 デキ2形電気機関車

2012-02-22 21:50:38 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
福武線と鯖浦線(鯖江~水落~織田間。昭和48年廃止)の貨物輸送用に導入された
電気機関車である。
昭和24年にデキ2号の1両が製造された。
製造したメーカーは東芝である。
本形式は書類上、三井鉱山三井鉱務所からの譲渡機という扱いとなっている。
実際は戦後の資材不足により各社車両不足に悩んでいたものの製造枠が決められており、
新造機関車の導入が難しかったため、比較的、新車を作る枠が大きかった三井鉱山から
1両分の製造枠を譲ってもらい本機を製造している。
従って1度も三井鉱山で使われたことはない。

車体は全鋼製で当時の私鉄用電気機関車の標準ともいうべき凸型デッキ付きである。
塗装はブルー1色である。
主制御方式は抵抗制御でブレーキは空気自動ブレーキである。
台車は電車用のイコライザー式ボギー台車を採用しており、従台車はない。
モーターの駆動方式は吊り掛け駆動方式で全車軸装備となっており、出力は74.6kw×4である。

登場以来、鯖浦線と福武線で運用され、鯖浦線廃止後は福武線の貨物輸送で活躍した。
福武線の貨物輸送廃止(昭和54年)後は西武生車庫で入換車として活用された。
現在も残るデキ1形デキ3号よりも出力に余裕があるため、長く運用されたが
コンプレッサーに不調を来し、平成10年以降は休車となり、平成13年に正式に廃車された。
廃車後もしばらく西武生車庫にて留置されていたが、平成18年に低床車(名鉄岐阜600V線からの
譲受車)の導入と在来車の置き換えを実施した際、留置場所を確保するため解体処分された。